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“Racecation 2019: Eurpoe” (09-21-2019)

2019-09-23 22:05:03 | Megu's Sports

★Megu’s Sports

・Sooo… I have a lot to say here. 今年の”Racecation (Race+Vacation)”は、World Championship Tour: ITU Age-Group World Championship (Olympic Distance) in Lausanne, SwitzerlandIronman 70.3 World Championship in Nice, France。この2つのWorld Championshipが、2週続けて同じ大陸であることは稀。で、運良く、出場権取れましたので。

・旅のRouteは、San Francisco> Zurich-Lausanne>Genoa>Nice>Zurich>San Francisco。ベイエリアの友達で、この2レースに出るKyleとSan FranciscoからNiceまで、一緒に旅することになっている。

・San Francisco> Zurich-Lausanne: スムースな旅。フライト定刻。荷物も到着。ZurichからLausanneは、車で2時間半ほど。途中で、Bernに立ち寄ってランチ。ZurichBernは、言語がSwiss-German。Lausanneは、フランス語。スイスって、小さい国なのに、最低3言語が使われている。

・Lausanne:ホテルにチェックインしたあと、Lake Genevaに泳ぎに行った。Lausanneは、クロワッサンの形をしている、Lake Genevaの上(北)の方に位置している。思ったより、暑くて湿気が多い。30度ぐらい。Lake Genevaの水は、ひんやり気味だけど、カリフォルニアの海に比べると、かなり水温が高い。で、澄んでいて、魚がたくさんいる。So far, a good start.

・レースの前は、登録、ミーティングなどに時間を取られるけど、その合間に、街の散策。レースが短いので、ちょっと気が楽。Kyleと一緒に“Old Town“ を訪ねる。“Old Town“ は、湖沿いのリゾートのような雰囲気とは違って、モダンながらも、歴史のある建物が多く、ずっしり感のある街。Lausanneは、坂の多い街。どこに行っても、坂の上り下り。レースのベニューに通うだけでも(私のホテルが坂の上だったんで)、坂を避けられない。レース前の数日、一日20,000歩以上歩き回って、足が結構疲れた。

 

・Lausanne

・ITU Age-Group World Championship:16th place AG out of 93ITU Age-Group Worldsに出るのは、今回5回目。多分、成績としては、過去で一番良かったかな。スイムが、ウエットスーツなしで、水が荒かったのが、私に取ってプラスに。バイクは、長めの上り坂が入ったテクニカルなコース(2周)。1周目は、様子を見る感じてちょっと軽めに。で、2周目は、様子がわかったので、もっと積極的に。ランも、短いけど急な上り坂が入っているコース(2周)。初めの坂が、ランのスタートから1キロ目ぐらいにあるので、抑え気味でペースを維持するようにして走った。このレース、コースが、自分に好ましいコース。で、データをあまり気にせずに、自分に集中しつつも、レースの環境を楽しめたレース。で、結果が付いてきた。One done. One more race to go.

 ・Genoa via Torino: レースの翌日、地元のプールでちょっと泳いでから、Genoaに向かう。車で、約5時間半。途中で、Torinoに立ち寄って、散策。ヨーロッパの町は、どこへ行っても、歴史のある建築、古い建物から構成されている。歴史の浅いカリフォルニアと比べると、重みが感じられる。建物ひとつひとつが、アート。Torinoも、その町のひとつ。ちょっと、寂れてる感じ。 Genoaに、2泊。Genoaは、港町。これも、ちょっと、寂れてる感じ。スイスに比べると、道路があまり整備されていない。経済の反映でしょうか。Genoaの町は、朝、ランニングしながら散策。そのあと、Italian Rivieraにドライブ。ハイライトは、PortfinoGenoaから車で1時間ほどいった、海岸沿いのまち。観光地ながらも、そんなにギラギラしてなくて、景色はなんとも言えない。Picture Perfect。Portfinoに行く間に、いくつかのビーチを見つける。水着を持ってかなかったんだけど、どうしても泳ぎたくなった。ので、キオスクに行って、安いビキニ(Speedo for Kyle)と子供用のゴーグルを見つけて、購入。$10のタオルをシェア。で、海に入った。海は、しょっぱ目。かなり暖かい。で、すごく澄んでで、水族館の中を泳いでるみたい。This $25 for the swim gear…so worth it.

