新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

一寸一言だけでも

2023-12-29 07:11:19 | コラム
不正確な事を言って欲しくないのだ:

新大久保で自動車が突っ込んだ:
何処の局だったか、ニュースの見出しにこのように出ていた。実際にその事故の模様が報じられなくても読める事は「事故があった場所の地名は『大久保』である事」なのだ。テレビも新聞もこの地区での出来事を採り上げる場合には必ず「新大久保」という。何度も指摘して事で「新大久保というJRの駅はあるが、新宿区には新大久保という地番はない」のである。大久保は山手線の内側の地名。

更に困った事は「彼らは山手線の外側での出来事でも新大久保にしてしまう」誤りなのである。外側は歴史的にも鉄砲組で知られた百人町なのだ。彼らは百人町では面白おかしくないとでも決めつけるのか、未だ嘗て百人町と言った事がない。更なる困り事は今朝のテレ朝では、自動車が突っ込んだ場所を「大久保駅近く」としていた不正確さ。大久保駅は新大久保駅から数百mも離れた総武線の駅名だ。好い加減にして貰いたい不正確さだ。

メジャーリーグのロサンゼルスのドジャース:
先ず「これらが英語の本当の発音とは異なっている表記である」と指摘するが、新契約した山本由伸の英語のスピーチには苦言を呈したくなった。それは、このように言わせた(と推定して)英会話教師だと聞いた彼のお姉さんが、もしも事前にこのように言えと指導していたのならば困った事だと思う。この指摘する理由はアナウンサーの「お姉さんの指導でスピーチを準備してきたのだろう」と言った報告に基づいている。

私は「日本語の中に戸籍を得てしまったカタカナ語を使う事までを問題にしないから、何方もご自由にお使いを」と長年言い続けてきた。故に、見出しのような英語とは別ものの使い方を我が国の中でするのは気にしない。だが、アメリカに行ってまで、公式の席で使うのは余り褒められた事ではないと思う。そうとは言うが、英語で堂々と語った事は評価できる。

矢張りあの場では「メイジャーリーグのロスアンジェレス・ダジャース」と言っておいて欲しかった。即ち、英会話の教師であると言われたお姉様が正しい英語の発音をご承知であれば「メジャーリーグのロサンゼルスのドジャース」とは指導しなかったと思う。山本由伸が正しい発音を知らなくても別に珍しい事ではないので責めないが、英会話教師が知らなかったとすれば由々しき事だ。

「この辺りが我が国の英語教育の至らなさであり、何としてでも修正せねばならない奇妙な発音と、英語とは異なっているカタカナ表記の問題だ」と指摘して終わる。だが、幾ら言っても糠に釘で世の英語教師たちが一向に反応してこないのが残念だ。


12月28日 その2 どれ程難しい仕事でも、誰かを選んでやらせてみる事では

2023-12-28 09:29:07 | コラム
内閣総理大臣という任務の適任者は誰だ:

政治ジャーナリストや評論家や有識者やマスメディアの中でも、半ば公然と「次の総理大臣には誰が最適か」と論じ始められて来たようだ。「さもありなん」と思わせられてしまう。つい先日も一寸取り上げた事で、元自民党総務局長(派閥の局長ではない、念のため)久米氏が「岸田総理の再選は無理でしょう」と言い切り「では次は小石河から」と突っ込まれると「石破先生かな・・・」と言葉を濁しておられた。

こういう言い方もあるが、私が今でも接触できる範囲の世間では「岸田さんを降ろすとしても、次がいないじゃないか。まさか高市早苗氏を推すのか」という意見が最も多いように感じている。確かに、自由民主党には「彼(彼女)こそが次期総理/総裁だ」と期待したし人物は見当たらないと言い切っても大きな誤りではない気がするので困る。私の見方では「小河」は願い下げにしたいのだが。

しかし、心からの意見を言えば「どれ程難しい職位でも、任務でも、誰かをその地位に据えて全責任を与えてやらせてみれば、仕事か職務というものは誰がやってもそれなりに出来るものなのだと解る」と思う。誰が担当しても、その人なりの結果を出せるのであると思う。要点は「その人なりの器量か経験と勉強に基づいて備えてきた実力以上の結果は出てこない」という事。

極論かも知れないが、私は「その人物が予想も出来なかった素晴らしい成果を挙げる事もある」ので、それは、その人物を選んだ読みを誇るべきだろうと考えている。確かに「アッ」と驚くほどの大物にになった例もあれば、「何故その人物にしたのか」と嘆く事もある。だが、その場合は「その人物を選んだ側の責任に帰すべきなのだ」と考えている。

