新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

平井デジタル化担当大臣は言った

2021-05-23 10:53:17 | コラム
デジタル庁の組織は全員横一線で:

先ほどまで見ていたフジテレビのThe Primeに出席された平井卓也担当大臣は「デジタル庁の組織では全員が横一線であり、部だの課だの言う組織は設けない。それは新しいことを創造しようという目的のためには、上下関係は不要だから」と述べておられた。尤もであるとは思って聞いた。平井卓也担当大臣がこの発想というか思考を何処から得られたのか知る由もないが、アメリカの組織の在り方にも似ているのが興味深かった。また、この「管理職の下に横一線」という考え方は、嘗ての日本興業銀行の常務だった上田正臣氏が提唱されて、銀行内で物議を醸したと伺っている。

自分自身がアメリカの大手製造業の会社所属して経験したその「横一線」というか事業部長乃至は部門長に全ての権限が集中しており、部員全員には身分というか位の上下がない組織では、確かに事業部長には全員から報告が上がるので風通しは良かったと思う。同時に、事業部長からは全員に上意下達が行き届いていたが、部員間の横の連絡はそれほど緊密ではなかった。他の部員が何をしているかは、誰かが事業部長に提出する報告のコピーを恣意的に選んだ同僚にでも落とさない限り、先ず直ぐに知ることはなかった。

これがアメリカの組織の特徴で、即戦力になる者たちを事業部長が直接に面談して雇用の条件を決めて採用するのだから、言わば専門職というかスペシャリストの集団であり、それぞれが条件に応じて自分だけの力量で、与えられた“job description”=職務内容記述書に定められた仕事をやり遂げていくのである。そこには、他の部員の力を借りることなどあり得ないし、事業部長からの細かい指示などない。何度でも言うが「アメリカの組織とは、それほど個人の能力と主体性に依存するように出来ている」のである。

狙いは全員が与えられた課題を無事に達成していれば、その組織というか事業部でも良いのだが、事業部長が目指した成果が挙がって全員が目出度し目出度しとなって、事業部長は社長から高額のボーナスを貰えるという仕組みになっているのだ。部員はどうなるのかとお尋ねか。彼らは事業部長との査定の会談で適正な評価を得て昇給もするし、減俸もあるようになっているのだが。

平井大臣が言われていたことを勝手に解釈すると「部門長か事務次官(と言う役職者がいればだが)の下にデイジタル化の、我こそはと思っているような専門家を集めて、上下の差別なく相互に連絡や相談や打ち合わせを重ねて、我が国が恥ずかしいほど世界に遅れているデイジタル化を、あらゆる分野で達成し行こうという壮大な試みであろう」となる。そこに求められるだろう事は「テイームワーク」であり「皆で一丸となって」との精神構造だろう。その個性集団(だろう)の上に位して纏めていく指揮官は、余程この分野に精通していないと全体を御しきれないのではと感じた。

この極めて難しい課題を、組織として最も下位になる肩書きのない部員、更にそういう者を指揮する課長、そして複数の課長を束ねていく司令塔の部長という現在までの我が国の年功序列をも加味された組織というか構成では、承認の判子こそ廃止されるそうだが、段階を踏んでいく間に「折角出てきた知恵もアイデアの霞んでしまうかも知れない気がする」のだ。そこを排除しようと平井氏は考えられたのだろうと思う。しかし、年功経験とそれに伴う実力の積み重ねに馴れた人たちが、どれほどの成果を挙げるかは、実行してみなければ解るまいと思う。壮大な実験である気もするが。

我が国の組織の中で17年有余を過ごしてから「職務内容記述書」の世界に突然身を投じて、自分の(果たして何処まであるのかこれから試そうという)力量か実力だけしか頼りに出来ないと解ったときの恐ろしさは、大変なものだった。でも「やるしかない」と割り切ったのだったが「失敗したらどうしよう」などいうことなど考える暇もなく、未知の世界に飛び込んでいったのを思い出した。

それと形だけでも同じ組織を平井氏は導入しようと言われたのだが、そこに集う専門職の方々は、何処までその難しさを意識して取りかかるのだろうかと考えてしまった。だが、そこにあるだろう救いは「私のようにアメリカ人の中にただ一人だけの外国人として入って行ったのではなく、同じ日本人が率いる組織である」という点だと思う。また同僚となるだろうデイジタル化の専門家たちは、個人の力量だけで生きていこうとは考えずに、「皆で一丸となって」との精神で纏まって行くだろうと勝手に想像している。

デジタル庁が菅首相の構想の通りに、平井卓也担当大臣の指揮宜しきを得て成功することを、切に希望するものだ。ワクチン接種の予約だけであれほど混乱するような事態が、二度と生じないためにも。