・Nice via Monaco /Monte Carlo: Genoaを出て、Niceに向かう。車で2時間半程。バケーションの気分でいたけど、まだ長いレースが残っている。ちょっと現実に戻って、緊張感が出てきた。Monaco /Monte Carloは、Genoa からいくとNiceの車で30分ほど手前。カジノで知られている。品のあるLas Vegasって感じ。1時間半ほど歩き回って、Niceに向かう。

Niceは、想像していたよりも、混雑している。ブランド品の店、観光客、トライアスリート。運転・駐車するのに一苦労。この旅で、初めてストレスを感じた日。友達に文句を聞いてもらって、気を取り直す。で、頭もレースモードに切り替える。ベイエリアからIronman 70.3 Worldsに出る4人の友達が合流。翌日の朝、スイムに。Niceの海も暖かく、澄んでいて、魚が泳いでいる。難しいのが、海への出入り。砂じゃなくて、ゴロゴロした石のビーチ。水辺が、ちょっと急。笑っちゃうけど、四つん這いになって、水から上がる。

・Ironman 70.3 World Championship:103rd place AG out of 240。6回目のIronman 70.3 Worlds。目標は、トップハーフ。スイムは、12位で通過。まあまあ。バイクのコースが、challengingなのは承知。コースをドライブしたのと、コースをバイクで乗った友達のタイムから、3時間半かかるかなと予想(ほとんどのレースでバイクは、2時間45分から3時間ほど)。半分登りで、半分下り。登りは、心してトレーニングしていたので、そんなにキツくなかった。下りがテクニカル。もともと苦手な下り。下りも意識してトレーニングたけれど、慣れないコース、スピードバンプ、路面の亀裂などでリズムが取りずらい。無事に終えられて、最後の10キロほどの平地に戻ってきて、ホッとした。ランは、フラット。心拍数が高め。維持できそうなペースでスタート。10キロほどから、足の指に”hot spot”ができて、走りずらい。観戦しているともだちに”Don't give inwalking!”と言われて、”ok, don't walk”と自分に言いながら走る。最後の5キロぐらい、ペースを持ち直す。で、ラストの200mほど浮きまくって、Finish。Done! It was f*^king hard… レースは、タイムとしては、ほぼ予想通り。でも、予想以上を、願っていた部分もあって消化不良気味なところ。けど、とりあえず、完走したので、よしとしよう。

                             Nice

 ・After the race in Nice: フランス人の友達がパリから来てくれた。彼とは、彼が昨年、サンフランシスコに来ていた時に会った。一緒にランをしたり、ロッククライミングを教えてくれたりと気が合う。“来年、Niceに行こうとしてるんだ”って言って、その後、連絡をたまに取り合っていた。レースの前は、イベントやミーティングで忙しいから、レースの後に来れたら来てって。私自身、レースの前の“ルーティン”があるし。と言いながら、レースの2日前に来ることになった。気があうのはわかってるけど、そんなに長い時間を一緒に過ごした訳でもない。良いDistractionになるか、Screw-upになるなって思っていたら、良いDistractionになった。トライアスリートでもなく、知的にレースに関しての興味はあるけど、それほど真剣にレースの話をしないところが、いい。で、レースの前の“ルーティン”を保たなくてもいい自分を見つける。レースの後は、雹が降ってきた中ハイキングに行ったり、車で石をぶつけた時に助けてくれたり(英語は通じても、フランス語の方が物事が早く進む)、暗い中ヘッドライトをつけて、海で泳いだりと数日の間に、普段ではできない・しないようなことを体験した。

・今回のRacecation、学んだことが多い。

1)英語が今話せるけど、英語圏でないところで、英語で通用させようとすると、なんか典型的なアメリカ人になった気がする。最低でも、そのエリアの言葉を、一言でも言えるようにという努力した方がいいなと。

