IOCと組織委員会の方針は開催で揺るがないだろうが:
私の独得の「閃き」では、昨年の開催の絵が見えてこなかったところ、1年延期となった。その延期された「2020オリンピック・パラリンピック」についての私の「閃き」では、誰も人がいない観客席の前で、静かに各種の試合が開催されている画が見えていた。NBCが中継放映しているかどうかなどは解らないが、何処かで何方かが「参加するのは日本選手が主体となって、結果として無数の金メダルが獲得されるだろう」との悪い冗談を言っておられた。勿論、今や周知の事実である世論調査では、再延期と中止が70%を超えている。
私には未だに何処が主体となって開催に持っていくのかが見えてこない。開催都市が東京である以上小池都知事は先頭に立って全体を牽引して、士気を鼓舞する立場に立っているはずだと思っているが、どうもそういう気配はないようだ。でも、既に「オリンピックの炎」のリレーはその決行の固い意志がある県だけで進行中だ。各種の個人種目の予選会は着々と進行している。組織委員会もオリンピック担当大臣も揺らいでいない。だが、マスコミはどっちつかずのようだし、世論の支持は見えてこない。
私は世論の形成に最も負の貢献をしているのが「COVID-19の感染拡大と各種の変異株の発生(と言うか、侵入を許してしまった政府の水際対策の無策振り)を連日連夜繰り返して報道して、如何に脅威であるかと報道するマスメディアである」と見ている。世間ではテレ朝のモーニングショーがその先頭に立っていると言うが、各テレビ局があれほど「怖いぞ、恐ろしいぞ。恐怖だから恐れおののけ」とやれば、それでなくてもワクチンの入手遅れもあって、世論が悪影響を受けるのは当たり前だと思っている。
私はどうなって行くのかを見つめているだけだが、問題だと感じている事がある。それは、3億3,000万人の人口の中から3,000万人以上もの人が感染し膨大な数の死者が出ているアメリカと較べれば、昨日の時点で1億2,600万人の我が国では感染者は62万人に止まっている点だ。それでも、菅政権のウイルス対策には不満足との意見が70%近くに達している。この状況を「尤も至極な国民の批判的な見方」と認めるか、「安倍政権以来良く抑え込んで貰えている」と評価するかは分かれると思う。だが、私はマスメディアの悪い方向への世論誘導は否定出来ないと思っている。
緊急事態宣言を繰り返して発出しても、目立った効果を発揮しないだろう事は見えていたとは思える。だが、それに代わる有効な手段もなく、法的規制もないのだ。私にはこの期に及んでも「私権の制限」だの何のと言う勢力が存在する事が情けないと思ってしまう。オリンピックがあろうとなかろうと、各種の変異株まで持ち込まれた事態を何としてでも制圧しないと、国難が一層深刻化するだけではないのか。オリンピックを開催して感染者が増えでもしたらとの議論は解る。だが、これは飽くまでも「仮定」の話であり、開催してみない事には解るまい。
そこに、我が国のメデイアがも最も有り難がるワシントンポストとニューヨークタイムスが、IOCとバッハ会長を真っ向から批判したり、中止を論じてしまった。私はバッハ会長もIOCも延期も中止も考えていないと思う。そのバッハ氏は17日にお見えになるようだが、菅内閣は既に緊急事態宣言の31日までの延長を決めてしまったと報じられている。バッハ会長はそれとオリンピックは関係無しと言われるのだろうか。私は会長が我が国のウイルス制圧策をどのように評価してきたかが鍵だと見ているのだが。
恐らくバッハ会長とは五者会談とやらを開催して討議されるのだろうと思う。私は我が国の四者は怖めず臆せず、我が国として主張したいことを主張して欲しいと思っている、我が国の言い分が開催だろうと、延期だろうと、中止だろうと、我が国の経済的負担の軽減だろうと何だろうと、正々堂々と言い聞かせて欲しいと思っている。もうそろそろ外国人崇拝から脱却出来ても良い頃だと思って期待したいのだ。私は「オリンピックという行事は、IOC様に開催させて頂いている性質なのか」と、何時も疑問に感じている。開催して予定せざる費用か発生すれば、IOCに振れば良いのではないか。
