massy-academy

advice for consumer

<Font size=2><Letter to Hiroto,M>  ‘07-12-25</Font>

2007-12-25 11:10:26 | Massy's Opinion
(自動車ディーラー経営者を目指す...)
☆寛人君、有貴子さん、彩貴ちゃんクリスマスカード 有難う。
早いものでもう2年留学の最終コーナーですね。シアトルは寒いでしょう。本当にいつもブログやメールで様子が解っているので良く勉強していることも解りますし、非常に有効に留学のスケジュールをこなして、君自身が成長していることが良く解ります。特に、MIXIに書いている台湾訪問やアメリカ一周随分思い切った、大胆な行動でしたね。

☆最後の日記にある旅行の概要を「数字を使っている」のが、とても解りやすく参考に成ったと同時に、「君の予算を立てる」=「Planを組むこと」が身に付いたなァ、と感じました。(人を動かす基本は数字の表現が大事)ディーラーのインターシップ経験本当に良かったですね。しかも、二つのやり方の違うお店を経験出来たのは本当に良かったと思います。「東日」の経験だけでは解らない「経営トップの考え方」の大事さを解ったと思います。僕も「どの遣り方」がいいのか解りません。しかし、僕の考えは、君の東日時代に読んで貰った「21世紀のディーラー像」の中に書いてありますが、「社長がフロントに立つ主義」です。もう一度、読み直して、思い出して見るのも良いでしょう。何かヒントがあると思います。

☆日本に帰国すれば、厳しい現実が待っています。そして、家業はズーット続きます。正に「商いは飽きない」です。これから、残された3月まで、こんな事も少し考えながら、次の方向に気分を変えるのも必要かなァと思います。

☆色んな出会いが有り、Meguがお世話に成ったり感謝しています。Y,T君の結婚式(yangon)には行けませんでしたが、来年のMegu のレースにはカナダへ行けたらなァ(行ったこと無いので)と思っています。
如何か良いお年と3月まで有貴ちゃん、彩貴ちゃん、皆さんお元気で頑張って下さい。

P,S 今年の日本は酷い一年でした。自動車、特に「中古車の流通が少しでも円滑に成れば...」と思い、このブログを始めましたが、中古車どころか全ての業界で「不当表示」が問題に成りました。色々考えると結局はそれぞれの組織のトップの「倫理観」、「先祖を敬い、人を愛する」に尽きるようです。






<Font size=2><Looking back 2007 & Looking ahead 2008>    ‘07-12-18</Font>

2007-12-18 11:25:30 | Megu's Sports
Megu's Now !

この1-2週間程、San Francisco Bay Areaはかなり寒い。とは、いってもほとんどのところは、このエリアよりは寒いのだが...毎年この時期になると、“去年は、どうやって冬のトレーニングしてたんだろう”と思うのである。文句をいっているうちに、春になりレースのシーズンが始まるのだ。

2007年...あと、2週間程残っているが今年は、波のない平穏な年だったようである。No change can be a good thing…今年のHigh Lightは...

?親父と母ちゃんが、ホノルルまでレースを見に来た事。彼らが私のトライアスロンを見たのは始めてである。いつものことで、親父は、何回かたわいのないことで私のことを、おこらせたが、相対的には良い旅だった。14年ぶりのホノルル。
ホノルル市内は車が増えて渋滞が悪化していて、建物が古くなっているのか、14年前に初めて行った時のように、“きれいだな~”と言う印象があまりなかった。でも、やっぱりハワイはハワイ。気候と自然の良さは変わらない。


?2008 ITU Short Course Age-Group World Championshipへの出場資格獲得!!来年は、バンクーバーということもあって(今年のドイツに比べるとかなり近い)、どうしても行きたかったので、全米選手権で出場権逃したかも...ということで、シアトルまで出場権を確保しにレースをしにいった。今年は、色々なことろに遠征したな...Oceanside (California), Honolulu (Hawaii), Portland (Oregon), and Seattle (Washinton).

?仕事...あんまり“ぱっ”としない。が、“仕事の継続“という今年の抱負は達成でき、安定しているのでクライアントには感謝。パーソナルトレーナーとして、成長した? たぶんね。テクニカルな面より、Customer Service や Communicationの取り方と言う面では、日常から学ぶ事が多い。

それでは、2008年の抱負...色々頭の中には、考えさせられる事はあるのだがあえて、ここでは言わないでおこう。
It is complicated.

?Green Card… もうすぐのはず。
?Career…目標を持つ事。構想から実行へ。
?Balance in life...




