新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

森喜朗オリンピック組織委員会長の発言に対する非難・攻撃に思う

2021-02-11 08:40:24 | コラム
「皆様に不快な思いをさせた」と小池都知事は言ったが:

正直なところ、私は「森喜朗オリンピック組織委員会長がどのようにご自身の身を処理されるべきか」などを、どのように論ずべきかは解らない。現時点ではマスコミ主導の「女性蔑視」と決めつけた報道に便乗したとしか見えない野党、そのマスコミ論調に刺激された志高い市民のボランティアと聖火走者の辞退、IOCの掌返しの主張等々による、凄まじいばかりの「森辞めろ」の世論形成の流れに、大袈裟に言えば「呆然としている」だけだ。

小池都知事は来たるべき四者会談を欠席する意理由として「皆様をあれほど不快な思いにさせた森氏出られる会議ではポジティブ(得意なカタカナ語だが、どういう意味かご承知なのか)な結果は出ないだろうから欠席する」と得意の作業服姿でカメラの前に立たれた。退席された小池さんの後ろにはスカートと同じ色のジャケットをハンガーに掛けて持ち歩く女性が付いていた。又ぞろ、スタンドプレーだった。私は皆様の1人である都民だが、特段不快な思いは未だしていない。

私は幸いにして畏メル友・尾形美明氏のご好意で森喜朗氏の40分にわたる演説の全文を読む機会を与えられた。読んだ結果では「果たしてこれが森氏が古き悪しき女性蔑視の世代を代表された発言になるのか」は遂に解らなかった。その解らなかった理由は、本日の産経新聞に阿比留瑠偉氏が解りやすく解明しておられるので、関心を持たれた方は今からでもニュース・スタンド(これが正しい英語の表現だ、念の為)に走られて新聞を買われたら如何か。極端に言えば、森氏は蔑視的だけではない女性肯定的と解釈できる点にも触れておられるのだ。

立憲民主党の「自民党と政権貶め質問担当者である今井雅人は森氏の発言で「我が国が女性蔑視の国である全世界に知られた」とほざいていたが、例によって例の如くの「切り取り報道」自虐的に世界に向けてマスコミが発進した結果の今日の事態のような気がしてならない。週刊文春ですらが「そのような形に持っていこうと騒ぎ立て、世論を刺激するのがマスコミの常套手段であり、その通りの状態に持っていけた」との趣旨で論じていた。言うなれば「マッチポンプ」だとすら思える。

先ほども触れたように、私はぼんくらで森氏の発言が我が国を代表するような女性蔑視かどうかは解らないのだ。それ故に「マスコミ主導で野党が追随し、進歩的な識者(?)も後追いしたかのように見えるのだ。彼らがIOCや多くの先進国(何の?)まで巻き込みに成功してしまった以上、問題の決着は見えているような気もするが、世論の中に入っておられる我が同胞は、世界各国が皆女性尊重で、男女同権であり、女性の社会進出を完全に果たしているかどうかを把握しているのだろうかと疑ってしまう。私は少なくともアメリカの実体を繰り返し説いてきて。

今回の成り行きで「何故そうなってしまったのかな」と理解に苦しんでいる事態がある。それは、我が国独得の習慣である「謝罪の文化」が全く守られていない点なのだ。森氏は言葉遣いは措くとしても一度は「不適切だった」と公開の席で謝罪され、発言の撤回もしておられた。我が国で通常はここまででIOCが一旦認めたように「一件落着」だったはずだ。ところが、野党はその後になって国会で今井雅人他を使って攻撃を開始したのだった。即ち、水に落ちた犬どころか元総理大臣に向かって、一斉射撃を始めたのだった。私はフェアーではないと思って見ている。

