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“Hydration”   ‘17-6-27

2017-06-27 07:41:23 | Massy's Opinion

 

★Megu’s Sport:

The Heat Wave is here! この1週間、Silicon Valleyでは、35度以上の日が続いています。日本の夏とは違って、湿気がないぶん楽だと思うんですけど。でも、日差しの強さは、カリフォルニアの方が、かなり強いですね。冷房が必要な日は、だいたい年間で合計2−3週間ぐらいでしょうか。いつもは、夜になるとかなり気温が下がるんだけど、今回のHeat Wave、暖かい夜が続いている。カリフォルニアの気候、かなり乾燥しているので、汗を掻くと、塩分が結晶になって肌に残るんですよ。塩が吹いたみたいに。

 ・さてさて、この暑い日々。Hydration(水分補給)が、大切。体の55-75%は、水分。脱水症状になると、内臓・神経・筋肉とあらゆる部分の機能が低下します。で、一般的には、どうも気分が良くない、ゾクゾクする、体温の上昇、尿の色が濃くなる、思考力低下、痙攣など様々な症状が出てくると。また、鬱の症状も出てくるって、知ってた?(http://www.health24.com/Diet-and-nutrition/Beverages/12-interesting-water-facts-20120721

・今月の初めに出場したIronman 70.3 Victoria。レースのコンディションは、悪くないインだけど、私にとっては、ちょっと寒目。湖の水温は、18度。Wetsuit Swimにしては、ちょうど良い感じ。だけど、バイクに乗った時の外気が8−9度。その日の最高気温が、15度ぐらい。普段は Transitionに時間がかかるから着ないんだけど、その日は、長袖のbike jerseyと手袋をしてバイクに乗り始める。気温が低いから、40kmぐらいになって、ようやく体が温まってきた。カロリーは、エナジージェルで補給してたんだけど、わかっていながらも水分の補給をほとんどせず。これが、ランに入って、悪影響。明かに、水分不足。どんなに寒くっても、運動中は、思っている以上に汗かくんですよ。

 ・ということで、 暑い日でも、寒い日でも、体はいつも新陳代謝をしているので十分に水分を補給することが大切。一般的には、1日1.36-1.84Lの水分が必要と言われています(http://www.webmd.com/a-to-z-guides/tc/drinking-enough-water-topic-overview#1)。“喉が渇いている”と感じた時には、もう水分が十分でない状態なので、喉が渇いたと感じる前に、水分の補給をすること。特に、運動する人、膀胱炎、通風などのある人は、それ以上に必要。また 、汗かきの人、汗をいっぱい掻く人は、electrolyte(電解質)の補給も大切。ここで、注意したいのは、スポーツドリンクは、糖分が含まれている物が多いので、減量中の人は、飲み過ぎない様に。コーヒー、お茶などカフェインが入っているものは、利尿効果があるので、そのほかに余分に水分を取ること。Stay hydrated and enjoy the summer!

 


“よく動いてくれた人々に感謝 Ⅱ”   ‘17-6-20

2017-06-20 08:14:16 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion

 ・野球部時代(集めたメンバー数字はポジション)

一人一人に出身校や甲子園経験とか、これまでの野球プロセスがあった。「どうしてこんな選手がレギュラーになれないんだろう?」と言う選手も多かった。硬式野球を遣る前提で選手を集めたがグラウンド用地の取得が車の置き場になってしまった。仕方無いので軟式でやることになり東京都の連盟に加入申し込みに行くと、メンバーの説明等をしても港区のCクラスから出ないと「駄目」と言われた。集めた連中を軟式で遣ることに説得するのが大変だった。硬球から軟球に変わると中々慣れるまで良い当たりはしない。一年目有りとあらゆる大会にエントリーして、81試合全部トーナメントをこなした。町の早朝野球レベルが相手で、兎に角、順番に階段を上がって行かなければならず、皆、「俺たちは六大学で遣ってきたんだぞ」と文句を言う。煩かったな。勿論、港区のCクラスで優勝。殆ど石川君が投げたが、彼は、よく僅差のゲームでタイムリーエラーが出ると、「バックの7人は敵だ。キャッチャーの黒沢だけが見方だ」と言っていた。

1960年チーム結成以来、2年目は、丸特でAクラスに上がった。20チームで日通、日石,等硬式から降りてきた連中が居て強豪ばかりだった。 ‘62年忘年会で、僕のした挨拶。「皆、一年間有難う。まあ、色々、不満もベンチ批判もあったろうが、僕のサインを見落としたのは、EとMだけだ。でも、皆4年間(大学時代補欠)試合していないんだから仕様が無いよな。来年も怪我無く頑張ろう...」

