読書。
『ニーチェ入門』 竹田青嗣
を読んだ。
19世紀末頃のドイツの哲学者ニーチェ。
それまでのキリスト教的モノの見方によって作られていた、
常識や思考のひな型のようなものを、
ニーチェは批判し、破壊する言説を発しました。
ヨーロッパ的にいえば、
ニーチェという点の前後で、
キリスト教的か現代的かに分けられる。
象徴的なのは、ニーチェの著作にある
「神は死んだ。」の言葉です。
入門書で助かったなあという感想ですねぇ。
多くのニーチェの文章が引用されていますが、
ほとんどその意味がわかりません。
解説を読むとわかるのですが、その解説が
どう導き出されているかも、
うまくわからないのです。
やっぱり哲学書って難しいもんです。
途中、ドゥルーズのニーチェ解釈の文章も引用されていたのですが、
そこは現代に近いからわかるかなと思いましたが、
甘かったですね、「境位」がどうたらなんて
言葉が出てきましてお手上げです。
でも、まぁ、解説のおかげで
いろいろと勉強になる部分はありました。
たとえば、超越は無い、とする態度。
僕流の喩えですが、
宝くじだとか馬券での大穴だとかで大金をゲットするのって、
ニーチェ的に言うと超越であって、
そこで超越は無い、つまり当たりっこないんだとわかった上で、
さらにそういうときにやってくる
ルサンチマン(弱者の嫉妬や恨み)にとらわれずに、
力を尽くして生きていくことが大事ってことはわかって、
頷いたところでした。
また、重要概念の「永遠回帰」についても、
こういうものも関係あるのかな、と考えました。
同じところをぐるぐる回っているようで、
少しづつ上へと上がっていっているのが
わたしの人生だと思いたいっていう人、
けっこういると思うしぼくもそうなんですが、
そんな「らせん」の人生って、
ニーチェのいう「永遠回帰」と関係があるんじゃないか、
と思って読んでました。
それと、これはどうかという思想もあって。
血統や遺伝を重んじる優生学的な主張だとか、
強者と弱者の分離を進めていくという考えだとか、
問題だと考えた方がいいところがニーチェにはある
(まぁ、ちょっとは知ってたんだけど)。
ナチスに利用された可能性うんぬんって言われるけれども、
そんな簡単に思いつくものでもないし、
やっぱり利用されたっぽいように感じます。
結びのところで、この本が出た当時の94年ころ、
ポストモダンの論者たちが、いかにニーチェを語っていながら、
そのニーチェの根本のところからかけ離れていたかという
ことが書かれています。
それでも、「超越」についてはこのあいだ送付した自分が書いた小説が
ニーチェを意識せずにそういうテーマを含んでいるし、
「永遠回帰」が人生の「らせん」的進歩になぞらえることができるならば、
ニーチェの思想や哲学って、
現代では実はすごく身近にあるものじゃないだろうか。
いまや、こんな一般人の素人の人生とともにある考えです、と感じられる。
最後に、一番気に入ったのは、
中盤でも出てきたことは出てきたんですが、
もっとも最後のページにあった一言でした。
ニーチェの文章だと、
______
――あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、
選択することなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまで――
______
この入門本の著者のその直前の文章だと、
______
この世界の「あるがまま」を否認し打ち消そうとし反動へと向かうより、
それを是認しそのようなものとして世界に立ち向かうことの方が
いつでも必ず「生」にとって良い結果を生むのだ
______
になります。
つまり、俺は境遇が悪い、運が悪い、弱い、だとかって思いつめて
腐っていって、俺はそんなはずはないっていう気持ちで、
誰かを呪い始めたり、社会を恨んだりするんじゃなくて、
そんな自分であっても肯定して生きていこうよ、っていう、
万能な自分、理想な自分を本当の姿としないで、
今の自分が本当であることを認めたうえで愛していこう、
みたいな考え方なんですよね。
それって、ぼくもそういう考え方を持っているところがあるので、
まったくもって、共感した次第です。
ニーチェに興味のある方は、
まず本書くらいのレベルから足ならしして、
彼の思想や哲学のアウトラインをなぞっておくと、
勉強しやすいかもしれないです。