菅首相は「組織委員会の人事に政府は介入できない」と正論を述べておられたのに、立憲民主党はスポーツ庁長官に「辞めろ」と言わせろと迫った。室伏氏にそんな権限はないと思うし、幾らオリンピックで繰り上げ優勝したと言っても、彼如き若輩が元内閣総理大臣に向かって「貴方、お辞めなさい」と直言できるのか。

繰り返し言うが、私には森喜朗氏に「あーしなさい」とか「こうなさったら如何でしょう」などという言葉の持ち合わせはない。仮令、私がサッカー界の出身であり、異なる分野であるラグビー界の森氏よりも5歳年長であっても。私はこのままマスコミと野党と有識者の方々が沈黙するまで、静かに情勢を見守っていこうかと考えている。


兎角この世には上手く行かない事が多い

2021-02-10 08:49:40 | コラム
何処の何方の責任なのか:

空港の検疫で変異株感染者発見:

正直なところ、この事実には呆れる前に腹立たしかった。私は我が国ではとっくの昔に、あらゆる外国からの入国を禁じていると信じ切っていたのだった。参議院議員の佐藤正久氏は「今でも毎日千人単位で成田から入国しているので、自民党の外交部会として政府に強硬に停止を申し入れる」とテレビで語っておられたのは、それなりに結構なことだと思う。だが、政府は与党にも知らせずにそんな状態を続けていたのでは無責任極まると思って聞いていた。マスコミだって、かかる事実を知らなかったとは思えない。でも、佐藤氏が言わなかったら沈黙する気だったのか。

これではUK製の変異株の感染者が入国していても、何の不思議でもないではないか。しかもマスコミ報道では「感染者にUKへの渡航歴はない」などとシレッとして報じるが、これは未だにUK等の国に出て行って帰ってくる事が認められているというのか。もしもそうであれば、政府の「水際対策」などは言葉だけであって無きが如くではないのか。所管する大臣方は先刻ご承知の事ではないのか。何故にかかる事態を放置してあったのか、理解に苦しむ。野党ではないが「総理、総理」と迫りたくもなる。国民とは言わないが、少なくとも私は愚弄された思いだ。

ワクチン接種態勢の不備
私は悲観論者であるから、2月中の接種開始とか、何千万人分手配済みなどという発表は何時画餅に帰しても不思議ではないと思って見ていた。言い換えれば、我々高齢者への接種が始まるのは早くても6月くらいになるのか程度に期待していた。それは政府というか担当しておられるのだろう大臣方の能力をそれほど信用していないから言うのだ。即ち、持論である「実務を経験するか現場を踏んだことがない者たちには、輸入した製品を適切に国内に配布する事が速やかには出来ないだろう」と懸念しているから言うのだ。

案の定、注射器の手配の問題が生じてきた。即ち、ファイザーのワクチンは注射器次第では一瓶から6回ではなく5回分しか取れないという事態が判明したのだった。私が信用していないと何度も言った田村憲久厚労大臣は「シリンジ」などという専門語(?)を使って煙に巻いて見せたが、今頃になってその6回分用のシリンジの国内メーカーを督促しているとか言い訳をしていた。「だから言ったじゃないか」の事態だ。経験上も言えるのだが、アメリカからの輸入は「何時、如何なる事態に遭遇するか」の見通しは立たない性質なのだ。ファイザーは輸出専業者か?

菅義偉内閣総理大臣;
昨9日夜のPrime Newsでは、私が知る限り初めてテレビの放映で真正面から菅首相の批判が出てきていた。私は未だに遠慮していて正面から批判してこなかったが、総理に就任された頃には「ロールシャッハテストで簡単に見える図形的なことしか語られない方のようだ」とは言ってあった。即ち、総理大臣が描かれた標的が「デイジタル化とデイジタル庁の設置」、「携帯電話料金の値下げ」、「カーボンニュートラル」と極めて現実的だが、そこには良くあるような一国の指導者としての夢も理想も語っておられなかったのだった。

