☆本来、爽やかな筈の5月も「サイクロンだ」「大地震」だと日本に被害が及ばないだけ「幸せ」と思わないといけないだろう。その代り、政治、経済、流通問題、問題だらけ。
自動車業界で「レモンのマーケット」の地位の向上が出来ないか?と考えて居たが、他の業界も酷いものだ。「船場吉兆」お客の食べ残しの再利用、経営者とすれば「高い食材だから、勿体無い」と言うことになるのだろうが、それにしても「倫理観」は何処へ行ってしまったのか?経営トップは何時も自分の倫理観との戦いの筈だ。
僕は、「フランチャイズシステム」、「細かいマニュアルはめ込み型」は嫌いだ。
☆ママの入院で外食を余儀なくされているが、家の近くに「かつじん」と言うトンカツ屋がある。小さな店だが入ってみた。棚に古伊万里の小皿や徳利が形よく相当数飾られている。掛かっている音楽は「ビートルズ」オンリー...可なりな「拘り」である。今この競争の激しい時代、「良く一人で独立した物だ」と話を聞いて見た。今、40歳手前、20位の時から、店をやろうと「伊万里とビートルズとトンカツ」に拘ったとのこと。こう言う店は他の客の食べ残しは使わない。本来は3ちゃんで奥さんが「フロアーをやらないと...」聞いたら、奥さんには「子どもと家を守って貰う」と言っていた。頑張って欲しいものである。
☆最近、同年代のPC嫌いから、「熱いメールが来た」ので、次に載せよう。
☆「Letter From Y,Usuki」 ‘08-5-27
☆Y,Usuki=僕の大の球友 塾高5回生 甲子園出場組み(喫茶店massyの名付け親) 最近、時代に追われて、PC大嫌い人間が携帯メールにはまりだした。図太い指で小さなキーを押している様...期待するラブメールは来ない。そこで...
☆暇な爺の独り言...神宮球場の正面入り口で慶大の中林投手と偶然出合った!ひと回りもふた回りも大きくなり、貫禄とオーラを彼に見て塾のエースを感じた。「おい!デッドボール大丈夫だったか?」「はい、大丈夫です」「頑張れよ!!」「はい!!」出会い頭の短い会話だった...帰りの車中見慣れた車窓の景色をボーと眺めながら...6年前の彼、中林の姿が浮かんで来た。
新チームの練習試合が日体大荏原と六郷であり、マッサンに誘われて見に行ったんですよね。僕(薄)は大学卒業後塾高校野球部と始めての対面だった。上田監督が「今年のチームは良い子供達が居ますよ!」コーチの高村もそんな会話に目を細めていた。投手中林、佐藤、捕手鹿毛高橋玄、一塁大久保、二塁谷地、三塁湯浅、遊撃漆畑、外野手長谷、忠本、佐藤他のメンバーだったかな?その後、館山合宿に増田先輩、林 薫(長島に8号ホームランを打たれた31年秋の優勝投手カーブが絶妙、神戸高)保田、僕(僕なりの思いを背負って)が押しかけコーチに出かけた。其の時、林君に中林、忠本がカーブの投げ方を教わっていたが、二人とも割り箸のように痩せていた。2005年その中林達の面々が念願の選抜甲子園出場を果たし、中林の雄姿は今や慶大のエースとして我々を楽しませてくれる…月、日の流れるのは早いものだなあ。あー疲れた続きは又気が向いたら...作家になろうか?...
