新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月24日 その2 昨23日の勝負から

2021-05-24 12:13:27 | コラム
勝負の面白さと苛酷さを見た:

ラグビーのトップリーグ:

先ずは午後1時過ぎから始まったラグビーのトップリーグの決勝戦から。サッカー出身者として羨ましいなと痛感させられたことがあった。それは、パナソニックの快足ウイング福岡堅樹君の最終試合であるとNHKが売りにして中継し、緊急事態宣言下にあれほどのラグビー礼賛者が観戦に来るということ。当方は昨今恐る恐る「Jリーグのサッカーの試合は余りにも緊張感も迫力もないのでほとんど観ない」と言ってしまっているのだ。その感覚と比較すれば、ラグビーのこの水準にある試合の方が、本当に残念だが単純に面白いのだった。

決勝戦はパナソニック対サントリーで、川淵三郎氏が築き上げたJリーグとは物の考え方が根本的に異なるようで、企業名がもろに表に出てきているのだ。当方はどちらが勝とうと余り関係がないのだが、外国人の中に日本人の選手も混じっていると言いたい試合の流れに興味があった。特にサントリーにはニュージーランド代表だったSOのボーデン・バレットがいたので、その上手さには興味も関心もあった。パナソニックは彼ほどの凄い選手はいないが、福岡をどう活かすかには少しだけ興味があった。大体からして団体競技で、一個人を特定して騒ぐのはおかしいと思っているのだ。

結果的には、先行したパナソニックをサントリーが追い切れずに6点差で負けたのだった。凄いなと感じたのはバレットのポジション取りだった。それはラグビーフットボールという以上、キックというか蹴る能力が重要になるのだが、この試合では両方のSOもSHもTBもパントキックを多用した。その長いパントキックは察するに、相手の守備陣形を見て空いているところを狙うのだろうが、サントリーの場合はパナソニックが何処に蹴ろうと行く先にはバレットが待ち構えていたのには恐れ入って、「流石」とその読みに敬服して見ていた。

私が見たところでは「何れの実力が上」と言うよりも、所謂「サドンデス」(sudden death)方式のトーナメントでは「時の運」も働くので、パナソニックの勝ちとなった。だが、本当に白か黒かの決着を付けるには、最低でも3回ほど試合をやらせてみないことには、どちら本当に強いのかは解るまいと思った。

女子の中京テレビブリジストンレデイース:
これは、目下日の出の勢いで勝ち続けている稲見萌寧の凄さというか「ゴルフはUKが発祥の地と聞いたが、恰もアメリカ系の球技の如くに『モメンタムのスポーツ』か」と思わせられたほど、見事な圧倒的な優勝だった。彼女の冷静そのものと見える感情の動きを見せないプレー振りには、往年の不動裕理の凄さにも似たものを感じた。兎にも角にも、第1ラウンドの13バーディーに2ボギーという記録では、パープレーのホールが三つしかなかったというのは凄すぎる。

この今年度で5勝もした稲見のゴルフが実力を付けつつある段階なのか、またはモメンタムに乗った勢いだけなのか、あるいは両方なのかは解らない。これで、オリンピックの出場資格では「シンデレラ何とか」と持て囃された後は、私が未だに出会い頭ではと疑っている渋野日向子を追い越しそうなところまで来てしまった。しかし、渋野は何と言っても所謂メイジャー(くどいと言われても“major”を「メジャー」と表記するのは許さない)を制覇した実績があり、現在はアメリカに渡って苦労して勉強中だ。

強行開催されれば、後2ヶ月しか残っていないオリンピックにどちらが出て行けるのかも、興味深い見物だと思う。本来ならば、もっと時間をかけてどちらの実力が上かと判定したい物だと思わずにはいられない。昨年の11月に亡くなった弟はシングルハンデイキャップにもなっていたゴルファーだったが、「優勝はフロック(英語は“fluke”で「まぐれ当たり」の意味)で、2位に来るのが真の実力者である事が多い」と言っていた。これを当て嵌めると渋野は未だ「フルーク」のような気がするのだが・・・。

