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<font size=4><strong>“2013年を振り返ると…” ‘13-12-31 </strong></font>

2013-12-31 08:18:18 | Megu's Sports

今年もあと今日一日。ま、今年は、ひとつの節目の年とあって、とりあえず、“出たいレースに出る”というのがプランであった。その他は、大学の仲良し三人組で集まること(これは、私がいつも問題なんだけど)。

レースの方は,2年前に東北地震のためレースが、延期され結局出なかった横浜のレースをしに、はるばる日本にやってきた。日本でのレースは、プランを立てるのがやっかい。私が、右ハンドルと細い道の日本で、人を当てずに車を運転するのが、あやしいっていうのが大きな理由のひとつなんだけど…友達のヘルプのおかげで、Mission Accomplished。もうひとつは、2年前にDNF(=Did not Finish.今迄に約150レース位参戦、Bikeのtroubleと体調の2回だけ)して心残りになっていたIronman 70.3 World Championshipに出て完走すること。これも、達成。

そして、昨日、仲良し三人が伊豆で4年ぶりの再会。“大室山登るから、運動靴もってこいよ”って言われたから、どんな山かと思っていたら(well, 大室山がどんな山だか知らなかった、私...)、高さも景色の眺めもオアフのダイヤモンドヘッドのような感じの山。富士山と伊豆大島が、同時に見られる。昨日は、快晴で、「やぱっり、富士山は、日本一だよな」って思わせられる眺め。で、友達の家族とも、久しぶりに会え、もてなしていただいで、楽しい日帰り旅行でした、はい。

これらの当初の目標的計画の他に、2-3年前から頭のはしっこにあったのが、家の購入。家というか、シリコンバレーで私が購入できるのは、コンドミニアムなんですけど。大学卒業後、留学して、5年程出おくれて社会人になった自分。物価も生活水準の高い、San Francisco Bay Areaに拠点をおいているということで、マイホームを手に入れることなど考えられ なかったんだけど。2008年の景気の大暴落、低利子、フリーランスで仕事をはじめたのをきっかけに、自分にでも買える物件があるかなと思い始め、今年になって、探し始めた。と同時に、回復と住宅価格が上昇しはじめ、市場が”Seller’s Market”に。 投資目的で現金でシリコンバレーの住宅を買いにくる人なども多く(中国人が多かったりする)、住宅価格が上昇し続け、購入が難しくなってきた。また、私の第一条件が日当りの良い所。第二条件が、バイク(自転車ね)をおけるStorageがあること。そして、もちろん、トレーニングのサイトに便が良い所を見つけるとなると、より難しい。半年で、かなりの物件を見たあと(50件以上見たかな...)、ついに気に入ったところを見つける 。当初、9人の買手がいた、この物件。1ヶ月の山の様な書類、交渉、鑑定、審査、ミーティング、証明、認定、登記、ストレス、睡眠不足、新しく学んだ不動産用語、不動産手続きなどなどのあと、ようやく、購入過程/契約が完了! それで、鍵を貰った次の日に、内装の色を私ごのみに変えるので、ペンキを塗り替え(てもらい),引っ越し。まだ、マイホームには一週間しか住んでいないところで、東京に来た。ということで、来年の目標は、とりあえず、ローンを払いはじめて生活を成り立たせて行くこと...。


<font size=4>“猪瀬問題” ‘13―12-24   </font>

2013-12-24 08:25:27 | Massy's Opinion

Opinion

☆12月23日 天皇陛下 誕生日朝からテレビを見ていて、天皇陛下と美智子皇后陛下を改めて良く見させて頂いた。先週のブログは、明石さんの「つくらざる尊厳」の読後感を書いたが、尚更に同世代としての実感を本当にご立派な両陛下だと感じさせられた。あれだけの病魔を乗り越えられて、ご公務を果たされるのには本当に強い責任感とご意志によるものだろうと正に「尊厳」を感じさせられた。人間は「40歳に成ったら自分の顔に責任をもて」と言われるが本当に自分の顔を鏡で見てしまう。

