読書。
『クローズアップ恋愛』 大坊郁夫・谷口泰富 編
を読んだ。
日本応用心理学会の企画だそうで、
この『恋愛』編のほかにも6種類の心理学シリーズ本があります。
ちなみに、
第三章のトピックを担当した山口司君はぼくの昔のバイト仲間で、
今でもたまにメールを交換しあったりする間柄です。
恋愛のはじまりから結婚、そして離婚に至るまでのさまざまなトピックで、
ひとの心理の有り様が語られています。
そして、大きなテーマとして「幸福」とはなんだろう、
という疑問について考えて、終わっていく形になっています。
さまざまなトピックに中から頭に残ったところを。
たとえば、
「話しながら相手に視線を向けるというのは、
自分の発言についての反応をすぐに確認しようとしていて、
性急で監視的意味合いがあり相手を統制しようとする意味が強い行動である」
みたいなんだけれど、
そこには相手への不信があるんだということでした。
そしてそれはコミュニケーション意図の受信を不確かにする、と。
つまり、話しながら相手に視線を投げかけている態度って
相手を支配しようとする動機が強いと考えられるそうだ。
・・・でも、相手の目を見て話せっていうひともいますしねえ。
さらに言えば、対談番組では、相手を見ながらしゃべっている姿が普通でもある。
昔ニュース番組かなにかでインタビューされたときに、
テレビカメラが気になってしょうがなかったし、
インタビュアーを見ながらしゃべらないと絵にならないな、なんて考えて、
きょろきょろしながらもインタビュアーを見ながら話をしたのだけれど、
普段の自分に比べると不自然で、まったくもってしっくりこなかった。
話を聞きながら相手に視線を送るのは、
相手にそして話に興味がありますよという印らしい。
スムースで肩の凝らない話の仕方だと、
話者のほうは絵にならないものなのかなあ。
・・・とか、ずれたことを考えているかな。
上司に話をする(意見を述べる)場合だとか、
その上司に視線を投げかけまくると思う。
そこには、自分の意見を通そうとする、
支配的で統制的な意味合いはやはりありますかね。
自分の思うようにしようとするから。
意見の中身で100%勝負じゃないんだよねえ。
仕事を家庭に持ち込むな、というのには、
仕事上では無意識に支配的だったり
相手を統制しようとする意図だとかが行為に混じり込んでいて、
そこには人への不信が基盤にあるコミュニケーションの仕方なのだからやめとけ、
ということにあるのかもしれない。
話の仕方ひとつでこういうことも考えられる。
意見の中身100%で勝負ではなくて、
相手の表情などを窺いつつニュアンスを変えたり説得の仕方を変えたりする。
そういうのはまあ面白いけれど、統制的意味合いがあるよ、と知ると、
家庭だとか恋人相手に多用すべきじゃないんだろうなあ
という気持ちになります。
難しいなあ、不信ってものが根底にあるってことは。
産官学などの連携や協働を考えても、
そこの根本には信頼が必要だとされる。
コミュニケーションの仕方を変えられるのならば、
きっとそのあたりも変わってくるでしょうね。
だけれど、このあたりの方面の知識を共有していないと変えられないかなあ。
また、違う話題ですとこういうのがあります。
恋愛は「女性は上書き保存、男性は名前を付けて保存」というのを聞いたとき、
ぼくなんかはそうだなあと思ったんだけれど、
これは科学的にはまったくウソらしい。
データを集めたりして研究してもそんな答えはでないんだと。
逆に、そういう思い込みは害悪だ、差別や偏見を生むのだ、
この本で非難されていた。
そして、ポップサイコロジーというものが恣意的すぎるものとして
学問的ではないと批判されています。
都合のいいデータを持ってきて、
ひとを惹きつけるようなトピックを作り上げている、と。
心理学はもっと難しいものだし、
難しいものとして解説したまともな本を読もうぜ、
という主旨になっていました。なるほろ。
またまた、こういう話もありました。
人と人の関係には、いわゆるギブアンドテイクの「交換的関係」と、
見返りを気にしない「共同的関係」がある。
「交換的関係」では利得やコストに目が行き勝ちだけれど、
「共同的関係」ではそれを強く意識することはないそうです。
恋愛が苦手だったり回避していたりするひとは前者の考え方が強いそうだ。
以上、まったくもって本書のごく一部の感想や紹介なのです。
現実にフィードバックを返していこうとする、
机上の論理で終わらせない種類の社会心理学の本でしょうか。
恋愛の進み具合をチャート化して、
客観的に見て把握しようと試みるチャプターもあります
(ここが前述の、ぼくの友人が執筆したところです)。
興味のある方はぜひに。
『クローズアップ恋愛』 大坊郁夫・谷口泰富 編