昨夜は慶応大学の松井教授と日本大学の先崎教授がかなり手厳しい批判をされていたが、松井教授は「オバマ大統領は350名ものスタッフ(参謀とでも訳すか)」を置いておられたと聞いていたが、菅首相にはそう言う人材がいない点が問題ではないか、プロンプターを使われるようになっても自分の言葉で語っておられないようでは」と指摘されていた。これ以上の詳細は省くが、私は「菅首相は奮起されてご自分の意志を鮮明にされて、正しいと思う方向に進められる意欲を本気で示されないことには・・・」と言いたいのかと思って、大学の先生方の発言を聞いていた。


2月9日 その2 内側から見たアメリカ

2021-02-09 14:23:00 | コラム
アメリカ見聞録:

ある機会から、昨日以来昭和20年即ち1945年から、あらゆる形で接触してきたアメリカを振り返ってみたので、今回は1972年8月に生まれて初めて上陸したアメリカ本土とその文化、即ち「言語・風俗・習慣・思考体系」を語って見ようと思うに至った。語り方は色々とあるかと思うが「アメリカ人とは国際人であるのか」という点から入って行こうと思う。

いきなり結論を言ってしまうと、俗に言われている「アメリカ人とは偉大な田舎者である」という視点から見れば「アメリカ人は国際人に非ず」と言って誤りではないと思う。では、彼らは「何人であるか」と問われれば「州際人である」と答える。英語で表記すれば、ごく普通に言われている“inter-state”が当て嵌まると思うのだ。即ち、アメリカ中を移動すれば解ることで、至る所に“inter-state freeway”という高速道路網が張り巡らされている。州から州へ車で移動する為の道路である。

我がワシントン州には北はカナダの国境からメキシコまで行っていると聞く“inter-state 5”というフリーウエイがある。これはオレゴン州を通り抜けてカリフォルニア州まで南下できる州際道路なのである。ご存じのように、アメリカは合衆国であり各州毎に政府があり州法で支配されている。特にカリフォルニア州のように広大であると、生涯に一度も州外に出たことがないという人など幾らでもいる。現に、私を嘗てカリフォルニア州の東にある工場からLAXの空港まで送ってくれた秘書さんは「州外に出たことがない」と、日本に帰る私を羨ましがったのだった。

特に、これまでに何度も述べてきたことだが、アメリカの経済圏は西海岸よりにあるロッキー山脈が東西を隔てており、ロッキーよりも東側が大きな経済圏を為している。その中の州ごとに貿易ではなかった、州の境を超えた取引や製品の移動が行われていて、東側の製造業はその圏内(州の内外)の需要だけを相手にしていれば十分に事業敏江成立するのである。従って、海外との取引などは考える必要はないのである。一方の西側はその反対で、需要はアメリカ全体の30%程度の規模であり、その程度を相手にしていたのでは大規模な製造業は成り立たないのである。

我がWeyerhaeuser社は森林を求めてワシントン州とオレゴン州にやって来たので、その社有林から伐採する丸太、製材品、合板、紙パルプ製品等々の販売先としての西海岸では不十分なので、歴史的にも太平洋沿岸の諸国向けの輸出に集中せざるを得なかったのだ。しかも、西海岸には地政学に見てもこれという大型の製造業には不向きで、自然にアジアからの非耐久消費財の輸入に依存するようになって行ったのだった。そうなってしまった最大の理由の一つにロッキー山脈の存在がある。即ち、その山を超して輸送するのはコストがかかりすぎて、採算が採れないのだった。

ここまでを要約すれば「アメリカの大手製造業界はアメリカ全土の70%の需要があるロッキー山脈の東側の経済圏に集中しており、太平洋沿岸への輸出には関心もなかったし、地理的にも輸送費が割高になるのでさして関心がなかったのである。彼らの輸出相手国は自然にヨーロッパになっていったのだった。例えば、自動車産業を見ても、その本拠地は五大湖の下になるミシガン州のデトロイトではないか。あの立地から日本向けに輸出すれば「輸送費倒れ」になってしまうのだ。それでも「買わない日本が悪い」と言う人もいるが、デトロイトは「不利である」と承知していた。

