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'23 Index

2023-01-31 15:21:26 | Massy's Opinion
‘23-2-1
★Blog Massy-Academy Index   ‘23―2-1
*Blogも書き続けて月日が唯過ぎていく。コロナ以降社会生活のペースが変わって来て、考え方も、感じ方も変わって来た。御覧頂く方に’22年分は、
★MassyOpinion, ★Megu‘sSportsに分けてタイトルの一覧表にして記載した。
*Massy’sOpinion
22-12-20 中古車輸出のあれこれ.docx"
22-12-13’通行区分あれこれ.docx"
22-12-6 ”Diary 191”.docx"
22-11-22日野プロジェクト... .docx"
22-11-15 講演 原稿.docx"
22-11-8 読後感.docx"
22-11-1Diary 190.docx"
22-10-18 最近考えること.docx"
22-10-11ジャズの事。.docx"
22-10-4 Diary 189.docx"
22-9-20 転業のプロセスⅢ .docx"
22-9-13 転業のプロセス Ⅱ.docx"
22-9-6 Diary 188.docx"
22-8-23 転業のプロセス.docx"
22-8-16 英語のメニュー.docx"
22-8-9 銀座 和光 docx"
22-8-2Diary 187.docx"
22-7-19世情雑感.docx"
22-7-12 安倍元総理事件と宣教について.docx"
22-7-5 Diary 186.docx"
22-6-21選挙結果.docx"
22-6-14 三田評論.docx"
22-6-7Diary 185.docx"
22-5-24 犬に魅せられて70数年...ⅲ     .docx"
22-5-17犬に魅せられて70数年ⅱ.docx"
22-5-10.犬に魅せられて70数年...1docx"
22-5-3 Diary 184.docx"
22-4-19 読後感.docx"
22-4-12読後感「シリコンバレーで結果を出す人は何を勉強しているのか.docx"
22-4-8 Diary 183.docx"
22-3-15 Documentary 箱根路 3.docx"
22-3-8 Documentry 箱根路 2 (自動回復済み).docx"
22-3-1 Diary 182.docx"
22-2-15 Documentary 箱根路.1 docx"
22-2-8 偲ぶ!慎太郎  ’22-2-8.docx"
22-2-1 Diary 181.docx"
22-1-16 letter to shioji.docx"
22-1-12 磯村先生.docx"
22-1-4 Diary 180  ’22-1-4.docx"

*Megu’sSports
'23-1-31Annual Visit Tokyo  .docx"
'22-12-27”2022 High Light.docx"
'22-11-29 “2022 Ironman 70.3 World Championship”docx"
'22-10-25Athletes.docx"
'22-9-27“Exercises are Supplements” .docx"
'22-8-30 __Perfectな医療システム__ .docx"
'22-7-26“Got Corona…”.docx"
'22-6-28シリコンバレー。。。文書1.docx"
'22-5-31 Technology into Sports.docx"
'22-4-19Anual tokyo visit Finaly.docx"\'22-2-22Year of Tiger.docx"
'22-1-25 “Webinar 101” .docx"

★Blog Massy-Academy Index ‘21ジャンル別 一覧   
(‘21-12-20 R/W)
URL
  • ・http://massy-academy.blog.ocn.ne.jp/ ('14年11月30日迄)
  • ・http ://blog.goo.ne.jp /massy-academy('14年11月1日以降)
  • ・Facebook  増田 弘
  • ・you tube   日野市モーニング・フォーラム第147回「自動車業界...」


“Annual Tokyo Visit” (01-20-2023)

