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“California Wildfires” ('20-9-29)

2020-09-28 20:58:04 | Megu's Sports

★Megu’sSports

One thing after another…! 8月16日の朝にカリフォルニアの夏には稀な、Thunder Storm (雷雨)があった。そして、雷が落ちたところから火事が始まった。ベイエリアでは、3つの大規模の火事。そのひとつは、1902年に設立されたカリフォルニア最古の州立公園Big Basin Redwoods State Park。ここは、まだ行ったことがないところ。だけど、よく行くSanta Cruzと私の住んでいるSan Joseの間にある州立公園(https://en.wikipedia.org/wiki/Big_Basin_Redwoods_State_Park)。美しい、長年地面に立っていたRedwoodが、燃えてしまったことは、とても残念。

これらの火事が始まってから、1−2日たって、煙がベイエリアを覆い始めた。北京で育った友達は、“毎日こんなもんだよ”なんて言ってるけど、これは煙によっての空気汚染。消火活動をしている消防士や火事で避難しなくてはならない人と比べると、これは些細なことだけど、アウトドアのアクティビティーが好きな人にはきつい。Purpleairのサイトで空気質の良いところを探して、トレーニングをしているって感じ。また、アウトドアのトレーニングセッションにも、何日か影響があった。

・で、ちょっと落ち着いたかと思ったら、今度はオレゴンの南の方での大火事。Heat Waveの週末にはじまった。カリフォルニア州のあちこちで火事が起こっているのに加えての火事。2週間前には、空が黄色。一日中、太陽が見えない状態。その次の日から、数日間そんなに黄色ではないけど煙で薄暗い日が続いた。コロナウイルスで、生活が制限されているのに加えて、窓を閉めて自宅に居ざるをえないような日が何日か続いた。

コロナウイルスでのShelter-In-Placeが始まってから6ヶ月ほど。アウトドアダイニングやヘアカットも制限つきでできるようになったけど、またこの上での火事。オフィスに行けず、子供の学校の過程を自宅でやり、精神的に疲れている人、多いと思う。

前にも言ったことがあると思うけど、アメリカは第三世界のようなところがある。インフラストラクチャーに投資がされてなく、そのおかげで、火事予防のために計画的停電をやるだの言っている。停電すると、エアコンも冷蔵庫も使えなくなってしまう。特に暑い日には困るし、コロナのおかげで避難所も容易に設置できない。

・オーストラリアやヨーロッパでは、レースなどを再開しているところもある。ヨーロッパでは、またコロナの感染者増加によって制限が始まっているところもあるらしいけど。無事に家事の季節、コロナウイルスを乗り越えて、“普通”だった生活に戻りたいものだ。

 


“香港Vs 中国問題”      ‘20-9-22

2020-09-21 21:11:56 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・初めての海外旅行 香港、マカオ、広州

1981年5月 年齢47歳海外旅行経験 決して早い方ではない。その年の3月、日中平和条約が締結されたのである。海外旅行ブームは既に盛んで、その中心はハワイだった。

営業部員を対象としての海外旅行は既に盛んだったが、裏方バカリやらされて居たので、世間的にも早い方ではなかった。一番最後に香港を訪れたのは、1997年3月である。16年間の間に5度訪問している。その内、プライベイトは2度ある。こうやって振り返ると、家族で香港に行きペニンシェラホテルに4泊したのが一番高価な旅でマカオにも2泊した。一番印象的だったのは、矢張り初めての’81年の旅だ。

・1984年中古車部長時代に中国の自動車市場調査に仲介の中国人貿易会社に依頼して、2名の人間を上海中心に市場調査に行かせた。費用が邦貨で120万の予算だった。当時の社長に直談判で許可を貰いに行ったら、「君俺だって120万の旅行なんて行ってないぞ...」と言われた。専務は「増田君、何かレポートを書かせてくれよな...」「会社の仕事ですから、勿論、調査項目を指示してあります」「頼むよ」と云う様な状態だった。僕が指示した調査項目を見せたら、驚いていた。

・考えて見れば、デイーラーがメーカーの褒賞金、(又は、補償金リコール等によるとは異なる)に頼る様な経営でなく、自立できる体制を作り上げるには、中古車の体制強化が大きなポイントである。

・さて、初めての海外旅行で印象的だった事を書いて見よう。僕は「共産主義の国では生産物は国に納め、それを政府が公平に配分している」と言う風に考えて居たが、「過剰生産物は如何するのだろう?」と言う疑問が一番だった。色々聞いて見ると各地に「副産品市場」と言うエリアが出来ているとの事。見学を添乗員に頼んだ。行った処は「万松園農副産品市場」である。驚いたのは、「鶏一羽」を売っている人も居るし、屋台を構えている人も居るフリーマーケットである。その後、色んな所へ行く機会があったが、どこでも此の市場の造りは同じである。(下段に当時の広州の写真をのせて有るので見て欲しい。)自動車の中古車市場も同じ様であった。昔広州は、港に10万トンの船が入れるので。交易が盛んで古い西洋風なビルもあった。珠江はまるで海の様に大きく河と聞いて驚いた。夜は家に帰る勤労者が自転車通勤で、街灯も無い暗い道をハエの大群の様に走って来る。車は時々新車の中型車に出会ったが、役人の物で、皆、賄賂だと言って居た。マカオから広州迄は田園地帯で、牛、一頭が当時のお金で日本円の70万位とのことだった。泊ったホテルは「白雲賓館」と言う、広州で当時は一番と言うホテルだった。しかし、水やお湯は黄色く濁って居り、ベットは木のベットだった。それでも高級ホテルなのだ。夜。添乗員が「ディスコが最近できたから行きませんか?」と言って来たので、希望者で行く事にした。体育館みたいな処に、大きなスピーカーがあり、当時東京で流行っている様なディスコミユジックが流れている。1000円の入場料でハーフサイズのビールとおつまみは羊羹、奇妙な取り合わせだった。若い子で満員、僕が見たら東京と同じ様なダンスを踊っている。僕には皆巧く踊っているなと見えたが、若い同行者に言わせれば、「東京の客の方がズット巧いですよ。曲の切れ目には皆一斉に止まる」200人位居たかな?ワンピースの女の子は一人、後は、皆、作業服みたいな服の儘であった。同行の中に当時、流行りだしたポラロイドカメラを持参した者が居て、写真を撮って居たら、珍しいので大きな人だかりが出来てしまった。翌日、ホテルのボーイの控室で、音楽をラジオで聞いている若い子に「開放体制如何思うの?」と尋ねたら、「ドアーを開けて、足を出したのだから、ドアーを閉めたら、足が折れてしまうよ」と言う答えだった。まあ、文化革命は内戦状態だったと言う声もあった。デパートにも行ったが、3万円のルビーを買った仲間のものが居たが、その時売り場には凄い人だかりに成った。責任者風の男性は言葉が通じない、若い女の子を呼んで英語での会話となった。何処でも女の子が英語の勉強をして居るのが印象的だった。その13年後、‘97年に排気ガス問題に北京も真剣に取り組んで居り、「LPG博覧会」にセドリックのタクシー中古車を左ハンドルに改造して出品した。この時も広州市にも呼ばれて、市の役員と講習会、懇親会を遣ったが、この時のホテルが偶然にも「新しくなった白雲賓館」だった。最上階にパーテイルームがあり、そのレイアウトは’84年の時と同じ様だった。兎に角、中国の人は「乾杯」が大好き、女性の役人も男性と同じ様なのも驚きだった。

北京の岩谷産業の事務所の女子社員は現地人で日本語が上手い。「日本に留学していたの?」と尋ねたら「一度も行って居ない」と言う。岩谷のマネージャーは、「日本に行った子は、悪い事を覚えて来るから使わない」と言って居た。左ハンドルに改造した展示車の値段をアンケートに書いて貰ったら、「120~135万」と言う評価だった。5万位の下取り車であるから十分な評価だった。

・今回のタイトルに戻って、現在起こっている中国政府の対香港政策の本気度は「香港の通行区分を如何扱うか?」今は香港の車両は2枚のナンバープレートを付けている筈だ。深圳でレーンの通行区分が変わるのだ。確か、’85年頃に中国は通行区分を左側から右側通行に変えている。その時は3年位の内に北京の車両は左ハンドルになっている。僕たちが開発した中国への中古車の輸出計画も全くダメに成ってしまった。日本の沖縄返還時の通行区分の変更、スエーデン位しか近年では行われて居ないだろう。一つの国の中に右側通行、左側通行が混在する国は、先進国にはない筈だ。今度のウイルスコロナウイルス問題で、武漢のニュースに沢山触れる事が出来たがあんなに発展しているなんて思いもしなかった、中国の発展はこの60年位の間に素晴らしく人々が頑張ったのだろう。日本もこの落ち込みを考えると22世紀の世界に於ける日本の立ち位置を技術指導国にするのか、自動車等の生産物を主体にするのか?政府に真剣に考えて貰いたい物だ。「一帯一一路」は必ず右側通行になる。


“自民党総裁選、立憲民主合併、感じるままに”   ‘20-9-15

2020-09-14 20:07:05 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・自民党総裁選

体調不良で安部退陣の表明があり、任期満了でもなく総理退陣が決った。勿論、Stay Homeで色んな所から情報が入って来る訳でもない。殆どがテレビ、新聞、週刊誌、インターネット等からの情報である。せめて党員投票位やって貰いたかった。自民党の地方党員の中には可成りストレスが溜まっているのでは無いだろうか?現実問題、問題が山積している現在に情勢では、一番妥当な運営かも知れない。但し、もし菅さんが総裁に成るならば、実際に与党内含めた周囲からの圧力に耐えられるか?如何かだ。あれだけの長期間安倍さんの下で仕えていたのだから、相当忍耐力は有ると思うし、図太い神経を持って居るんだろう。石破さんなんか、第二自民党を立ち上げれば良いのにと思う。

第二次大戦後、日本再建の過程で労働運動も盛んだった。民主主義と共産党の主義の対立もはっきりして居たし、特に日産のストライキは有名だったが、あの当時は、職場内に何人の同志を作れるか?何て言う議論も毎晩社内でされて居た。「一人のリーダーが何人纏められるか?10人が最高だろう...」と言う意見が多数を占めていた。丁度、自民党の推薦人20名と同じ様なものだ。僕は、この頃の先輩方の話が強く頭の中に残っている。実際に実務の中でこれを頭に置いて組織造りをして来た。野球のチームでも初めは監督、主将、マネージャー2名と言う4人の指導体制でスタートしたものだ。人数が多くなると、委員会制度を作らないと意見の吸い上げが出来なくなる。自民党は党員数が多すぎるし、勝手な議員連盟が多すぎる。さて、自動車労連でも同じだ。組合役員を進んでやる人間は先ず居ない。そこで執行委員の選挙は、推薦制を取る。そして名前を張り出して投票率を上げるようにする。選挙の結果を見ると、93%位の投票率に成るが、推薦候補の得票に1~3%位の差が出て来る。

これは、「気に入らない奴の名前は書かない」と言う組合員が居るからである。委員長の得票率が一番いいのが望ましいがそうとはならないのだ。自民党の総栽選も同じであろう。

・立憲民主党の合流問題も同じだと思う。枝野、玉木の言い分が良く解らない。もっと「22世紀を見つめた日本の世界における在り方」を考える政党造りをして、人材の育成をして行く政党に成らないと仕様がないだろう。共産党もどうも党名が良くない。先日、5人位の30代の女性が個別訪問にやって来た。共産党の次期選挙に出る人の宣伝だ、「もう共産主義は古いよ」と言ったら、「だって意見を聞いてくれる所がないんですもの」「聞いて呉れても実現しないでしょう、桜の問題とか良い所を突くのだけれど...」「もっと22世紀の日本を考える」とか、「今の問題も否定はしないけれどね」「一度うちの事務所に来てくださいよ」「行ってもいいけれど、その今度何かの選挙に出る人、僕の話解らないと思うよ。若すぎて...」皆、ストレスが溜まって居るのだ。

・世界の中に漂う根無し草の日本に成ってしまう、もっと根を探して、育てよう。そう大事なのは未来像だ。

 

・成蹊大学加藤先生の安倍評

成蹊大学の加藤名誉教授の安倍批判の記事がネットで出て居た。大体、学校の出版物にはこの種の論評は出ないものである。僕は成蹊中学から慶応高校へ行った、野球をやって居たお陰で旧制高校の先輩方も良く知っている人が数人いる。慶応大学ラグビー部に僕の一年上級生が二人居た。一人は成蹊高校時代、野球部で大学に入りラグビーに転じ、全日本の代表にも成っている。合宿所は隣り合わせ、食堂は一緒。その内の一人に昨年末会ったら、珍しく「成蹊は良い学校だったな」「そうですね。校風が似て居るんでしょう」と言う会話をした。僕の成蹊の仲良しは殆どが小学校から大学迄進んだ連中だ。東大へ進んだ連中も多くトップは農林大臣か。安倍批判を読んで加藤先生の出身を調べたら矢張り東大だった。成蹊大出身の先生ならあゝ言う批判はしないと思う。然し安倍さんは矢張り職業政治家良い人柄だけれど学校も変わった方が良い。視野が広がる。加藤先生の指摘する部分も多いと思う。あれだけの立場上の嘘を言い切る人は、相当、忍耐力のある人か?長期政権の奢りだろうか?

