1957年3月9日アメリカ議会は、中東でのアメリカのプレゼンスを強化するための外交ドクトリンを採択した。
それを起草したのは当時のアイゼンハワー大統領と、ダレス国務長官だった。このドクリン(※「ドクリン」???)のなかでは、第三国からの圧力を受けている国は、アメリカからの経済的および軍事的支援を要請することができるとされていた。
これは中東でのアメリカの立場を強化するためだけではなく、ソ連を筆頭とした社会主義陣営に対抗するための、軍事基盤を地域に作り出すことも意図していた。その当時、二つの超大国の間の緊張は、日増しに高まっていたのだ。
アイゼンハワー大統領は、ソ連が中東を世界の共産化のために利用していると指摘し、ユーラシアとアフリカを繋ぐ門である中東に、ソ連が覇権を築こうとしているとの判断を示した。
そのようなソ連からの脅威に備えるため、アメリカは中東諸国の内政および外交に干渉し、自らの覇権を作り出すことで対抗しようとした。
1957年、アイゼンハワーはシリアの侵攻からヨルダンを守るために、このドクトリンを適用したほか、1958年、アメリカはレバノンへの直接軍事介入に踏み切った。そして9年後には、イスラエルからアラブ諸国への軍事侵攻を支援した。
ソ連崩壊後、アメリカはドクトリンで述べられている方向性を、より一層強化したが、ロシア外務省付属外交アカデミーの東洋研究センター・ヴォロジンセンター長は、中東諸国での現実は、アメリカをして自らの政策を考え直させていると指摘している。
「当時、アメリカが一極支配の世界を確立し、中東での決定的プレーヤーとなるのを阻む勢力は何もないかのように思われた。
しかし多くのことが変わった。まず第一に世界それ自体が変わったのだ。依然としてアメリカは最強の国で在り続けてるが、アメリカが作るルールではすでに世界は発展できなくなっている。
この世界ではすでに自国の利益を、ほかの国の利益との間でバランスを取らなくてはいけないのだ。このような主要な変化が、今後10年間の中東におけるアメリカの政策を決定するだろう。これはアメリカと関係なく起こっている変化に、アメリカが適応していくプロセスなのだ」
センター長は、このようにコメントしている。
アメリカは中東でのプレゼンスを、軍事的手段による民主主義の導入という方法によって高めてきた。
しかしこれは逆効果を生んでおり、宗教的な過激派勢力による政権の奪取なども見られている。しかも欧米諸国による民主主義的改革の要求は、しばしば政権交代のための手段ともなっている。ましてや国際関係における基本的な基準が、遵守されていないのは尚更のことだ。
少なくともアメリカは中東における、覇権政策を止めるつもりはないようだ。地中海およびペルシャ湾にはアメリカの艦隊が存在しており、イラク戦争やリビアでの紛争など、中東における武力衝突において重要な役割を果たしてきた。そしてそれは、アメリカ外交にとっての効果的な手段ともなっているのだ。
アメリカは大統領選挙を控えており、来年には新しい大統領による外交政策が発表されるだろう。専門家たちは中東政策に大きな変化は見られないだろうと予測しており、資源が豊富で、かつ大きな販売市場ともなっている中東を、アメリカが手放すことはないだろう。
しかしそのような影響力維持のために、どのようなメカニズムが構築されるのかは別問題だ。
アラブの春の出来事は、介入のための手段がより(※「せんねん」???)されてきていることを示した。政権転覆や反対派支援のために、インターネットや海外からの資金による非政府組織などが使われている。
ロシアのプーチン次期大統領は、アラブ諸国の権威主義的体制を転覆しようという試みは、人権を改善しようとする動機にでたものではなく、市場の再編を目指すものなのではないかという見方を示している。それはロシア企業を含む、今までの会社を追い出したうえで、新しい企業が乗り込んでくることを意味している。
※単なる言い間違いなのか言葉を知らないのか、どっちなんだろうね
3月9日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル
それを起草したのは当時のアイゼンハワー大統領と、ダレス国務長官だった。このドクリン(※「ドクリン」???)のなかでは、第三国からの圧力を受けている国は、アメリカからの経済的および軍事的支援を要請することができるとされていた。
これは中東でのアメリカの立場を強化するためだけではなく、ソ連を筆頭とした社会主義陣営に対抗するための、軍事基盤を地域に作り出すことも意図していた。その当時、二つの超大国の間の緊張は、日増しに高まっていたのだ。
アイゼンハワー大統領は、ソ連が中東を世界の共産化のために利用していると指摘し、ユーラシアとアフリカを繋ぐ門である中東に、ソ連が覇権を築こうとしているとの判断を示した。
そのようなソ連からの脅威に備えるため、アメリカは中東諸国の内政および外交に干渉し、自らの覇権を作り出すことで対抗しようとした。
1957年、アイゼンハワーはシリアの侵攻からヨルダンを守るために、このドクトリンを適用したほか、1958年、アメリカはレバノンへの直接軍事介入に踏み切った。そして9年後には、イスラエルからアラブ諸国への軍事侵攻を支援した。
ソ連崩壊後、アメリカはドクトリンで述べられている方向性を、より一層強化したが、ロシア外務省付属外交アカデミーの東洋研究センター・ヴォロジンセンター長は、中東諸国での現実は、アメリカをして自らの政策を考え直させていると指摘している。
「当時、アメリカが一極支配の世界を確立し、中東での決定的プレーヤーとなるのを阻む勢力は何もないかのように思われた。
しかし多くのことが変わった。まず第一に世界それ自体が変わったのだ。依然としてアメリカは最強の国で在り続けてるが、アメリカが作るルールではすでに世界は発展できなくなっている。
この世界ではすでに自国の利益を、ほかの国の利益との間でバランスを取らなくてはいけないのだ。このような主要な変化が、今後10年間の中東におけるアメリカの政策を決定するだろう。これはアメリカと関係なく起こっている変化に、アメリカが適応していくプロセスなのだ」
センター長は、このようにコメントしている。
アメリカは中東でのプレゼンスを、軍事的手段による民主主義の導入という方法によって高めてきた。
しかしこれは逆効果を生んでおり、宗教的な過激派勢力による政権の奪取なども見られている。しかも欧米諸国による民主主義的改革の要求は、しばしば政権交代のための手段ともなっている。ましてや国際関係における基本的な基準が、遵守されていないのは尚更のことだ。
少なくともアメリカは中東における、覇権政策を止めるつもりはないようだ。地中海およびペルシャ湾にはアメリカの艦隊が存在しており、イラク戦争やリビアでの紛争など、中東における武力衝突において重要な役割を果たしてきた。そしてそれは、アメリカ外交にとっての効果的な手段ともなっているのだ。
アメリカは大統領選挙を控えており、来年には新しい大統領による外交政策が発表されるだろう。専門家たちは中東政策に大きな変化は見られないだろうと予測しており、資源が豊富で、かつ大きな販売市場ともなっている中東を、アメリカが手放すことはないだろう。
しかしそのような影響力維持のために、どのようなメカニズムが構築されるのかは別問題だ。
アラブの春の出来事は、介入のための手段がより(※「せんねん」???)されてきていることを示した。政権転覆や反対派支援のために、インターネットや海外からの資金による非政府組織などが使われている。
ロシアのプーチン次期大統領は、アラブ諸国の権威主義的体制を転覆しようという試みは、人権を改善しようとする動機にでたものではなく、市場の再編を目指すものなのではないかという見方を示している。それはロシア企業を含む、今までの会社を追い出したうえで、新しい企業が乗り込んでくることを意味している。
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1 | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
※単なる言い間違いなのか言葉を知らないのか、どっちなんだろうね
3月9日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル