新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月18日 その2 続・ジョブ型雇用と成果主義賃金制度

2021-05-18 16:05:33 | コラム
ジョブ型雇用の続編:

以下に補足する事柄も含めて、私はこの「ジャブ型雇用」については、より広く我が国内に知れ渡り、それが何たるかを理解して置いて貰いたいと願う次第です。

折角ここまで論じたので、カタカナ語に言う「ジョブ型」のデメリットにも触れておこうと思います。

我が国の会社組織では「課」になるでしょうが、アメリかでは部(division)になります。全部員は中途採用ですから入社日も異なるし、採用の時点で決まる年俸も年功序列ではなく事業部長と話し合って決めたものですから、他人と比較するのは無意味です。しかも、全員が重複しないようにjobが割り当てられていますから、部員間で助け合うことなどあり得ないし、お互いに全く異なるスケジュールで動いていますから、「帰りに一杯行こうか」などとなる飲み会もありません。

各自が独立自尊で仕事をしています。そういう次第ですから、日本式の「チームワーク」などという観念は極めて薄くなります。第一に部下はいないし、後輩を教育するなどと言う項目などは、job descriptionに入ってくるとは思えません。即ち、年功序列の考え方はないと言えます。

また、年に一度のreviewですが、ウエアーハウザーでは「全員が異なる入社年月日なので、各人の入社1年後とすると副社長兼事業部長は大袈裟に言えば1年365日にreview meeting をしていなければならなくなるので、年に一度全員を同じ日にすることにしていました。

ここに述べた事柄等々も含めて考えれば、この仕組みには良い点はありますが、我が国の会社組織の気候風土には合わないだろうと思います。私にはあ合っていたようです。我が国で、途中からこの制度を採用したりすれば「全員が打って一丸となって」というような精神主義で育ってきた者たちには向いていないと思わざるを得ません。

「ジョブ型雇用」などと言いだした方々は、このアメリカ式の仕組みを何処まで比較・検討して理解されたのかと疑います。以前にも述べたことですが、私はミードでもウエアーハウザーででも、上司乃至はボスから一度も仕事の仕方で細かい命令を受けたこと、教育的指導などありませんでした。それは、事前に十分に吟味し調査した上で、インタービューで人物を見極めて採用するのですから、全部任せる訳で、今更指導などと言う手間暇はかける必要がないのでしょう。

終わりに、余り言いたくない欠点ですが、部門長一人に全権限が集中しているので、彼に嫌われたら一巻の終わりとなる危険性が高くなります。そこで、我が国では想像も出来ないようなベンチャラ社会にすらなってしまう事があります。極端な例を上げれば、私が屡々引用してきたヘンリーフォードが、社長のアイアコッカをクビにした後で、彼の腹心の副社長を”I don't like you.”の一言で馘首した事があります。


ジョブ型雇用と成果主義賃金制度

2021-05-18 10:40:55 | コラム
ジョブ型雇用の考察:

近頃この我が国では未だ耳慣れしていないだろう、この言葉が使われているようになりました。その実態と経験談を語る前に、カタカナ語排斥論者としては“job”を「ジョブ」とカタカナ表記をすることに怒りすら覚えます。“job”は英連邦王国のOxfordにも、その発音記号をカタカナ書きすれば「ジャブ」となるように表記されています。このようなローマ字読みは百害あって一理くらいはあるだろうと思うほど、正しい英語の学習には有害です。

いきなり本筋から外れました。20年以上もの間アメリカの大手紙パルプメーカー2社で、この制度の下で勤務していた経験から「ジャブ型とは」を述べていこうと思います。私は我が国にも私以外にこの制度に従ってアメリカの企業に勤務された方は数多くおられると思いますが、そういう経験やそこに存在する企業社会における文化比較論を語られた方は、余りおられない気がするのですが。「ジャブ型」が如何なるものかを知れば、安易に我が国の企業社会に導入しても良いのかとの疑問が生じるはずですから。

私は先ず1972年8月からM社で2年半ほどこの制度の下で勤務した後にウエアーハウザーに転進しました。ボスとなるはずのマネージャーのインタービューを受けて採用と決まってから、人事部(我が国のそれとは全く異なる、人事の記録を取るだけが職務のような存在)に私自身で採用されたと報告に行かされました。すると、そこで通告されたことは「この職を選べば、我が社に勤務している限り貴方の身分の垂直上昇はないのだが、それを承知しているのか」でした。他に選択肢はないと知っていたので「解っています」と答えた次第でした。

この状態を別の角度である“rank and title”の視点から見てみます。私はその分野の専門家たるべく雇われたのであって、その職務では“title”即ち「肩書き」は与えられても、“rank”即ち「身分」か「地位」の上昇はないという意味です。それでは余りに酷いじゃないかと思われそうですが、後にあらためて確認できたことで「地位」は与えられずとも、“job description”に規定された内容について成果が挙がっていれば「禄」は与えられ、(アメリカとは)定年制がない世界ですから、成績を挙げている限りでは何歳になろうとも年俸は増額される世界だったのです。