☆さて、タイトルの「猪瀬問題」良くテレビに映し出されるが、何と「嫌な顔なんだろう...」僕は、「慎太郎さんが如何いう意図で副知事にしたのか?」あの頃から「慎太郎さんはボケたのではないか?」と思って居た。一体、慎太郎さんは真実どんな話で猪瀬に辞任を迫ったんだろう?あの汗をたらたら流しながらの答弁、幾ら400万を超える票を取ったって、本当に投票する都民も都民だ。兎に角、目立ちたがり屋だろうと言う事は想像がつく。ここまで来たら、猪瀬さんも慎太郎さんにどう言われたか?ハッキリと公表するべきだと思う。その時に彼の顔付は少し良くなるかも知れない。僕は、余り人の顔の好き嫌いを言う方では無いし、言わない様に心がけているが、本当に猪瀬さんの顔は嫌いである。目付きが気に入らない。もう、今年の一年は後7日で新年を迎える事に成るが、ちっとも良い事の無かった一年だった。来年は消費税問題で世の中が「如何変わるやら...」落ち着いて、希望が少しでも見えるようにして欲しい。皆が笑顔で過ごせるように今から、年末年始の願い事を考えて行こう。


<font size=4><strong>読後感“今上天皇 つくらざる尊厳” </strong>‘13-12-10 </font>

2013-12-17 08:07:44 | インポート

級友が綴る明仁親王」 明石元紹  (講談社)

さる12月5日講談社から標記タイトルの本が発行された。著者は僕の大学一年先輩の明石さんである。学習院から大学は慶応へ進まれた方で、勤め先はプリンス自動車~合併により日産自動車である。会社退職後は、洋画を描いて個展を開き既に15年位に成る。僕の高校時代、慶応高校の野球場は、現在の矢上キャンパスの場所にあり、日吉台との谷間に馬場が今でもある。毎日、馬場の傍を通って通称「嵐が丘」と呼ばれていた野球場へ通って居た。馬術部は高校も大学も同じ処で練習をしていたが、3年生に成った時、一際目立つハンサムな高貴な雰囲気を漂わせる人が居た。当時、高校の馬術部には成城学園中学から慶応に来た難波君、山岸君が居たし、浜田山の家の直ぐ傍には、伊東正浩、秀介の兄弟が住んで居て、正浩君は馬術部に入って居た。そんな事で、自然と顔見知りも多く、「あの人何て言う人?」「学習院から来た、明石さんと言う人だよ。皇太子殿下の幼稚園からの親友だってさ。偉い人なんだよ」と言う様な話が入って来る。僕は中学を成蹊で学んだが、旧制の7年制高校では、成城、学習院と良く野球の試合をしたので、近親感のある学校で、各校の気風もそれとなく知って居た。

社会人に成って、僕は、日産メーカーに出入りをする様になったが、ここでも、色んな先輩方にお世話に成った。プリンス自動車と合併した後、当時の日産は大手町ビルに本社が在ったが、秘書室長は山田潤史朗さんと言う慶応の先輩で、或る日、秘書室に来るように言われた。そこで山田さんから「今度合併したプリンスの明石君だ、君の一年先輩だよ」と紹介されたが、「増田さんですね」と明石さんが僕の名前を呼ばれた。「何だ、君達知って居るのか?」と山田さんに言われた初めての出会いを昨日の様に覚えて居る。これから、明石さんとの仕事を通じたお付き合いも深まり、飲みに行ったり、麻雀もよくした。勿論、仕事もしたが、お客様にメーカーとして、謝りに行くような必要が出来ると、明石さんにお願いをしたものである。

毎年、個展を見に行って居るが、風景画が主体だが、年々腕が上がり、絵を見ているとその人の成長度合いが解る。昨秋の個展ではベネチアを中心とした作品が中心であった。「明石さん、今度は随分主体が変わりましたね」「そうですね。ベネチアが良かったもんでね...」「今、本を書いているんですよ」「何の本ですか?」「マア、自伝みたいな物ですかね...」と言われていたが、その本が発行された。

さて、読後感を書く前に背景、周辺の状況(偉い軍人の子息に知り合いが多い)を記そう。いずれも、会社での同僚、学友である。最近、この激動の時代の本を読むことも多い。何れの諸氏もスラーッとして姿勢が良かった事に気が付いた。

