読書。
『しょうがの味は熱い』 綿矢りさ
を読んだ。
二篇の作品による連作短編です。
同棲から結婚へという、
ある意味で瞬間的でもあるだろう経過上で、
こじれてしまい間延びしたような状況が本小説の舞台。
あえてそこを書くのが小説らしく、著者らしいとも言えます。
小品を読んでいる感覚でしたが、
終いにはしっかり読み終えた満足感がありました。
そういった、話の締めくくり方の力というか技術というかは、見習いたい。
心理面もさることながら、
脳の構造的なぶぶんであろうところであって、
日常ではあまり意識したりしないような点にも注意を向けて書いている箇所があり、
レントゲンみたいに透過する、
作者の視線のつよさみたいなものが露わにする「人間の秘密」を目にする感覚もありました。
こういうところは、科学的な視線の種類だと思います。
冷徹さを持っていないと見えないところです。
たびたび、太い息がでる文章に出合いましたが、
P119の、
___
たしかにきゅうくつに感じていたけれど、
でもいまみたいに大人になってからの、
自分のことは自分で決めないとどんどんダメになっていくプレッシャーはなかった。
なにもかも自分で決められるゆえ、
その決断が間違っていれば他でもない自分が一番困る。
子どものころのように、
ルールを決めるかわりに自分を守ってくれる存在はもういない。
___
という一節を個人的な思索とからめて今回は取り上げます。
この一節をしゃべっている主人公の女性・奈世は、僕なんかからすると、
他律性から脱却して自律性を獲得する過渡期のようにも見えました。
でも、奈世はこうやって、自律性と他律性の狭間みたいな割り切れないところにいて、
そこは一般的にはたぶん居心地はあまりよくないはずですから、
すぐにどちらかに重心をうつしがちなのが通常だろうという状態だと思うのですけれども、
しっかりそんな状態・状況に身を置いてモノを見る、恋人や他者を見る、内面を見る、
そして言葉にしていくという態度は、
小説を書いていく人ならではの特性か、いや、というよりも覚悟なのかな、という気がしました。
きっと、そういった覚悟があると、居心地の悪い「狭間」が、
独特な「汽水域」へと特別に生まれ変わるのかもしれません。
よく見てみれば豊かで、気づくことができた人だけが獲得できるものがあります。
『しょうがの味は熱い』 綿矢りさ
を読んだ。
二篇の作品による連作短編です。
同棲から結婚へという、
ある意味で瞬間的でもあるだろう経過上で、
こじれてしまい間延びしたような状況が本小説の舞台。
あえてそこを書くのが小説らしく、著者らしいとも言えます。
小品を読んでいる感覚でしたが、
終いにはしっかり読み終えた満足感がありました。
そういった、話の締めくくり方の力というか技術というかは、見習いたい。
心理面もさることながら、
脳の構造的なぶぶんであろうところであって、
日常ではあまり意識したりしないような点にも注意を向けて書いている箇所があり、
レントゲンみたいに透過する、
作者の視線のつよさみたいなものが露わにする「人間の秘密」を目にする感覚もありました。
こういうところは、科学的な視線の種類だと思います。
冷徹さを持っていないと見えないところです。
たびたび、太い息がでる文章に出合いましたが、
P119の、
___
たしかにきゅうくつに感じていたけれど、
でもいまみたいに大人になってからの、
自分のことは自分で決めないとどんどんダメになっていくプレッシャーはなかった。
なにもかも自分で決められるゆえ、
その決断が間違っていれば他でもない自分が一番困る。
子どものころのように、
ルールを決めるかわりに自分を守ってくれる存在はもういない。
___
という一節を個人的な思索とからめて今回は取り上げます。
この一節をしゃべっている主人公の女性・奈世は、僕なんかからすると、
他律性から脱却して自律性を獲得する過渡期のようにも見えました。
でも、奈世はこうやって、自律性と他律性の狭間みたいな割り切れないところにいて、
そこは一般的にはたぶん居心地はあまりよくないはずですから、
すぐにどちらかに重心をうつしがちなのが通常だろうという状態だと思うのですけれども、
しっかりそんな状態・状況に身を置いてモノを見る、恋人や他者を見る、内面を見る、
そして言葉にしていくという態度は、
小説を書いていく人ならではの特性か、いや、というよりも覚悟なのかな、という気がしました。
きっと、そういった覚悟があると、居心地の悪い「狭間」が、
独特な「汽水域」へと特別に生まれ変わるのかもしれません。
よく見てみれば豊かで、気づくことができた人だけが獲得できるものがあります。