新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「我が国の学校教育」で「英語を勉強しておられる方に

2023-05-17 08:14:00 | コラム
率直に伺いたい:

我が国の学校教育で英語を勉強しておられる方々と、既に勉強を終えられた方々に率直に伺いたいと思うことがある。

それは、先ず
「貴方方は学校で教えられるままに英語を勉強して、校内を含めて各種の試験で良い成績を取って学校の成績を良くして、尚且つ高校なり大学の入試に備えるために勉強されたのですか」
と伺いたいのだ。

次は「英語を勉強するのは将来に海外にでるか、海外との仕事ができるような、例えば総合商社への就職、アメリカのIvy League等の大学への留学というような確たる目標を定めているからですか」だが、ここには「自由自在に英語で会話ができる力を備えたいと狙っていますか」を追加しても良いだろう。

である。私は皮肉を込めて言えば、これ以外にTOEICやTOEFLや英検での高得点も視野に入っている方は沢山おられると思っている。

割り切った結論を言えば、この過程を経てこられた方の中で「native speakerたちの世界に入って、思う存分に十分な国際場裏での交渉ができるか、誰もが納得するような通訳をされるとか、彼ら外国人と腹蔵なき徹底して議論か討論を感情的にならずに最後まで戦わせるか」の力を備えた方は方本当にごく希にしかおられないのだ。ズバリと言えば「日本語の思考体系のままで論旨を組み立てて、それを英語にしても彼らとの討論」では話が食い違ってしまうのだ。

勿論、日本語の思考体系を知らずに、彼らだけの論法で議論を挑み、討論しようとする「異文化」を認識できていない外国の側にも問題があるので、言うなれば「おあいこ」ではある。だが、私としてはTOEIC等で高得点を取る能力を養う前に「外国人を相手にして論破できるような論旨の組み立てができるような訓練をする方が先ではないのか」と主張する。現に、そういう優れた日本側の論客には何人も出会って苦戦した経験があった。

英語の勉強法から少し逸脱してしまった。私が本気で問いかけていることは「物事を英語で考えられるようになり、英語で思うように自分の意思を表現できる(I know how to express myself in English.のこと)為に、我が国の学校教育の英語の勉強法が有効でしたか?そうではなかったでしょう」なのだ。私は確かにGHQの秘書の方に話し方を教えられた。それだけで話せるようになった訳ではないのだ。

秘書の方の個人教授が続いている間でも、学校では英語の授業はあった。その間に取った手法が「音読・暗記・暗証」であり、単語カードも単語帳も作ったこともなく、英文和訳も英作文も等閑にしていた。「英気で考える」が主軸だった。だが、英文法は「文法の神」と自称したほど詳しくなっていた。敢えて言うが「音読・暗記・暗唱」すれば、文章を流れの中で覚えられるし、文法などは後から付け足したものだから、容易に理解できたということ。

恐らく「そのよう勉強法は貴殿一人に例外的に成り立ったことで、普遍的ではないだろう。まして、そのやり方で試験の準備ができるのか」と反論されるだろう。でも、できなかったか(未だできていない)人が、何の自信か根拠を以て、アメリカ人の中に入って苦労しなかったも者の勉強方を否定するのだろう。できると思っているのならば、堂々と論破して欲しい。

現に、私は大学1年の時に中学1年の男子を指導して成功したし、上智大学では菊口君という同じ勉強の仕方で私よりも数倍も数十倍も優れた英語力を備えた同級生に出会った。また、私の手法がおかしければ、某商社で個人指導した若手が家内随一の英語力を備えるまでに成長するか。

ここまで言って、未だ半信半疑どころか、眉唾だと疑っておられる方は多いと思う。もしも、そう思っておられるのならば、一度中学1年でも何でも良いから初級の教科書を持って私をお訪ねください。ご納得がいくまで「音読・暗記・暗唱」の仕方を演じて見せします。なお、その際には、少なくとも英和辞典はご持参願います。繰り返して言うが、英語は「科学」でも「学問」でもないのだ。何を目指しているかを明確にされることが肝心で先決だ。


我が国の「英語教育」とそこでの「英語」を勉強する方に

2023-05-17 07:57:53 | コラム
率直に伺いたい:

我が国の学校教育で英語を勉強しておられる方々と、既に勉強を終えられた方々に率直に伺いたいと思うことがある。

それは、先ず
「貴方方は学校で教えられるままに英語を勉強して、校内を含めて各種の試験で良い成績を取って学校の成績を良くして、尚且つ高校なり大学の入試に備えるために勉強されたのですか」
と伺いたいのだ。

