Twitterでの発言の責任を取られたとか:
私は我が国では本当の事を言う時には、余程慎重に取りかからねばならないと見ている。いや、寧ろ言わない方が無難なことが多いとすら考えている。高橋洋一嘉悦大学教授は官邸にも参与として無休で入っておられたのだそうだ。その「さざ波」にしろ「屁のような」という表現は、かなり本当の事だった点があったので、揚げ足取りに専念する野党と朝日新聞等々や、余り程度が良くないと思える記者たちが取り上げて、菅首相の会見で「怪しからん表現では」と質問したように見えた。
我が国の朝日のような新聞社は虚報や誤報や捏造はするが、何処かで何方かが本当の事を言われると、何故か論って大問題の如くに報じる性癖があると思っている。今回の高橋教授の表現がそれに当たるのだと思うが、正直なところ表現の仕方は適切ではなかったという恨みは残ると思う。感染者数もアメリカやヨーロッパの諸国との比較では非常に少ないが、その点をあの形で言われたのは面白くはあるが、万人に通じる性質ではなく、早速マスコミが食いついた。
「屁のような」も同様だとは思うが、マスコミがやったことは、この表現を苦境に立っている飲食業者に伝えて「我々が苦しんでいるときに何という心ないことを言うのか」と怒っているという方向に持って行ってしまった。高橋氏の要点は「私権制限がどうのという事を怖れて、全て要請にしか出来ない緊急事態宣言」を「屁」に例えられたのだろうと、私は言うなれば、高橋氏側に立って解釈している。野党とマスコミは飲食業者に「何と言うことを言うのか」と言わせるのではなく、要請しか出来ない政府の苦境と苦心のほどを察するべきではないのかな。
私は以前にも述べたが、海外の諸国よりも感染者も不幸にも亡くなられた方も圧倒的に少ない我が政府のCOVID-19制圧対策が「不十分」と出る世論調査の結果が、理解できないのだ。アメリカの昔の上司や同僚たちは驚いているほど見事に押さえ込んでいるのではないのか。そういう「不十分」と言わせる方向に誘導しているのが野党とマスコミの連合軍ではないのか。もしかすると、IOCのバッハ会長とコーツ副会長は我が国の制圧対策が十分に機能していると見て傲慢不遜にも「緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できる」と言っているのかも知れない。
私は我が国では本当の事を言う時には、余程慎重に取りかからねばならないと見ている。いや、寧ろ言わない方が無難なことが多いとすら考えている。高橋洋一嘉悦大学教授は官邸にも参与として無休で入っておられたのだそうだ。その「さざ波」にしろ「屁のような」という表現は、かなり本当の事だった点があったので、揚げ足取りに専念する野党と朝日新聞等々や、余り程度が良くないと思える記者たちが取り上げて、菅首相の会見で「怪しからん表現では」と質問したように見えた。
我が国の朝日のような新聞社は虚報や誤報や捏造はするが、何処かで何方かが本当の事を言われると、何故か論って大問題の如くに報じる性癖があると思っている。今回の高橋教授の表現がそれに当たるのだと思うが、正直なところ表現の仕方は適切ではなかったという恨みは残ると思う。感染者数もアメリカやヨーロッパの諸国との比較では非常に少ないが、その点をあの形で言われたのは面白くはあるが、万人に通じる性質ではなく、早速マスコミが食いついた。
「屁のような」も同様だとは思うが、マスコミがやったことは、この表現を苦境に立っている飲食業者に伝えて「我々が苦しんでいるときに何という心ないことを言うのか」と怒っているという方向に持って行ってしまった。高橋氏の要点は「私権制限がどうのという事を怖れて、全て要請にしか出来ない緊急事態宣言」を「屁」に例えられたのだろうと、私は言うなれば、高橋氏側に立って解釈している。野党とマスコミは飲食業者に「何と言うことを言うのか」と言わせるのではなく、要請しか出来ない政府の苦境と苦心のほどを察するべきではないのかな。
私は以前にも述べたが、海外の諸国よりも感染者も不幸にも亡くなられた方も圧倒的に少ない我が政府のCOVID-19制圧対策が「不十分」と出る世論調査の結果が、理解できないのだ。アメリカの昔の上司や同僚たちは驚いているほど見事に押さえ込んでいるのではないのか。そういう「不十分」と言わせる方向に誘導しているのが野党とマスコミの連合軍ではないのか。もしかすると、IOCのバッハ会長とコーツ副会長は我が国の制圧対策が十分に機能していると見て傲慢不遜にも「緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できる」と言っているのかも知れない。