私の独得の「閃き」では、昨年の開催の絵が見えてこなかったところ、1年延期となった。その延期された「2020オリンピック・パラリンピック」についての私の「閃き」では、誰も人がいない観客席の前で、静かに各種の試合が開催されている画が見えていた。NBCが中継放映しているかどうかなどは解らないが、何処かで何方かが「参加するのは日本選手が主体となって、結果として無数の金メダルが獲得されるだろう」との悪い冗談を言っておられた。勿論、今や周知の事実である世論調査では、再延期と中止が70%を超えている。
私には未だに何処が主体となって開催に持っていくのかが見えてこない。開催都市が東京である以上小池都知事は先頭に立って全体を牽引して、士気を鼓舞する立場に立っているはずだと思っているが、どうもそういう気配はないようだ。でも、既に「オリンピックの炎」のリレーはその決行の固い意志がある県だけで進行中だ。各種の個人種目の予選会は着々と進行している。組織委員会もオリンピック担当大臣も揺らいでいない。だが、マスコミはどっちつかずのようだし、世論の支持は見えてこない。
私は世論の形成に最も負の貢献をしているのが「COVID-19の感染拡大と各種の変異株の発生(と言うか、侵入を許してしまった政府の水際対策の無策振り)を連日連夜繰り返して報道して、如何に脅威であるかと報道するマスメディアである」と見ている。世間ではテレ朝のモーニングショーがその先頭に立っていると言うが、各テレビ局があれほど「怖いぞ、恐ろしいぞ。恐怖だから恐れおののけ」とやれば、それでなくてもワクチンの入手遅れもあって、世論が悪影響を受けるのは当たり前だと思っている。
私はどうなって行くのかを見つめているだけだが、問題だと感じている事がある。それは、3億3,000万人の人口の中から3,000万人以上もの人が感染し膨大な数の死者が出ているアメリカと較べれば、昨日の時点で1億2,600万人の我が国では感染者は62万人に止まっている点だ。それでも、菅政権のウイルス対策には不満足との意見が70%近くに達している。この状況を「尤も至極な国民の批判的な見方」と認めるか、「安倍政権以来良く抑え込んで貰えている」と評価するかは分かれると思う。だが、私はマスメディアの悪い方向への世論誘導は否定出来ないと思っている。
緊急事態宣言を繰り返して発出しても、目立った効果を発揮しないだろう事は見えていたとは思える。だが、それに代わる有効な手段もなく、法的規制もないのだ。私にはこの期に及んでも「私権の制限」だの何のと言う勢力が存在する事が情けないと思ってしまう。オリンピックがあろうとなかろうと、各種の変異株まで持ち込まれた事態を何としてでも制圧しないと、国難が一層深刻化するだけではないのか。オリンピックを開催して感染者が増えでもしたらとの議論は解る。だが、これは飽くまでも「仮定」の話であり、開催してみない事には解るまい。
そこに、我が国のメデイアがも最も有り難がるワシントンポストとニューヨークタイムスが、IOCとバッハ会長を真っ向から批判したり、中止を論じてしまった。私はバッハ会長もIOCも延期も中止も考えていないと思う。そのバッハ氏は17日にお見えになるようだが、菅内閣は既に緊急事態宣言の31日までの延長を決めてしまったと報じられている。バッハ会長はそれとオリンピックは関係無しと言われるのだろうか。私は会長が我が国のウイルス制圧策をどのように評価してきたかが鍵だと見ているのだが。
恐らくバッハ会長とは五者会談とやらを開催して討議されるのだろうと思う。私は我が国の四者は怖めず臆せず、我が国として主張したいことを主張して欲しいと思っている、我が国の言い分が開催だろうと、延期だろうと、中止だろうと、我が国の経済的負担の軽減だろうと何だろうと、正々堂々と言い聞かせて欲しいと思っている。もうそろそろ外国人崇拝から脱却出来ても良い頃だと思って期待したいのだ。私は「オリンピックという行事は、IOC様に開催させて頂いている性質なのか」と、何時も疑問に感じている。開催して予定せざる費用か発生すれば、IOCに振れば良いのではないか。