★Massy’s Opinion
10・1豊川詣り
デコルテでワイフのヘアーメーク その後、豊川さんへ。久し振りにMr,M氏にお会いする。車好きの彼は、今度はFiatのコンパクト・カー最近良く町で見かけるモデル。燃費は良いし、乗り心地も悪くないと...但し、サーフィンに行く時は当然大きい車で行くとか...夷隅に別荘を造ったとか、お金持ちの自由業的な人だが車へのお金の掛け方は並ではなさそう。僕の食べる「力うどん」を見て、「マッサン力好きですね...」「ウン、お餅が好きでね」
10・6シーボニア会
今月はA嬢とM嬢が参加。A嬢は女性特有の癌の手術後だったが、すんなり痩せて元気に一人で来た。まあ、髪の毛も元通りになっていたし良かったと思う。話題は専ら病気の話。圧倒的に前立線癌、PSA値の話。良い時代に面白く働けた事に感謝。何時も通り定刻オーバーでご挨拶を受けるまで話が踊る。
10・8~10 Y,T君来宅
「僕の実家は、浜田山...」と言って憚らない、T君夫妻勤務先のヤンゴンから1年ぶりの帰国で、3日間泊まりに来る。9日は、転職時にお世話になったY氏を三軒茶屋のアスターにご招待して、昼食の会食。僕の中学時代からの親友の兄貴。勿論、野球仲間。喜んだなァ。Y氏の家に近い三軒茶屋にした訳だが、何十年振りで訪れた三茶がすっかり変わって居るのに驚いた。
10・13 慶応義塾読書会 於 糖業会館
講師 名誉教授 福岡正夫 「マイナス金利管見」
・1黒田日銀緩和政策の足どり 三つの次元・六つのステップ
・2なぜ物価上昇率2%は実現できないのか
・3マイナス金利政策の成否
・4問題視すべき副作用いくつか 三菱ufj Primary Dealer (特権返上)
・5管見一束 量的緩和 インフレ期待 日銀の隠れ株主―共産主義へ
以上のテーマで講演された校長先生の昔と変わらぬ話し方に学生時代を思い出しながら、
国民が一人当たりの生産性を上げる考えを持たないと経済再建は困難だと感じた。
10・18成蹊野球部の後輩と...
井の頭線の沿線には、成蹊の仲間が多い。人のめぐり合わせは面白いもので、僕と「東京日産神宮ネット裏会」をやっているK君の住んでいるマンションに成蹊高校が一番強かった頃、早実の投手が、ソフトバンクの王投手の時代だ。その時の選手T君がK君と親しくなり、麻雀の例会を持っている。偶々、野球の話でK君が僕の名前を出したら、一度会いましょうと言う事になってお茶を飲んだ。T君は興銀務めで最後が日産車体の監査役、日産で僕が大変お世話になった竹井副社長がT君と同じ時期に監査役だったりして、話題が飛び跳ねた。T君は興銀グランドの管理人まで知っている。僕の野球の原点はそのグランドだ。
その内に昔の成蹊の野球仲間と一度会いましょうと言う事になった。再会を期してその時は別れたが、T君のセットで僕の同級生のA君と最強時代の学生監督だったS君を連れてきた。4人ともJazzが好き、野球が好き。場所は、「光琳」と言う浜田山の蕎麦や。其処の社長はお年寄りだが、Jazzが大好き。皆、スイング・ジャズの時代、若い二人は一緒に野球をした事は無いがS君は僕の事を覚えていてくれた。此れが又、猛烈に楽しい会食だった。今度1月の「光琳」のジャズコンサートには4人で行く事にした。その前に麻雀をやろうと言う事になった。
10・21~23チエ 来宅
7月~9月7日まで、家にホムーステイーしていた台北のチエが此の日程で家に来たいと言ってきた。22日がワイフの誕生日なので、お祝いにと言う事。勿論、断る理由はないが、「本当にママのお祝いに?」「東京が恋しくなったの...早すぎるね...」お土産を沢山持って一人でフライトして来た。「只今...」って入ってくる。初めての一人でのフライト。屹度お母さんが「一人旅を経験させようと」考えたのだろう。本当に世界は近くなったものだ。日本語が上手くなっていた。秘密兵器の中日辞書を持って来ないで来日出来たんだから...
