新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

”It's me."の文法的考察

2019-09-20 07:41:27 | コラム
英語が苦手の一読者様のご質問に答えます:

“It’s I.“であるべきだ:
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この屡々我が国でも使われることがある表現が正しいか否か質問を「頂門の一針」誌上で頂戴していたので、私の元の上司で私が最も尊敬している典型的なアメリカのアッパーミドルの代表のような、W社リタイア後に大学院大学の教授を務めた人物(当然のようにMBAである)にその質問を転送してみた。彼はそれを更に前妻の私がアメリカで出会った最も知的な女性(彼女もMBAで人事・労務のコンサルタント)と尊敬していた婦人に更に転送していた。そのご婦人から”It’s me.”を非常に解りやすく解説して貰えたので、日本語にしてお知らせする次第。

翻訳文:
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“It’s me.”の文法的解釈:


この質問は多くのアメリカ人にとっても扱いにくいものだ。文法的には“It is I.”とするのが間違いなく正しい。ここでは「be動詞」がつかわれていて現在形の単数であるので、目的語は“I”か“he”か“she”であるべきで目的格(objective)の“me”,“him”、“her”ではないのだ。少し難しく言えば「“I”、“he”、“she”を動詞の主語に立てる時は、常に“It is he.”か“It is I.”のようにすべきだ。



“me”や“him”や“her”は動詞の目的語に使われる性質の「目的格」だと心得ておくべきである。例文を挙げれば“Give the book to me.”のように使われる。



ここで私が述べてきたことは“Queen’s 乃至はKing’s English”とでも言うべき正しく正確な英語であって、最も正式で正確な話し方である。確かに屡々“It’s me.”という言い方をする者はいるが、それは正式な英語ではない。



“It’s I.”という正式な言い方をすると、中には「それは人を見下した言い方だ」と採られる場合もあるし、上流階級を気取っていると思われることすらあると申し上げておく。



だが、最早“It’s me.”を使うのはそう珍しいことではなくなったとも言えるが、正しく文法を心得ていることを示す為には“It’s I.”を使うべきだと言える。」



念の為に申し上げておけば、私は"It's me.”を使った記憶はないのだ。これは理屈ではなく本能的に文法的に正しくないと感じていたからだろう。


ラグビーW杯開催に思う

2019-09-19 07:49:10 | コラム
私のラグビーW杯に関する思い:

もしかすると「偏見だ」とkazk様に叱られるかも知れないが、私の思いを述べてみようと考えた次第。

20日に調布だったかでロシアとの試合で開幕されるのだが、その先発メンバーを見て私は「この大会はサッカーでも行われている世界のクラブテイームのW杯大会と同じだ」との見方を一層強くした次第。すなわち、その顔触れの半数がカタカナの名前の選手たちなのであるから。そうなっている理由は既にkazk様から繰り返し解説して頂いたので、分からず屋の私でさえ承知している。だが、我が国の代表が参加していたスーパーラグビーの頃から「あれほど外国人選手が多くても我が国の代表というのは・・・」と感じていた。しかし、それが世界のラグビー界の取り決めである以上、異議を唱えることは無意味であると認識している。

私が感性として思うか、または願うことは「世界の取り決めはどうあれ、一度だけでも良いから日本人の選手たちだけで英連邦の競合の諸国の代表と試合をして貰いたい」なのである。海外の諸国にも外国の国を代表するテイームにも異国の選手が入っている場合もあるだろうが、それと我が国の代表テイームに大洋州や英連邦の人たちが入っているのとは訳が違うと思う。嘗ての大畑や現在の田村や山田章や福岡等の実力の持ち主を集めればそれなりの世界的な代表テイームは結成出来ると思っているし、私は単独テイームの方が優れている場合が多いのではという論者でもあるのだ。