2023-01-30 21:06:42 | Megu's Sports
★Megu’s Sports
*It has not been “annual” last three years… 昨年4月に1週間ほど東京に行ったけど、年末年始を実家で過ごすのは3年ぶり。2021年12月のことを思うと、パンデミックの状態もかなり変わった。まあ、It’s about time。いつまでも、鎖国状態ではいられない。
*フライトは、成田到着・羽田出発。4月の訪問とは異なり、空港でのPCR検査が無くなっている。だけど、入国の前に、オンラインでワクチンの証明の提示と税関審査の質問に答えなければならない。で、税関を出る時に必要なQRコードを控えておく。到着後、QRコードで税関を通る列が50m程。従来のように、紙の質問書を使えば3分ほどで通れる。オンライン登録・QRコードなど、時間を削減するためのものが役に立っていない。出国の時の羽田空港。店やレストランが、まだ半分ほどしか開いていない。その反面、出国手続き、超混み。搭乗に間に合わないかと、超焦った。さて、今回の滞在は、どんなものだったかと…
*法政大学スポーツ健康学部でのプレゼンテーション
今回で2回目。プレゼンテーションの目標は、大学生の皆さんに、“こういうキャリアの道もあるんだよ”っていう事を知ってもらう。私のキャリアパスは、ユニーク。それを、進めているっていうんじゃない。人によって、向き不向きがある。大学卒業したら、会社に勤めて働くもの、仕事するもの、生活するために仕事する。それも大切だけど、自分で何をやりたいか考えてほしい。仕事が、生活・お金のためだけじゃなくて、自分の興味のあること・好きなこと・挑戦してみたいことであると、仕事の意味も変わってくる。世間の“普通”や当然、Expectationの外に目を向けてみたらと。生徒のフィードバックを読んでみると、私のメッセージ伝わったみたい。
*家の掃除:
家の中、一般的には、きれいになっている。だけど、気になるところが、いくつかある。で、パパッと掃除しようと思うと1時間以上のプロジェクトに。窓拭きはいつもしているんだけど、しているうちに、デッキなど周りが、土・埃だらけなのに気づく。掃除機かけても、よく吸っているのかどうかわからないので、新しい掃除機を購入。
*友達
久しぶりに東京に行くので、会いたい人が多い。ので、たいてい、スケジュール詰めすぎしまう。今回は、例年ほど、詰めたスケジュールではなく、ちょうど良かった。幼馴染み、大学の親友と、新しいコネクション。地元を長いこと離れていると、限られた時間の中で、時間を過ごすのが、だんだんと自分に良い影響を与えてくれる人、説明なしで分かり合える人に、絞られていくような気がする。
*We will see what 2023 will bring us…
 let’s make it exciting and meaningful!



”サヨウナラ保田忠昭君”