ここまででお解り願えると思うが、アメリカの産業人と言うべきかビジネスマンとするか知らないが、彼らは「国際市場」なるものに大いなる関心を持つ必要がなかったのだ。即ち、輸出先を求めて世界中を飛び回る必要などはない産業構造だったのである。考えてもご覧あれ、世界最大の経済大国の70%の需要を追いかけているだけで、各業種の世界最大規模の企業が幾らでも存在していたのだった。西海岸の我が社でも、アメリカの紙パルプ・林産物業界で売上高で第2位であり、世界でも上位10社から外れたことがなかった。

私はウエアーハウザー勤務の約19年間に、イリノイ州のシカゴで開催される“Food & Dairy Expo”という全世界を相手にする展示会に出展者として参加するので、5回ほど1週間滞在したことがあった。面白いことにあれほどに洗練された大都会であるシカゴという街は、意外なほど外国人慣れしていなかった。換言すれば「摺れていない、市民は垢抜けしていない」のだった。「何故でしょうか」とシカゴにある有名な私立のノースウエスタン大学のMBAである上司に尋ねた。答えは「東西両海岸から遠いので、案外に観光客が入って来ないから」だった。アメリカは広いのだった。

そのような歴史的な背景がある国に「国際化」だの「グローバル化」などの波が押し寄せて、世界各国から人・物・金が入ってくるようになり、下請けだと思っていた中国を筆頭にアジアの諸国からの廉価で質の良い製品が入ってくる時代となって、様相が一変してしまったのだった。そして、現在に至ったのだ。2012年にLAの巨大問屋街の「ファッション・デイストリクト」でアメリカ人の店主が叫んでいた「この店の棚の端から端まで中国製以外の何があるか」と。良質のコットンのTシャツは4枚で10ドルだった。トランプ前大統領はその辺りを嫌われたようだった。

これから先に、バイデン大統領はアメリカをどのように変えて行かれるのだろうか。あのYM氏が好んで買っていた4枚10ドルのTシャツの輸入は続くのだろうか。アメリカは本当の意味の「国際人」を養成していけるのだろうか。実は、1990年代の初頭にアメリカの会社別の対日輸出でボーイング社に次いで第2位だったウエアーハウザーは、5年ほど前に完全に紙パルプ産業界から撤退して、1900年の創業時の材木会社に戻ってしまって最早輸出会社ではないのだ。アメリカはここから先にどのように変化するのだろうか。


続・カタカナ語を斬る

2021-02-09 08:20:09 | コラム
しつこいと言われても何でも続ける:

キャプテンシー:

週刊誌だったかに文藝春秋社の「ナンバー」誌のラグビーの名キャプテンの特集の広告が載っていた。それを見て「何だ、文藝春秋社の知性というか、英語の力はこの程度か」と嘆き、且つ嘲笑いたくなった。それは「主将としての統率力と指導力」を平然として「キャプテンシー」としていたことだった。「英和でも英々辞書でも見てから記事にしろよ」なのだ。キャプテンシーを英語で綴れば“captaincy”であって「主将としての地位」の意味である。この言葉の誤用も何処かの解説者が最初に使ったものが、何時の間にか一般的になってしまったのだ。

正しくは“captainship”だと思っている。だが、不思議なことにOxfordには載っていないが、ジーニアス英和には採用されている。これでは説明不十分だと思うので、他の例を挙げれば“leadership”があるし、チャンとOxfordにも載っている。だが、“leadercy”なんていう言葉はないと言えばご理解願えるか。要するに「勝手に言葉を作ってカタカナ語にするな」ということだ。後難を恐れずに言えば、テレビ局が解説者に使いたがる昔の名選手たちは「我が国の好い加減な英語教育の犠牲者であり、知らぬ間に恥をかいている」のである。