大相撲:
ここは興行界の出来事。カタカナ語を使って表現すれば、優勝者はプレーオフまでもつれ込んだ結果、照ノ富士となった。照ノ富士は破竹の勢いで勝ち進んできていたので、全勝優勝かと思われていたようだった。それが意図的だったとは見えない相手の髷を掴んだ反則を検査役に判定されて負けとなってから2連敗し、貴景勝にも「本割」とやらで負けて、12勝3敗で並ばれてしまった。勝負の流れというものは解らないものだと、その優勝まで持って行くことの難しさを見せてくれた。

ここではマスコミの論調の面白さを論っておきたい。それは、あそこまでどん底から上がってきた照ノ富士を「来場所は綱取り」と書き立てていること。それならば、同じ12勝3敗だった貴景勝の横綱昇進の有資格者ではないのかと尋ねたくなる。尤も、あの世界は、我々で悪ければ私が暮らしている一般人の世界とは文化が異なるのだから、優勝した照ノ富士だけが有資格者となる決め事か慣習があるのかと思っている。あのプレーオフでは1回しか取り組めないが、せめて3回くらいやらせてあげないと「真の勝者」とは言えない気もするが、物理的かフィジカル的に無理な相談か。


強行開催となるのか、オリンピック

2021-05-24 08:00:48 | コラム
野党とマスコミは屡々「強行採決」と言うが:

つい先頃のオリンピック・パラリンピックについてのオンライン会議での、IOC副会長とやらのJohn Coates氏の発言は誠に不愉快だった。失礼、コーツ副会長は「真正面からIOCのオリンピック開催の意向を、極めて解りやすい言葉で真っ向から表明しておられた」と言うべきだったかも知れない。だが、如何にIOCが思い上がっているかと同時に、我が国の関係者たちから侵すべからざる神聖なる存在の如くに崇め奉られているとは申せ「非常事態宣言があろうとも関係なく開催する」という言い方には呆れるだけで、言うべき言葉を知らなかった。

言葉を換えれば「IOCが開催すると決めた以上、主催都市とその国の側に如何なる悪材料が発生していようと開催するのである」と、ごく当たり前のことだと思って、IOCの意向をバッハ会長に代わって我が国にお伝え下さったと解釈するしかないのだった。これを野党とマスコミが屡々用いる表現を真似れば「強行開催」とでもなるのだろうか。要するに「IOCがそうと決めれば、何ものも何事も、それを遮ることなどあり得ないのだ」と解説されたのだ。強行採決にしたところで、多数決が原則である民主主義の下では「強行でも何でもない」と言えるのと同じ理屈だと思う。

私はIOCが雨が降ろうと槍が降ろうと開催すると言うだけであることの最大の理由の一つが、NBCからの中継放映権料であると思っている。彼らはそう表だって言わないだけであり、他の理由は後付けだと思っている。故に、私が既に傲慢だと切り捨てたオーストライリア人(カタカナ表記にご注意を)のコーツ副会長は、せめて小さな声で「実は此れ此れ然々で」と言えば少しは可愛げがあると認めてやるが、あの我が国を見下したような語り口には、反感を覚えるだけだ。

極論を言えば“vaccination”を何時まで経っても「ヴァクシナイション」というような発音をしている神経を疑うのだ。私は何人ものオーストラリアとニュージーランド人を知っているが、あれほど露骨にオーストラリア独特のアクセント(いうのか訛りというかは別して)を修正していないお方は珍しいような気がする。余計な揚げ足を取ったと思われたかも知れないが、私はあのコーツ氏の傲慢な態度を見れば、その上司であるトーマス・バッハ会長をワシントンポスト紙が“ripper-off”、即ち「ぼったくり男爵」と呼んだことが、今更ながら納得できるのだ。

マスコミには度胸がないから、自民党と公明党の政権がやることを直ぐに「強行採決」と誹るが、IOCのあの傲慢な姿勢を「IOCは強行開催へ」と報じるほど性根が据わっていないようだ。バッハ会長が何と言われるか、一度で良いから批判して試してみることくらい出来るのじゃないか。君等が尊敬するアメリカの有力地方紙、ワシントンポスト紙はやったじゃないか。