P,S

この原稿昨日書いたが、14日は、自民党の総裁選挙があった。ズウット、テレビで見ていたが予想通り菅さんが大差で総裁に選ばれた。石破さん議員票が伸びなかった。矢張り、現職は強い。今の様に問題の多い時は、良いキャッチャー役の官房長官を長年務めた菅さんが無難な後継者と言えるだろう。僕も社長の時は、素晴らしい専務に恵まれた。昔、太平洋戦争の起こる前に軍務長官をして居て、暗殺をされた永田鉄山軍務局長の息子さんだ。年令は、僕と一緒。もう亡くなったが、彼との出会いは本当に幸いだった。


”テレワークと管理“    ‘20-9-8

2020-09-07 21:59:18 | Massy's Opinion

★Massy’s Opnion

前回は、テレワークと副業問題を書いたが、如何してもこの問題に引っ掛かる。間違いなく「ペーパーレス化」に向かう事に異論はない、しかし、人間は何処で働くんだろう。

本当にこう言う問題を考えないとペーパーレス化の成功はあり得ないだろう。どうやら、コロナ問題も少しずつ先が見え始めた感じがする。週刊誌もテレビやマスコミもコロナに対する論調は下火になって来ている。

・先日。8ヶ月振りで区営プ-ルに行って来た。この年で8ケ月のブランクは先ず、泳げるだろうか? どの位、泳げばいいのか?心配ばかりだった。一応昔から泳いでいるし、自分の体調も考慮したが、8か月前のメニュウを目標にした。具体的には、ウオーキング10分、ブレスト10分、クロール10分、ダウンウオーキング10分のメニュウに挑戦した。まあ、矢張り、スピードはがた落ち、具体的にはブレスト25メーターが23ストローククロールが20ストローク位だった。それでも、何とか無事だった。水泳しながら昔のリース部に居た頃1971年頃だった。「どうやって此ののんびりやって居る奴らを激しくやる様にさせるのか?」初めは3人でプールに入会したが、後から参加者が増えて総勢6人に成った。特にk君は1日ピース50本入り一缶吸うヘビースモカーとt君頭は素晴らしいが兎に角世事に疎いお坊ちゃん、どうしても人間関係を作らないと、毎日怒って居ないといけない。こちらも疲れてしまう、そんな事で、プールにいる時間2時間位は禁煙に成るだろう...t君は何か目標を持たせれば...意外にも二人とも一声で「プール行きましょう...」と言う事に成った。「君たち本当に裸の付き合いだぞ...」と言う事で2年位プールに通った。t君は一応課長だったが部下から、「課長を通すと手間がかかります、部長に直接報告します」と言われて困ってしまったが、このt君には、「部下がこう言って居るぞ。存在感の無いマネージャーは駄目だ。朝30分早く来て部下の机を拭いてやれ」と言った。此の裸の付き合いの効果か?彼は云う通りに朝早く来て部下の机を拭きだした。6ヶ月も経つと彼の部下の彼に対する態度が「課長!毎朝、有難う御座います」「いつも君ら足手間問いに成っているからな」と変わって来た。本当のリレイションが生まれて来たのだ。或る時、ジャパンマスターズの25メタ―に出た事がある、t君は僕と同じ組に成ったが、僕には凄い対抗意識を持っていて、スタートでフライイングをして、失格に成ってしまった。 今でも彼も泳ぎに行って居る。

・さて、話が横道に逸れてしまったが、部下の管理はこう言う工夫もしなければ成らない。要は人間関係がなければよい仕事は絶対に生まれない。僕は、長年の経験からこう云う風に考えているが、在宅ではこう言う機会が第一に失われる。セールスの仕事は、上司は「儲けて来い」と言う、お客の前では「安くしますよ...」と言う。これはどんな商品や仕事でも共通である。