ここで誤解なきよう申し上げておくと、私は外国人選手を排斥しようと言っているのではない。純粋に日本人選手たちの強さと上手さが世界に何処まで通用するかを知りたいだけだ。とは言ってきたが、折角我が国でクラブテイームの世界選手権が開催されるのであれば、我が国を代表するテイームが予選リーグを突破して世界の8強や4強にまで勝ち上がってくれることを期待するものである。

このW杯の開催が迫ってくるに従って、テレビを見ていても新聞を読んでもこの関連の番組も記事も非常に増えてきたと思う。ここから先は「嫉妬」と責められても仕方がないが、私は何故我が国のマスコミはラグビーをあれほど有り難がるのだろうかと思っている。テレビドラマなどでは「男のスポーツ」だの「ノーサイドの精神の美しさ」を称えているのは妬ましい。同じUK系のサッカー出身者である私は「サッカーは男らしくないのか」とか「我が国の代表は常にフェアープレーの精神で戦っていると世界的な大会で認められているではないか」などと言いたくなる。

NHKなどは関東大学対抗戦グループの旧国立競技場で行われた早稲田対明治の試合などはずっと中継放送していた。だが、同じフットボールであっても(アメリカカン)フットボールとなると関東大学1部リーグの試合など中継放送されたことなどない。精々甲子園ボウルだけだ。偏向しているとも言いたくなる。いえ、サッカーの関東大学1部リーグの試合など中継放送された記憶がない。ここまで言えばもう十分だろう。

最後に一言申し上げておけば「何故世界のラグビー界ではサッカーのようなW杯の大会を開催しようとは考えないのか」となるのだ。何れにせよ、我が国の代表の健闘を祈って終わる。


9月18日 その2 我が家の直ぐ近所にもタピオカミルクテイーのスタンドが

2019-09-18 09:37:03 | コラム
"あれはキワモノではないか?:

つい2~3日前に我が家の直ぐ近所に良く読めない漢字3文字の看板の店が出来かかっていた。そこは30年以上も続いていたこの界隈で最も人気があった(動かない)寿司屋だったが、大将の健康上の問題で惜しまれつつ閉鎖された。その後は更地になった後で洒落た4階建てのこぢんまりとしたビルになった。その1階は何と今流行というか何時まで続くかというタピオカミルクテイーもスタンドが開店したのだった。そこは国際化というかアジア・イスラム化された大久保通りからは数百メートルも離れた住宅街の入り口の路地の外れである。何を考えたのかと、私は直感した。

この路地ではその寿司屋の廃業の後で矢張り30年以上も続いていた長寿庵が何時の間にかひっそりと閉店し、その直後にまさかと思ったファミリーマートまで閉店してしまった。見方を変えれば、大久保通りから離れ、日本人のお客様を当てにする商売は駄目だと言えると思う状態だ。ではそのタピオカミルクテイーのスタンドは誰を相手にすることを目論んでいるのかが問題であろうか。その辺りを事情通が解説してくれた。

確定的なことは言えないがと断った上で「あのスタンドはこの界隈で急激に校舎を増やしている日本語学校その他の教育機関的な事業(と言うのかな?)を展開している会社が運営しているようで、店内には多くの外国人の従業員がいるではないか」というのだ。即ち、我が国の法律では週28時間しか働けない外国人の生徒たちの為に、自足自給のタピオカミルクテイーのスタンドの経営を手がけたのではないかとの読みである。

私は先ず関心も何もないが、昨日はこのスタンドの前を2往復したので観察したが、お客がいたのは1度だけだった。序でに値段表を見て少し驚かされた。何と平均すればミルクテイーに黒いタピオカデンプンの粒を入れた飲み物が500円もするのだった。事情通はその値段で原価率が仮令30%だったとしても、1日に100杯売れても経営は成り立たないだろうと言っていた。

私はそんなことよりも、スタンドばかりで客席がないこの手のスタンドでは,既に報道等で指摘されているプラスティックのカップとストローのポイ捨ての方が問題だと思う。この街に来ればあの大型のプラステイックカップから飲みながら歩いている婦女子を数多く見かける。プラスティックのストローを紙製に変えた飲食店が出てきた時代に逆行するかの如き、タピオカミルクテイーは何時まで持つのだろうか。廃棄物は誰の責任で処理するのだろうか。あの手のスタンドは何処の国の人が経営するのだろうか。疑問だらけだ。