次は「英語を勉強するのは将来に海外にでるか、海外との仕事ができるような、例えば総合商社への就職、アメリカのIvy League等の大学への留学というような確たる目標を定めているからですか」だが、ここには「自由自在に英語で会話ができる力を備えたいと狙っていますか」を追加しても良いだろう。

である。私は皮肉を込めて言えば、これ以外にTOEICやTOEFLや英検での高得点も視野に入っている方は沢山おられると思っている。

割り切った結論を言えば、この過程を経てこられた方の中で「native speakerたちの世界に入って、思う存分に十分な国際場裏での交渉ができるか、誰もが納得するような通訳をされるとか、彼ら外国人と腹蔵なき徹底して議論か討論を感情的にならずに最後まで戦わせるか」の力を備えた方は方本当にごく希にしかおられないのだ。ズバリと言えば「日本語の思考体系のままで論旨を組み立てて、それを英語にしても彼らとの討論」では話が食い違ってしまうのだ。

勿論、日本語の思考体系を知らずに、彼らだけの論法で議論を挑み、討論しようとする「異文化」を認識できていない外国の側にも問題があるので、言うなれば「おあいこ」ではある。だが、私としてはTOEIC等で高得点を取る能力を養う前に「外国人を相手にして論破できるような論旨の組み立てができるような訓練をする方が先ではないのか」と主張する。現に、そういう優れた日本側の論客には何人も出会って苦戦した経験があった。

英語の勉強法から少し逸脱してしまった。私が本気で問いかけていることは「物事を英語で考えられるようになり、英語で思うように自分の意思を表現できる(I know how to express myself in English.のこと)為に、我が国の学校教育の英語の勉強法が有効でしたか?そうではなかったでしょう」なのだ。私は確かにGHQの秘書の方に話し方を教えられた。それだけで話せるようになった訳ではないのだ。

秘書の方の個人教授が続いている間でも、学校では英語の授業はあった。その間に取った手法が「音読・暗記・暗証」であり、単語カードも単語帳も作ったこともなく、英文和訳も英作文も等閑にしていた。「英気で考える」が主軸だった。だが、英文法は「文法の神」と自称したほど詳しくなっていた。敢えて言うが「音読・暗記・暗唱」すれば、文章を流れの中で覚えられるし、文法などは後から付け足したものだから、容易に理解できたということ。

恐らく「そのよう勉強法は貴殿一人に例外的に成り立ったことで、普遍的ではないだろう。まして、そのやり方で試験の準備ができるのか」と反論されるだろう。でも、できなかったか(未だできていない)人が、何の自信か根拠を以て、アメリカ人の中に入って苦労しなかったも者の勉強方を否定するのだろう。できると思っているのならば、堂々と論破して欲しい。

現に、私は大学1年の時に中学1年の男子を指導して成功したし、上智大学では菊口君という同じ勉強の仕方で私よりも数倍も数十倍も優れた英語力を備えた同級生に出会った。また、私の手法がおかしければ、某商社で個人指導した若手が家内随一の英語力を備えるまでに成長するか。

ここまで言って、未だ半信半疑どころか、眉唾だと疑っておられる方は多いと思う。もしも、そう思っておられるのならば、一度中学1年でも何でも良いから初級の教科書を持って私をお訪ねください。ご納得がいくまで「音読・暗記・暗唱」の仕方を演じて見せします。なお、その際には、少なくとも英和辞典はご持参願います。繰り返して言うが、英語は「科学」でも「学問」でもないのだ。何を目指しているかを明確にされることが肝心で先決だ。


ジャニーズ事務所を責める

2023-05-16 07:58:07 | コラム
テレビ局が「だらしがない」だけのことではないか:

私はこれまでに何度か「ジャニーズを蛇蝎の如きに嫌っている。特に彼らがテレビに送り込む餓鬼どもとその成れの果てが画面に登場すれば、直ちにチャンネルを変えるか、切ってしまう」と述べてきた。

これを言い出した初期はJohnny Kitagawaとやらの性癖の問題があったからではなく、あの事務所が餓鬼どもに珍妙な衣装を着させてぐちゃぐちゃなヘヤースタイルを強調し(それだけに止まらず青少年に真似させてしまう弊害まで起こしていた)、歌ってもいないのに恰も踊りながら歌ってみせるような演技のショーを演じさせて、罪なき子供たちを誘惑したことを言っていたのだ。

この意味は「他に何か行き場がないような子供たちを集めて妙な指導をして演技をさせて、満天下の罪なき子供たちを下らないショーの世界に引き込んだのだった。そして、その餓鬼どもに人気が出てくると。「そいつらを出せ、出さないと引き上げてショーの番組が形たないようにしてみせるぞ」とテレビ局に迫ったと、一部の週刊誌が報じていた。その圧力のかけ方は尋常ではないとも報じられていた。

矢張り週刊誌というかマスコミ報道だが、Johnnyという人は独特の眼力があって、将来美青年になる子供の顔を見抜くのだそうだ。それに従って選ばれし子供たちがJohnnyの旗の下に集い、遂には今日の芸能界の強力な圧力団体にのし上がったのだろう。

私とても、彼らが台頭する頃にはJohnnyの奇妙な癖が報じられていたくらいは何かで読んでいた。「イヤな話だな」と彼らに対する嫌悪感が著しく増幅された。各テレビ局はJohnnyの癖を知らなかったはずはないが、それでも連中を使い続けた。圧力に屈したと報じられたのを読んだ記憶がある。。

そこにUKのBBCがJohnnyのことを取り上げて報じた。だが、我が国にメデイアは予想通りに静かだった。騒ぎ立てられる訳がないだろう事は、芸人の世界に何ら関心も興味もない私でさえ読めた。逆らえないのだ。何時でも良いからNHK以外のテレビにチャンネルを合わせて見ろ。餓鬼どもか成れの果てか、あるいは彼らについても何らかの情報が流れていなかったならば、お題は頂戴しない。

話の方向を一寸変えるが、私はジャニーズ事務所が「今日の青少年のだらしになさをもたらした責任を追うべきだ」と主張したいのだ。あんな下らない芸にもなっていない芸で「奇妙な衣装を着せられて口パクで飛び跳ねて単なる合唱を如何にも芸能の如くに見せているだけ」だ。こんな低級な芸しか有り難がられない青少年が情けない。こんなのは、ジャニーズ事務所が犯した罪悪と言っても誤りではあるまい

そのJohnnyの旧悪をやっと海外の報道機関に取り上げられたのも屈辱的だが、事ここに至って漸く何とか藤島社長が出てきて弁解にならない弁解。勿論、芸能関係の報道機関は責める訳がない。LGBT問題華やかなる今日この頃、何十年も前からある事案を取り上げもしなかった、できなかったマスコミって一体何の役に立っているのだろう。

昔のそのまた昔、Johnny事務所から田中何とかい餓鬼の成れの果てが麻薬関連で捕まった。その時に流れていた裏の話には「あれは氷山の一角ではと物知り顔で触れ回っている者がいたとかいないか」というのがあったとなかったとか。一旦、防御の壁に穴が開くと手の施しようがなくなるものらしい。藤島社長はよほどしっかりして捲土重来を期すべきだ。

全くの余談だが、藤島社長の父君は故藤島泰輔氏である。藤島氏は幼稚園の1期下の同窓生で、たった一度同窓会で会ったことがあった。社交的な方だったという印象があった。そんなやんごとない方の名字を冠しているのだから、藤島社長はもっとしっかりしているべきではないのか。藤島泰輔氏は上皇さまの学習院初等科の時に「ご学友」に選ばれたことを忘れてはいるのではないだろうな。

「英語学」を教えるのか「英語」を教えるのか

2023-05-15 11:13:34 | コラム
カタカナ表記の問題点から我が国の英語教育を考える:

我が国の英語教育を分析してみれば:

これから言う事を「うるさい奴だ。また同じこと言うのか。我が国の英語教育の批判か、聞き飽きた」のように解釈されることなく、私が英語教育について何を主張しているのかを良く読んで頂きたいと真剣にお願いする次第である。

昭和20年(1945年)に中学でそれまで見たこともなかった敵性語の英語を、生まれて初めて学び始めた。その暫く後になってGHQの日系人の秘書の方に「英語で話すにはどうすれば良いか」を基礎から厳しく教えられた。

それほど難しいことではなかった。「英語を聞けばその意味は英語のままで覚えること」、「英語だけで考えるように努める事」、「何か言おうとするときに、先に日本語の文章を考えないで英語から考えるように」だった。中学1年で英語を勉強し始めたばかりの私にとっては無理難題だったが、できる限りやってみた。秘書の方からは全て英語だけで話しかけられ、解るまで繰り返して同じことを言い続けられた。すると、不思議なことで何回目かでは何となく解るようになるのだった。

