読書。
『パチンコに日本人は20年で540兆円使った』 若宮健
を読んだ。
おもに、ギャンブル依存症の側からパチンコを批判する本です。
論理や情報に飛躍したようなところがないので、
適度な距離感を保ったまま落ち着いて読める本。
ただ、パチンコ依存症の人からのメールなどが載せられているのですが、
そういう具体的な体験談には、ぐっと気持ちが引き締まるような思いがします。
厚生労働省が2010年に発表したのが、
「ギャンブル依存症は国内に400万人以上」ということだそうです。
そのうち、7,8割がパチンコ依存症だと見られているらしい。
僕もパチンコが好きだったからわかるのですが、
いくらでもつぎ込みたくなるんですよね。
それで当たりが引ける場面もあるし、
やってみなければわからないぞ、と思ってしまう。
いろいろと、パターンはあると思います。
初めてやってみたらけっこう儲けて、
さらにやって儲けることもある。
それで、じゃ、お金もあることだし、
長丁場の勝負をしてみたいと思いだしたりもするんです。
いつもなら2時間くらいでやめていたものを、
5万円とか6万円とかを予算にして、4時間だとかやって使ってしまう。
そうやって、当たっても当たらなくても、
長丁場のパチンコ遊戯というものに慣れてしまうと
よくはないですよ。
遊戯をしたい気持ちが中毒的に作用してしまう。
成功体験っていうものが、害をなすことってありますけれど、
少なからずギャンブルにもあります。
「あのときうまくいったのだから、またうまくいくことだってあり得る」
そうやって、失敗を重ねていって、胴元(ギャンブル主催者)だけが、
儲けて大笑いするということって本当によくあることだと思います。
また、本書にはサブリミナル効果についての言及もありました。
これはちょっと驚いたけど、そうか、と納得したくなるものです。
昔、80年代か70年代かのころに、映画館で映画のなかにコーラの映像を
チラッと0.04秒だとか、人が認識できないくらいの短い間流したら、
それが人の潜在意識に作用して、映画の後にコーラが
飛ぶように売れたっていう話がありました。
この、チラッと映像を見せる手法がサブリミナルで、
95年にオウム真理教が、どういう手段でやったかわからないですが、
テレビの映像に教祖の麻原彰晃の顔をサブリミナルで流したことがあるそうで、
それ以降、テレビではサブリミナルは禁止されているとのこと。
それが、パチンコではとある会社が特許をとっていて、
どうもパチンコ台に使っているようだということです。
その理由は、確率の3倍だとかハマっていても、
サブリミナルによって「777」「大当たり」だとかの文字などを見せることにより、
客は飽きずに大当たりを期待し続けて、楽しく遊戯を続けられるから、
ということだそうです。
でも、それって、僕なんかに言わせれば、そして多くの人がそう考えると思いますが、
客からより多くのお金をむしり取るためのイカサマめいた装置なんじゃないかなぁ。
そういうトピックもありつつ、
後半は、パチンコ擁護ライターやマスコミへの批判などで締めくくられています。
僕はけっこう、パチンコなんかで儲けてしまったタイプで、
ようはその時期、金運が良かったとでもいえばいいのか、
それとも、これから搾り取られる前にうまく止めれたのか
(やることがあって、読書だとか好きなことがあると止めれるようです)、
とにかくいろいろモノを買えたし、恩恵に授かってしまったので、
そういう成功体験から、100%パチンコなどを批判することはできないのですが、
一方で依存症の人がいて、その人のみならず、家族や友人なども巻き込んで
苦しめてしまうので、これは良くないなと思っています。
ギャンブルのリスクって本当に大きくて、やるならばそうとうに覚悟しておかないといけない。
できれば、やらずに済めばいいのですが、そうもいかない人っていますからねぇ、
難しいものです。
でも、けっして、パチンコを擁護は出来ないなぁ。
そういうもんです。
著者の方は、よくこういうことをこういう姿勢で書いてくれたなと思って、拍手を送りたいくらい。
本書ではたぶん、著者の前の著書で言いたいことはかなり言いきっていると思われて、
論説的な部分は少なかったんですけど、訴えてくるものはある本でした。