何が言いたいのかだが、要するに「人物の否定的な面を見るのではなく、特徴を見抜いて選んでみる事」だと思うのだ。就任していきなり結果を出せる者もいるだろうし、ある程度の時間を与えれば何かをやり遂げる事もあるだろう。重ねて言うが、その人物にやらせてみるまでは、真の力量の程は分からないのだという事。

有能だと評価して抜擢したが「そこまでの地位に上げると無能レベルに達して、役に立たなかった」という例など幾らでもあるだろう。何となく年功序列で順番が回っただけだと思っていたが、大化けしたという例だったあったではないか。自由民主党内ではグダグダ言っていないで、思い切った人事が必要なときが来ているのではないだろうか。何度でも言うが「やらせてみないと分からない事」はあるのだ。

井上尚弥は矢張り凄かった

2023-12-28 08:31:51 | コラム
期待の試合は地上波でもBSでも中継されなかった:

何故誰にでも気楽に鑑賞できるようにならないのだろうか。近頃は放送権料等に問題が発生するようで、ディジタルディバイドの境遇から脱出できていない時代に遅れた高齢者は、26日のような井上尚弥の胸がすくようなノックアウトの場面を生で見る事が出来なくなってしまうのだった。情けなくも腹立たしい時代になったのである。

事前に中継がないだろうと読んでいたところ、矢張り何とか言うネットに繋げないと駄目だと分かった。そこで「えー、ままよ」とばかり、YouTubeにその場面が出てくる事に期待して待っていた。という事は、井上尚弥が勝つものと決めつけてあったのだ。

YouTubeには解説付きも含めて沢山出ていたので、井上はタパレスが固くかたく守っていたガードの上から浴びせた世界中で最も強烈だろうと思うパンチで10回にノックアウトして見せてくれた。4回にもダウンを取ったのだが、ゴングに救われてKOには至らなかった。井上尚弥のパンチの威力は「凄い」とか「速い」などという形容詞か副詞では到底表せないだろう。

一部には「井上が苦戦した」と報道されていたが、井上は「それは違う。相手だってチャンピオンでノックアウトしようとして向かってきているのだ」と指摘したそうだ。尤もな言い方だとは思うが、試合をしていた彼が悠然と評論家のように語って見せた辺りに限りない自信と力量を感じた。

彼のように鮮やかに勝ってくれるスポーツ選手がいる事は「キックバック」だの「支持率の低迷」だの「強制家宅捜査」だの「検察と東京都に賠償を命じる判決(=冤罪)」のような重苦しくて暗い報道ばかりの時にあっては、気分爽快にしてくれる点が非常に宜しいと思う。それだけにチャンと誰にでも見えるように放映して欲しかった。

岸田文雄内閣総理大臣に望む事

2023-12-27 07:32:09 | コラム
より具体的で分かりやすい方針を打ち出して下さい:

岸田総理は昨26日にも「党内に来年早々には政治改革を担当する組織を設けて、国民の信頼を回復に努める」と自信ありげに語っておられた。敢えて言うが、「この組織設置論の何処に具体的に何をどうするのかは見えてこない。

そんな事で改革しようと言われるのか。(あったはずで失ってしまった)国民の信頼を回復する事が出来るのか」なのだ。具体策には触れていなかったのでは、単なるお題目で観念論ではないのか。野党だけではなく国民も観念論ばかりでは支持しなくなるのだ。

第二に指摘したい事がある。「近年、我が国では政界、財界、教育界、芸人の世界等々では、何か不祥事か問題が発生すると、自力で解決する事を放棄して第三者委員会乃至は外部の有識者を集めて『何とかして下さい』と依頼するようになってしまった」のだ。「何故自分でやろうとしないのか」と言いたい。如何に有識者であり学術的に優れていても、組織の内部を隅から隅まで調べ上げて、容易に最上の解決策を導き出せるのだろうかと疑っている。

この手法が功を奏して依頼した側が何らかの具体的な手段を講じた例としては、Jonny & Associatesが「スマイルアップ」と社名を変更したくらいだという気がしてならない。宝塚歌劇団などでは大失敗だった模様ではなかったか。岸田総理は総裁である以上、自らが率いている党内の事情を余すところなく掌握しているべきではないのか。その上で自ら先頭に立って改革に邁進するのが務めではないのか。組織を作るのは体の悪い逃げ口上だ。

総理/総裁は企業であれば社長兼CEOだ。彼または彼女は経営の全権を持っているのだ。その重責にある者が「社内の改革に委員会を設ける」などという話を聞いた事がない。岸田総理はキチンとした報告の組織を作ってあって、そこから日常的に総理/総裁に上げるべき報告が到達しているのがまっとうな組織ではないのか。

