Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『鉄壁の青空』(自作小説)

2023-02-25 00:02:46 | 自作小説17
 逆さの青い空は、逆さの青い空なのに、青い空のままなにも変なところがなくて、どう受け取ってみようとしてもまるで面白味がなかった。ぽつらぽつら、浮かぶ雲にだって、さして変哲というものが感じられないから、やっぱり面白くない。

 青い空と白い雲の群れにしてみれば、「だからなんなの」。空は、私がおかしいだけの話だ、と言わんばかりで、あるまじきほどの揺るぎなさだ。そうか、私がおかしいか。
 私は逆さの窓から外を眺めていた。床にあおむけになり顎を上げ、のけぞる様にして、頭側にある窓から空を覗いていたのだ。

 私は空に呆れた。あまりに無敵なんだもの。「どんな方向からのいかなる攻撃であっても私ども空には、1ミリの効果だってありません」。でも、雲くらいなら蹴散らせるな、と思う。「雲を蹴散らしたところで、私ども空にとってはなんの関係もないのですよ」。鉄壁だね、と続けて思う。

 あー、しんどかった。頭の皮膚をずりずりと床にこすりつけてしまったし、頚椎にはありえないような負荷をかけてしまった。がくん、と頭を床と平行に戻してからすぐに腹筋に力を込めて、むくりと起き上がる。
 この部屋での最後の午後だ。私は進学のため明日の朝、この家を出る。新しく住まう札幌の部屋はもともとそれほど広くはないのに、たくさんの本を送り込んでしまい、より手狭な空間と化している。そういうわけで、新しい部屋は住みはじめの前から雑然としてしまったのだけれど、好きなようにさせてくれた両親の気持ちはありがたかった。

 私は、もしも逆さに青空を眺めてみたとしたら、この部屋とこの家とこの土地に積もった、数多くの過去というものに、改行を挟むことができるような何かを体験できるのではないか、とふと思いついたのでした。生まれてこのかた十八年で初めての試み。今まで頭の中をよぎったことすらない試みです。

 さっき、改行、と言ったけれど、それは生まれ育ったこの土地での今までの生活に、ピリオドを打ってしまう、と言ったのではちょっと違うなと思ったから。だから、改行と言ったのです。ピリオドってほど、私は終わらせていない。家族との関係は続くし、今までの友人たちともきっとまた会う。先生だって校舎だって、ご近所さんたちだって公園だって、次にお会いしたり足を踏み入れたりするとき、第二章だとか第二巻だとかっていう感覚ではないから。せいぜい、次の段落だ。逆に、そうしておいて欲しい。すぐ隣の行であって欲しいのです。わずかに視線を動かすだけで振り返れる間近さであって欲しいのです。

 終わらせていないのは、終わらせたくなかったから。

 でもそんな生ちょろい改行案は、果たしてこの青空がうまく遂行させてくれなかった。青空は、フン、と鼻を鳴らすように、いや、鼻を鳴らすほどすらもこちらを歯牙にもかけていなかった。
 超然。私は私の存在の小ささというよりも、青空の湛える遥かかなたまで続いている尊大さに、ぺっと唾を吐きかけてやりたくなった。だって面白くないのだもの。でもそれって、まさしく天に唾する行為。見事ね、空は。やっぱり無敵で鉄壁なのよね。

 空ってすごいなあ。あらためてその広大なさまにため息をついてしまう。天空の透明な要塞だ。逆さまに見越してやってもびくともしなかったし。

 君たちはオーロラを見せるそうだね。「そうさ。幻想的だと君たちは言いますね。電子なんかの粒子と空気の粒子とのちょっとした反応に過ぎないのですけれど」。おやおや、現実的な性格なのかしら、空って。わたしは次に、いじわるを思いついた。

 オゾンホールって君たちにとっての傷口なんじゃない? あらまあ、無敵じゃなかったんだね。「勘違いしてもらっては困りますね。空は、青かろうが赤かろうが空であって、大気中の成分が変わろうが空であって、オゾンに穴が開こうが、空いた場所も空なのですよ。空って、あの位置にある空間の便宜的な名前なのです」。顎をしゃくるかのような堂々とした言い分だ。辟易としたのだけれど、ちょっと待て、引っかかるものがある。

 今、空間って言ったよね。空間の便宜的な名前だって。待ってよ、それ、だっておかしくないかな。宇宙までいっちゃったら、あなたたちは空じゃないわけ? 大気の成分がない空間は空じゃないわけ? 「………………」

 私わかっちゃった。空ってひとつの概念。たとえば月に、空はないんじゃないかな。
 
まだ夕暮れにもなっていない真っ青な空が、私の頭の思考の中で逆さまになった。視覚的には逆さまであったときも鉄壁だったのに、思念の中ではもう形無し。

 空。あなたたちはほとんどイメージなのですね。

 そうして私は窓を開け放ち、逆さまにならずに空を見上げた。私は奇跡的に改行を果たせたのだと思う。気分の上ではとてもすっきりしていた。私の新生活を、今までとは少しだけ違った見え方のする青空が、両手を広げて迎え入れてくれた。

(了)
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