2023-01-25 14:50:11 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*三田倶楽部からのメールで保田君の訃報が届いた。半月位前に仲間の薄君から保田君の亡くなった事は連絡が在った。塾高の時は1年下の5回生。新制高校時代に成り、塾高が初めて夏の大会で、神奈川県代表に成り、甲子園に行った時の3塁手だった。
*真面目な男で、正義感の塊の様な男だった。通称 「ヤスコウ」 あだ名は「熊公」。
考え方は、極右的 と言ってもそれをひけらかす訳ではない。頭が良く、気力が物凄い。礼儀正しい男である。この2~3年体調が良くないと言う事はきいて居たが、何でもリアルタイムで話し合える仲間が一人減ったと言う事は限りなく寂しい...
*昔の事が、走馬灯のように思い出される。何と言っても、1番は高校1年の時の所謂千本ノックだ。2番は大学1年の時、野球の練習を休まずに済むように、僕の取った学科を教えて、僕の家へノートを取りに来たこと。夜、10時ごろ家へ真っ暗な処、ランニングしながら来たこと。3番は2003年だったかな、当時高校は館山で、春期合宿をしていた。何とか強いチームにしたいな...当時、中林君と言う左の好投手が居た。其の合宿に我々4人でチームを組んで押しかけコーチに行った事である。 少し、詳しく記憶の範囲で項目ごとに綴って見よう。
*千本ノック
当時、大学野球部と高校野球部の関係は、今ほどスムースではなかった。普通部と商工の野球部があり、商工の方が強かった。或る時は、東京代表に普通部と商工の2校が東京代表に成った事もあったそうだ。
新制高校に成り学校が日吉に移り、神奈川の学校が東京代表に成るのはおかしいと当時明治高校の監督だった島岡さんがクレームつけ、慶応は神奈川に行き、明治高校が東京代表に成ったとか...その頃、夏の試験休みの時期、大学の野球部員はそれぞれの出身校にコーチに行く事に成っていた。慶応高校には後の5回生の監督をされた加藤さんと普通部でバッテリーを組んでいた小野さん由来は解らないが「饅頭さん」というあだ名の先輩がコーチに来た。当時のグラウンドは、今の工学部のある処に在った、通称「嵐が丘」と言われたグラウンドで,小石混じりのグラウンドだった、練習前のある時間小石取りを遣らされたようなグラウンドであった。慶応高校は何となくショートには巧い選手が多いが、3塁手にはいい選手がいなかった。そこへ出て来たのが1年生の「ヤスコウ」だった。4時ごろだったかな、個人ノックが始まりその対象はヤスコウ...当時、読売巨人軍の茂林寺の猛練習とか、いろんなチームの凄い練習の話を聞いてはいたが、僕の長い野球生活の中でも初めての千本ノックだった。ヤスコウは厚い胸板でボールを止める。ノックをする「饅頭さん」の手から血が滲む。本当に凄い個人ノックだった。決して華麗なプレーではなかったが、兎に角、ボールに向かって行くヤスコウの気力は凄かった。あれから一皮むけた様な兎に角、「体で止める」彼のプレーは、監督以下チームの信頼を得て立派に甲子園で頑張って来た。ノックが終わったのは、日が暮れてボールが見えなく成った頃だった。
*ノート取り
大学の野球部に当時、三田倶楽部の山岡会長、高校野球部長の長尾先生に大学野球部に入れと言われて6人、入部したが、予想外に外部から著名な選手が入って来た.皆、デカく今の大谷君みたいに2刀流が衆樹、中田、日野3人はプロ入り、内藤、石黒、石原、土河、等甲子園出が多く、慶応高校は肩身の狭い事、2軍の打撃練習を楽しみにして居たら、阪井監督に「慶応高校は打たんでいい...」と言われた。「監督、学校で打たんでいいなんて言わないでくださいよ。せめて増田打たんでいい...と言ってください」、頭にきて山岡さんに言ったら山岡さんが直ぐ阪井監督に怒ったらしい。阪井さんに呼ばれて凄いお説教をされた。そんな事があって甲子園へ出て居ないと大学では駄目だなと思った。5回生は甲子園に出て居るのでまとまりも良く、黒松主将を中心に一チームが入って来た。何とかレギュラーに成って欲しいなと思ったが、黒松君と保田君は経済学部に進めた、しかも、N組である。当時、高校からの内部進学には経済は70点くらいの成績が必要だった。そして、ドイツ語とフランス語で80点以上の組がG組とN組と二クラスあったが二人ともN組だったのだ。
僕も、N組だったので、練習を休まないように試験は本の持ち込みが許可される科目ばかり取った。しかも、午前中の授業を重点にした。保田君の家は偶然にも西永福我が家と近い。それで、学科の取り方やノートを二人に教えたのである。保田君は家へ来た時、汗をかいて来た「如何したの...」聞いたら「練習の為、走って来たんですよ」その位熱中する男だった。あの晩のヤスコウの姿は鮮明に覚えて居る。
*押し掛けコーチ
僕らが会社を辞めてから、高校の野球を見に行く機会が増えた。僕は、色んな事があって「高校の監督も専任で先生がいい」と言う考えだった、やっと上田監督が来て体制が出来上がった。選手も特に、左腕中林君が入って、上田監督も気を入れて色んな取り組みをして、館山で春合宿を組んでいた。日吉倶楽部との接点をタイトのしようと思い、ショートをやって居た薄君に声を掛け合宿に泊りがけで行く事にした。一つは中林君に「スローカーブ」を覚えて貰いたかった事がある。それには、長島に8号ホームランを打たれた林薫(神戸高校)に来て貰おうと誘った。彼のブルペンキャッチャーは殆ど僕がやって居た。当時、林、広野、高橋栄一郎、巽の4人が主戦投手陣だった林君はスピードはそれ程ではなかったが、コントロールは良く、特にカーブの速い球、スローカーブが絶妙だったのだ。合宿では、一泊したが、翌朝七條部長先生が我々の部屋に来て、「昨日は、とてもいい日でした。部員全員が感激して居ました」と丁重に正座してご挨拶を頂いた。帰京してから3人に気が付いた点をレポートして呉れと言ったら、ヤスコウは曽田香料、林君は鐘化でそれぞれ責任ある立場で仕事をして居たので、素晴らしいレポートをPCで書いてくれた。薄君は手書きだったが、僕が全部まとめて上田監督と七條部長に渡した。次の世代の勝本君達に同じような事をやって呉れと云ったのだがキャンプには行ったもののゴルフ会に成ってしまった。今年も多分選抜に行けると思うが、あの押し掛けコーチは「ヤスコウ」にもいい思い出だったろう...
*ヤスコウ... 大学の23年度キャプテンは,広瀬君だよ。僕の記憶では、幼稚舎出のキャプテンは、黒松君以来だと思うよ。ヤッパリ君達の甲子園行きは、慶応野球の中で大きなエポックだったな。黒松キャプテン、保田新人監督の1958年以来だ...
P,S
当時、浜田山には、8回生鶴岡、(後、塾高監督、甲子園)会社福岡日野でも、いいチームを作っていた。12回 宮川、36回 友成(アフリカ野球)等が近所に居た。
                                  *   早慶戦 100週年 神宮球場にて
                                 2003・11・26
                  左から 保田君、徳丸大先輩、僕                 

”先生の言葉 2“     ‘23-1-16

2023-01-16 21:49:14 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*「人生 行旅の如し」と故人も言へり

