★Massy’s Opinion
・この頃から、犬へののめり込みが激しくなった。或る時、新車置き場当時は車両庫と呼ばれて居て品川に在った。業務上良く出入りをして居たが、「おい、増田君良い所へ来た。君が来るのを待って居たよ...」天井係長から言われた。「何ですか?...」車両庫の柱の下に場違いなコリーの5か月位の子犬が縛りつけられていた。「君、犬が大好きだろ。この犬を1万5千円で買って呉れないか?」「どうしてですか?」東京自動車の石川さんが、スクターを1万5千円っで下取りの商談を決めたら、お客様の都合でその下取りにこの犬を取って呉れ...」と言う話に変わって仕舞ったそうだ。石川さんの家はマンションで犬が飼えないんで誰か買ってくれる人は居ないか?犬の好きな君に話してくれ...と言う事なんだ。
「血統書もついて居るし...」早速、帰宅して両親に話して飼う事にしたのである。犬の下取り何て聞いたこともない。もうその頃、僕は犬の勉強もしていたし、割と良い犬だったので繁殖をして見ようと思ったのである。コリーは当時映画にもなって居た人気が在った。ご存知の様にコリーは、セーブル、トライ―、ブルーマールの3色の犬が居たのである。血統書を発行している処は、日本警察犬協会(シェパード、エアデールテリア、コリ―の3犬種の血統書を出していてコリーとシェットランドだけの血統書はコリー倶楽部出も出しているコリー倶楽部の血統書の方がグレードが高いと言われていた)、今ではJKC日本ケンネル倶楽部、FCIと言う風に世界統一の団体出来て居るが、こんな時代だった。家へ来てから呼び名当時大人気だったテレビ「サンセットストリート77」の中から「ロスコ」と決めた。
家へ来てから三ヶ月位経った日曜日セーラ服のお嬢さんと両親が我が家へロスコに会いに来てくれた。この話には50年後エセ-ラー服のお嬢さんと接触出来た。この人名前は日塔さん、犬舎名はSon Towerだった。神田川の近く農家でセーブルの素晴らしいオスのコリー飼っている人が居た。僕は本当はセ―ブルが欲しかっただが、ブリーダーさんが良い人だったので安心した。
・ロスコの犬小屋を親父と作った。約畳一畳位の大きさで半分に仕切り、寝床の方には毛布を敷き、反対側の屋根にはが曇りガラスを入れた本格的な物だ。やがて1年位して交配の時期に成り「ドッグワールド」(月刊誌)を見て、オス犬を探した。折からラッシー物語の映画の人気がありコリーの人気が上がり、沢山の輸入犬も出て居たが、下北沢にミドルビレッジ犬舎と言うのがありアメリカチャンピオンが3頭いた犬舎が在った。そこへ尋ねてみると上下2段のケージがあり、一頭だけ家の中に居た、パレダーズダークビクトリーと言う素晴らしいトライのチヤンピオン犬だった。交配料は9万円との事、その次のクラスはセーブルで矢張りチャンピオン犬で6万円、もう一頭の輸入犬は3万円だと言う。コリーには、セーブルにはトライをかけた方が良いと言う話も在り、6万円の物を掛ける事にした。エアデールの時は子分けと言って、生まれた子供の中で一番いい犬を交配料の替わりにオス犬の持ち主に上げるやり方を取った。コリーで初めて本格的道楽が始まってしまった。
・この時は11月頃12頭生まれたのであるが、凄い寒波が来て親犬が暖められず、全部翌日に死んでしまった。僕は、野球部の合宿で伊東へ行って居たので、生まれそうだとは知って居て連絡を貰い、直ぐ帰京したが、間に合わなかった。経験もないしお金を払って交配して不幸にも初めての本格的犬道楽は失敗に終わった。この後、もう一年後に同じ犬を交配して、その時は小分けで御願いした。この時は、友人知人に分けたが、確か4頭しか生まれなかった。この間にコッカ―スパニエルの子供を知人から貰って飼ったが、これもミックスか大きく成らなく3歳位で死んでしまった。又その後、僕も親父が死に、結婚もして暫く犬がいなかった時期がある。その内、ダルメシアンを大原人事部長から貰ったが、この犬も半年位で、全然大きく成らず死んでしまったが、先天的腸ねん転だと獣医さんが言って居た。中々犬もいざ飼うとなると難しい物である。こうして数年犬の居ない時期が在った。