・明石元紹  慶大31年卒 明石元二郎男爵 陸軍大将 台湾総督1864年生 孫

・永田忠昭  神大31年卒 永田 鉄山   陸軍中将 軍務局長1884年生 子息 没

・枝 誠    慶大31年卒 枝   台湾総督府 階級役職 不明      子息 没

・有末満夫  成蹊大32年卒 有末 精三  陸軍中将  1895年生 子息

さて、本論の読後感に入ろう。明石さんは非常に大人しい、穏やかな人である。本書の初めは「明石家のルーツ」から始まっているが、格式の高いお家柄で、普段はあまり口にされないが20年位前だろうか、業界新聞に一面の及ぶ論文を書かれた事が有る。自動車業界の事であるが、「へえ、明石さんこんな事を考えて居るの…それにしても大胆だな...」と感じた事が有る。と同時に文章の的確さも際立ち、基礎学力の高さも現れていた。今回の著作も約300ページに近い記述で、克明な記憶に基づいて書かれている。同世代の第二次大戦を身をもって体験している僕にとっては、「あゝあの時、僕は桐生の伯母の処に疎開して居たな」とか「玉音放送」を聞いた時の事とかが思い返された。我々世代にはそれぞれの生活の中で、忘れられない事だろう。陛下の中等科時代の綽名が「チャブ」だった事も綽名の羅列の中でさりげなく書かれているが、前記した色々な関係の中で僕は陛下の綽名を知って居たが、まさかこの著作の中に書かれて居るとは思はなかったし、此の事で明石さんは、「本気で書いて居るなァ」と感じた。これは、最後の章の「私の皇室観」に連なる、明石さん真剣な願いだと思った。最近の今上陛下のご活動ぶりを拝見していると医者嫌いの僕には耐えられない様な大手術をされ、尚且つご公務に就かれている陛下を拝察すると正に題名の通り「つくらざる尊厳」を感じさせられる。此の書は、後世、今上陛下の在り様を記録に残す「歴史的価値が有る書」だと思う。慶應を出た者には小泉先生の言葉は、未来永劫に伝えられる言葉で、僕はまじかで先生のお話を聞いたことも有るし、神宮球場でお目に掛かった事もある。晩年、リーグ戦の始球式をされた事があるが、その前には、キャッチボールをするために野球部から現三田倶楽部の会長の加藤太郎さんがお宅に呼ばれてお相手をした事も知っている。正に「練習は不可能を可能にする」を実践されて居られた。陛下の人間形成には、陛下の元よりの気質は兎も角小泉先生、バイニング夫人等の外部の諸先生方のお力も大きいと思う。いずれも、宮内庁外部の方でありこの先生方を選ばれた関係者の方も慧眼をお持ちの方だったと思う。又最近の陛下を拝見していると、時得るごとに陛下ご夫妻がご自分の生き方に自信を持たれているようにお見受けする。


<font size=4><strong>“政界混沌“    ‘13-12-10    </strong></font>

2013-12-10 07:58:48 | Massy's Opinion

“Opinion” 僕の世評

  ☆自民党の本性がでてきたか?

国会末期を迎えて、自民党の強行採決、メッキの剥がれた橋下維新の西軍、中がぐちゃぐちゃな民主党、ハッキリしているのは共産党、意気軒昂な志位さんと、影の薄い生活の党、何かよく解らないみんなの党、自民党も小泉元総理の原発問題、総理夫人の防潮堤反対、これでは一つずつでも強行採決をして行かないと全然前に進んで行かないだろう。そして、則近が病に倒れて行く...並みの神経では、やって居られないね。後には猪瀬都知事の黒い霧が厚く垂れこめているし、これはオリンピックを控えて国際問題だ。4番バッターを引っ張って来るようにケネデイー大使に総理をやって貰った方が、オバマとも近いようだし方向性がハッキリする。

  ☆可哀そうなのは国民

被災地区の人は、本当に気の毒。その次には大半の国民だ。然し、こんな世の中にしたのは、国民の責任も大きいことを忘れては駄目。もっと、「国民よ悧巧に成ろう」最近、行政改革、公務員の削減なんて大きな声で叫ばれて居てもちっとも進まない。然し、もっと急務は全農、漁協の組合組織かも知れないと考える様に成って来た。一生懸命自活しようとして居る様だが、農業に働く人を硬直化させてしまったのは、肥大化したこの二つの組織かも知れない。僕の昔の仲間で、優秀なセールスマンが居たが、55歳で生まれた土地の秋田へ帰って、親の面倒と農業を継いだ男がいる。彼らしく、無農薬の稲作をやって居る。毎年、米を送って来てくれるが、ワイフが「とてもおいしい米だ」と言って居る。先日、電話で話したら「先輩本当に自信を持って作れば、お客様はリピートして呉れますよ」「嬉しいですね...」と言って居た。40年位前彼と同じ営業所に居た時、僕が良く海釣りに行った佐島の漁師さんから「養殖わかめを売ってくれないか?」と頼まれた。その頃、釣り用のボートを友人3人と持って居たが、その漁師さんにボートを預けていた。そのボートのエンジンを預けていた倉庫にワカメが一杯に積まれていた。その年はワカメが取れすぎて、「漁協では売ってくれない」「へえーそんな事あるの?」ぅて言う話になり、「一袋 500円でいい」と言うので、営業所に持って帰り赤坂の料亭街に「車を売らないで良い、これを売って来い」と命令した。「産直だよ、間違いなくいいもんだよ」車のセールスがワカメ売りに来るんだからお客も驚いたろう。本当に良いものだったのでその漁師さんの在庫が無くなるまで売った。その内にセールスはお客様から信用が付き、いろんな話が出来る様に成り、「運転手さんを世話してくれたら、車を買うわ」と言う話に成った。里帰りして、実家の農業を継いだ彼が、「先輩の言った通り、良いものを作ればきっと売れますよ。兎に角、農協はデカくなり過ぎて我々の助けには成りませんよ」と言って昔話になってしまったが楽しかった。