この手の奇妙な造語は数知れないほどあるが、幾つか例を挙げておくと「リピーター」(repeaterとでも綴るのか)がある。「同じ店を繰り返して訪れる」という意味で使われているので困るが、英語では「連発式拳銃」という意味がOxfordには載っている。「アホか」と言うしかない造語であり、遍く使われている。これを正しい英語にしようと思えばclauseにするしかない。「頻繁にその店を訪れる定期的なお客様」を英語で言って見よということだ。簡単に言えば、“a regular customer”辺りに落ち着くかと思う。

「プライベート・ブランド」も如何にも英語っぽいが造語だ。しかもPB等という略語まで作られている始末だ。英語では“private label”である。「フライイング」というのがある。これはトラック種目や水泳で合図の前に走り出すとか飛び込むことを指しているが、英語では“false start”である。これは難しい言葉が出てくるので、製造業者が使用者の英語力を考慮して勝手なカタカナ語を作ってのだと曲解することにした。因みに「フォールス・スタート」はフットボールの用語でもあり、攻撃側が先に動いてしまう反則を指している。

“in”と“out”、”up“と”down“の誤用:
カタカナ語ではこれらの単語を恰も動詞のように使っている。本当の英語では絶対と言って良いほど「このように使うことはない」のである。直ぐに思いついた例に「12球団が一斉にキャンプイン」というのがある。思うに「キャンプ地に入った」と言いたいので、inを恰も動詞のように使ったのだろう。おかしな事だが、これを英語でどうのように表現するかを考えたことがない。

「ゴールイン」も矢張りinが動詞のように使われている。マラソンやスキーの距離の種目のゴールラインには“FINISH”と出ているし、完走者には“finisher”という単語がOxfordにも載っている。他にも自動車の競技で「ピットイン」というのがあるが、アメリカで教えられた表現は“pit stop”だった。当たり前のことで、inは動詞ではないのだから。

一方、アップとダウンでは「イメージアップとダウン」の両方がある。「レベルアップ」は多くの運動選手たちが当たり前のように使っている。即ち、upもdownも動詞のように平然として使われてしまっている。困ったことだ。プログレッシブ和英には「レベルアップ」だったかが“to improve the level”のようにupをimproveに置き換えてあった。尤もだと思う。製造業者は我が国の英語教育ではimprove等は難しくて使い切れないと配慮したのだろう。もしもそうだったら余計なお世話だ。

私は日本の会社勤務の頃には労働組合とは縁がなかったので「ベア」と何のことか全く解らなかった。それが「ベースアップ」と解説されて、一層理解できなくなった。何度か聞き直してアップがどうやら英語で言う“raise”のことらしいと見当が付いた。英語では昇給することを屡々この単語で表すのだ。即ち、“pay raise”のように。言いたいことを言って置けば「矢張り単語重視のような教え方をするから、このような出鱈目なカタカナ語の濫用になる」のである。「英語教師よ、反省せよ」で終わる。


カタカナ語を斬る

2021-02-08 14:47:45 | コラム
奇妙なカタカナ語を使うのは好い加減にしよう:

本8日は早朝から折角のスーパーボウルの中継を犠牲にして、国立国際医療研究センターに採血・採尿と心電図の検査に大特急で行ってきた。その甲斐あってか午前10時少し前に帰宅すると、前半が終わったところで、後半は落ち着いて観戦できた。それはそれで良かったのだが、ハーフタイムショーの間は他のチャンネルを見ていると、相も変わらず森喜朗氏の発言がどうのとか、早く辞任させて後任をというような話ばかりで、その間にも私が忌み嫌う奇妙なカタカナ語が飛び交っていた。関西風に言えば「アホか」である。

