読書。
『縮小都市の挑戦』 矢作弘
を読んだ。
人口流動や高齢化によって、
地方の各都市で人口の減少や高齢化率の上昇による
限界都市化の兆候が見られている。
限界都市とは、
限界集落と呼ばれる、高齢化率50%を目安とし、
その数値まで達した集落、街に対する
本書での呼び名です。
ちなみに、限界集落化すると、
その土地だけでの経済は循環しなくなり、
発展は望めなくなると言われていて、
冠婚葬祭などの住民同士のくらしの支え合いも
維持するのが難しくなるとされます。
そんな、縮退していく地方都市のこれからを
どう築いていけばいいのかを探る本です。
本書では、180億ドル以上の破たん額をだして
財政破たんしたアメリカの都市デトロイトや、
自動車メーカー・フィアットの居城として一時時代を築きながらも、
モータリゼーションの波が去ったあとに衰え、
最近になって方向転換が功を奏したイタリアの都市トリノを
くわしく見ていくことで、
縮退していく都市のあり方からサステナビリティまでの
ヒントを得ていく内容になっています。
最終章では、日本の地方都市の様子をちらっと扱っています。
まず、
昨今、その政策名が巷間に知られるようになった
コンパクトシティというものと、
本書がかかげる縮小都市というものの違いについて。
コンパクトシティは、人口が減り都市の各地に点々とした居住区を、
鉄道の沿線などの中心地に集めて、
「街」の部分をコンパクトにすることで、
交通弱者や買い物難民を無くし、
公共交通のコストを減らしていくことを主軸とした政策です。
そこには、理念からスタートして、現実をみていくという順番があるそうです。
それに対して縮小都市は、まず現実をみて、
社会学的、自然科学的に分析して、そのなかで長所を探りながら、
その縮小都市ならではの良さを売りものにして発展しようとする。
小さなことの素晴らしさを強調しようとすらします。
両政策とも、居住区やビジネス区域の集積が大事だとしながらも、
著者が言うには、コンパクトシティは対症療法的であり、
縮小都市の考えのほうが、よりダイナミックでドラスティックであるようです。
そうは言うものの、ぼくの住む街のコンパクトシティ論を鑑みれば、
ここで言われる縮小都市の考え方も内包しているように思えます。
水と油のような違いではなく、両者に親和性のある考え方のように、
ぼくは受け取りながら読みました。
なぜ、居住区やビジネス区域を集積したほうがいいのか。
そこには、先ほど書いたように、
限界都市化して住民同士の支え合いが難しくなることを
補助する意味合いもあるでしょう。
でも、もっと大きな意味があるようです。
アレグザンダーというひとが、
真の多様性と選択性は、活動が集中し、
集約される場所に発生する、としているそうです。
さらに、「都市の魔力(人々を呼び寄せ、魅了するパワー)」は、
諸所の都市機能(飲食店、劇場、見世物、カフェ、文化施設、大学…)が
集積したところに生まれ育つ、と述べているそう。
それが確かならば、コンパクトシティにしても、
縮小都市にしても、集積する、という意味は
とても大きいことになります。
そして、重要なキーワードは「協働・連携」でした。
トリノみたいに「官」主導の協働もあれば、
デトロイトみたいな「民」しか頼りにならないような形での協働によっての
都市再興もあるわけで。
それで、ちょっと調べると協働といえばNPOというふうに出てくる。
いやいや、産官学での協働みたいなダイナミックスさこそ
望まれるものなのではないかとぼくなんかは思うわけですが。
さらに、協働・連携の基盤になるのは信頼だと書いてあり、そうだなと思った。
では、信頼とはどういうもので、どう築くものなのかと考えていくには
社会心理学が役立ちますよね。
ちゃんとしたルールの中で生活することが大事ですが、
正直に生きていくことがまず求められる。
でもって、正直は損をするものじゃない。
正直者のほうがだまされにくいという実験結果もあるそうです。
ほぼ日の、社会心理学者・山岸俊男さんと糸井さんの対談を再読してみれば、
信頼は「互いの関係を強くすること」だけではなく、
「関係を広げていく」ものでもあるんだとあります。
協働・連携で、今後縮小していかざるを得ない街を盛りたてていくには、
信頼が必要で、信頼が築かれたならば
それは「関係を広げていく」ものとして
協働の輪が広がっていくことを意味していくと思います。
産官学の協働が、閉じたものではなくかつ信頼に基づいたものであれば、
その効果は大きくなりそうだし、
その効果を得たいのならば、
役所仕事の前提となっている前例主義からは足を洗わないといけないだろうなあ、
と思うわけです。
長くなりました。
これから縮退していく街が持続していくにはどうするかを探るには
うってつけの本のひとつでした。
ですが、引用文やデータの出どころが古かったり新しいとは言えないものが目立ちました。
しかし、それはそれで、本質を突いたものばかりを集めているとも考えられるのでしょう。
これからの街おこしを考えるひとたちは、きっと読んで損はないです。
『縮小都市の挑戦』 矢作弘
を読んだ。