2)一緒に旅している人をお互いに説明なしで、理解することって大切。で、自分にまだ適応性があると(笑)。

3)たいてい、Racecationからリフレッシュして帰ってくる。今回は、Vacation Blueから1週間ほど抜けられなかった。仕事に戻ったら、自分の世界が小さく見えたり(笑)。3日前の8マイルのトレールラン、久しぶりに足が軽く、いいランができた。これが、きっかけで、ようやくVacation Blueから抜け出した。

 

 

 

                                                                                                                                        

 


“中国の自動車市場調査の思い出”     ‘19-9-17

2019-09-16 16:42:59 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・今週のブログは,なにを書こうかな?と考えた。何しろ日産の人事問題、安倍改造内閣問題、熱戦を繰り広げているプロ野球、大谷翔平君の手術問題、消費税問題、世の中如何なって行くのか、全く解らない。先週の“新聞記事より”について熊大の外川先生からmailも頂いたが、先生がごく最近北京に行かれたと言う事を聞いて、改めて、「Gas China」展覧会に行った時の事を古いアルバムを見ながら出来るだけ正確に記録に留めようと考えた。先ず、自動車業界でも、こんな経験をした人は先ず居ないだろう。

*’81年 中国市場に目を付けた経緯は、「先ず、ディーラー経営は、中古車とサービスで固定費の80%を賄えるように考え無いといけない」と言う事を考えると中古車の販路を考えなくてはいけない。1981年日中交流が許されて、3月後、の5月に香港、マカオ、広州の褒賞海外旅行が組まれて、幸いにも参加することが出来た。香港からマカオを経由して広州に行く旅である。勿論、今から約40年前の話で、マカオも大きなホテルは、カジノのあるリスボアだけ植民地風情の十分に残っていた時代である。マカオから広州へは古い中型の日産民生のバス、エアコンが半分壊れて居て音が大きくともチットも冷えない暑い旅だった。道は凸凹やがて海かと思うほど大きな川をフェリーで渡り、広州側に着いた。少し道路が良くなったかなと思っていると、1台の黒いクラウンの新型がバスを追い抜いていく。添乗員に「あれ、如何してあんな新車が走って居るの?」と聞いたら「偉い役人が載って居るんですよ、ワイロですよ」と言う話だった。広州で泊まったホテルは「白雲賓館」広州で一番のホテルと言う話だった。広州迄の道すがら周囲は水田地帯、水牛しか輸送手段は見当たらなかった。当時、水牛一頭が85万円位、ダットサントラックが1台85万位だった。広州の町は夕方は自転車が無灯火で一斉に帰路について、まるで蚊の大群が押しかけて来るような感じだった。

夜、「ディスコが出来たから行きませんか?」ガイドに誘われて行って見て、驚いた。体育館みたいなところで若い子が一杯、ワンピースを着ている女の子は一人だけ、後は皆、人民服みたいな作業着である。踊っている踊りは当時、六本木で流行っているディスコダンスと全く同じ、この格差と流行の伝わり方の速さには驚いた。如何して、こんな六本木とリアルタイムなの?」と聞いたら、「留学生の帰国が自由に認められるようになったからですよ」

と言う話だった、翌日、ホテルのボーイに「開放体制どうなるの?」と聞いたら、「ドアーを開けて、足出したのだから、ドアーを閉めたら、足が折れてしまうよ」と言って居た事が忘れられない。色んな思い出話があるが、貨幣の交換所などに働いている若い子が皆机の下で英語の勉強をして居たのが印象的だった。ツアーの仲間の一人が、百貨店で日本円で3万円の「ルビー」買ったら、人だかりが出来て、大変だった。僕は、旅行の目的の中に共産主義社会は、「過剰生産物を如何しているのだろう?」と言う所を調べたかった。街の中には、「福産品市場」と言う区画があり、鶏1羽を売っている人が居た。これも印象的だった。

       

 

 

 

 

1.農福産品市場

2.1羽の鶏を売る

3.焼き豚売り 

*93年 台北 LPG講習会台北のタクシー会社団体の講習会である。

*‘94年上海、福州 さて、第3回目の訪中は‘94年、お客様の「春駒交通」様が、上海の政府から派遣留学生を通じて、上海1の1200台保有する運送会社に投資の依頼が来たことによる、合弁会社の設立の話である。これも上海の市長が出て来て盛大な発足だった。つぶさに上海の運送会社を見てきたが、荷物は予定取りに届かない。過積載は当たり前、日本では考えられないレベルであった。浦東地区が出来上がる時期で、多くの会社に荷物の輸送をやらせてくれ」と東京からも交渉したが全部「日通」を通さないと駄目だった。海外の仕事は「信用第一」を痛切に学ばされた。この時、福州にも廻ったが、飛行場からパトカーの先導で、ホテルの前では、小学生のブラスバンドが出演の歓迎であった。

 

 

 

 

 

1.広州の保税地区である。驚いたことには、ベンツ500Slオープン、BMW7000 シリーズの走行0、の新古車が売られている。輸入禁止と言われながら、良く解らない。此処は、「罰没」と言う輸入禁止の車を罰金を取って罰金を上乗せして売るらしい。後方の建物は同じような「罰没」のバイクの新車が沢山あった。東京のそれぞれのディ―ラーが何らかのルートを使って、東京で一度登録をして流すのだろう。

2.左ハンドルに改造する場合、此の保税区域内のこの工場が良い。改造しても税金がかからない。


 

1.岩谷産業のLPGガス の供給基地の一部家庭用ガスも全部LPG 膨大広さと量で驚いた。

*'97年Gas Chinaこれまでの流れがあり、折からの世界的な排ガス対策に中国の「排ガス対策の真剣度」を勘案して、香港政庁からも依頼が着たのでこの真剣度を判断して、香港のタクシーを日産に奪還するべくプロジェクトチームを組むことにした。香港のタクシーは当時保有台数20000台殆どが日産セドリックの中古車上がりだった。それが、今回の真剣な」大気汚染」排除の運動の中で真剣に取り組まれたのである。前々回のブログかな外川先生文章の中に「4年ぶりに訪れた北京の空気が奇麗に成って居るのに驚ろいた」と言う記述があるが、北京が真剣に取り組んだか結果だと思う。当時、香港政庁は30台のテスト車を作る計画で、僕らは最低15台は受注しようと決めた。政庁の希望は新車5台、使用過程車3年物、5台、5年物5台で燃費等のテストをして見たいと言う希望であった。トヨタは仕様過程車は出来ないと言う事だった。兎に角、この商戦は5分に持ち込む事が出来た

最後に北京のタクシーのLPG化にガススタンドを如何いう風に作ったら良いか?と相談を受けた。北京の中心から5キロ幅で円を描き、その円の上に星形に配置をすればどうか?という提案をした。果たして、北京のクリーン化がどんなに進んだのか?興味深い。

 

*兎に角、こんな経緯があり、今回の自民党の会議がどんな形で進むか解らないが、「一帯一路政策」等中国の動きは22世紀の見ものである。自動車も中古車の流通を考えることが大事とメーカーが解体車の処理まで責任をもって考えることが必要だ。今、香港は政治的に荒れているが、メインランドと香港のナンバープレーとがいつ壱枚に成るのか一つの目安だ。 

 *最後に 初めての中国調査から、すでに40年近く経過している。丁度、出来立てのDISCOで六本木と踊りを踊って居た子達や、「ドアーを開けて、足を出したのだから、ドアーを閉めれば、足が折れてしまうよ」と言って居た青年たちが中国のエネルギーに成って居るんだろう。‘81年の泊った「白雲賓館」’97年にも偶然泊った。最上階の日本人向けの部屋は装いも新しくなっていたが、中国ビジネスとの縁を感じた。

 

 

 

 

 