正に教師の如きも行旅の如く人渡し場の渡守の如し

君ら教子達を学校と言う船に乗せ 卒業と言う向う岸に渡し了ると共に 旅人の渡守を忘れるる如く教師も 又君らより忘れらるるとせば寂しさ譬もなし

されど 我が限りをつくせる魂が教子達 君らの心一隅に宿され 永久に生きて うるほいて共に もゆる温かさを持つとせば 師の喜び限りなきものあるべし

いつかは別るるべき宿命を持つ我と教え子達よ 清らけく 美しく豊かに あの大空をます巨木のそれの如くに生き抜くべし 秋来たらば公孫樹の一時に落葉すれど 春と共に限りなき生命の伸長を若葉のみどりに見せるであろう

我が愛する教え子達よ 君達も又永久に かの大樹の大空に屹立する姿たるべし    五年を送るにあたり 春の暖かき光を浴びつつここに一葉の写真を取りぬ

幾年か後 君たち教え子が 大人となり 老人となり 又白髪の老翁となりたる時 これを見て その昔 高井戸なる小学校に就学云々せし 生徒たりしを思い その懐かしく愉快なるは譬えるものなきを信ず

教え子たちよ 我が愛する少年達よ 幸あれ永久に

我が教え子たちよ 初五了るの日に 春の陽を浴びつつ

 

*僕は、旧芝区の愛宕小学校に入り、1~2年を過ごし、3年~4年を群馬県桐生市の昭和小学校に疎開で入学し、5年~6年を浜田山に帰り、高井戸小学校に転校した。桐生は太田の中島飛行機の工場がアメリカの爆撃目標に成り、空襲が激しくなった。両親は浜田山に引っ越していたが、未だ桐生より田舎だったので、浜田山に帰って来た。第二次大戦の終戦の玉音放送は浜田山の家で聞いた。6年生の時、神田川へ遊びに行き、警戒警報から直ぐ空襲警報に成り、グラマンの戦闘機に機銃掃射をされた事がある。此の小学校時代は、とても印象に残っているが、それは佐藤先生との出会いがあったからだろう。教わった事は、「本を読む事」、「誠実」、「感謝」である。文学青年だった先生は、國木田独歩、島崎藤村、夏目漱石等を良く勧められた。

中学受験の時、母親が先生に家庭教師を頼んで家に来て貰った。その時、僕が作って居たこの「先生の言葉」のノートを見て、凄く喜ばれた時の事を今でもよく覚えている。先生から見たその当時の僕は、落ち着きがなく、先生の言う事を聞く子には見えなかったのだろう。先生のその後の消息は解らないが、風の便りに慶応の文学部に入り、青山学院小学校で教鞭を取られた様なことを聞いた事がある。そうそう、三田の丘の図書館の前で、一度、お会いした事があった。余り、話もしないで別れてしまった。この2回に亙り載せた「先生の言葉」は旧仮名使いの古い文体だが、とても奇麗な文章だと思う...


“先生の言葉 1”   ‘23-1-10

2023-01-09 23:31:10 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*最近、超高齢化がドンドン進んでいる。週刊誌等を見ていると、「ボケ防止に昔の楽しかった事を想い出せ」と言う記事が多く出て居る。素直に従って見ると本当に見方に寄っては良い人との出会いに感謝である。友人はもとより、先生方との出会いは、格別だろう。

その筆頭に高井戸小学校の佐藤良夫先生だ。確か、新潟師範を出てすぐの高井戸への赴任だったと思う。文学青年で色々教わったが、勉強の大切さ、読書の大切さを特に教わった。

僕は、それの中から感銘を受けた文章を小さな1冊の本みたいに綴じてある。先ず、ボケない為に其れを書いて見よう。

*此の1冊のノートは我が最良の年 

 愉快に過ごして来た小学校時代の教訓を書き綴ったものであります。

 

*「学問だ。学問だ。何よりもすぐれた学問のないところには、すぐれた個人は生まれない。

すぐれた学問を持つ人は、必ずすぐれた人間であるはづだ。すぐれた学問とすぐれた人間とは、同じものであることを先生は信じる。

皆よ、若き少年よ、すぐれた学問をもって生きぬいてくれ。学問を忘れるな。死んでも死んでも決して学問をわすれるな。

学問は魂だ。学問は魂だ。  若き少年達よ生涯学問への執着をもて。

         1946年10月21日

  『真実の学問だ』 

  『真実の学問を忘れるな』 

 

*みんながみんなの力でみんなの仕事をしているのを、先生は、今見た。

先生は、みんなの力を信じている。さうしていつもその日がくるのだけを待ってゐた。

若き少年よ、若き少年達よ、自分の力を信じてくれ 自分の力を信じてくれ、そしてこの自分をこの自分を自らの手で 丁度芸術家がすぐれた彫刻を生み出すやうに自分自身を其の儘、すぐれた芸術作品として生み出してくれ 先生は、その日だけをまつるのだ。

