massy-academy

advice for consumer

<Font size=2>“ Hmmm…”         ’08ー9ー28 </Font>

2008-09-30 17:29:31 | Massy's Opinion
Top 10!!

先週、Portland (オレゴン州)でAge-Groupの全米選手権があった。
全米選手権にでたのは、今年で3度目。2年前は 32位、昨年は16位。今回、初の10位入賞の “Podium Finish”! 8位から10位まで15秒差と、”tight”なレース。来年のGold Coast (オーストラリア)での世界選手権の出場権獲得。

全米選手権の1週間前に、私の好きなコースのPacific Grove Triathlonに出場。
Age-Group で1位、総合2位。今シーズンケガに悩ませられているから、このレースで自信をちょっと取り戻せて、全米選手権に向けて良いステップになったんだよね。

あと、もう1レース。Clearwater (フロリダ州)でのIronman 70.3 World Championship。初めてのフロリダ。初めてのハーフのWorld Championship。
残り6週間 “スマート”にトレーニングして、“as best as I can be”のコンデイションでレースできたらいいな。


Marrige and Partnership

この2-3ヶ月、うちの母ちゃんの股関節の手術のことに触れている。うちの両親は結婚して40年以上になる。母ちゃんは、入院中おやじに迷惑かけて申し訳ないと、いつも何かを頼む時に、必ずおやじに“ごめんね”と謝っている。その割には、頑固に人の意見を聞かない。“ごめんね”と謝るよりも、“ありがとう”って感謝したほうがよっぽど良い。おやじもおやじで、どうせ頼まれ事をやるんだったら、文句を言わずに気持ちよくやれば良いのに、“大変だ、大変だ”と言う。それを、私が指摘すると “俺が、病気になったら面倒みなくていい”と言う。面倒見なくて済むはずがないじゃない。

独り者の私が言うのも何だけど、結婚はPartnership で、お互いに助け合っていくのが当然。お互い謝ったり、“頼みを聞いてやってるんだ”って態度とる必要はないよね。いつも母ちゃんとおやじのやりとりを聞いているともどかしくなる。
まあ、これが彼らのコミュニケーションの取り方で、40年以上も続いてるんだから今さら、変わる事もないんだろうけど。

世の中変化しているけど、うちの両親の世代は、いくら共働きしてたとしても、典型的な“夫の役割”と“嫁の役割”のコンセプトが根づいている。高齢化社会の中で、どちらかが自己の役割を出来なくなるのを待つよりも、お互いの “Part”を認識し合って学べばいいのに。若い世代を見習って、この役割分担主義がもっとFlexibleになれば、高齢夫婦の生活 も、もっと楽しく効率的になるんじゃないかな。



<Font size=2><インコースを打て...読後感>   ’08-9-23</Font>

2008-09-23 11:36:22 | Massy's Opinion
究極の打撃理論   高岡英夫、松井 浩 著

☆週刊誌の新刊紹介欄でタイトルが目に付いて本屋に探しに行った。正直な話、野球の本は洋物、歴史物、外国物、技術論、小説殆ど読んでいるが、大変、申し訳ないが、著者の名前も知らなかった。タイトルが目に付いたのは僕自身小学校から野球をやっきて、バッティングでは、インコースの高目を狙い玉にしてきたからだ。まあ、著者の年代と隔世の感がある訳だが、僕の「インコース論」を書いて見たい。

☆僕は小学5年時代、桐生へ疎開して其処で「空中ベース」を始めてやって驚いた。それまでは芝、御成門の歩道で、「ゴロベース」ばかりだった。中学成蹊に入り野球部に入ったが、旧制高校の付属で高校生の硬式練習を手伝わされたり、旧制高校流の扇形キャッチボールを遣らされたりしたものである。偶々1年上級生に大正時代立教の名外野手二神さんの息子さんが居て、彼は足の具合が悪かったが、良くキャッチャーを遣ってあげた。当時、「モンテイー・ストラットン物語(甦る熱球」」と言う義足の投手の映画が上映されたりしていた時代である。ある日「親父にバッティングを教われよ...」と自宅に誘われて、スイングをさせられた。其処で、ポイントの一番前は「インコースの高め」それから、「真ん中」「アウトコース」と体の前に来る。

ボールに遅れない様にするには「インコースの高め」の「素振りをしろ」と教わった。

まあ、昔流のバッティングである。この中学のチームには早稲田の伊丹安広さんの息子さんもいたが、右投げ、左打ちで僕と、もう一人3人の右投げ左打ちが居て60年前の当時とすれば割合と強かったが、キザなチームだった。

さて、慶応高校から大学に入ると、甲子園出が沢山居て、全然僕らの出番は無い。練習すら満足にやらせて貰えない。当時は六大学全盛時代、プロの黎明期と言えるか?