アメリカと日本ではやや事情が違いますが、アメリかでは彼らが“flat pay”と呼んでいる年俸一本だけの世界で、役職手当のような諸手当は一切ないのです。確かに“manager”(往々にして「部長」と訳されていますが)というtitleは与えられますが、それは肩書きというか称号であって、そうなったからと言って手当はありません。それは簡単な理屈で「最初から年俸一本」と決まっているのですから。

“job description”=「職務内容記述書」に行きましょう。これには各人に与えられる仕事の内容が、先ず事細かに記載されているものです。そして会社によって異なりますが、達成すべき目標(goal)も載っている場合があります。また、その各項目に重要度によって変わって行く合計で100になる数値が割り振られていて、1年後に所属する部門長と1対1で出来不出来をreview(査定と言って良いでしょう)します。これは上司が一方的に査定するのではなく、公平を期して当人の見解を述べることが出来る仕組みになっています。

その結果で、何処かの國の学校のように5段階で判定されます。最高の5となれば大幅昇給、4では月並みな昇給、3は据え置き、2は減俸、1の場合は会社によって異なるそうですが、通常は「君の仕事は本日を以て終了した」と通告される馘首になります。アメリカに進出した我が国の有名企業の副社長兼工場長に聞いたところでは「馘首を通告するのは当初は緊張したが、殆どの場合に素直に出ていった。何故受け入れるのかと思ったが、現地で『それは社会通念だから』と聞かされた」そうでした。

ウエアーハウザーの我が事業部では、この査定の会談の他に随意に同僚の中から1名を選んで彼または彼女による査定を直属上司に提出できる制度が導入されていました。これを何故か私に依頼してくる者が多かった頃があって悩ませられました。それはアメリカ人のような二進法的思考体系の人種の中にあっては、余り正直に欠点や問題点を指摘すると、それ即ち重大なマイナス評価と看做されて、その人物の「雇用の危機」となりかねないのですから。後に「何故俺に振ってくるのか」と尋ねたところ「君なら公平に評価すると信じていた」と言われたことがありました。

私は専門家というか“specialist”の雇用というか養成という点では「ジャブ型」には大いに価値は認められるし、意義はあると思っています。それは「同じ職務に例えば65歳になって自発的にリタイアするまで従事していられれば、その分野での専門的知識には否応なしに精通するはずだし、その業界と関連する分野にも顔が広くなっていくし、業界でもあの会社の誰それと知れ渡る有名人にもなる確率が高いのですから、例え社内での地位が上昇していなくとも」なのですから。現に、私は同じ仕事を19年間も続けたので、気が付けば確かに顔の売れた存在になっていました。

ここまででは良い話ばかりです、だが、世の中は決してそれほど甘くはないように出来ています。それがJob descriptionです。それは「そこに並んでいる項目だけを達成していたのでは査定は精々3段階目です。換言すれば「言われたこと(決められたこと)だけやっていたのでは、生涯ウダツが上がらない世界なのだ」ということです。即ち、与えられた課題以外に自分で新分野を開拓するとか、営業の分野以外に技術者の応援を頼まずに技術的か品質問題を解決できるまでに勉強しておかねばならないという事です。

例を挙げてみれば、我が上司だった副社長兼事業部長は大学では会計学の専攻でしたし、小さなパルプ工場に現地採用された会計係だったのですが、そこから本社に引き上げられて畑違いの事業部に転進して、遂には事業部長にまで昇進したのでした。その後には工場の技術者たちが脱帽したほど「製紙の技術や抄紙機の改造」等の分野に精通するようになっていました。このように「与えられた課題だけをこなしていても、先ず絶対に評価されない世界がアメリカ」と思っていないと、アッという間に最低の評価になって転落してしまうのです。

最後にもう一つ、この「ジャブ型」の世界の怖さを。それは「良い評価をされて安心している事など許されない世界だ」という実態です。即ち、今年は5段階の5の成績を挙げたのだからと、翌年の分として与えられる課題は一層難しくなってくるという意味です。その線を達成できなければ、2年前の位置に戻ってしまうか、息切れして職を失う危険性すらある得るのです。

この危険性を回避する対策は、悪い言い方をすればただ一つ。その年度内には翌年の職務が難しくなるのを見越して余力を残した仕事の仕方をすることでしょう。でも、このような言わば手抜きをしていれば、英語では“hawk eye”という上司の慧眼に見破られる危険性があるでしょう。

私はこのような「ジャブ型」仕組みと問題点が、我が国の企業社会に簡単に短期間に根付くとは考えにくいのですが。