“新聞記事より”     ‘19-9-12

2019-09-09 19:17:21 | Massy's Opinion

★Massy's Opinion

・中国中古車市場で日本の低燃費車普及へ具体策検討 自民議連

日本経済新聞2019年8月29日 15時47分

 中国の中古車市場で日本の低燃費車を普及させるため、自民党の議員連盟は具体策を検討し、政府への提言をまとめることになりました。

29日開かれた自民党の議員連盟の会合で、会長を務める甘利元経済再生担当大臣は「アメリカの対中政策によって、日本企業は中国市場との向き合い方に悩んでいる。問題を提起し、解決の道を探っていきたい」と述べました。

そして、環境保護や雇用創出にもつなげようと、中国の中古車市場で日本の低燃費のガソリン車を普及させるためのルール作りや、高度な技術を要しない中国の半導体工場の日本への移転を促す方策などについて、検討していくことを確認しました。議員連盟では、来月中にも提言をまとめ安倍総理大臣に提出することにしていて、来年春に予定される中国の習近平国家主席の日本訪問に合わせて、日中両政府の間で合意できるよう働きかけていきたい考えです。

 ・僕が60年を超える自動車ディーラ―勤めの中で、一番力を入れたのは、新車の販売と利益の上がる会社造りだ。それで、中古車についての活動は出来る範囲で日産圏のグループ造り、オークション体制造りには随分と力を入れた。勿論、一社で出来る訳はなく、グループ会社との連携も力を入れたし特に中古車の基本価格表造りは重要な仕事だった。もうその時の仲間も皆、定年でも一人だけその仲間に自動車関連のニュースを毎日送ってくれる仲間が居る。新聞雑誌等の中から記事をピックアップする必要もなく凄く助かっている。その中で上記の記事が入って来た。きっと、彼は「僕が喜ぶだろうな」と思っているに違いない。恐らくこの記事を書いた記者も、その上の人も此の事を中国と話し合うのは大変難しい事だと言う事は解って居ないだろう。

 ・とは言っても自民党の議員連盟の事は良く解らないので、wikipediaで調べてみた。まあ、沢山の議員連盟がある事、そして、甘利元大臣が何の議員連盟の会長をやられているのか、調べ切れなかった。そこで、甘利元大臣の地元の事務所には、メールアドレスが出て居たので、下記の様なメールを打った。今回の中国への中古車輸出は「日本の中古車輸出業者が問題提起をしたのか?」「外務省が言い出したのか?」「中国側が言って来るとは思えない」色々、この種の問題を研究している大学の先生方も居られるので、紹介方々下記のメールを送って置いた。僕は、当初、この問題は「2070年を目標」にと言って居たが昨今の世界情勢だと「22世紀」の問題になるだろう。

・Mail to 外川教授(熊本大学)塩地洋(京都大學)浅妻祐(北海学園大学)

教授各位
ご覧になったかもしれませんが、甘利先生の事務所に「この問題は、貴殿等が詳しいです」ついでに僕のブログを見て下さい。
と「甘利さんの投稿欄」に投稿しました。
民主党政権時代に田淵哲也(大阪日産出)眞嶋大臣(トヨタ労連)等に話す機会がありましたが、 
 皆さん「君は何時も変な事を言うな、だけどホントだな(田淵先生)」と言われました。
自民党の奥野議員(元日産取締役)等も自動車の事は忘れているでしょうか?。
日本華人教授会議(在日中国人の教授の会議。ブログ ’19-6-11日本華人教授会議、参照)でもボスの先生が「香港とメインランドの通行区分」
(香港は右、メインランドは左)の事を知りませんでした。果たして自民党の結論はどうなりますのやら...
 