勿論、私の方からも英語でしか話しかけることが許されず、その表現が間違っていれば無視され、解ってもらえるまで何度も言い直させられた。そうやって覚えた例文の一つは今でも出てくるが、“Hold this umbrella for me a minute. Will you?”だった。「一寸、この傘持ってて」なのだが、このように言えるかお試しあれ。先ず“for me”が出てこないと思う。この辺りが英語のしつこさであり理屈っぽさなのだ。所謂「日常会話」とはこういう具合になるのだ。

このようにして、学校での「科学的な英語学」と平行して、言うなれば実用性を勉強していたのだったが、最大の違いは「英語だけで考える」という、いわば「英語脳」を育て、「日本語で考える脳」との間を行き来するようになっていたと思う。言うまでもないかも知れないが、この秘書の方の発音は私が正調だと主唱する「アメリカ西海岸」のアクセントだった。

私はこのようにして英語を学んだので、それからウエアーハウザーをリタイアするまでの49年間に「この日本の学校教育で英語を勉強されたのだな」と解る方で「正確であり綺麗なnative speaker的な発音」で、英語で話す方には出会えた事は殆どかった。ここでは外資に勤務していた人たちは除外して論じている。後難を恐れずに言えば「アメリカの会社に勤務されている全員が流ちょうなアメリカ語で話している訳ではない」のであるが。

何方でもご承知の事だと思うが、英語の発音は言葉の種類が違う日本語とは全く違う。だから簡単にはnative speakerの発音のようにはならないし、できないと言って良いだろう。かく言う私は「アメリカ西海岸式とキングズ・イングリッシュの中間のような発音」にしていた。これは、戦後に英会話をラジオで教えていたジェームス・ハリスという人の助言に従ったこと。卑下して言えば「どっちつかずの発音」と言えるかも知れない。そうした理由は「アメリカ式よりもキングズ・イングリッシュの方が真似しやすい」のだから。とは言っても、戦後間もなくからアメリカ式を教えられ、22年のアメリカ人の中にいたのだから、英連邦寄りとはなっていないと思う。

興味深い事は「この中間だと思っていた発音はカナダとオーストラリアでは“beautiful English”だと褒められる場合があるのだ。自慢話ではない。彼らはアメリカが嫌いなのだから「アメリカのアクセントではないのが宜しい」と褒めるのだ。ご存じの方はおられると思うが、意外にも、カナダは現実にはアメリカと余り仲が良くないのである。

だが、今日までに確認できた実態では「我が国にはかなり格調が高い英文を書き、かなり正確な英語で外国人と話ができる方は多いが、事発音となるとローマ字式か、悪い例では(失礼を顧みずに言えば)外国人離れした『ジャパングリッシュ』とでも言いたいような奇妙な発音になっている方がおられるのだ。私はジャパングリッシュになってしまう原因は「そもそも、最初に中学か小学校で教えた日本人の英語教師の発音がそうなっていたので、そのような発音の先生に教えられれば、そうなってしまうのではないかと推察している。

そういうチャンとしたと言うか「正確で、原語に近い発音」を知らないか、できない英語教師の口真似をしたために「インポッシブル」になるか、頑なにローマ字読みに従って「ポッター」のようにしてしまうのだろうと思う。私が忌み嫌っているsecurityだって同様で、辞書さえ見ずに「セキュアラティ」であるものを無理矢理にローマ字式に「セキュリティ」にしてしまったのではないか。原語とは異なる表記をして国内に広めてしまった罪は「万死に値する」と思うが、如何か。

後難を恐れずに言えば「辞書の発音記号通り」にか「native speakerたちのように」発音できない英語教師が、その不正確な発音でスタートアップの児童や生徒に「英語の発音」を教えてしまったので、カタカナ語にして表記したような発音が普遍的になったのではないのか。敢えて言うが、帰国子女たちは現地で生まれ育ったらnative speakerのように発音しているではないか。日本で教えたって、正しく教えるか、繰り返し繰り返して正確な発音を教えれば、できるようになるはずだ。

上記のような論旨を展開すれば「そんな事以外に、もっともっと重要な英文法や単語の知識や英文和訳や英作文のような項目があるのではないか」と反撃されるだろう。私はこの考え方による教え方は「英語学」なのであり、英語という言語に詳しくはなるし、読解力はつくだろうが、大衆が求めたがる実用性には乏しくなってしまうと思っている。そもそも「教える目標」が違うのだから、自由自在に会話できる力は育たないと思う。