         1946年10月 (日にち不明)

 

*真実 真実    “花のやうな社会を作れ”

 

人間は真実の上に築いた学問でなければ決して力とはならないと先生はいつも思う。

 誠実 誠実

         1946年11月 (日にち不明)

白露のごとくあれ  真実は必ず 人の胸をうつものである 常に感謝の気持ちをなくさぬよう

                                           


“Diary 192”  ‘23-1-3

2023-01-02 01:48:35 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

‘22年の振り返りと’23年への期待

*一向に収まらない コロナ

寒さが例年より厳しいような気がする。インフルエンザの予防注射もしたが、コロナも収まりそうもない。中国政府は、白旗運動に負けたのか、規制を解除したが、コロナは又大きな波に成って来た様だ。僕はワイフには、「コロナとインフルエンザと同時流行に成るよ」と言って居た。数字の発表は毎日増加の一途を辿っている。ワイフは異常と思われるほどナーバスに毎日のコロナによる死亡者のニュースに関心を持って居る。僕は死亡者の数字だけではもう一つ納得がいかない。例えば、東京を例に取れば、総人口、総志望者、コロナによる死亡者、と云う様な発表をして貰えないかな?年齢別が解ればもっと良い。我が家はTBSファン、井上君数字を読む君も、そんな風に感じないかな?前日比ばかりだと本当にどの位危険なのか、良く解らない。 

*ウクライナ戦争と安倍元総理のこと

本当に22年は、血なまぐさい年だった。世の中の変わり目がこんな形で現れるなんて本当に予想もしなかった。精々、ミヤンマーのクーデターが又起こったのか...と云う位でもう大きな戦争なんて世界では起こらないだろうと思って居た。ミヤンマーは’96年の観光年の時にヤンゴンに行って居るので、内情も少し解って居たので、多少の予測はして居たが、ウクライナとロシアの関係は全く知らなかったので、本当に驚いた。また世界の対応も米英、NATOの連携を見ていると、素早い対応で驚いた。周辺各国の動きを新聞情報で見ていると皆、良識が有るなとは思うが、兎に角、早く辞めて欲しい。コロナが長引いてスッカリ生活感が変わってしまって本当に人生が詰まらなくなってしまった。安倍さん事件も驚いた。長く首相を遣りすぎた結果だと思うが、後日大きな日本の変わり目に成るだろう。

僕は、「一帯一路」が出来なくなることが残念で仕方ない。

*岸田人事の酷さとオリンピック汚職

岸田総理には僕はある種の大きな期待を持って居たが、少なくとも古い自民党に気を使い

過ぎるのではないか?自民党を割る様な心構えで人事を遣ればよかったのに...余りにも酷すぎる身体検査不足だ。ガッカリさせられた。全ての問題に時間を掛け過ぎる。野党も酷すぎるが、若い議員が古い政治の体制に染まって行くのが心配だ。オリンピック問題は、本当にこれも酷い...僕は、甲子園も余りに商業的な匂いが強く成りすぎもう一つ騒ぎに乗り込めない。大体、森元総理も小池都知事もスタンドプレーが多すぎる。神宮の再開発も小池さんは如何言う積りだろう...もう再開発は要らない。人口減少で将来に修繕負担を積み残すだけだ。

*可成りドラスチックなプロ野球界

今年のストーブ・リーグは本当に凄い、インフレーションだ。それと各球団がドラスチックにポジションの補強ポイントを絞っている。又、選手の対応も可成り割り切りが良くなった様に想える。選手後の人生が長いので考え方変わってた様に感じられる。タレント長島一茂さん此の頃随分勉強したな...野球をやって居る時にあの位だったらモットいい成績を残せたでは...と思う。それにしても、日ハムの新球場問題野球界のレベルの低さを露呈したような問題だ。モット勉強しろよ。

*自動車よりも早く世界を変えたスマートホーン

家の恵は、コロナ以前は毎年、年末に帰って居た。此の3年はコロナの影響で帰って来なかったが、今年は帰って来た。毎週、2回スカイプでリハビリのコーチイングをして貰って居るのでそんな離れている感じはないが、我が家のテレビ画面を使ってスカイプ使える。こんな事、然知らなかった。彼女も最近知ったかな...自動車の自動運転も又、一段と研究の余地が広がるのかも知れない。戦争だってドローン戦争の様になって来ている様だ。ワイフもスマホ使い方に自信を持ち始めた。