読書。
『あこがれ』 川上未映子
を読んだ。
「あこがれ」が小さな冒険につながっていくふたつのお話。第一章は小学四年生の麦くんのお話で、第二章は六年生になった麦くんの親友の女の子、ヘガティーが主人公のお話です。
このさき、ネタバレありです。というより、今回はネタバレばかりです。読んだことのない方には「てんでなんのことやら」かもしれませんが、あしからず。
海外文学ぽい感じを試したのかなあと最初は思った第一章。ストーリーからの感想などの、本来メインともいうべき感想からは離れたようなことを言うことになります。
主人公・麦彦のおばあちゃんの人となりが感じられるところがよかったです。人間の老化は避けられません。でも、まだ十分に動けていた過去というものは消えることはなく、たとえば主人公の少年の記憶の中には、おばあちゃんがしっかり歩いていたり話していたりしたときの様子が残っている。老いて介護が必要になったおばあちゃんが今のおばあちゃんなのだから、そのおばあちゃんという人間は老いて動けなくなった人だというふうに理解され、接せられようになっている。でも、そこばかり見ていると、なんら無味乾燥な見方しかしていなくて、実はなにもわかっていないと言えるものだったりもする。その人が生きてきた経過、内容、過程。音楽だって、最後の10秒だけ聞いてもわからないのといっしょで、人間だって、たとえば最後の1年だけ見ていてもその人という存在はわからないのだと思う。本書でおばあちゃんについて書かれているところは短いです。それなのに、しっかり「人」を理解するためにとらえておくポイントがわかって書かれているから、おばあちゃんが出てくると、なんだか胸が温かくなるのだと思う。
これは、主人公があこがれる若い女性・ミス・アイスサンドイッチが最後に主人公と喋るところもそう。そこでミス・アイスサンドイッチにやっと平熱とでもいえる温度が宿って、それまでの距離感からくる「他人的な理解」から、しっかりその人の人生を肯定した「隣人的な理解」へと印象が変わり、そのうえで人物が描かれているように感じられた。ミス・アイスサンドイッチにもまぎれもなく血が通っていて、考えて感じてその都度選択をして生きていて、自分の人生を歩いているさまがある。おばあちゃんと同じようにミス・アイスサンドイッチも、短い会話シーンだけでもう立体的かつ愛すべき人間として描かれていて、それは作者の優れた筆力のほかに人間観から大きくきているだろうことなので、そういった豊かさのこもっているところがいいなあ、と僕は思いました。
海外文学的な乾いた文体で表面的に文章が流れていく感覚が強めのスタイルに挑戦しての本作なのではと思えたのだけれど、おばあちゃんとミス・アイスサンドイッチ、この二人に人間の良心が反応するものが息づいていて、それは本作では子ども視点で書かれているものゆえに、ちらりといった程度でのそういった人間性の登場になったのでしょうが(なぜかというと、大人が大人になっていく過程や大人として生きていくなかで培われるものだろうからです)、作者の才能の本流はその、ちらりのほうだよな、と僕には感じられました。
第二章。
四年生から六年生になり、そして男子から女子へ主人公も変わって、言葉で世界をとらえる解像度が上がっているし、考えることの深みも増しています。ひょんなところから、主人公・ヘガティーに異母姉がいることがわかり、ヘガティーの心理が変わっていく。お父さんに対する心理についてはもうそうですが、そのお姉さんの姿を一目ながめてみたい、と思うようになる。そして、会うことが出来て、姉の家に招かれたところの様子からがとくに引きこまれました。姉は、自分の実父のことなんかどうでもよいと考えているし、妹がいることにも何とも思わないと率直に述べるのですが、この姉とその母に対するヘガティーとの距離感、場違いな感じにはたまらないものがあります。他人同士の気づかいよりも近く、そして肉親の距離感にしては嫌悪感みたいなものがある息苦しい空気が醸し出されます。こういう居づらい感じってときにあるよなあ、と僕も思い出しながら読んでいました。そして、この家を出てからが圧巻のスピーディーな流れに巻き込まれることになります。剥き出しの自分のままぶつかっていくように生きているところの描写、といえばいいでしょうか。著者はそういった生々しく激しいところを活写する力が相当ある方だと思います。そして、そういった力で畳みかけられて、圧倒されるようになって、書かれている言葉を、がぶがぶあっぷあっぷと飲み干すような読書体験になるのでした。この最後の数十ページで、『あこがれ』という作品の高みがぐっと持ち上がった感じがします。
というような、「作品紹介」ではなく、「個人的雑感」といったレビューになりました。執筆終わりでへろへろになっているときはこんなものでしょう……。とはいっても、今回三作品目となった川上未映子さん。もうこの方は、作家としての力はすごいものだ、手に取るときに躊躇することはないぞ、という思いが確たるものとなりました。相性もあるのでしょうが、そういった作品に出合えたこと、この世界に存在することを知り得たことは、自分にとってものすごく幸せなことなんじゃないだろうか、というような、ちょっと噛みしめるような喜びがあるのでした。
『あこがれ』 川上未映子
を読んだ。