・その後、3~4年は犬の居ない暮らしをしていた。僕も結婚して、ワイフは部品商を辞めてコーヒーショップにして朝から出勤、お袋が一人で留守番の生活が続いたが珍しくお袋が「寂しいから犬を飼をうよ」と言い出した。さて、大型犬はムリだな」と思い、ビーグルにした。
犬はコリーの中村犬舎ら飼う事にした。ビーグルは吠え声の可愛い犬だった。元々、ウサギ狩り用の猟犬で「ビーイちやん」と名付けた。よく穴を掘る、その穴によくお袋が躓いては、怒って居た。ジステンバーで死んだ。基本的に繁殖の為に「メス」しか飼わないが、繁殖はしなかった。そんな余裕もない時代だった。又、犬の居ない時代が3年位続いたが、其の間も次はどんな犬種を飼おうかな?と「愛犬の友」は毎月読んでいた。僕は室内犬はヨークシャーテリア、矢張り中型犬がいいな。ベアーデットコリーが良いかなとブリーダー周りはして居たが、或る時「室内で飼える大型犬」と言う広告が眼に止まり、キャッチフレーズに魅かれて中州(日本橋)迄行く事にした。まあ、驚いた。
・フォルムス犬舎 浜田さん
中州の横道をちょうッと入った処に、20坪位の建坪か?4階建てのビルが建っている。一階は喫茶店の看板が出て居た。初めて挨拶をして、どこに犬が居るのかな?と思ったら3階に案内をされた。何とそこには4頭のゴールデンが居て人なっこく寄って来る。その中に畳一畳位の大きさで部屋が作られて居る。其処が、浜田さんの寝室なのである。驚いた...
室内で飼える犬ではない。犬小屋の中に人が住んで居るのである。4階は犬の運動場。僕も色んな犬舎を見て来ているが、生まれて初めて見た犬小屋の中に人が住んで居るのである。
奥さんは、お店の前のマンションに一部屋借りていて自分のシェルテイーと住んで居る。これは尋常な犬好きではない。全くゴールデンに惚れ込んでいるのである。そこで、広告に出て居た子犬を見た。可愛い! 値段を聞くとオス30万,メス35万と言う。確か、6頭位だったかな。僕も犬を見る目はそれなりの積り...子犬は「持ち重り」のするのが良いと言われて居る。値段は「高いな」と思ったが、黒い目で見つめられると「これに決めよう...」と思い購入を決めた。未だ一月引き取るのは60日経ってからと言う事にして、首にブルーのリボンを付けて貰った。この出会いが、驚きと可愛さと浜田さんの人柄である。犬えの対応の仕方で人柄が解る。信用できる人がブリードした犬は間違いがない。我が家へ引き取ってから、家の中の玄関にゲージを置きその中で飼う事にして、名前は「Love」とした。
ゴールデンには。アメリカ系とイギリス系がある。イギリス系は「pale gold」と言って白いゴールデンが珍重される。浜田さんの犬は此の系統でLoveは正にこの中でも白い方だった。家内で相談して今迄と違った飼い方をしようと言う事で訓練所に入れる事にして、6ケ月経ったら訓練所に入れた。可愛い盛りである。そこで出会った訓練士が武石先生で、未だ25歳位だったか。此れ以来、ショーに出そうと武石先生と相談して、1年半くらい経って初めてJKCの地方展に出したら、ベスト・オブ・ブリードで4ポイント取ってしまった。
さあ、これで欲が出て展覧会がある毎に参加した。殆ど毎週何処かへ行った。ゴールデンも人気が出て来て出頭数も多くなる。或る時、雨上がりの会場でLoveを車から降ろしたら、水溜りがあり、何と言っても動かない。もう、出ずっぱり展覧会で嫌になったのだろう。
仕方ないので出場辞めて、家に帰ったら普通に尻尾を振って甘えるのである。確か20ポイント取るとグランドチャンピオンに成るのである。大きな展覧会は審査員はイギリスからも来る。兎に角、外国人の審査員の時には何時もいい得点が取れてJKC本部展のチャンピオンに成った。この展覧会が一サイクル終わって、3歳半位から子供を取ることにした。勿論、浜田さんに相談して、イギリス系のオスを探した。浜田さんはこの間にイギリスのサンスー犬舎を尋ねてオスを一頭輸入して居るので、これを交配する事にした。此のお産の事は次回にしよう。色んな勉強をさせられて、いろんな人との出会いが在った。