を読んだ。
日本応用心理学会の企画だそうで、
この『恋愛』編のほかにも6種類の心理学シリーズ本があります。
ちなみに、
第三章のトピックを担当した山口司君はぼくの昔のバイト仲間で、
今でもたまにメールを交換しあったりする間柄です。
恋愛のはじまりから結婚、そして離婚に至るまでのさまざまなトピックで、
ひとの心理の有り様が語られています。
そして、大きなテーマとして「幸福」とはなんだろう、
という疑問について考えて、終わっていく形になっています。
さまざまなトピックに中から頭に残ったところを。
たとえば、
「話しながら相手に視線を向けるというのは、
自分の発言についての反応をすぐに確認しようとしていて、
性急で監視的意味合いがあり相手を統制しようとする意味が強い行動である」
みたいなんだけれど、
そこには相手への不信があるんだということでした。
そしてそれはコミュニケーション意図の受信を不確かにする、と。
つまり、話しながら相手に視線を投げかけている態度って
相手を支配しようとする動機が強いと考えられるそうだ。
・・・でも、相手の目を見て話せっていうひともいますしねえ。
さらに言えば、対談番組では、相手を見ながらしゃべっている姿が普通でもある。
昔ニュース番組かなにかでインタビューされたときに、
テレビカメラが気になってしょうがなかったし、
インタビュアーを見ながらしゃべらないと絵にならないな、なんて考えて、
きょろきょろしながらもインタビュアーを見ながら話をしたのだけれど、
普段の自分に比べると不自然で、まったくもってしっくりこなかった。
話を聞きながら相手に視線を送るのは、
相手にそして話に興味がありますよという印らしい。
スムースで肩の凝らない話の仕方だと、
話者のほうは絵にならないものなのかなあ。
・・・とか、ずれたことを考えているかな。
上司に話をする(意見を述べる)場合だとか、
その上司に視線を投げかけまくると思う。
そこには、自分の意見を通そうとする、
支配的で統制的な意味合いはやはりありますかね。
自分の思うようにしようとするから。
意見の中身で100%勝負じゃないんだよねえ。
仕事を家庭に持ち込むな、というのには、
仕事上では無意識に支配的だったり
相手を統制しようとする意図だとかが行為に混じり込んでいて、
そこには人への不信が基盤にあるコミュニケーションの仕方なのだからやめとけ、
ということにあるのかもしれない。
話の仕方ひとつでこういうことも考えられる。
意見の中身100%で勝負ではなくて、
相手の表情などを窺いつつニュアンスを変えたり説得の仕方を変えたりする。
そういうのはまあ面白いけれど、統制的意味合いがあるよ、と知ると、
家庭だとか恋人相手に多用すべきじゃないんだろうなあ
という気持ちになります。
難しいなあ、不信ってものが根底にあるってことは。
産官学などの連携や協働を考えても、
そこの根本には信頼が必要だとされる。
コミュニケーションの仕方を変えられるのならば、
きっとそのあたりも変わってくるでしょうね。
だけれど、このあたりの方面の知識を共有していないと変えられないかなあ。
また、違う話題ですとこういうのがあります。
恋愛は「女性は上書き保存、男性は名前を付けて保存」というのを聞いたとき、
ぼくなんかはそうだなあと思ったんだけれど、
これは科学的にはまったくウソらしい。
データを集めたりして研究してもそんな答えはでないんだと。
逆に、そういう思い込みは害悪だ、差別や偏見を生むのだ、
この本で非難されていた。
そして、ポップサイコロジーというものが恣意的すぎるものとして
学問的ではないと批判されています。
都合のいいデータを持ってきて、
ひとを惹きつけるようなトピックを作り上げている、と。
心理学はもっと難しいものだし、
難しいものとして解説したまともな本を読もうぜ、
という主旨になっていました。なるほろ。
またまた、こういう話もありました。
人と人の関係には、いわゆるギブアンドテイクの「交換的関係」と、
見返りを気にしない「共同的関係」がある。
「交換的関係」では利得やコストに目が行き勝ちだけれど、
「共同的関係」ではそれを強く意識することはないそうです。
恋愛が苦手だったり回避していたりするひとは前者の考え方が強いそうだ。
以上、まったくもって本書のごく一部の感想や紹介なのです。
現実にフィードバックを返していこうとする、
机上の論理で終わらせない種類の社会心理学の本でしょうか。
恋愛の進み具合をチャート化して、
客観的に見て把握しようと試みるチャプターもあります
(ここが前述の、ぼくの友人が執筆したところです)。
興味のある方はぜひに。
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