<Font size=2><Diary 13-2 > ‘07-12-11</Font>

2007-12-11 11:23:22 | Massy's Opinion
☆12/8 読後感 
1,「そして、風が走り抜けて行った」
“天才ジャズピアニスト 守安祥太郎の生涯”植田 紗加栄著 講談社 ‘97-5-26

Many Thanks to Toshisan!
 (モガンボのCD楽しみにまっています)

遂に、512頁読み切りました。何せ、ベッドの中で寝る前に読むので、一日10ページ位。以前に何処かの書評で垣間見たのか、守安さんの死んだ知らせで、銀座のママが駆け出して行く場面が「妙に読んだかな...」と言う懐かしさを感じさせられた。<Letter to Katchan,Toshian & Zakkuri> ‘06-11-20のなかに僕と三保敬太郎君との付き合いを書きましたが、守安祥太郎の話は三保敬君から良く聞いていました。「年令は3~4歳の違い」と思っていましたが、随分、僕らより上ですね。昭和29年7月27日の「モガンボセッション」の頃は大學2年ですか...「すげえジャムセッションがあった」と言う話や、高校2年の頃、三保敬から「守安」と言う名を何回か聞いた記憶があります。全く、彼と幼稚舎、ヨット、武満徹、幼稚舎、アイスホッケー、武満徹と同じ様な経緯を辿っているのですね。武満徹先生は凄い人なのですね。晩年、「三保敬」のマンションを訪ねたとき、下駄箱の上に「ダンベル」が置いてありました。「あの優男が似つかわしくない...」と思いましたが、矢張り人に見えないところで「努力」していたのですね。

僕の家の横丁にはシックスジョーズのドラマー通称「サウス」事、南 広さんが居り、この一家はサウスが法政の予科、弟さんもドラマー、妹さんがクインシスターズとジャズ一家、その影響か家の近所にはJazzManが結構住んでいました。家の前は増田一朗さん(北村英治さんと長い。スイング、バイブ)で、そこへ、えミルトジャヤクソン,レイモンドコンデさん根本慶子さんも良く来ていました。特に根本慶子さんは家の犬が大好きでした。

それやこれやで、Jazz界の事は付き合いが古く、兎に角、大変な力作、懐かしく、面白く読みました。良く調べて有るし、すごい年月が掛かったと思います。

話は少し変わりますが、自由が丘にオカロラン(http://www.o-carolan.co.jp/)と言うアイリッシュパブがあり、月一早稲田のデキシーバンドのOBが出ています。「オンザロック」さんに誘われて、今年は数回行きました、そこで、「いそのてるお」さんの奥さんに会い、色んな話をしている内に、「私のパパは法政の野球部だったんですよ。私は慶応の永野さんが好きで追っかけて居ました」「如何して、黒松君じゃなかったのですか?彼は平町で地元じゃないですか?」「いや、永野さんなんです」「僕は三保敬の同級でね...いそのさんも良く知っていましたよ」「いそのが三保さんの車を買ったんですよ。それを私がぶつけてね...」「なんですか車は...MGAの赤い奴ですか?」「そうそう、オープンの赤いMGAでした」「あれは僕の親父の会社から買ったんですよ」ってな話もあり、何か時代が遡っているような雰囲気に包まれました。
若し、著者をご存知でしたらよろしく伝えて下さい。

2,「名妓の資格」細書・新柳夜咄 岩下尚史著 雄山閣 ‘07-3-5
「芸者論」岩下 尚史 雄山閣 2006年10月20日の読後感に書いた続編である。
 本の装丁が綺麗。内容は新橋、柳橋の元名妓の話を中心に274頁の及ぶ力作。
現存する名妓から聞いた話を中心に言葉使いも東京言葉。文字は当て字になるがその言い回しが僕には懐かしい。名妓の話の中には「営業の基本」の様なエッセンスが入っている。

3,「銀座十二章」池田弥三郎著 朝日新聞社 ‘96-12-15
この本はもう3回目位である。著者は慶応の文学部教授有名な銀座「天金」のご子息。
僕は学部が違うので、教わった事はない。先生は土橋の袂にあったキャバレーショーボートが好きで、大学3年の頃、遊び友達と胸を躍らせて、キャバレーに行くと女の子が「池田先生が来てるわよ」「やべー、帰ろうか...」「大丈夫、あの先生は話が解るから...今チケットを貰ってきてあげる」初めに確か10枚綴り、1000円のチケットを買って、飲物代を払う。確か、ビールが150円位かな。何しろ学生服だから先生に見つかるとまずい。「お前、お礼に言って来いよ」「俺は嫌だよ...お前行けよ」なんて言う先生だった。最近の銀座が余りにも変わりすぎるので、良く覚えて置こうと思って読み直している。薄い本なので、専ら電車の中用だが、何度読んでも昔の商人の暮らしが懐かしく面白い。

