Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

いじめる側の人をマイノリティとしてケアすること。

2023-02-10 00:26:23 | 考えの切れ端
いじめた側よりもいじめられた側をカウンセリングしたり配置転換や転校をさせたり、働きかけるのはいつもいじめられた側だったりする。いじめた側は「ごめんなさい」とちょっとめそめそしたら「次、またやったらもっと罰があるぞ」くらいで終わる。いじめた側へのケアがないのだ。

人をいじめてもケアされずに大人になって社会に出て、という流れがずっと続いているのだと思う。大昔から連綿と。そうやって大人になった人たちが是認される仕組みの社会だから、パワハラなどのハラスメントが多発するのではないだろうか。

それは強さとはどういうものかという問いへの勘違いからきている。というか、あまりにも当たり前だから前提を疑う空隙すらなく勘違いしている。なぜって、いじめる側から大人になっていった人たちに重心が置かれた社会だから。

いじめる側のほうがマイノリティになってしまう社会のほうがまだ本当じゃないかな(とはいえ、そういう真っ当な社会ならば、時間と労力をかけていじめた側をケアして、マジョリティに復帰させるでしょう)。重心が違うんです。あべこべのようだけど、現状こそがあべこべ。ゆえに苦しむ人が多いのでは?

以前読んだ本(岩波ジュニア新書だったと思います)に、北欧の国々などでは、いじめられた側よりもいじめた側の心に問題があると判断してケアするとありました。社会を作っていくのは、人をいじめるくらいの腕っぷしの強い(そしてアクの強い)人たちじゃないといけない、みたいな精神的マッチョを基盤とするのが常識のようになって強い風潮を作り出していたりしませんか。

そうやって出来上がった社会は、言うまでもなく、人にやさしくはならないです。他者をいじめてもケアされることのなかったために、自身に大きな問題を抱えたままでいて、しかしながら自分では解決できず、そのまま生活し続けてそのために他者によくない影響を与えてしまう人たちが、おそらくマジョリティなんだと思います。

それなりに多くの人々が、社会の足元の「前提」に対してまず疑問を持って、本当だったならそうじゃないはずという自覚ができると、生きづらさは少しずつ緩まると思います。

政治の出番はそれからな気もするんですが、どうでしょうか?
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