改革のための組織を設けるなどと言われるのでは、総理/総裁は実情に通じていないというのと同じではないのか。だから、何時でも観念論ばかりで抽象的な事しか語られないのか。岸田総理の今日までの政治を見ていると、「側近に人を得ていない疑い」と「情報伝達の風通しが芳しくないのでは」と思わせられてしまう。

その岸田総理はバイデン大統領の「国賓として招待」を受けて、3月のアメリカ出張の日程を調整中であると報じられた。そのアメリカ行きに際しては「確固たる業績に基づいた、内容がある会談」になるように今からでも早すぎないのだから、具体的に何をどのようにして収支報告不記載の嫌疑で特捜に追われている状況から脱却に努力される必要があるのではないか。

この案件は総理が岸田派から離脱されて済むような状態ではなくなっている。だからこそ、何度でも「岸田さん、しっかりして下さい」と激励したいのだ。社長兼CEOは何時までも観念的な抽象的な経営方針を述べている訳には行かないのだ。


2023年11月の新宿区の人口

2023-12-26 07:40:24 | コラム
23年11月の新宿区の人口に殆ど変化はなかった:

昨日は「オーバーツーリズム」を採り上げてみたが、ここ都心の繁栄から取り残された感が濃厚な新宿区の片隅にも、トローリーケースを滑らせて入ってくる観光客とは思えない異邦人を数多く見かける。彼らが我が国で(マスコミ風に言えば)グルメを楽しもうと企画して来たとは到底思えない人品骨柄なのだ。得意のカタカナ語批判をすればgourmetはフランス語であり「美食家」の事で、「食べる事」に使うのは誤りだろう。

先日も我が家に向かう通りを大型のケースを引きずった3人組のアジア人風の男性が、スマホを見ながら歩いていた。彼らを観察していると、が立ち止まった路地のそのまた奥には、民家を改造したかのような2部屋もあるのかと思わせる小さな2階建てがある。「ホテル」の看板があった。彼らは数秒間その建物の前に立ちすくんでから、勇気を出したのだろうか、ドアを開けて入って行った。彼らが築地場外に高価な寿司を食べに来た美食家集団とは思えないのだが。

11月には新宿区の人口が対前月比240人の減少で349,376人となっていた。その内訳を見れば日本人が△250人、外国人は△110人となっていた。外国人の総数が43,869人で全人口に占める比率が12.55%となり、前月の12.54%とほぼ同様だった。因みに、9月の12.2%から大きく伸びたままだった。

彼ら欧米人以外の外国人たちが、どのようにして生活費を稼ぎ出しているのか不思議に思えてならないのだ。中には電動アシスト付き自転車を乗り回している者もいる。乳幼児を抱えて歩き回っている異邦人の家族も見かける。我が国の老若女でごった返しているKorea townなら韓国人が働く場所があるだろうが、あれほど多くのイスラム教徒たちにはハラルフードの販売店くらいしか職場はないと思えるのに、イスラム横町は何時でも賑わっている。

ここで行政を非難すれば「観光客の誘致に努めれば、どうしても客種は玉石混交となりがちで、その中の裾野を占めている連中が方々に居着いてしまう事を想定していなかったのか。その負の部分がこの地区の現象となって現れているのでないか。その結果として、ここ新宿区百人町/大久保界隈では日本人向けの小売店/商店が続々と廃業していき、銀行の支店もなくなってしまった」のである。彼らの手落ちではないのか。

先月も“地方から若者たちが東京乃至は近県の大学を目指して上京するか、「東京に行けば何とかなる」という安易な夢を抱いているのと同じ考え方で、発展途上国から国を捨てた者たちがやってくるのでは”と指摘した。この流れは一向に止まらない。それだけではなくて「トーヨコ」のような現象すら生じるのだ。先日はアメリカで常に「住みたい街」の上位にあったシアトル市が、ホームレスの激増で悩まされている事も伝えた。新宿の環境も悪化しつつあるのではないのか。

何度でも諦めずに同じことを言おう。「皆様、是非一度山手線新大久保駅で改札口を通過して、外に出て見てください」と。構内を思うように移動できずに「ここは何処の外国か?」か「何でこうなってしまったのか」と憤慨したくなる事請け合いだ。年がら年中、それほど多くの外国人が出入りしているのだ。改札口の外側には待ち合わせの人々の大群で交通信号さえ見えない時があるのだ。

このような外国人とKorea townに押し寄せる我が国の老若女があれほど多い状況が、経済的にも何にも良い事なのかどうか、為政者に是非とも実地検証して欲しいと思う。彼ら外国人が何の目的で、如何なるアドヴァンテージ(カタカナ語にすれば「メリット」だが)があって、繁盛しているとも思えないこの界隈に押しかけてくるのだろうかを究明して貰いたいのだ。

参考資料:新宿区広報12月25日号