『パチンコに日本人は20年で540兆円使った』 若宮健
を読んだ。
おもに、ギャンブル依存症の側からパチンコを批判する本です。
論理や情報に飛躍したようなところがないので、
適度な距離感を保ったまま落ち着いて読める本。
ただ、パチンコ依存症の人からのメールなどが載せられているのですが、
そういう具体的な体験談には、ぐっと気持ちが引き締まるような思いがします。
厚生労働省が2010年に発表したのが、
「ギャンブル依存症は国内に400万人以上」ということだそうです。
そのうち、7,8割がパチンコ依存症だと見られているらしい。
僕もパチンコが好きだったからわかるのですが、
いくらでもつぎ込みたくなるんですよね。
それで当たりが引ける場面もあるし、
やってみなければわからないぞ、と思ってしまう。
いろいろと、パターンはあると思います。
初めてやってみたらけっこう儲けて、
さらにやって儲けることもある。
それで、じゃ、お金もあることだし、
長丁場の勝負をしてみたいと思いだしたりもするんです。
いつもなら2時間くらいでやめていたものを、
5万円とか6万円とかを予算にして、4時間だとかやって使ってしまう。
そうやって、当たっても当たらなくても、
長丁場のパチンコ遊戯というものに慣れてしまうと
よくはないですよ。
遊戯をしたい気持ちが中毒的に作用してしまう。
成功体験っていうものが、害をなすことってありますけれど、
少なからずギャンブルにもあります。
「あのときうまくいったのだから、またうまくいくことだってあり得る」
そうやって、失敗を重ねていって、胴元(ギャンブル主催者)だけが、
儲けて大笑いするということって本当によくあることだと思います。
また、本書にはサブリミナル効果についての言及もありました。
これはちょっと驚いたけど、そうか、と納得したくなるものです。
昔、80年代か70年代かのころに、映画館で映画のなかにコーラの映像を
チラッと0.04秒だとか、人が認識できないくらいの短い間流したら、
それが人の潜在意識に作用して、映画の後にコーラが
飛ぶように売れたっていう話がありました。
この、チラッと映像を見せる手法がサブリミナルで、
95年にオウム真理教が、どういう手段でやったかわからないですが、
テレビの映像に教祖の麻原彰晃の顔をサブリミナルで流したことがあるそうで、
それ以降、テレビではサブリミナルは禁止されているとのこと。
それが、パチンコではとある会社が特許をとっていて、
どうもパチンコ台に使っているようだということです。
その理由は、確率の3倍だとかハマっていても、
サブリミナルによって「777」「大当たり」だとかの文字などを見せることにより、
客は飽きずに大当たりを期待し続けて、楽しく遊戯を続けられるから、
ということだそうです。
でも、それって、僕なんかに言わせれば、そして多くの人がそう考えると思いますが、
客からより多くのお金をむしり取るためのイカサマめいた装置なんじゃないかなぁ。
そういうトピックもありつつ、
後半は、パチンコ擁護ライターやマスコミへの批判などで締めくくられています。
僕はけっこう、パチンコなんかで儲けてしまったタイプで、
ようはその時期、金運が良かったとでもいえばいいのか、
それとも、これから搾り取られる前にうまく止めれたのか
(やることがあって、読書だとか好きなことがあると止めれるようです)、
とにかくいろいろモノを買えたし、恩恵に授かってしまったので、
そういう成功体験から、100%パチンコなどを批判することはできないのですが、
一方で依存症の人がいて、その人のみならず、家族や友人なども巻き込んで
苦しめてしまうので、これは良くないなと思っています。
ギャンブルのリスクって本当に大きくて、やるならばそうとうに覚悟しておかないといけない。
できれば、やらずに済めばいいのですが、そうもいかない人っていますからねぇ、
難しいものです。
でも、けっして、パチンコを擁護は出来ないなぁ。
そういうもんです。
著者の方は、よくこういうことをこういう姿勢で書いてくれたなと思って、拍手を送りたいくらい。
本書ではたぶん、著者の前の著書で言いたいことはかなり言いきっていると思われて、
論説的な部分は少なかったんですけど、訴えてくるものはある本でした。