★Massy's Opinion
・帝国ホテル
先日新聞に「帝国ホテルが再開発で建て直す」と言う記事が出て居た。「えっ如何して?随分早いな...」と疑問を持った。大体、堅牢な建築物は、耐用年数60年位の筈だ。「未だそんなに時間は経っていないだろう...」兎に角、昔の芝区の生まれ、母親の実家は旧田村町1丁目の交差点脇の油やとガススタンド、女4人兄弟の看板娘、3女が僕の母。その先を宮城の方へ向かえば、巨大な帝国ホテル...とその向かいは日比谷公園。いやでも、帝国ホテルはその均衡の取れた建物で東京一。設計者フランク・ロイド・ライトの名前位は頭を離れない。今の建物に成って既に40年位は過ぎて居るそうだ。此の処、赤プリ、オオクラ、と代表的なホテルが次、次と建て替えられて、帝国も古く成って来たのか?如何に帝国と雖もこのコロナ旋風には立ち向かうのが厳しいのか?アフターコロナを考えるなら、この時期に再開発をした方が良いと言う経営判断があるのだろう。
さて、実はこの帝国ホテルとも我が家は奇縁が出来ていたのである。今から12年前、2009年の初めにMegumi から、「親父、石勝さんて云う石屋さん知らない?」と言う問い合わせが来た。
これは、東京でも一番位に大きい石屋さんで都営の青山墓地、霞町の交差点の傍に在った。東京オリンピックの時に区画整理で青山1丁目の方に引っ越して石屋を辞めているのである。「何の用事だい?」「私のクライアントにハナハウスの責任者が居るんだけれどその人に聞かれて居るんだよ」「スタンフォード大学の中にハナハウスと言うエリアがあってさ、そこにはフランク・ロイド・ライトと言う、偉い建築家が建てた家があるんだよ」「うん知っているよ、帝国ホテルを設計した人だよ」その家の回りに石灯籠やカエルや石で作ったモニュメントが幾つかあるんだけれど、この前のサンフランシスコ大地震の時に壊れてしまった物があるのでそれを直したいんだって...」「それで石勝さんが知りたいのよ」「解ったよ自信はないけれど、石勝をさがしてみよう」 さあ、それから青山墓地の回りにある石屋さんを尋ねたり、ネットサーフインをして探した。矢張り、石勝くらいに成ると、のれん分けをしているだろうと思ったが、予想どおりに「東京石勝」と言う会社が青梅に見っかった。早速、電話連絡を取ると幸い山口社長はスタンフォードのハナハウスの事を知っていた。「さーてこれからどう進めよう? Meguは貿易の事は解らないし、ローラ先生は日本の事も余り解らないし、山口さんも英語も解らないし、これだけでアメリカへ行ったり来たりも出来ないし...結局、僕が中心で進めなければ...幸い山口さんのお嬢さんがパソコンもつかえるし...」「先ず、仕事の流れを関係者に解らせよう!」“Stanford HannaHouseProject”と言う引き合いから設置までの業務分担表を作った。これが出来てから、仕事の打ち合わせは一気に進んだ。これは僕の中古車輸出の経験や春駒交通が中国進出する時のコンサルティングの経験が生きた事は云うまでもない。石勝の山口社長は、豆柴犬のブリーダーをやって居る犬好き。僕はジャズ、野球、犬の好きな人は直ぐ信用してしまう。話が合えば相手も信用して呉れる。驚いた事にはスタンフォード側に、前回の仕様書、図面、見積書、領収書等が全部残されて居た事である。
さすが、スタンフォード側のライトの作品に対する価値観が違うのである。実はこれまでの段階で、帝国ホテルの広報部に数回問い合わせをした。大体、古い会社には執事役の古い人が在籍して居て、故事来歴を教えて呉れるものだが、‘09年頃の帝国ホテルには、広報部とか総務部の可成り職制上位の人に聞いたが、帝国ホテルの此の時期の事を解る人が全然居なかった。既に建物は、明治村に移設されているのでこの経緯を解る人が居なかったのであろう。
銀座の交詢社ビルも建て替えられているが内部は交詢社の旧館その儘に使われている。Megumiは帰国した時に、友人と帝国ホテㇽから移籍された物を見学しに、明治村へ行って学芸員から、詳しく帝国ホテルとライトの故事来歴を聞いて来た。
さて、今回のこの帝国ホテルの再開発問題で、こんなフランク・ロイド・ライトとの関わり合いについて三井不動産の人達は知っているかなと思い、顔馴染みの後輩に聞いてみたら、矢張り知らなかった。「よく担当部署の連中に話して置きます有難う御座います」と言う事だった。
確か’15年位前に、産業廃棄物のセミナーが早稲田大学であった。その席でスタンフォード大学で15年も教鞭取っていた福田収一工学博士とご一緒する機会があり、スタンフォードの話をしたら、ハナハウスの事はご存知なかった。其の位、工学部のある場所とハナハウスの場所は離れているとの事、スタンフォード大学はそれ程、広いのである。その日福田先生と、帰り道が丁度同じ方向で、「今日はお会いできてとても楽しかった。スタンフォードがとても懐かしくなった、今度大学を訪れた時にはハナハウスへ行って来よう」と言われた。
これ以降、どこで聞かれたのか?解らないが、僕の所へ「第二次世界大戦の時、東京に駐留していた米軍の部隊長の石像が勝鬨橋の傍にあった筈だけど知らないか?仲間でその石像を本国に作りたいんだ」と言う事を、退役軍人で日本に永住している人に尋ねられたり、「色々、良くやったものだ」と想い出す。兎に角、拙い英語とPCであの時は未だSkypeは無かったのだ。良くあのプロジェクトは成功したものだと思う。勿論、僕もMegu の所へ行った時にハナハウスに行き、ローラ先生に会って来ている。ちなみに、石勝の山口さんがモニュメントの制作を依頼した人は、初めの物を作った人で、スタンフォード大学の今回の取り組みを、「身に余る光栄だ」と凄く喜んでいた相だ。歴史は伝える努力が必要だと改めて感じさせられた。恵にも素晴らしい経験に成った筈だ。
Note Hanna House Lora & Urm Lantin Flog
Exampl : この他に≒10点,Urm(壺)、モニュメント は 帝国ホテルの正面にあった物 明治村、Hanna House, Metropolitan Musuamにあるようだ。
・聖火ランナー スタートと封鎖解除宣言
僕はコロナ第4波が必ず来ると思って居る。非常に難しい判断だが今度のオリンピックは中止した方が良いと思う。世界の他の国から参加があるのか?いたずらに費用が掛かるばかりで...テレワークにも問題が出て来ている様だし、巨大化しすぎた経済をサイズダウンして、新しい世界を造りだそうよ...
・高校選抜野球大会
もう、コロナ下の大会に成れてしまったのか?高校球児の生き生きとしたプレーが強く目に付いた。好ゲームの連続で、無事東海大相模が優勝。良い大会だった。体の大きな子が目立って野球が変わって来たなと痛感させられた。