増田 弘
 

・Re:増田弘様

㏄ 塩地先生、浅妻先生

 

熊大の外川健一です。大変興味深い話題提供、ありがとうございます。

たまたま先週、中国・北京のフォーマルセクターの中古車オークション市場を浅妻先生と視察してきました。4年ぶりの北京は、本当に大気汚染が改善されていて、びっくりでした。(運転マナーの荒さや、事故現場での喧嘩は相変わらずでしたが。)

 釈迦に説法ですが、中国は表と裏があり、表でも北京のような共産党政権のおひざ元では、環境政策が本格的に進んでいるところでは、ユーロ1、ユーロ2相当の国1、国2の中古車は北京市内での取引は難しいようです。(でも実際は決行されていますが、今後はどうなるか?)国1、国2あるいはそれ以前の中古車は、地方へ出せばそれでよいみたいです。

中国では原則10年で普通車は廃車するはずですが、そのうち25%はそのまま走行しているというデータもあります。 実際に現地でEVは見られませんでしたが、今後はEVを中心に、日本からの低燃費の中古車ではなく中国産の新車が、北京では中心に流通される気がします。(日本メーカーが現地生産している新車の販売は伸びるかもしれませんが。)また中国共産党が、「右ハンドルの日本の中古車を輸入して流通させるとは全く思えません。」(増田様のご指摘したハンドル統一戦略(通行区分の世界統一)、再考してほしいですね。)

北京のオークション市場では、いわゆるブローカー(レモン造り屋)が沢山居たり、ナンバープレートを勝手に偽造したり、書類を捏造したりする人が多いみたいでしたが、これらの人はどんどんインフォーマルな世界へ流れていくでしょう。ただ、フォーマルな流通市場でも結構インフォーマル的な要素が多かったです。

自民党がどんな形の結論を出し、本当に中国への提案をするのか、興味津々です。

8月30日 
外川健一(とがわけんいち)

 熊本大学大学院人文社会科学研究部(法学系)・環境安全センター長
電話・ファックス:096-342-2852
メール:togaw@kumamoto-u.ac.jp

 

“Diary 152 “ ’19-9-3

2019-09-02 22:02:23 | Massy's Opinion

 ★Massy’s Opinion

8.1豊川詣り

例月通りのお参りとお昼は「狸うどんにとろろのトッピング」帰りは何処にも寄らずに家へ帰る。今月も無事にお参りできた事に感謝か..

8.9神谷町お祭り

町会の中では「やるか、やらないか」散々もめていたようだが、結局は例年通りに開催。幸いに好転に恵まれて、例年通りの開催が盛大に出来た。フラダンス、バンド2ッ、開始時間を30分早めた。パキスタン人の35歳位の人が一人でフラダンスを見ていたが多分ハワイに行った事は無いだろうと思って、片言の英語で話しかけた。案の定、行った事なし。此のダンスはいま日本の女性の中では凄く人気があるんだ。腰を落とす振りが多く、ストレッチの運動と一緒、衣装は安いし、自分で作る楽しみもあるので、人気があるんだ。喜んでいた。翌日、早速メールでお礼が届く。

8.11新派 朗読劇 「女優」松井須磨子の生涯 於 新橋演舞場

朗読劇と言うのを知っている人が多いのか多くないのか?僕には解らない。然し、僕はかなり以前から知っている。要するに俳優さんが台本を持って、ある劇の「セリフ」だけを読むのである。簡単な後援会のアトラクションにもやる事が多いし、三越劇場、とか演舞場とか舞台の大きさで演じ方、役者の数、舞台装置は椅子だけのケースが多い。従って、一日だけの公演が多い。今回は新橋演舞場出の公演タイトルは、「女優」松井須磨子と島村抱月の監督と女優の悲恋もの。脇を固める俳優も人数は多かった。終わってから丸山先生(慶大名誉教授、元野球部長)の呼び掛けの下、銀座ライオンでビールを飲みながら、演出の成瀬先生も参加され、簡単な打ち上げ式。顔見しりや慶應義塾の歌舞伎同好会のメンバーが主体で15人位のパーティー、先日は後輩の赤嶋君の親友に会い、今度は寺岡君の親友に会い何処に行っても友達が出来る。演舞場の様な大きい舞台での朗読劇は役者のアクションも大きくなる。朗読劇と言っても、色々な変化の幅が広く、ジャズのアドリブと一緒の様だ。