僕らの同期の中から、衆樹、中田、日野の3人がプロ入りしている。1961年秋、当時は、水原、宇野、別当、飯島の慶応OBが衆樹を見に日吉の練習を見に来た。一番印象的で今でも瞼に鮮明に浮かぶのはこの時の別当さんである。背広、普通の靴、ネクタイを締めたまま、上着だけ脱ぎ、しばし、レギュラーのバッティングを見ていた後、「インコースはこうやって打つんや」と言って打席に立ち「おい!インコースを投げろ」と言って脇を締めて右中間やレフトのネットの上段に軽々と打ち込んだ。正に、「グリップエンドをボールの内側に向かって打つ」のである。今までの僕らが持っていた「イメージ」とは全然違う、「インコースを右中間に飛ばす」プロの技術には本当に驚いた。あの時のバッティングピッチャーは左の浜部君だった。

その後、僕は1962年自動車ディラーに就職した。丁度、ショールームで車を磨いていた時に、別当さんがご夫婦で入ってきた。僕は勿論直ぐ解ったので、「いらっしゃいませ。僕は後輩です」と言ってあの時のバッティングの感想を話したら、それから、すっかり打ち解けて可愛がって貰い、僕の結婚式にも主賓として来ていただいた。ゴルフを教わったり、クラブを何本か貰ったり、雨で試合の流れた日などは、4時半頃会社に来て「おい!マス公,飯くいに行こう」「未だ、時間中です」「いやないか、後30分だろう...チョット上の人に言って来い」上の人が「ノウ」と言うわけが無い。当時のトップスターしかもお客様だ。良く銀座、赤坂へお供をさせられた。衆樹と同級なのは勿論ご存知だったが、「毎日」時代延べ10回はお供をさせられたが、選手と一緒だった事は小野投手と一度だけである。お店は大体二軒だけで、帰りは早かった。「孤高の紳士」と言われていたが、僕も晩年監督の立場が解るようになった。私情に溺れない為に「選手を引き連れて遊びに行かない」...のちのちとても参考に成った。

野球も、体力、用具、練習選手の数等随分と変わって凄い進歩である。山内一弘さんとも2~3年前に「アフリカ野球友の会」の練習で、話す機会はあったが、この疑問については話していない。次の機会には、僕は「インコース打ちは青田さんに聞いた」のか「別当さんに習ったのか?」聞いて見たい。いずれにしても、著者の時代とは遥かに離れている事は事実である。今や、ボールを引き付けて早く、強く、遠くへ飛ばす事がベストの時代の様だし、多くのプロ野球の選手がインコース打ちをマスターしているのを先輩はどんな目で見ているのだろう。

☆こんな事を書いていると別当さんとゴルフの事を書きたくなった。色んな思い出があるが次の機会のしよう。
☆別当 薫 生年月日 1920年 プロ入団 1948年 毎日監督兼任 1952年(36歳)
☆青田 昇 生年月日 1924年 プロ入団 1942年(18歳)
☆山内一弘 生年月日 1932年 プロ入団 1952年(20歳) 



<Font size=2><シャッター通りはどうなるの...>  ‘08-9-16</Font>

2008-09-16 11:12:54 | Massy's Opinion
☆自民党総裁選も今ひとつ盛り上がらないようだ。「日本は将来どんな国を目指すのか?」なんて、話す人も居ないし、テレビの候補者討論会でも、「小池さん 貴女の政党遍歴はどんな考えなのですか?」と質問する人も居ない。麻生さんも景気浮揚、景気浮揚とばかり言っているが具体策は明確でない。
一方、現実の景気は一段と悪くなって居る様だ。僕の住まいの近所でもマンションが出来すぎて人口は増えているが、駅前の古い店が随分と変わって行く。今、ブログを書いている最中にテレビで株の全面安を伝えている。総裁候補者の経済政策も何か、白けてしまう。

又、店舗展開の競争をしていたコンビニ業界も拠点の整備に入っている。僕の店舗経営の経験から考えると、一年365日X24時間=8760時間が店舗の稼動限界だ。しかし、24時間店を開ければ人件費が割り増しになる。本当の採算は何時間店を開ければいいのか難しい問題だ。

☆フランチャイズ・システムが色んな形で広がって行ったが、昔は酒屋さんからセブンイレブンに変わった店が多くあったが、契約上の労働時間が長くて、早々と止めてしまった。

☆出店競争で地価を上げて仕舞い、今度は不採算店舗を閉鎖整理へ...次に其の場所でどんな商売をやるのか?自分なりに考えてみるが、中々良い商売は見つからない。

☆スタバも不採算店を整理するようだ。
フランチャイズシステムを広げた所も、結局は銀行の出資があって急展開が出来たのだろう。不採算店の赤字を追い越す出店で規模の拡大をしてきて、いよいよ採算重視への舵きりだ。景気は良くならずシャッター通りは増えるばかり...