☆続き パソコンも使え無いしワープロも無いので疲れる。5回生の黒松と共に日吉倶楽部を創立するのに力を入れ塾高校に5回生から五十嵐清、味野和、山田(大学野球部直結)君らを監督として送り込んだ。現在は上田監督にお願いし、黒松が病いで九死に一生を得て4年目、どうも体調が良くなく高熱が続き、体が動かないと弱気な時期、加藤雄司監督と黒松と僕と3人で昼飯中、黒松が「おい!よつちん最近塾高校は甲子園出場を忘れてるなあ、俺は腹を決めて病院に行くけど塾高校の甲子園出場頼むぞ!」と言い残して帰らぬ人に成ってしまった。
中林以下塾高校の連中の選抜甲子園出場を見せる事が出来なかった。保田は黒松の額入りの大きな写真を甲子園に持参した。事情を知っていた回りの連中は涙を流した。今、大学で中林が活躍しているのを見るとジーンとする…思いが残っているのかな?それとも年齢のせいかな?…
自動車業界で「レモンのマーケット」の地位の向上が出来ないか?と考えて居たが、他の業界も酷いものだ。「船場吉兆」お客の食べ残しの再利用、経営者とすれば「高い食材だから、勿体無い」と言うことになるのだろうが、それにしても「倫理観」は何処へ行ってしまったのか?経営トップは何時も自分の倫理観との戦いの筈だ。
僕は、「フランチャイズシステム」、「細かいマニュアルはめ込み型」は嫌いだ。
☆ママの入院で外食を余儀なくされているが、家の近くに「かつじん」と言うトンカツ屋がある。小さな店だが入ってみた。棚に古伊万里の小皿や徳利が形よく相当数飾られている。掛かっている音楽は「ビートルズ」オンリー...可なりな「拘り」である。今この競争の激しい時代、「良く一人で独立した物だ」と話を聞いて見た。今、40歳手前、20位の時から、店をやろうと「伊万里とビートルズとトンカツ」に拘ったとのこと。こう言う店は他の客の食べ残しは使わない。本来は3ちゃんで奥さんが「フロアーをやらないと...」聞いたら、奥さんには「子どもと家を守って貰う」と言っていた。頑張って欲しいものである。
☆最近、同年代のPC嫌いから、「熱いメールが来た」ので、次に載せよう。
☆「Letter From Y,Usuki」 ‘08-5-27
☆Y,Usuki=僕の大の球友 塾高5回生 甲子園出場組み(喫茶店massyの名付け親) 最近、時代に追われて、PC大嫌い人間が携帯メールにはまりだした。図太い指で小さなキーを押している様...期待するラブメールは来ない。そこで...
☆暇な爺の独り言...神宮球場の正面入り口で慶大の中林投手と偶然出合った!ひと回りもふた回りも大きくなり、貫禄とオーラを彼に見て塾のエースを感じた。「おい!デッドボール大丈夫だったか?」「はい、大丈夫です」「頑張れよ!!」「はい!!」出会い頭の短い会話だった...帰りの車中見慣れた車窓の景色をボーと眺めながら...6年前の彼、中林の姿が浮かんで来た。
新チームの練習試合が日体大荏原と六郷であり、マッサンに誘われて見に行ったんですよね。僕(薄)は大学卒業後塾高校野球部と始めての対面だった。上田監督が「今年のチームは良い子供達が居ますよ!」コーチの高村もそんな会話に目を細めていた。投手中林、佐藤、捕手鹿毛高橋玄、一塁大久保、二塁谷地、三塁湯浅、遊撃漆畑、外野手長谷、忠本、佐藤他のメンバーだったかな?その後、館山合宿に増田先輩、林 薫(長島に8号ホームランを打たれた31年秋の優勝投手カーブが絶妙、神戸高)保田、僕(僕なりの思いを背負って)が押しかけコーチに出かけた。其の時、林君に中林、忠本がカーブの投げ方を教わっていたが、二人とも割り箸のように痩せていた。2005年その中林達の面々が念願の選抜甲子園出場を果たし、中林の雄姿は今や慶大のエースとして我々を楽しませてくれる…月、日の流れるのは早いものだなあ。あー疲れた続きは又気が向いたら...作家になろうか?...
☆続き パソコンも使え無いしワープロも無いので疲れる。5回生の黒松と共に日吉倶楽部を創立するのに力を入れ塾高校に5回生から五十嵐清、味野和、山田(大学野球部直結)君らを監督として送り込んだ。現在は上田監督にお願いし、黒松が病いで九死に一生を得て4年目、どうも体調が良くなく高熱が続き、体が動かないと弱気な時期、加藤雄司監督と黒松と僕と3人で昼飯中、黒松が「おい!よつちん最近塾高校は甲子園出場を忘れてるなあ、俺は腹を決めて病院に行くけど塾高校の甲子園出場頼むぞ!」と言い残して帰らぬ人に成ってしまった。
中林以下塾高校の連中の選抜甲子園出場を見せる事が出来なかった。保田は黒松の額入りの大きな写真を甲子園に持参した。事情を知っていた回りの連中は涙を流した。今、大学で中林が活躍しているのを見るとジーンとする…思いが残っているのかな?それとも年齢のせいかな?…