私が不安に思うこと

2019-09-18 08:45:48 | コラム
我が国民は政治家も含めて純情過ぎないか:

私に言わせれば、韓国が1,000年経っても消えないと称する恨みに基づいて我が国との関係をこれ以上ないまでに意図的に悪化させた状況に鑑みて、畏メル友RS氏は「世界は日本人の思っている以上に腹黒く、我々日本人も清濁併せ呑むことも不可欠です。」と指摘されたことの引用から入っていく。誠にその通りだと心から賛成する。しかしながら、20有余年アメリカ側の一員として対日交渉を担当してきた者に実感を込めて言わせて貰えば「我が同胞は余りにもフェアープレー重視であり、小汚い駆け引きもされない点は評価すべきだが、如何せん外国慣れしていないというか世慣れていないのは芳しくないのだ」と思わせられた。

換言すれば「外国人も自分たちと同様に純情で、清く正しく美しくの精神で交渉に臨んできている」と信じておられるのではないかと思わせられたことが多々あった。私はアメリカ人たちは我が国で屡々誤解されているような国際人でも何でもなく、外国慣れしている訳ではないのだと敢えて指摘する。その交渉術は私が繰り返し指摘して来た「これを言うことで失うものはない」と「論争と対立を恐れない姿勢」と「感情論に陥らないこと」と「学校教育でdebateの教育を受けていること」と「妥協することは頭から考えていない」との姿勢で臨んでいるだけなのだ。但し、英語という言語の性質上、論旨の構築は巧みで常に断定調である。

言ってみればそれだけのことなのだ。だが、ともすればその交渉で妥協点を探ろうとするか落とし所を見つけようとする我が国の交渉術とは、歴とした文化の違いがあるので我が国では「アメリカ人の交渉術は国際化されている」との錯覚を起こしているだけだとすら考えている。W社の日本人代表者だった商社時代に10年以上も北アメリカの駐在経験があった国際的交渉の経験十分なN氏は「時々、こんな大したことがないアメリカ人の言うことに屈服しないで欲しいと感じたことすらあったほど我が同胞は純真だった」と述懐されていた。

私は22年半に及んだアメリカの会社勤務では、彼らがその二者択一的思考体系に基づいて,我々から見れば「良くそこまで割り切った決断が出来るものだ」であるとか「何故そこまで冷酷な判断をしてくるのか」と恐怖を感じたほど厳しい姿勢を見せることがある。でも彼らはその割り切り方や冷酷な判断は飽くまでも我が国の思考体系から見ればそうなるだけで、彼らは冷酷だとも厳しいとも思ってはいないと言いたい。私なりに割り切って言えば、文化と思考体系の相違に過ぎないと思っている。いや、未だ未だ我が国は海外に馴れていないだけということかも知れない。

そこまでに思いを致せば、我が国は韓国の度重なる言いがかりと厭がらせに対して、もう少し果断な姿勢で臨み、彼らの言い分で否定すべきか反論の必要がある場合には真っ向から筋を通して主張して欲しいと思っている。既に述べたように現代はフェアープレー重視や純情だけでは通用しない世の中になってしまっているのだ。私はアメリカの会社に転じて部内の会議でも他部門とも打ち合わせでも、感情的にならず論旨を十分に構築して討論をすることの重要性を知らず知らずの間に習得していた。

我が安倍内閣にも、自民党内にも討論が主体であるアメリカの一流私立大学の大学院出身者がおられるではないか。そういう学識経験者の力を十分に活用すべき時代になっているのではないか。過剰に紳士的である外務官僚に任せておいて良い時代ではないとすら考えている。韓国のロビーイングや我が国を貶める広報宣伝活動に本腰を入れて対抗して貰いたいものだ。「何、英語力に不安がある」だと。その点は実用性に乏しい英語教育をしている文科省に反省を求めて欲しい。私はこと英語力に関しては野に遺賢はいくらでもおられると思うが。


