新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月28日 その2 NPBの話題から

2021-05-28 08:49:25 | コラム
佐々木朗希君と奥川恭伸君:

この高校の頃からマスコミが大騒ぎして持ち上げてきた2人のプロ2年目の投手が、昨日の交流戦でそれぞれ曲がりなりにも勝利投手になれていたのは、一応は結構なことだと思っている。「何とかそこまで来られたのか」という意味だ。私は奥川君は甲子園で決勝戦で大阪の履正社高校に負けるまでかなり何度も見ていたので、その長所も欠陥も多少は把握していた。だが、佐々木君は言わば監督さんが甲子園出場を拒否したような使い方をしたので、その素材としての将来性は先頃の初登板で一寸見ただけだったが、昨日はタイガース相手でも勝利投手になれていたようだった。

そこで、この高校野球を代表したかのようなマスコミの持て囃し方で2年目を迎えた両投手を、冷静な評論家の目で診断しようという、大それた事をやってみようと思う。勿論、彼らだろうと誰だろうと、現場で見た訳ではなく、テレビで観ただけの印象しかないと、予め予防線を張っておこう。

先ず、佐々木朗企君から。一度目の登板は幸いにもテレビの中継で見ることが出来た。解りやすく結論から言えば「素材としては評価できるが、未だプロの投手の体格になっておらず、高校の時に163 kmだったかの速球を投げたと喧伝されていたが、プロの投手としては未だ150 km台の速さでも十分に制球力が備わっていないし、球威で打者を圧倒できる次元には至っておらず、かと言って制球力で打者の欠点を突くまでの域にはほど遠い」としか見えなかった。高校で163 kmまで出たという事は「可能性」として残っているだろうが、今後の精進如何に懸かっていると見た。

次は奥川恭伸君だ。甲子園の頃から「球は速いし良い素材だとは評価するが、甲子園で勝ちたいが為に指導者が小さく纏めようとしているのではないか。高校生でありながらプロの投手のようにあらゆる球種をものにして小宇宙を形成している。私の持論である「甲子園野球の為」という望ましくない小成の例の一人だと見ていた。問題点だと思うのは「上体が突っ立って手投げの感がある投球で、その為に疲れてくると球威が落ちて、履正社に決勝戦でやられてしまったのだ」という評価。

昨日の画はテレビのニュースで少しだけ観たが、上体が立ったままのフォームは変わっていなかった。この点は最近不信に陥っているジャイアンツの菅野投手のフォームに似ているのが気になった。ヤクルトには投手出身の高津監督や伊藤智仁や石井弘寿という投手コーチがいるが、何処まであのフォームをいじるのかに奥川君の将来が懸かっているように思える。

だが、プロの水準が上がってきて、高校出身の選手たちが一本目になれるまでに時間がかかるようになってきた。西武では甲子園優勝投手の高橋光成が漸くものになってきたが7年目だし、同じ優勝投手だった今井達也だって5年目で未だあの様だ。

奥川と佐々木亮君の2人は素材として評価できるが、育てる方も彼ら自身も焦りは禁物だろう。


オリンピックの延期か中止を叫ぶのは無駄な抵抗か

2021-05-28 07:53:29 | コラム
「普通開催」まで2ヶ月を切ったオリンピック・パラリンピック:

この期に及んでも、我が親愛なるマスコミは「開催か延期乃至は中止か」などという詮無い方向に、議論というか与論を誘導しようとしているようにしか見えない。私は昨年の1年延期が決定される前には「閃きでは、どうしてもオリンピックが開催されている画が見えてこない」と言っていたが、今日では「オリンピック・パラリンピックは強行ではなく普通に開催されて、誰もいない観客席の前で選手たち(何で「アスリート」なるカタカナ語を使うのか)が懸命にメダルとやらを目指して健闘している姿が見えている」のである。

そこまで「閃き」が変わってしまった理由を述べておこう。それは他でもない「オリンピックを開催するのも中止するのも、その権限はかの『ぼったくり』のバッハ会長率いる何者も侵してはならない神聖な存在であるIOCにしかなく、菅首相や主催都市の小池知事や組織委員会にもJOCにもないのだと、元JOCの一員だった某氏がIOCの憲章を引き合いに出して、繰り返して力説されていたからだ。要するに「IOCは今や国家権力などの遙か上に位する尊い存在」らしいのだ。即ち、我が国の総理大臣でも及ばない権力を備えているらしいのだ。私はそう信じ込まされている。

その程度のことを如何に我が国のマスメディアが不勉強であり、且つ本当の事は伝えないように仕込まれていても、知らないはずはないと確信している。だが、彼らの商売からしたら「オリンピックは如何なる事があっても、例え緊急事態宣言が繰り返して発出されて有効期限内であっても、IOCは意に介せずその方針通りに開催する」と報じたのでは面白くも何ともなく、紙は伸びないだろうし、視聴率だって上がりはしないと思っているのだろう。IOCがぼったくりの商業主義ならば、マスメディアだって商売だ。松下幸之助氏は「儲けない企業は誤りだ」と言われたではないか。

故に、マスメディアは与論誘導型の調査を繰り返しては「中止と延期が過半数」との結果を出しては菅内閣を非難するし、組織委員会を虚け者の如くに報道しているのではないかと、私は見ている。「それでは、貴殿はマスメディアが怪しからんと言いたいのか」と訊かれそうだが、そんな気はない。彼らは何時まで経ってもその程度のことしか出来ない存在だと思っているし、彼らの批判ほど意義がない行為はないと先刻承知しているだけだから。

私が大変だろうと怖れていることは「開催するかしないか」ではなく、未だ未だ変異株に対する対応乃至は対抗策が不十分な我が国に、COVID-19をどれほど抑えきったか不明な多くの國から選手団の他に多くの非アスリートがお出でになって、何か集団感染(「クラスター」には集団感染の意味なんてないよ)のような事故というか問題を起こしてしまうことの方が、余程怖いのだ。その場合の責任を開催したIOCが「済みませんでした。杓子定規に開催した我が方の誤りでした」と素直に述べて補償や賠償するだろうか。考えなくても解りそうなことではないのかな。