これまでに私が何度「音読・暗記・暗唱」と声に出して中学1年の教科書を読むと良いと主張した。私は中学から高校にかけて在学中には、最低でも試験の前には10回は「試験範囲」を声に出して読み、暗唱ができて、何処で文章が切れているかが解るようになり、自然と意味が解るようになるまで音読を続けていた。「この方式で試験は大丈夫だ」と主張してきた。恐らく「では試みてみよう」と思う方は皆無だっただろう。

私は中学から高校を通じて「単語帳」も「単語カード」も作ったことはない。音読して暗記して文章の流れの中で単語の意味を覚えた。その為には、知らないか解らない単語に会えば、その都度に辞書を引いて意味を調べた。その意味を教科書に書き込むような真似はしなかった。書けば忘れるから、覚えておくよう努力した。この勉強法でも大学卒業までの間に英語の試験で90点を切ったことは2回しかなかった。

敢えて強調したいことは「単語はバラバラに覚えるのではなく、文章の流れの中で使い方と意味を覚えておくと良いのだ」なのである。試験に必ずと言って良いほど出てくる「この単語のアクセントが来る場所に印をつけよ」などと言うのは実用性とはかけ離れたことの勉強を押しつけている愚挙だ。音読して流れの中で覚えておけば、自然に何処(どのsyllable)にアクセントが来るか解るのだ。イタリア語には「終わりから二つ目の母音にアクセントが来る」というような原則があるが、英語にも当てはまる例が多い。だからと言って、目で見るだけではなく、音読して覚えてもらいたい。

高校3年の時の英語の担任だった鈴木忠夫先生は「教科書を繰り返して音読して暗記しておけば、間違ったような表現は自然に口から出てこないようになるのだから、音読は大切だ」と言ってくださった。尤も、音読を始めるに当たって正しく綺麗な発音で読んでくれるお手本になる人がいればなお良いのだが、そういう幸運には滅多に恵まれないだろう。そういう人が身の回りにいる人は例外的だろう。でも、「音読・暗記・暗証」はやってみなければ、効果があるかないか解らないだろう。何事もやってみなければ前に進まないのではないか。

英語で話せるようになる為には周囲に会話ができるnative speakerの相手がいなければならない。そういう条件は滅多に整わないだろう。外国人の発音に日頃から耳が慣れていなければ、聞き取れるようには育たない。それにも拘わらず「インポッシブル」だの「セキュリティ」だのと平気で表記しても誰も修正しようとしない環境下では、「外国に行って地元の人に通じる英会話」などできるようになる訳がないのではないか。

一言念を押しておくが、「native speakerだったら、何処の国の何処の地方から連れてきても良い事」とはならないのだ。例えば、アメリカの南部訛りは勧めないと既に指摘したし、Australiaという国には、この綴りを「オーストライリア」と発音する人が多く、現地で普通の挨拶である“Good day, mate.”が「グッタイ。マイト」になっていることも既に解説してあった。英連合王国にはLondon Cockneyと言う訛りがある。我が国でサッカー界の貴公子と呼んだDavid Beckhamは、自分のことを「ダイヴィッド・ベッカム」と言っている。英連合王国系には決して真似しても良くない独特の発音があるのだ。

辞書も引かずに、何が何でもローマ字式に表記するから「ワーキング・ホリデー」のような誤った奇妙なカタカナ語ができてしまうのだ。何度も指摘したが、これは「ハラディ-」が原語に近いのである。またキチンと”w”の発音を教えていないので“working holiday”が「ワーキング・ホリデー」になっているのだ。理屈を言えば「ゥワーキング・ハラディ-」が原語に近いのだ。テレビのアナウンサーたちは”web”が正しく言えないので、みな「エブ」と聞こえるように言っている。テレビ局には「辞書で発音記号を見て指導しろ」と言ってやりたい。

ここまで、発音にだけ焦点を絞って論じてきてしまったが、英語の教え方にはもっともっと多くの面での修正が必要になるだろう。もしも、世間で求めるような実用性を追求しなければならない方向に舵を切るのならば。だが、私は文部科学省も英語教育界も今さら方針転換はできないだろうし、するとは思えないのだ。

