新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

時事熟語を考えると

2021-05-16 11:01:59 | コラム
後期高齢者にとっては見慣れない漢字の熟語が増えた:

発出:

この熟語を初めて聞いたのは、昨年の4月だったかに安倍晋三前総理が緊急事態宣言を出されたときのことだった。てっきり「発令する」と言われるものと思っていたが、意外にも「発出する」と来たたのだった。私は学校における英語の教え方に忠実でなかったために語彙が豊富ではなかったと反省しているが、まさか漢字の熟語にも「知らなかった」という例が出てくるとは驚きだった。

ところが、広辞苑(第六版)には「あらわれること、あらわすこと。出発と同じ」とは出ていたが、発令という意味は出ていなかった。でも「まー、当たらずと雖も遠からずか」と思って受け止めることにした。それ以降、何度か出さざるを得ない事態に立ち至った緊急事態宣言は「発出」されるようになった。

人流:
これは同じ広辞苑には採用されていなかった。だが、デジタル大辞泉にもGooにも「人の、移動を伴う一連の動静。また、人々の流動や動線」とは出ていた。言うまでもない事で、この見慣れない熟語は「飛沫感染等を防止するために、多くの人の流れを制限しよう」として政府が発出した表現である。

私が面白いと感じることは「一方では難しい漢字の熟語を避けて、セキュリティーのような奇っ怪なカタカナ語を採用していながら、ここでは漢字の熟語に回帰している現象」である。思い切り皮肉を言えば「英単語を承知しているだけではなく、古き漢字の熟語だってその気になれば使えるぞ」と誇示したいのかという事。チグハグだ。

三密:
これは小池都知事が言い出したような気がするが、今や余り言われなくなってしまったように感じている。ウイルスの感染を予防するための基本技のようだから、何も事改めて言うまでもないのか。だが、広辞苑の第六版には「[仏]仏教で、仏の身・口・意のはたらきをいう。(以下略)」と出てくる。そうであれば、巧みに言葉を転用したことになってしまう。敢えて言えば「如何にも小池さんらしい手法だな」となる。

私服:
テレビに登場する芸人たちが屡々「私服がどうのこうの」と言うが、私が初めてこの熟語に出会ったのは1998年頃だったかも知れない。個人指導を依頼されていた商社の若手と土曜日に会う約束をしたので、普段着で出掛けていった。すると、彼が言うには「私服だとそういう感じになっちゃうのですか」と、私の服装についての感想を漏らしたのだった。「私服」には違和感があった。即ち、それは「制服」の反対語ではないかと考えていたからだった。後刻、広辞苑を見れば「制服ではない衣服」とあった。

商社に出勤するときは失礼がないようにと、往年のブランド物である現代では死語と化してしまっただろう背広(スーツ)にネクタイという服装だったので、彼には普段着は物珍しかったのだろう。余談になるかも知れないが、アメリカのアッパーミドルたちに教えられた寛いだ服装とは「濃紺のブレザーに空色(ブルーか)のシャツ、彼らがkhakiと呼ぶカーキ色のチノパンに、茶色のローファー」だった。彼には事の序でに、そういう事まで教えたのだった。

実家:
これはどう考えても「自分の生まれた家」か「父・母の家」という意味だと思う。この言葉がごく普通に使われていることに、特に違和感はない。だが、亡き母は嫁ぐ前の両親の家を「里」と呼んでいたが、一度も「実家」とは言わなかった。そこで、再び広辞苑である。「④妻・養子・奉公人などの実家」とあった。我が方には残念ながら息子の嫁はいないが、現代の女性たちは「実家」と言うのだろうか。私は母を懐かしんで「里」の語感を取りたいのだ。