そこで、本日は方向を変えて、カタカナ語のおかしさを幾つかの例を挙げて、思い切り斬ってみることにした。この話題は何度取り上げても良いと思っている。

順序不同で行くが、先ずは「モデルナ」から行こう。このアホらしさはと言えば、アメリカでの社名は“Moderna”であるにも拘わらず、カタカナ語製造業者は「モデルナ」にしてしまったことだ。このことは既に批判してあったが、生憎とアメリカ人たちに「モデルナ」とは発音しないと確かめてはいなかった。ところが幸運にも、そこに昨日何処かのチャンネルでコロンビア大学医学部の加藤教授だったかにインタビューしていたら、教授はハッキリと「モダーナ」と発音しておられたので安心した。

「モデルナ」になる訳がないのだ。解りやすくする為に言って置くが“never”という単語を「ネベル」と発音するかという事だ。「レムでシビル」も既に槍玉に挙げておいたが、英語の表記は“Remdesivir”だった。製造業者どもは何の根拠があってこれを「レムでシビル」としたのだ。「レムデシヴァー」だろう。そこで尋ねるが、”virtual“という単語をチャンと「バーチャル」としているが、何故「ヴィルチャル」にはしなかったのか。不統一ではないか。

「ストレス」の使い方もおかしいのだ。マスコミがこの程度の知識も無しに「緊急事態発言発出下で家に籠もらざるを得ないのでストレスになる」と馬鹿なことを言うのだ。故に、我が国の至らざる英語教育の元で育った方は素直に「ストレスだ」、「ストレスが溜まる」と言ってしまうのだ。チャンと辞書くらい引けと言いたくなる。この状態は、寧ろ外出できない欲求不満であるから“frustration”というのが正しいと思う。“stress”をOxfordで見れば“pressure or worry caused by the problems in ~’s life”とある。家に籠もれば圧力を受けたり、心配になるのか。チャンと教えておけよ。

余り沢山の例を挙げると焦点がボケそうなので、最後にローマ字読みの弊害を挙げておこう。テレビに登場される立派な教養あるお方でも平然として“security”を「セキュリティ」と言ってのける神経と英語力のほどが解らない。如何なる辞書を見ても発音記号をカタカナ書きすれば「セキュアラテイー」が最も原語に近いのだ。それにも拘わらず製造業者と無教養なテレビ局の連中は辞書を見たこともないらしく「セキュリティ」と言うし、私から見れば「セキュリティ」と言えと出演者に強制しているのかと疑っている。嘘の読み方を辞めろ。

その点では“holiday”も同様である。Oxfordでも「ハラデイー」に近い発音記号が出ている。アメリカには「ホリデーイン」というホテルチェーは存在しないが、「ハラデイーイン」ならある。プロ野球でもJリーグでも”rookie“=「ルキー」と呼ばれる新人はいるが「ルーキー」はいない。言っておきたいことは「何処の世界に”book“と書いて「ブーク」というか、”look“という単語を「ルーク」と発音する者がいるのか。我が国のカタカナ語だけだ」ということ。一刻も早く訂正せよ。

もう一つ言わせて貰う。「トラブル」=troubleを「揉め事」や「故障」の意味で使うのは絶対的に誤りだとまでは言わないが、日常会話ではこの意味に使うのは極めて希だ。また、今や定番になってしまった「自己ベスト」もおかしいので、私ならば「自己最高記録」と言うだろう。私が危惧していることは、この儘放置しておくと日本語が破壊されて、表音文字ばかりの奇妙な言語に成り果ててしまうことだ。

カタカナ語を幾ら使おうと勝手だが、一度で良いから元の英語ではどのような意味であるかをよく調べてから使って欲しい。何度でも同じ事を言うが、「こんな言葉を平気で使っていて、あるいは使わせていて、国民の英語力を強化しよう何ていうのは、飛んだ戯言だと知れ。製造業者(何処かの通信社か?)は深く反省せよ。