☆消費者がシッカリ品物を見る目と流通を考える頭を持つべきだ。先日、我が家の近くの買い物の話を若い女の子と話したら、生魚はスーパーの物より一軒残っている古い魚屋さんの物が一番良いと言っていた。勿論、良い物のある日も悪い物の或る日もあるだろう。最近、20代の男の子がリヤカーで「豆腐」を売りに来ていた。何か少し流れが変わって来ている様にも感じられる。

☆マンションももう要らない。用途地区の変更、都心の再開発も要らない。お祭りも消防団も組織できない。町会が機能しなくては地域の活性化、生き生きとした触れ合いのある町造りはこう言う芽を摘まない様にしないと駄目だ。金融、税制の視点を本当に末端に向けて欲しい。



<Font size=2><難しい本当の民主主義...>   ‘08-9-9</Font>

2008-09-09 10:00:41 | Massy's Opinion

☆福田さんの辞任
・「投げ出しだ」何だの言われても福田さんの「判断は良かった」と言うことになるのか?「悪い結果になるのか?」福田さんの読みと違ってきたのでは無いだろうか?
石破さん、山本さん、棚橋さん、の立候補意欲表明で福田、麻生、中川が描いていた予測とは違ってきたようだ。年長組みの調整役森さんも思わぬ展開に下手をすれば火の粉を被る。 (山本さん、棚橋さん推薦人集まらずで立候補できずのニュース)

☆自民党総裁選 どうやら本物の様相を見せてきたマスコミは恰も総選挙の様な騒ぎ方。もっと正しい見方を大衆にガイドする必要があるだろう。日曜日の「日曜討論」「サン・プロ」を見ていて今度の総裁選は本物の様相を見せてきたと感じた。始めは麻生さんの独走、それでは何か従来パターンで仕様が無い。
推薦人を集めるからと目立ちたがり屋の小池さんを説得して、「野球論を喋らせたり...」伸晃さんを説得して...俳優を決めた所で思わぬ展開に...

☆派閥と推薦人
・候補者は「20人の推薦人集めが大変だ」と言っている。派閥横断的な推薦人集めで、自民党の中は疑心暗鬼の情報合戦だろう。もう派閥は機能しなくなっている。派閥の領袖は自らの存在感を残す為にキット頭を痛めているだろう。立候補を表明して,推薦人が集まらなければもう政治生命には大きな傷がつく。自民党を出るしかないだろう。

☆開かれた自民党のために推薦人の公表
自民党の総裁選の細則は知らないが、一国民としては総裁立候補者の推薦人は自民党の選挙委員会で公表するようにして欲しい。

☆新しい派閥は立候補者単位当然、主義主張、政策、付き合い等が推薦人の理由だろう。新しい派閥はこの立候補者を中心になるべきだ。国民も自分の選挙区の議員がどんな政治活動をしているのか、解りやすくなる。

☆会議の議決の遣り方拍手、挙手、投票、記名投票,満場一致方式株主総会、役員会、執行委員会、町会色んな会議があり、その時々で議決の決め方に色んな方法がある。拍手=大体の傾向がわかるが曖昧。挙手=誰が賛意を表したか投票者がわかる。記名投票=投票者に責任感を持たせる。満場一致方式、独裁者や強い権力者が居て形式的に合意の形をとる。記名式は選挙の後に、「あいつは僕に投票しなかった」「仕返しに今度の組織からは外そう...」俗に言う「皺が出る、皺延ばし」が必要になる。散々色々な経験をして来たが、「根回し無し」や「皺の出ない」民主的議決は本当に難しい。

☆果たして国民は少し目覚めるだろうか?やがて、自民党総裁選の後には如何見ても直ぐ総選挙だろう。下らない国会議員を選ぶのは我々だ。政治をやる人は主義主張が一貫していなくては駄目。具体的には小池百合子と野田聖子の違いだ。郵政選挙で日本は本当におかしく成ってしまった。国民も責任を持とうよ!