「あこがれ」が小さな冒険につながっていくふたつのお話。第一章は小学四年生の麦くんのお話で、第二章は六年生になった麦くんの親友の女の子、ヘガティーが主人公のお話です。
このさき、ネタバレありです。というより、今回はネタバレばかりです。読んだことのない方には「てんでなんのことやら」かもしれませんが、あしからず。
海外文学ぽい感じを試したのかなあと最初は思った第一章。ストーリーからの感想などの、本来メインともいうべき感想からは離れたようなことを言うことになります。
主人公・麦彦のおばあちゃんの人となりが感じられるところがよかったです。人間の老化は避けられません。でも、まだ十分に動けていた過去というものは消えることはなく、たとえば主人公の少年の記憶の中には、おばあちゃんがしっかり歩いていたり話していたりしたときの様子が残っている。老いて介護が必要になったおばあちゃんが今のおばあちゃんなのだから、そのおばあちゃんという人間は老いて動けなくなった人だというふうに理解され、接せられようになっている。でも、そこばかり見ていると、なんら無味乾燥な見方しかしていなくて、実はなにもわかっていないと言えるものだったりもする。その人が生きてきた経過、内容、過程。音楽だって、最後の10秒だけ聞いてもわからないのといっしょで、人間だって、たとえば最後の1年だけ見ていてもその人という存在はわからないのだと思う。本書でおばあちゃんについて書かれているところは短いです。それなのに、しっかり「人」を理解するためにとらえておくポイントがわかって書かれているから、おばあちゃんが出てくると、なんだか胸が温かくなるのだと思う。
これは、主人公があこがれる若い女性・ミス・アイスサンドイッチが最後に主人公と喋るところもそう。そこでミス・アイスサンドイッチにやっと平熱とでもいえる温度が宿って、それまでの距離感からくる「他人的な理解」から、しっかりその人の人生を肯定した「隣人的な理解」へと印象が変わり、そのうえで人物が描かれているように感じられた。ミス・アイスサンドイッチにもまぎれもなく血が通っていて、考えて感じてその都度選択をして生きていて、自分の人生を歩いているさまがある。おばあちゃんと同じようにミス・アイスサンドイッチも、短い会話シーンだけでもう立体的かつ愛すべき人間として描かれていて、それは作者の優れた筆力のほかに人間観から大きくきているだろうことなので、そういった豊かさのこもっているところがいいなあ、と僕は思いました。
海外文学的な乾いた文体で表面的に文章が流れていく感覚が強めのスタイルに挑戦しての本作なのではと思えたのだけれど、おばあちゃんとミス・アイスサンドイッチ、この二人に人間の良心が反応するものが息づいていて、それは本作では子ども視点で書かれているものゆえに、ちらりといった程度でのそういった人間性の登場になったのでしょうが(なぜかというと、大人が大人になっていく過程や大人として生きていくなかで培われるものだろうからです)、作者の才能の本流はその、ちらりのほうだよな、と僕には感じられました。
第二章。
四年生から六年生になり、そして男子から女子へ主人公も変わって、言葉で世界をとらえる解像度が上がっているし、考えることの深みも増しています。ひょんなところから、主人公・ヘガティーに異母姉がいることがわかり、ヘガティーの心理が変わっていく。お父さんに対する心理についてはもうそうですが、そのお姉さんの姿を一目ながめてみたい、と思うようになる。そして、会うことが出来て、姉の家に招かれたところの様子からがとくに引きこまれました。姉は、自分の実父のことなんかどうでもよいと考えているし、妹がいることにも何とも思わないと率直に述べるのですが、この姉とその母に対するヘガティーとの距離感、場違いな感じにはたまらないものがあります。他人同士の気づかいよりも近く、そして肉親の距離感にしては嫌悪感みたいなものがある息苦しい空気が醸し出されます。こういう居づらい感じってときにあるよなあ、と僕も思い出しながら読んでいました。そして、この家を出てからが圧巻のスピーディーな流れに巻き込まれることになります。剥き出しの自分のままぶつかっていくように生きているところの描写、といえばいいでしょうか。著者はそういった生々しく激しいところを活写する力が相当ある方だと思います。そして、そういった力で畳みかけられて、圧倒されるようになって、書かれている言葉を、がぶがぶあっぷあっぷと飲み干すような読書体験になるのでした。この最後の数十ページで、『あこがれ』という作品の高みがぐっと持ち上がった感じがします。
というような、「作品紹介」ではなく、「個人的雑感」といったレビューになりました。執筆終わりでへろへろになっているときはこんなものでしょう……。とはいっても、今回三作品目となった川上未映子さん。もうこの方は、作家としての力はすごいものだ、手に取るときに躊躇することはないぞ、という思いが確たるものとなりました。相性もあるのでしょうが、そういった作品に出合えたこと、この世界に存在することを知り得たことは、自分にとってものすごく幸せなことなんじゃないだろうか、というような、ちょっと噛みしめるような喜びがあるのでした。
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