8.17塾高野球部 学年幹事会 

慶應義塾高等学校は創立70周年に成る。所謂る、学制改革が行われた時代である。

塾高野球部の70年史を作ろうと言う事で、特に昔の古い話を生き残っているOBに聞いて置こうと言う企画である。4回生、酒井マネージャーと僕、5回生初の甲子園組薄君6回生寺岡君進行は福島副会長、学校側は七條副部長、それに編集手伝いの神奈川新聞から、カメラマン含めて8人位がオブサーバー。ブロック予選を見てから13時頃から始めた。我々はいつもしている話だが、酒も飲まず5時半頃まで、想い出、不満、甲子園での応援席の熱気出るは、出るは色んな話が出て、素面で話し合ったことは無いから皆の熱気に」圧倒されてしまった。やっぱり、慶応野球は石丸先生、長尾先生、山岡三田倶楽部会長のご指導の下今日があるのだろうと言う事になった。

 8.17Jazz Brat 山田壮晃 Big Band Orc. With Yoko,M

例年通りのBig Band Orc.の入れ替え制。夜の部は18時開場。Yokoさんの出番は夜の部。

日吉の学年幹事会が思いの外盛り上がりJazz Bratの前でワイフと待ち合わせ。座席も良い席を取って置いてくれた。彼女の出番は最後から2番目。最後は、男性歌手西村さん。最近スタンダードジャズを唄う男性歌手は本当に少ない。年齢も自ずから上に成って来る。でもそれだけ場数を踏んでいるので、シナトラ・ナンバー等は聞かせてくれる。女性歌手は4人、一人3曲づつ。Big Band Orc.はブローブローの元気な演奏。あゝ言うスタイルだと思って聞くことに尽きる。お客も年寄りと女性客が多いく満席だった。フルバンドは維持も大変演奏する場も少ない。一年一回の開催が良い所だろう。僕は、それなりに満足。ワイフはどうしても「#&b」「故増田イチローさんのフルバンド」と音揃い等、比較してしまう。

 8.25アフ友 臨時総会 於 JAICA

友成君の熱い「キャッチボールで世界を平和に」の本が出版されて、もう20年近くなる。

上記の帯にひかれて友成君を調べたら、何と浜田山小学校~高井戸中学~慶応高校~慶応大学ズ~ッと野球部、驚いてしまった。浜田山にそんな後輩が居るなんて...それから随分応援をして、兎に角、存在感を作る為には、月一回の練習を...と言う事で、三井グラウンドで練習を始めた。その後、グランドが再開発をされてホーム・グラウンドを神宮の軟式野球場に移し、月1回の練習をやり、アフリカ人を集めるのに散々苦労をした。それでも、杉並三田会の六大学応援会や慶應大学野球部の個人的な応援を得て、今日までやってきたが、ホーム・グラウンドが無くては存在感が示せない。そこで、幹事長の友成君は現体制のNPO法人「アフリカ野球友の会」を発展的に解散して、経済活動を主体に組織を作り直したいと言う臨時総会だった。アフリカへの経済活動は、そんな生易しい物では無いし、現組織の解体はやむを得ないとしても、名前を全く新しくした方がいい。と言う事で僕は一人だけ「保留」をした。約7か月後には、全く新しい組織が出来るだろう。僕も幾つもの野球を広めようと言う活動をやってきた。ミヤンマーでは中古車の輸出をした1996年に当時の軍事政権の大臣達と話をしたが、「お金が掛る」と言う事で、野球は出来ないと言う意見だった。タイでは僕の同級生の榊原君がミネベアに行って居る時に会社の野球部を作ったが、その後の話はあまり聞いていない。もう全て昔の話だ。アフ友も小須田君事務局長、粂田、江藤理事本当にお疲れ様でした。最上さん、丸山先生、曽根君、塾高野球部OBの大林君、宗原君、松尾君他山本君、ニッキーさん、柳北エラーズの赤木さん、あの頃は楽しかったね...