☆学生運動の弱い国に将来はない。
最近、世界情勢は混沌としてきた。「グローバル化」「国連」「EU」とか騒いでいるのに、片一方で「民族単位」の「塊」が紛争を呼んでいる。国の将来を考える力が無いのは、若い人が国の将来を考えないからだ。日本は労働運動や学生運動が弱くなった。「島国」「平和ボケ」が原因か?



<Font size=2><Diary 20>    ‘08-9-2</Font>

2008-09-02 14:14:54 | Massy's Opinion
☆天候不順 酷いゲリラ豪雨お陰さまで8月前半は高校野球、特に母校慶応高校の健闘にTVの前で釘付けと病院通いの毎日で瞬く間に過ぎてしまった。16日お陰さまでママが退院したが、骨折は予後が長いので、僕の暮らしは又、変わってしまった。8月は病院以外、ゴルフ2回と麻雀1回だけ...

☆ゴルフ 8月9日 千葉夷隅ゴルフクラブ 
メンバー上野敏明君の大学時代の同窓グループ。3組。プラス慶応野球部の一番華やかな歴史的人物 加藤雄司さん(生粋の銀座っ子) 普通部で甲子園、六大学リーグ戦でノーヒットノーラン、塾高監督で甲子園しかもノーヒットで勝利、皆余り喋らないけれど秋の大会で浅野高校石川投手(立大)にパーフェクトゲームで負けている。この時は加藤さん顔を真っ赤にして本当に怒ったとか...それで塾高初のプロ野球選手赤木健一君が生まれたとか...
上野君 九州小倉高校出 彼は小倉中学に入り学生改革で高校になり、在学6年間で
当時の小倉は9回甲子園に出場している。もう絶対に生まれないギネス物。今夏のNHKの高校野球の放送で取材されたとか...ゴルフの内容は皆、年相応。7時半品川発でクラブバスの迎えで、アクアライン経由1時間20分早くなったのに驚いた。
各地区の藩校が殆ど100周年とか行事を迎えている。僕の同級生は結構引っ張り出されている様だ。

☆8月18日 J―ゴルフ 鶴ヶ島 鶴の会
何時もの例会 メッキリ落ちてきた飛距離。もう飛ばすことは忘れて、兎に角、「一番綺麗なフォームで打とう」と心掛けるがラウンドしながらフォームを直すのは絶対無理...幸い雨も降らず楽しかった。スコアーは公表しない。

☆8月23日台北からK,W女史 ママの見舞いに来宅。
今年は中国、台湾から安全な日本への観光客が多く、通訳,添乗でもう5回くらい来日している相だ。昔、我が家にホームステイーして、余り台北に帰らないので、お母さんが日本語も出来ないのに我が家へ迎えに来た事がある。1週間泊まっていったが、帰りには「謝々」と喜んで帰っていったのがついこの間のようだ。日本での勉強が生きている様子。子供も手が離れてきてお母さんは若いし、共働き出来るそうだ。

☆8月25日 麻雀高村会
定例 昔の仕事仲間 集合新宿西口 雀荘12卓位かな...定年退職者でほぼ満席。全く良い大人が口角泡を飛ばして遣っている。昔の上司も部下も関係なし...勝負事は人柄が出る。一年に一度ある大ツキ半チャン5回で4回トップ。次回はラスを避けて3位狙いで行こう。反動が来る。僕の麻雀、兎に角3回戦目に負けた日はダメと思っている。

☆8月30日 オフ会楽しかったよ!
ご存知の人気サイト「慶応野球部応援団」“To The Victory” のオフ会。もう、7回目位に成るだろうか?今回は渋谷のパンダレストラン(四川中華)。総勢約40名始まって以来の参加者。殆どの人が「甲子園」に応援に行っている。事務局の気遣いある進行、盛りだくさんの準備本当に良かった。僕達、野球部OBも数人参加。改めて、オフ会に参加された皆さんを一重二重にも三重にも囲んでいる慶応フアンの応援のお陰と野球部指導部を中心にした関係者の総合力だと感じました。

☆8月31日カーン君来宅
友人に紹介されたパキスタン人。「中古車の商売をしたい」と言う希望を持っている。
既に3年位の経験があるが、将来は「ドバイ」にショールームを造りたいと希望は大きい。しかし、現実は厳しく在日外国人相手の商売で「引っ掛かった」との事。「今のような日本車の海外需要は続くかね?」と聞いたら首を傾げていた。「日本人は中々家へ呼んでくれない」「とても嬉しい」と言っていたが、僕も誰でもOKする訳ではない。

<号外 福田総理辞任報道> こんな混迷の時期に更なる混迷...どうなるんだろう日本は...