<font size=4>“Diary 83” ‘13-12-3 </font>

2013-12-03 07:53:15 | Massy's Opinion

So Busy!

☆11・2~3早慶戦:  vsW 1回戦、2回戦ともに連敗。続く翌日の新人戦も早稲田に敗退。酷いシーズンだった。春から vsW5連敗。多くは語れない...

☆11・6高校2Hの会 於いて 交詢社:  一年振りかな?幹事は野球部仲間の嵐君、約半分の20名が集まる。応援団の荻野君が病気をおして、奥さんの介添えで、車椅子で参加して呉れた。在学時代は僕の隣の駅から通学した仲間。野球が好きで静岡の知久君も遠路参加。昨年は、萩原君が、往年の日活の肉体は女優「筑波久子さん」を連れて来た。如何いう具合か解らないが、今年は一人だった。岩手から菊池元参議院議員も参加。各自、近況を報告。僕は「来年の野球の見通しを聞かせてくれ」と言われて「新監督で任期中に一度は優勝するだろう...」と話しておいた。

☆11・9 京大セミナー:  京大 品川キャンパスで開催。今回は塩地先生が「中古車輸出は国内新車の増販につながるか?」と言う、自販連、通産省からの問い合わせに答える為の、外部研究員からのヒアリング。まあ、大勢としては勿論役に立つが、そのウエイトが「如何か?」と言うと世界情勢、関税問題で、幅の広い意見に成った。2月の名古屋でのセミナーでは、実務経験者として「新車販売と中古車販売」連携の講演を依頼された。

☆11・11 田淵哲也さん米寿のお祝い:  元民主党参議院議員田淵哲也さんの米寿のお祝いが国会の憲政会館で開かれた。僕が組合専従をしていた時の「自動車労連 販労の組合長」大阪日産出身で、自動車界では貴重な議員先生だった。僕の持論「通行区分の世界統一」も「もっと早く俺が現職の内に言って呉れればな...」「直島元経産大臣に良く言っておくよ...」と3年位前に言って呉れた。でも、お元気で記念講演も立派だった。国会図書館に行ってチャンと予習をされたらしい。50年振り位に会う人も多く、良い会だった。

・メトロ管理組合: 区分所有している神谷町のM/Tビルの大きな区分所有者が持分を東京メトロに売却、其れに伴って、管理組合が変更に成るため、臨時総会が開かれた。マア、根回しもきちんとされているので、ビルの名称も町会の意見を反映した「メトロシテイ神谷町」に決まった。色々、予想外の事が起きる物だ。

☆11・12 六球会 東大球場: 恒例の六球会の野球試合。今年は、神宮が耐震工事の関係で、東大球場に変わって、RvsM、HvsT,KvsWの三試合が行われた。Rは初めて一勝したとの事。Tは惜しくもサヨナラ負け、Kは昨年から若手(と言っても42~4年卒)に切り替わり、初回に大量得点して、12対4で快勝。現役に見せたいような勝ちっぷり。投手吉田、島村、捕手島村がシッカリしているし、濱監督の采配も的中。何処の学校も還暦野球をやって居る連中のプレー振りが光る。法政古島32年 立教黒沢35年のキャッチャーがフルインニング出場には、頭が下がる。慶應の島村捕手(44年卒桐蔭)は未だ若い。先が有る。さて、僕は怖い先輩に命令されて六球会に参加したが、初めての早慶戦は、東大球場だった。メンバーは、1番藤野(30年卒、桐生高~日石)2番僕、3番廣澤(灘~佐々木硝子)4番山下(鐘紡)5番馬場(サッポロ)の30年組が主体だった。早稲田のピッチャーは上春(日本鋼管)さん、藤野さんがライト前ヒット、僕もライト前ヒット、廣澤が自主的バント、その後、山下、馬場と快打が続き、スコアは忘れたが、あの時も1回の大量得点で大差の快勝。早慶戦5回目が、東大球場はもう20年前の話だ。良いチームが出来て本当に嬉しい。これで六球会も歴史が繋がるだろう。