☆ 今週の更新は長くなりすぎたので、1-2に分けたが、それだけ神経を使って居たと言うこと。瞬く間に年を越しそうだ。




<Font size=2><Diary 13-1 >   ‘07-12-11</Font>

2007-12-11 10:56:02 | Massy's Opinion
☆11/22 “六球会”早慶戦 於 明治神宮球場恒例の六球会野球、神宮球場が改装に入るので、今の状態では今年が最後となる。
・第一試合M13 vsR2 ・第二試合H2 vs T1 ・第三試合K5vsW8我が慶応は投手巽 センター赤木の元プロヤクルト勢を主力にスタート。内野陣は3、芦尾、4、田村、5、濱 6、石丸の若手35年、6年卒で固める。(濱君のリードで王子製紙グラウンドで2回練習をした)先行1点も、裏にエラー、四球、ヒットで5点取られて、追いかける展開。5回1死満塁で僕は代打で出て、レフト前ヒット、打点2、続いて広沢もヒツトで4点取り、同点。
その後6回に3点取られて敗戦。5年に1回の早慶戦。もう17年位、3回目の参加である。引退と思っているが、赤木君に来年も「新装神宮でやりましょうよ」。 法政の関根さんが巽君の変わらない美しいフオームを褒めていた。今年は、明治、杉下、入谷 早稲田岩本尭、上春さん等ビッグネームが来なかったが松岡(元東映)が来ていた。なほ、当日の早稲田の投手は’07年8月25日の読売新聞「銀色野球」に出ていた石見さん。さすがボールに触れているのでコントロール抜群だった。バッテイングセンターに行こうと思って、ちょっと集合時間前に行ったら、驚いた事に早稲田は幹事のEさんやKさんが球場の前で、「バッテイングセンターに行け」と誘導していた。行ってみると早稲田勢3人くらいが既に「60球打った」と言っていた。今年は東大田和幹事さんの気遣いで3ゲーム60球の券が準備されていたのである。早稲田は現役からスーパーOBまで「勝つ」と言う気合が入って居るようだ。東大は高野連会長の脇村さんがプレーしていた。「六球会」は1982年6月東大OBから慶応OBへの申し入れで始まり、もう、25年になる現在主力は各校35年卒に移っている。ゴルフ、麻雀、年2回、野球1回、毎回懇親会、エール交換付である。振り返って見ると、人手不足で怖い先輩の命令で引っ張り出されて、からもう17年になる。’87年3月30日付けの日刊工業新聞に東大の山崎善輝さんが「我々の六球会」、’99年東大野球部OB会報「一誠会」の中で、「六球会のこと」と、この会の最大の世話人内田尚彦さんの詳しい記事が書かれている。何れかの機会に場を得てご紹介したいものである。

P,S 六球会 写真 菅井さん写 http://photozou.jp/photo/list/71759/437764  Click

☆11/29 “21世紀の会 忘年会” 於 一口坂 “Swing mates club K”21世紀の会“は同期の相川、榊原君の呼びかけによる25名位の異業種交流会である。今度会長が若い野原さん(綿半ホールでイング)に替わり、忘年会は一口坂 “Swing mates club K”を貸切りでやる事に成った。偶然、僕はこの店に25年位前から行っており店主の市川克美さんとは顔なじみで、彼がギターと歌をやる小さなライブハウスなのだが、毎週金曜夜だけその娘さんである市川美絵さん(超美人)が来て二人で演るのである。当日の演目はオールディーズ中心。レパートリーが幅広く膨大。歌もギターも本当のプロの絶品。何時も良く勉強をしている。余り宣伝もしていないが「知る人ぞ知る」☆☆☆☆☆級の名店だと思う。2ステージのミュジック・シャワーを浴び余韻を残して解散をして来た。

