Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「秘すれば花」と「シェア」のもてなし論。

2018-11-04 23:23:50 | 考えの切れ端
「秘すれば花」としておもてなしをするという、
日本的な考え方ってあると思う。
たとえば、お客さんにお出ししたお茶のその葉っぱが
とんでもなく貴重で高品質なものだったとしても、
あえて口にせず、ただお客さんに「どうぞ」と言い、味わってもらうというような。
でも、どんどん情報を開陳して、
秘密など何もないようにするおもてなしがよいとする考え方もある。
後者は若い人が共感しやすいのだと思う、なぜなら「シェア」の考え方だから。

他人に期待しない・信用しない、
という文化が基礎にあるような欧米の世界であれば、
その距離を埋めるべく情報を開陳する
「シェア」的なおもてなしはすごく効果があるでしょう。
シェイクハンド(握手)の習慣だって、
「わたしは何も武器等を持っていませんから」と手の内を見せることで、
相手を安心させるための意味がそもそもあるのだという話を
聞いたことがあります。
つまり、根深い不信が意識の底に横たわっている社会。
そういう社会だから、
アメリカなんかでは信用できないことが前提のために銃社会だったりする。

一方で、
お客が相手に「どんなもてなしをしてくれるかな」と期待し、
店側もお客がこっちに期待してくれているのを
前提としてもてなそうとする日本的な関係性では、
「秘すれば花」なる方法論は有効なのでしょう。
何も言わなくてもお客は店側の行為に探究心をもって解釈にいそしむだろうから、
秘密が無駄にならない。
それどころか、お客は想像をしたり感覚を研ぎ澄ませてもてなしを味わおうとしたりするし、
はたまた、もてなす側もお客のためを思って想像し、考え、労力を注ぎ、
それをお客が受け入れてくれたことに喜ぶ。
これすなわち、豊かさ、でしょ?

(余談ですが、
このあたりの話って、
メールやLINEなんかが普及して、
簡単にメッセージを送れ合う世界になったけれど、
時間のかかる「手紙」という手段を使っていた時代のほうが趣がある、
その「手紙」というツールそのものに豊かさを感じる、
という話とちょっと似ているのではないでしょうか。)

そんなわけで、日本的な「秘すれば花」と
欧米的な「シェア」と、
それぞれのおもてなしの方法論の違いは、
その社会内での「信用の構造」の違いによるのでしょう。
現代の日本はたぶんに欧米的な「シェア」がよいとする気持ちが強い人たちは多いと思う。
それでも、日本的な「秘すれば花」のよさにはすぐに気付ける心性を持ち合わせているだろうと
僕は考えています。
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