10・26 塾高2Hの会 於 交詢社
4年振りかな?大分集まりも減ってきて15名だったか...話も初めのうちは余り盛り上がらなかった。そこで僕が「週刊新潮」掲示板欄の湯川れい子先生の記事に三保敬太郎の名前が出ていたが、世良譲、三保敬の順番で出ていたのが気に入らず投稿する気になって三保の天才ぶりを投稿したら湯川先生から直筆の便箋3枚の返事を頂いたり、数人の友人から「杉並の増田」と言うのは、「お前だろう...」と電話があった話と連合三田会で「講談:端艇部メルボルンオリンピックへの道」と言う講談をやった人が居る。その人は今、弓術部の監督をしている若林さんと言う人だ。と言う話をした。生憎、当時のキャプテン須永君は体調不良で欠席していたので、残念だったが、それから皆一斉に話がシンクロして、楽しかった。
10・27 成蹊中同期会 於 松本楼
2日続いての成蹊の同期会。もう仲良しだった野球部の連中も居なくなったし、随分体形の変わった奴も多かった。女子は一クラス4人位だったが、8人位出席していた。此れも面白い縁で当時小柄だけど足の速い活発なAさんと言う美人が居て人気者だった。此の子のお母さんが慶應高校の英語の先生で僕らが教わった事がある。僕は初めはその事を知らなかったが、誰かが「U先生の娘さんはテストの採点をしているんだぞ...成蹊から立教女学院へ行ったんだ。だからお前は英語の点が良いんだ」と言われた事がある。又、彼女は慶應の一年下の僕の良く知っている男と結婚したのだ。此れは全くの驚きだった。彼女にその話をしたら、「家の人、今日マッサン来るのかな...くれぐれも宜しく...」と言って居たそうだ。採点のことを聞いたら、「そう高校の時は少しだったけれど大学へ行ってからは随分やったわ。勿論、増田さんのも見ていたわ」と言う恥ずかしい話。時を経ると昔はしにくかった話が女の子とも平気で出来るし、ゴルフにも誘われた。今、女は強い特に独り者は...」
10・29銀座「はち巻 岡田」100周年を祝う会 於交詢社
関東大震災からいち早く復興を立ち上げた言うなれば「呑みや」「はち巻 岡田」が親子三代が店を継ぎ、100年を迎えた。水上滝太郎著「銀座復興」のモデル劇団新派の演目にも成って居る。慶應義塾 名誉教授丸山先生の音頭で著名人が発起人になってのパーテイー。何時も此の劇団新派の役者は僕の好きな「瀬戸魔純」と「田口守」が主役で公演されている。お二人にサインを貰って、何時もと違う世界に浸ってきた。
10・29~31慶早戦 と今秋の六大学リーグ戦
最後の早慶戦は、1勝1敗の後、31日の3回戦で久し振りに慶應が勝ち点を取って2位になった。早慶戦は、得点3試合で慶應5点、早稲田3点の接戦まあ新聞の上では、K加藤とW石井のドラ1位対決とか、加藤の300を越える奪三振とか、タイトルには充分だが、内容的には貧打戦か?今秋のリーグ戦は東大の活躍が期待されたが、宮台君が体調不良で当板が無く、いま一つの盛り上がりには欠けた様な気がする。お客様は、よく知っている、WvsM, KvsRの日は神宮も観客が多かった。神宮のネット裏は熱狂的なファンが多く、常連が多い。皆さん情報を沢山持っていて、高校の有名選手をそれぞれ応援したり成長振りを楽しみにしていらっしゃる。新人戦も直ぐ翌日からなので、「特別入場証とか招待証」は新人戦も通用するようにして欲しい。来年は是非優勝をして欲しい...今シーズンも対明治のストレート負けは痛かったな。勝ち点ゲームはトーナメントと同じ。一つの負けが響く。
・こうやって“Diary” を書いてみると、飲む機会が多く、凄く忙しい10月だったな。