☆12/7 “シーボニア会” 於 レストラン シーボニア油壺に在るシーボニアと言う古いマリーナがある。其処のクラブが日比谷にある。3月に一度位、「お誕生会」をやっている。リーダーは日産の秘書室、ディーイラー社長等を経験しているKさん。バイキングスタイルの昼食、ワイン飲み放題、2時間ばかり雑談、情報交換そして一年の無事を感謝。その後、格調高く、小澤 蘭雪氏(おざわ らんせつ<プロフィール>学習院大学・同大学院を卒業。4歳より書を始める。)の書展を見に行く。今年はイタリア歌劇から関わり有る文字を選んでの作品が中心。好天の銀ブラ、変わった雰囲気の書展で皆さん文化的な一時を過ごした。    

P,S http://www.jlife.jal.co.jp/k_chiteki/shumi/061208.html

☆12/7 祝電 Yangon Sedona Hotel (Faxの効用)
To Ye Tun & Makiko Kobayashi “ Congratulation on your wedding!” 
今日はTun君の結婚式に招待されたのに行けないので、祝電位打とうと思ったが、経験が無いので、115番にTel して見た。
>「Yangon のホテルへ結婚の祝電を打ちたいのですが?如何したらよいですか?」
<「海外は此処ではわかりません」
>「不親切だな...何処で聞けばいいのですか?」
<「チョットお待ち下さい」 誰かに聞いている雰囲気...「KDDIに聞いて下さい」
KDDIにTelする。
>「Yangon のホテルへ祝電を打ちたいのですが、明日までに届くでしょうか?」
<「こちらから、Yangonの電話局には今日打ちますが、後は現地で如何取り扱うか?明日届けられるか解りませんので...」
>「Faxが有るのですが、Faxの方が確実ですか?」
<「そうですね。その方が確実でしょう」
結局、Faxを入れ、再度、ホテルに電話して「Faxが届いているか?」拙い英語で確認をしたら届いていた。 現地の様子は10年前に行ったことが有るので、或る程度の想像がつく。IT全盛でも、所に依ってはこんなことが起こる。








<Font size=2><親父から学んだこと...> ‘07-12-4</Font>

2007-12-04 11:29:07 | Massy's Opinion
☆この2週のブログは商売に関したことが続いた。矢張り僕には、身近な経営者の考え方や自分の遣ってきた事が「如何だったんだろうか?」と言うことが一番気に掛かる。そこで、しきりと親父が修理工場や部品商時代に口にしていた事が思い出される。

☆親父の話は、結構僕の今までの仕事の遣り方に大きな影響を残している。僕の身の回りには音楽家、教師、政治家、等、親の仕事に関係ある仕事を継いでいる人が多いが、その人たちも同じ様に親や家族の影響を大きく受けていると思う。

☆父 増田孝 1912年(明治45年)生まれ 1964年 53歳没 (早いな)
僕の生まれが1934年だから従って、30年一緒に暮らした訳だ。物心付いて仕事の話をするようになったのは矢張り20歳大學2年過ぎ頃からだろう。
親父の会社が神谷町、僕の務めが赤坂溜池、朝は親父の車に乗せて貰ったので車の中で色んな話をしたものだ。
これから起業する人、或いは、会社務めの若い人、営業の人等、参考になれば幸いだ。

☆増田商会部品商時代で学んだこと

*「在庫は儲けのカスでなければいけない」 (必要悪)
当時(50年前)、月商600万位の売上で700万位の在庫を持っていた。部品商から喫茶店に転業する時、在庫の評価を150万と見込んだ。(550万の損)本当に親父の言うとおり。在庫は喫茶店ではレトルト、コーヒー、等在庫になっても腐らないものを扱うようにした。

*「前値を大事にしろ」 
お客様には色んなプロセスがある。そのプロセスにより売値は決まってくる。(紹介の筋に依っては、上代より気持ち値引きを多くするとか...)
喫茶店では原料が値上がりして赤字になっても「メニューに載せてある間は赤字でもその値段で売れ」

*「先入れ先出し」  何の商売でも、「商品管理の鉄則」この頃の賞味期限、消費期限等の改ざんはこの原則が忘れられており、販売見込み(=PLAN)の建て方、管理が悪いからだ。

☆「信義を欠くな お客様には声を出して感謝 損をしても売ったらば御礼を」人の繫がりで一番大事なのは「信義」だと思う。「人生劇場」義理がすたればこの世は闇だ」僕が始めて勤めていた会社では、管理部門の上司に「あの客はいつも条件を叩くからな...御礼なんかいらないよ」と言う人が居り、僕は良く喧嘩したものだ。「売り買いの条件は双方で決めたものでしょう。買って頂いたらお客様じゃないですか...」 僕は、今でもこの考え方は間違えでないと思う。

☆この他にも色んな事が結構,頭の中に残っている。次の機会にしよう。