結論的に言えば、1990年にテレビで見たパネルデイスカションで「学校でいくら教えられても一行に英語が話せるようにならないのは何故か」という苦情に対して、正直な女性の教師が「我々は最初から英語が話せるようになるように教えていない。あくまでも教科の一つとして生徒たちを5段階で評価するように教えているのだ」と堂々と答えられた。

私も「そういうものだ」と理解し認識している。某大学の外国語学専攻の学部で「そんなに話せるようになりたいのならば、市中に会話学校に行きなさい」と言われたと聞いたことがあった。英語とは「学問」なのであることを忘れないように。

YouTubeを覗くようになったので

2023-05-14 08:12:05 | コラム
情報の氾濫ではないかと思う:

さしたる具体的目的もなく、近頃YouTubeを眺めるようになった。確かに「そういうことだったのか」とか「懐かしいな」とか「なるほど、事実はそういうことになっていたのか」と種々雑多なというか、玉石混淆かも知れない情報が溢れていて、単純に言えば面白い。特に個人的に関心がでてきた「近大節」、「日大節」、「明大節」を聞けたのには、何とも言えない興味の深さを感じた。

今回ここに取り上げようというのはそんな言わば人畜無害の話題ではない。それは西武ライオンズ関連の山川穂高の一件だ。彼は昨年だったか週刊文春で「アグーはソフトバンクに行くんだって」との記事に接していた。それ自身は人畜無害の話だが、今回出てくる件は婦女暴行で刑事告訴されるとか、されたという穏やかならざる事件である。相手が如何なる職業の女性か知らないが、告訴にまで発展したというのは容易ならざる事態だと思う。

それにしても、非常に不快であり、何をやっているのかと憤慨したことはWBCの代表にも選出され、西武ライオンズの中心選手であり、村上宗隆には並び切れていないまでNPBを代表するホームラン打者の一人である山川が妻帯者でありながら、何という無自覚な行為(犯罪とは未だ確定していないようだ)を犯したのかということ。

高額な年俸を得ているのだから、好きなときに好きなだけ可処分所得を使って遊ぶことまで阻止しようとは考えないが、人の道に外れたようなことをしても良いとはならないと思う。故三原脩監督は「グラウンド以外で何をしようと問わない」と言われたそうだが、山川の所業のようなことまでを含んで訓示されたのではないと思う。

時代に遅れている当方には解らないが、SNSとやらが発達し、文春砲が何処かで待ち構えている時代なのから、山川は余りに粗忽であり不注意であり無自覚だったと指弾されても仕方があるまい。

話の性質が異なるかも知れないが、DeNAはMLBから女性の扱い問題で素行を疑問視され30億円の契約を残したままで野に放たれトレバー・バウアー投手(32)の性癖を承知かものともしなかったのか、ダジャーズ(これがDodgersの本当の表記)から獲得した。山川は「目下首位を走るDeNAがかかる選手を獲得した以上、俺程度が何かやっても問題にはなるまいと多寡をくくった」のではあるまいな。

何れにせよ、山川穂高が犯したことが報道された通りであれば、YouTubeにも予想されてたいたように西武から追放され、良くてもソフトバンクお移籍か、傷物引き取りを厭わない読売か、悪ければ「今季は出場辞退で、来年は何処かにトレード」とでもなってしまいかねない。だが、如何ある処分も「身から出た錆」であれば、致し方あるまい。

そこで少し気になるのがトレバー・バウワーである。今のところは「これでもサイヤング賞だったのか?と、些か拍子抜けした対ジャイアンツとの勝利があって1勝1敗で、問題は起こしていない。こちらは問題を起こしそうな危険な投手を抱えて優勝を目指し、一方の西武は刑事問題になってしまえば何とかしないければ折角のホームランバッター切らねばならないかも知れないところに追い込まれている。

当方は僅かにYouTubeを見て情報を得ているだけで、何とかどうやら世間に少しでも追いつけているが、数あるSNSに日頃からスマートフォンで情報を取っている世代は、既に「窮鼠換えって猫」じゃなかった虎を噛もうとばかりに、ジャイアンツは 形振り構わずに中田翔の代わりに山川を譲り受ける交渉を開始したと承知しているかも知れない。

私はそんなことよりも「NPBは今後は選手たちの素行を日頃から十分に監視しておかねばならなくなるのでは」と心配している。それだけではなく、YouTubeだけではなくSNS監視係を常設し、文藝春秋社にも駐在員でも置かねばなるまいかと気にかけてやっている。難しい世の中になったものだ。