☆11・14 ゴルフ 平田杯足柄森林: 久しぶりの平田杯。レディース2人入って若手と年長組に分かれた。天気も良く富士山が綺麗で久しぶりにノンビリしたゴルフ。

☆11・15 樫の会・慶応読書会合同会:: 今月は「樫の会」100回を記念して、慶應読書会と合同の講演会。3人の先生によるパネル・ディスカッション。3人の先生は「日本の財政の現状と消費税問題」で持論を話す。

講師 

・吉川 洋(東京大学大学院経済学研究科 教授) 「財政の現状と課題」           

・土井 丈朗(慶応大学経済学部)           「消費税引き上げの必要性」

・植草一郎 (スリーネイションズリサーチ株式会社)  「財政改革と日本の将来」                   

前者二人は消費税アップ賛成派、植草先生は無駄を切り真の財政改革をしてから消費税アップを...と言う意見。三者の講演の後、デイスカッション。面白かったが時間が足りる訳はない。植草さん以前世間をお騒がせしたが、冒頭にその件は控訴中と挨拶をされた。事務局丸山先生「随分思い切った講師を集めたなァ」と言う感じと、それでも、「多くの聴衆の面前で話が出来るなァ」話は一理あるけれど...と言う感想である。 

☆11・17 新宿トラッド・ジャズ・フェスティバル:詳細は先週のブログに書いてある。 

☆11・18 Vivaゴルフ会:日高カントリー約60名の参加。吉永、萩原両元会長に是非ともと誘われて参加。この前、「是非」にと言われてプライベイトでラウンドしたが、若い連中には敵わない。ゴールドティーは、抵抗が有るし...この間、テレビでアメリカのレッスンプロがシニア―は「ゴールドティーで...」と言って居たが、レギュラーティーで、見栄を張る。ぺリアでHDCP33,5今年は日高(カートなし)で2度プレイした事に成る。

☆11・21 雄球会 ヤムヤム: 日吉倶楽部の中のインナー倶楽部加藤雄司さんを囲む会。浜松から5回生の斉藤君、箱根から武井君も参加、5回生以降の監督が山田、鶴岡、武井と揃う。4回生はオブザーバーで明浦と僕。幼稚舎の近藤名誉教諭が「甲子園」に出て居たら「僕の人生変わっていたかもしれない?」大学野球部の進んでいたと言う事。でも、「出られなくて良かった」と言って居た。ずっと幼稚舎で人育てをしていて良かったと言う事だ。幼稚舎の担任は受け持ったクラスは6年間変わらないので、凄く教育に充実感があったのだと思う。いずれにしても慶応高校野球部の基礎造りのメンバーの集まり。「ヤムヤム」オーナーの五十嵐君にはいつもお世話に成りっぱなし。

☆11・28 鶴の会: 凄い好天に恵まれた。体の調子が良く、スタート前に素振りをしたら、珍しくバックスイングのトップで力が入らない。気分が良くなって、少し真剣にやった。パット15。昼食で休んだら、体がこちこち...15番からスタミナ切れ...K君が30メーター位のチップインをやるし、絶好調。付いたキャデイーさんがとてもいいキャデイーさんで、「ゴルフやるの?」って聞いたら、この間、キャデイー仲間のコンペで41,41の82で優勝しましたよ。但し、レデイーステイーですけれど...」「へっ!凄いな、僕たちが下手糞で見て居られないでしょう」「そんな事、在りませんよ。仕事終わってから3ホール位練習しますよ」年齢は、50歳位かと思ったら、「66歳ですよ」だって、「驚いたな女性力」

☆吾郎ちゃんのご招待: 我らが高校の同級生に畑中吾郎さんと言うレスリング部に在籍したボスが居る。生まれは汐留、泰明小学校、慶應商工、高校で僕の隣の席だった。世に言う「銀座の番長」お金持ち。「マア、昔の仲間と飯をくいたいなあ」と言う事で、アメラグやレスの連中が、人集めに入り、25人位新橋亭で昼食会。吾郎ちゃんの奢りである。新橋亭はボクシングの呉君の店。兎に角、体育会各部で良く練習した連中。本当に昔話に花が満開...最後は「吾郎ちゃん、又やってよ...来年、花の咲く前にね」一同のお願い...本当に忙しい11月だった。