・当時、コミッション・セールス(業務委託契約)が二つの課で25人いた。営業所の特色としては、此のコミッション・セールスの中に大学出が15人位いた。社員セールス(雇用契約)は、6名で一つの課を作って居た。ショウルームの当番はコミッションの連中が交代制でやって居り、社員セールスの連中には担当させなかった。僕は、持論通りにフロントに出て居たので、段々実情が解って来た。兎に角、拠点の場所が良く一日に3人位の車を買う人が来る。その代わり、車種は日産車全系列に及ぶ。自社の扱い車種以外は取扱店のセールスを呼んで商談を回す。すると「仲介料」をくれる。これが当時の販売の実態である。コミッションの中には、オイル交換や点検をサービス工場に入れず、自分で遣り、代金は丸々自分の懐に入れてしまう。丁度、僕の親父がこぼし話をして居た事を、前に書いたが、全く同じだった。

・実は、商売の実態は何の商売でも同じ、唯、程度の問題だと思う。25人のセールスは社内の表彰制度に毎年入るような人間が14人いた。中には会社を作って居る連中も居た。これでは「会社は儲からなくなる...」と考えて、懇談室を作り、「一人一人売り上げを会社にあげろ」「領収書は会社の領収書を使え」と説得をして、会社を作って居る連中には、独立する様に説得をした。会社の上司からは「あんなに首を切ったら売れなくなるじゃないか?」とか、色々非難もあったが専務と直談判をして、了承を得て約1年かけて整理をした。

整理をしたんだが、首にしたわけではない。独立を薦めたのである。当時は、「一人月3台と言う」目標だったが、保険、整備等が有るので、「一人月1000萬円売り上げろ」と言った。(台当たり約270万円)「中古車を知り合いの業者に売るのなら、会社を通せ」「此れが嫌なら委託契約解除だ」と言って一人ずつ時間掛けて、話し合いをして結局6人を整理した。営業所内は実に明るくなった。銀行との付き合い方から、紹介までしてやった。或る時、その内の一人と、偶然ゴルフ場の風呂場で会ったら、「所長、去年一億売上ましたよ」と大きな声で言う。「おい、小さな声で言へよ。一人年間1億の売り上げなんて自動車屋としては大したこと無いんだよ」独立させたある一人は、僕の異動先の営業所迄きて「所長、もう金がなくて潰れそうです」と相談に来た。「君台数は、以前通り売って居るんだろう?」「はい、お陰様でもっと売っています」とざっくばらんな話を聞いた。当時で手形4000万持ってると云う。「銀行は如何して居るの?会社としては取引して居ません」「それは苦しくなるよ、銀行紹介してあげよう。手形を担保でお金を借りるか?手形を割り引いて貰うか?してお金を作らないとだめだよ」と教えた。その後この男は、息子に自動車整備を勉強させて、整備工場を始め、僕のこの時の話を有難がり、10年位盆暮れの挨拶に来てくれた。

僕は人間の管理と言うのは、ここ迄しないと駄目だと思って居る。PCのソフト造りは,派遣が殆ど、「20年位前はクライアントの会社に詰めっきり…で一体この子の管理は如何しているんだろう?」と思ったものだ。

・長々と経験を書いてきたが、書き足りない部分は沢山ある。然し、「労働時間短縮」「テレワーク」とコロナが落ち着けば、マスコミは、そちらの方に中心が移るだろう。

確かに、ITの進歩は著しい、労動条件も変わるだろう。大事な事は、「企業は働く人の所得源泉の場」だと言う事。テレワークが進むと在宅勤務に成り、やがて副業が増えると、管理はどうなるのだろう?結局、労働者は過酷な安い収入と過酷な労働条件に落ち込んで行くだろう。コロナ後の日本は自民党の総裁が変わっても何にも変わらないだろう。先ず、安倍内閣の総括が必要だ。安部ノミックス、働き方改革、言葉は良いが中身は国民の大半が良くなるものでは無い。マスコミもレベルアップが必要だ。今度、日産に政府が特別融資の保証をするとか?それならば20年前のルノーとの合弁問題の時に何故同じことをしなかったの?政府に国家の産業ビジョンが無かったからだと思う。ゴーン問題も起きなかっただろう。誰か?22世紀の日本を考える政治家はいないものか?