『ニーチェ入門』 竹田青嗣
を読んだ。
19世紀末頃のドイツの哲学者ニーチェ。
それまでのキリスト教的モノの見方によって作られていた、
常識や思考のひな型のようなものを、
ニーチェは批判し、破壊する言説を発しました。
ヨーロッパ的にいえば、
ニーチェという点の前後で、
キリスト教的か現代的かに分けられる。
象徴的なのは、ニーチェの著作にある
「神は死んだ。」の言葉です。
入門書で助かったなあという感想ですねぇ。
多くのニーチェの文章が引用されていますが、
ほとんどその意味がわかりません。
解説を読むとわかるのですが、その解説が
どう導き出されているかも、
うまくわからないのです。
やっぱり哲学書って難しいもんです。
途中、ドゥルーズのニーチェ解釈の文章も引用されていたのですが、
そこは現代に近いからわかるかなと思いましたが、
甘かったですね、「境位」がどうたらなんて
言葉が出てきましてお手上げです。
でも、まぁ、解説のおかげで
いろいろと勉強になる部分はありました。
たとえば、超越は無い、とする態度。
僕流の喩えですが、
宝くじだとか馬券での大穴だとかで大金をゲットするのって、
ニーチェ的に言うと超越であって、
そこで超越は無い、つまり当たりっこないんだとわかった上で、
さらにそういうときにやってくる
ルサンチマン(弱者の嫉妬や恨み)にとらわれずに、
力を尽くして生きていくことが大事ってことはわかって、
頷いたところでした。
また、重要概念の「永遠回帰」についても、
こういうものも関係あるのかな、と考えました。
同じところをぐるぐる回っているようで、
少しづつ上へと上がっていっているのが
わたしの人生だと思いたいっていう人、
けっこういると思うしぼくもそうなんですが、
そんな「らせん」の人生って、
ニーチェのいう「永遠回帰」と関係があるんじゃないか、
と思って読んでました。
それと、これはどうかという思想もあって。
血統や遺伝を重んじる優生学的な主張だとか、
強者と弱者の分離を進めていくという考えだとか、
問題だと考えた方がいいところがニーチェにはある
(まぁ、ちょっとは知ってたんだけど)。
ナチスに利用された可能性うんぬんって言われるけれども、
そんな簡単に思いつくものでもないし、
やっぱり利用されたっぽいように感じます。
結びのところで、この本が出た当時の94年ころ、
ポストモダンの論者たちが、いかにニーチェを語っていながら、
そのニーチェの根本のところからかけ離れていたかという
ことが書かれています。
それでも、「超越」についてはこのあいだ送付した自分が書いた小説が
ニーチェを意識せずにそういうテーマを含んでいるし、
「永遠回帰」が人生の「らせん」的進歩になぞらえることができるならば、
ニーチェの思想や哲学って、
現代では実はすごく身近にあるものじゃないだろうか。
いまや、こんな一般人の素人の人生とともにある考えです、と感じられる。
最後に、一番気に入ったのは、
中盤でも出てきたことは出てきたんですが、
もっとも最後のページにあった一言でした。
ニーチェの文章だと、
______
――あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、
選択することなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまで――
______
この入門本の著者のその直前の文章だと、
______
この世界の「あるがまま」を否認し打ち消そうとし反動へと向かうより、
それを是認しそのようなものとして世界に立ち向かうことの方が
いつでも必ず「生」にとって良い結果を生むのだ
______
になります。
つまり、俺は境遇が悪い、運が悪い、弱い、だとかって思いつめて
腐っていって、俺はそんなはずはないっていう気持ちで、
誰かを呪い始めたり、社会を恨んだりするんじゃなくて、
そんな自分であっても肯定して生きていこうよ、っていう、
万能な自分、理想な自分を本当の姿としないで、
今の自分が本当であることを認めたうえで愛していこう、
みたいな考え方なんですよね。
それって、ぼくもそういう考え方を持っているところがあるので、
まったくもって、共感した次第です。
ニーチェに興味のある方は、
まず本書くらいのレベルから足ならしして、
彼の思想や哲学のアウトラインをなぞっておくと、
勉強しやすいかもしれないです。