人口流動や高齢化によって、
地方の各都市で人口の減少や高齢化率の上昇による
限界都市化の兆候が見られている。
限界都市とは、
限界集落と呼ばれる、高齢化率50%を目安とし、
その数値まで達した集落、街に対する
本書での呼び名です。
ちなみに、限界集落化すると、
その土地だけでの経済は循環しなくなり、
発展は望めなくなると言われていて、
冠婚葬祭などの住民同士のくらしの支え合いも
維持するのが難しくなるとされます。
そんな、縮退していく地方都市のこれからを
どう築いていけばいいのかを探る本です。
本書では、180億ドル以上の破たん額をだして
財政破たんしたアメリカの都市デトロイトや、
自動車メーカー・フィアットの居城として一時時代を築きながらも、
モータリゼーションの波が去ったあとに衰え、
最近になって方向転換が功を奏したイタリアの都市トリノを
くわしく見ていくことで、
縮退していく都市のあり方からサステナビリティまでの
ヒントを得ていく内容になっています。
最終章では、日本の地方都市の様子をちらっと扱っています。
まず、
昨今、その政策名が巷間に知られるようになった
コンパクトシティというものと、
本書がかかげる縮小都市というものの違いについて。
コンパクトシティは、人口が減り都市の各地に点々とした居住区を、
鉄道の沿線などの中心地に集めて、
「街」の部分をコンパクトにすることで、
交通弱者や買い物難民を無くし、
公共交通のコストを減らしていくことを主軸とした政策です。
そこには、理念からスタートして、現実をみていくという順番があるそうです。
それに対して縮小都市は、まず現実をみて、
社会学的、自然科学的に分析して、そのなかで長所を探りながら、
その縮小都市ならではの良さを売りものにして発展しようとする。
小さなことの素晴らしさを強調しようとすらします。
両政策とも、居住区やビジネス区域の集積が大事だとしながらも、
著者が言うには、コンパクトシティは対症療法的であり、
縮小都市の考えのほうが、よりダイナミックでドラスティックであるようです。
そうは言うものの、ぼくの住む街のコンパクトシティ論を鑑みれば、
ここで言われる縮小都市の考え方も内包しているように思えます。
水と油のような違いではなく、両者に親和性のある考え方のように、
ぼくは受け取りながら読みました。
なぜ、居住区やビジネス区域を集積したほうがいいのか。
そこには、先ほど書いたように、
限界都市化して住民同士の支え合いが難しくなることを
補助する意味合いもあるでしょう。
でも、もっと大きな意味があるようです。
アレグザンダーというひとが、
真の多様性と選択性は、活動が集中し、
集約される場所に発生する、としているそうです。
さらに、「都市の魔力(人々を呼び寄せ、魅了するパワー)」は、
諸所の都市機能(飲食店、劇場、見世物、カフェ、文化施設、大学…)が
集積したところに生まれ育つ、と述べているそう。
それが確かならば、コンパクトシティにしても、
縮小都市にしても、集積する、という意味は
とても大きいことになります。
そして、重要なキーワードは「協働・連携」でした。
トリノみたいに「官」主導の協働もあれば、
デトロイトみたいな「民」しか頼りにならないような形での協働によっての
都市再興もあるわけで。
それで、ちょっと調べると協働といえばNPOというふうに出てくる。
いやいや、産官学での協働みたいなダイナミックスさこそ
望まれるものなのではないかとぼくなんかは思うわけですが。
さらに、協働・連携の基盤になるのは信頼だと書いてあり、そうだなと思った。
では、信頼とはどういうもので、どう築くものなのかと考えていくには
社会心理学が役立ちますよね。
ちゃんとしたルールの中で生活することが大事ですが、
正直に生きていくことがまず求められる。
でもって、正直は損をするものじゃない。
正直者のほうがだまされにくいという実験結果もあるそうです。
ほぼ日の、社会心理学者・山岸俊男さんと糸井さんの対談を再読してみれば、
信頼は「互いの関係を強くすること」だけではなく、
「関係を広げていく」ものでもあるんだとあります。
協働・連携で、今後縮小していかざるを得ない街を盛りたてていくには、
信頼が必要で、信頼が築かれたならば
それは「関係を広げていく」ものとして
協働の輪が広がっていくことを意味していくと思います。
産官学の協働が、閉じたものではなくかつ信頼に基づいたものであれば、
その効果は大きくなりそうだし、
その効果を得たいのならば、
役所仕事の前提となっている前例主義からは足を洗わないといけないだろうなあ、
と思うわけです。
長くなりました。
これから縮退していく街が持続していくにはどうするかを探るには
うってつけの本のひとつでした。
ですが、引用文やデータの出どころが古かったり新しいとは言えないものが目立ちました。
しかし、それはそれで、本質を突いたものばかりを集めているとも考えられるのでしょう。
これからの街おこしを考えるひとたちは、きっと読んで損はないです。
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