9月17日 その2 9月16日のPrime News

2019-09-17 08:13:07 | コラム
私が非常に興味を感じた2点を:

16日のPrime Newsは出席者が木村太郎氏と古森義久氏だったので、大いに期待して見ていた。非常に勉強になる内容で興味深い約2時間ほどだった。詳細な内容をここで云々するのは私の本旨ではないので、特にこれだと思った点だけを採り上げておきたい。

我が国の不十分なロビーイングと広報宣伝活動:

この点はこれまでに私は何度採り上げたか解らない。兎に角、在職中にアメリカ中を飛び回っている間には、ホテルで常にテレビはCNNをつけっぱなしにしておいたのだ。だが、先ず我が国関連のニュースが出てくることはなかったし、何度か指摘したことで第一次安倍内閣の総辞職は1度だけ報じられただけだったし、USA TODAYではほんのベタ記事だった。要するに、我が国からは英語による情報発信がほとんどなく、同盟国とは言うものの我が国は「知られざる国」という印象が極めて濃厚だった。即ち、中国人と間違われる目には何度もあったが、「日本人か」と見極められるのは希だった。

そこで見出しの件だが、木村・古森の両氏は韓国の旺盛なロビーイング活動と反日本宣伝は活発だが、それに対抗すべき我が国のロビーイングも広報宣伝活動も皆無であるとアッサリと指摘されたのだった。私は先日河野防衛大臣が外相としてだったかブルームバーグに投稿された件を採り上げたが、昨夜の両氏はこの点には一切触れられなかったのは、アメリかではそれほど遍く知れ渡っていないということらしいと思って聞いた。こんな状況では極めて宜しくない。「言わずとも解って貰える」とか「神のみぞ知る」だと思っていたら大間違いではないのか。政府の大反省を求めたい。

中近東情勢とイスラム横町:

何処の誰が何故ドローンでサウジアラビアの石油施設の半分をも攻撃したか知らないが、中近東情勢は非常に難しいものがある。特にアメリカ対イランの関係悪化などは危険極まりないものがあると思う。だが、ここで私が採り上げたいことは木村太郎氏が採り上げた「サソリがワニを刺した」という寓話とでも言える、中近東の言い慣わしである。「刺さないから向こう岸まで送ってくれというサソリの言を信じたワニが半ばで刺された時に、その理由を尋ねると『これが中近東だ』と答えた」という恐ろしい話である。木村氏は「それほど中近東事情は解りにくいのだ」と解説された。

中近東というべきかイスラム教圏内というのか、この圏内にはついぞ訪れる機会もなかったし、その事情は耳学問しかない私には論じる資格もないかも知れない。だが、トランプ大統領は一時はイスラム教徒を締め出す作戦に出られたし、私の知人には「アメリカ建国の時にはイスラム教徒などいなかったので、今でも不要である」などと言って嫌って見せた。私はサッカーを通じてみた中近東勢の小汚さを何度も嘆いて見せたし「中近東の笛」と呼ばれる不公平な審判振りにも触れてきた。だからこそ欧州勢は中近東を嫌ってスポーツの面では「アジア」に押しつけたのだとも言った。

それはそれとして、昨晩木村・古森両氏が語った中近東情勢の難しさには、改めて言い知れない危機感を覚えさせられた。勿論、石油の供給問題のような大きな案件もあるが、ここ新宿区百人町には誰が名付けたか「イスラム横町」などが存在し、イスラム教徒たちが増える一方である。私は政府も東京都もこのように彼らイスラム教徒たちを好き勝手に入国させて商売をさせていて良いのかと大いに疑問に思っている。例えば、彼らの中にテロリストが潜んでいたらどうなるのかということ。そんなことまで考えさせられたPrime Newsだった。