当時一人W大出の内山君を僕の家に2食付、月4500円で下宿させていた。年令も近いし一番僕に文句を言う奴だった。お袋を合宿の伯母さん扱いにして、「お母さん、パンツ 洗っておいて...」お袋が、「いくら親しいと言ってもチョッと何とかしなさいよ」こんな具合だから試合中もいちいち「早稲田ではね...」と言い出せば、明治出は、「明治ではね...」と文句を言う。‘63年の大会は、緒戦、駒沢球場で宿敵「東京トヨペット」(立教の準硬式OBが主体)と当たった。ゲーム前の円陣を組んだ時に、このW出の内山君が「今年は、ベンチの批判は止め様よ」と言って呉れた。「嬉しかったな。ああ人を動かすのには忍耐がいるよな」去年の忘年会の時の僕の挨拶が効いたのかな...とつくづく感じた。この年は黒田(日大三高甲子園~早稲田)も加入して左腕2枚で港区優勝、東京大会で優勝して東京代表になって全国大会に出ることになった。この東京都大会では、後のプロ野球のスターになった中日小川投手、巨人の黒江選手のいた「立正佼成会」と「油研工業」に勝ったのが大きかった。油研工業戦では、1点を争うゲームで6回に1死1塁、2塁で4番の木村に回って来た。カウント2ボールノーストライクになりヒットエンドランのサイン(サインは皆、this ball)を出そうかと思った。「いや、一球待とう」サインを出すのを迷ったが木村が一番好きなインハイに絶好球が来た。木村君は見逃したけれど打ちたかったなと言う顔をして恨めしそうに僕を見る。次のボールでエンドランのサインを出した。彼はプルヒッタアーだけど巧くレフトセンター間に快打して結局、2点入って均衡を破った。忘れられない「見逃した時の木村君の顔」と「僕の迷い」である。全国大会では、2回戦で「三協精機」に接戦で敗れたが、向こうの4番にエース黒田のインローの決め球をスタンドに打ち込まれたのが、鮮明な記憶である。集めた選手は、皆、攻守走のどこかに欠陥がある。セカンドの遠間君は肩が弱い。そこで、ライトの正面より右側は遠間君の中継、後皆、ショートの植木君の中継、練習時間が短いからこの指示を徹底するために。紙に書いてコピーして、渡した。後に、「マッサンの方が野村の『ID野球』より早かったよな」と言われた。練習にペーパーを渡すなんて考えられなかった時代だった。会社の中では、負けてくると『もうやめちゃえ...』と言う人も出てくる。巨人軍みたいに何時も勝たなければ駄目だった。しかし、皆良く動いてくれたよな。東日本大会で新発田に遠征した時、門田と屯所君が夕飯終わるとバットを振っていたのが今でも眼に浮かぶ。

・早稲田:遠間4、平野3、内山7、小宮9、渡辺6、黒岩9、村松7、森5、平井6、黒田1、応援団坂本、岩上

・立教:石川1、黒澤2、藤井3、門田4、井戸崎1、

・明治:木村8、植木6、加藤1

・上智:松本4

・専大:浅野1

・早実:北島6

・大宮商:桃谷2、富永1、清水4、丸山1、加藤5、本橋6、関根7

・関東一高:荒川8、大山6、大槻1、 (大山君は都大会の決勝の延長戦で、決勝打を打ったが、大毎オリオンズのテストを受けさせてくれと言い、プロは無理と言って諦めさせるのに骨を折った)

・巣鴨商:屯所2、谷地8、

 

 

 


“よく動いてくれた人々に感謝Ⅰ”     ‘17-6-13

2017-06-13 07:26:52 | Massy's Opinion

 ★Massy’s Opinion

東日の業務部時代

僕が入社した‘57年4月配属された部署が業務部業務課。やっていた仕事は、仕入れ、営業所からの受注に対して車を引き当てる。そして、陸運事務所へ登録に行く。

車両庫があり、そこから営業所へ回送する。これらが主な仕事。要するにデイーラーの仕事の心臓部分である。課員は女子一名で総勢6名。販売台数は月700台位。当時は、「メーカーと陸運事務所は気狂いだから、逆らうな」と言われていた位両方とも高圧的だった。僕より先輩が居たのだが、皆逃げて、新入社員の僕に仕事を押し付ける。ある日、白地手形帳を一冊メーカーに持って行けと言われた。白地手形を渡すなんて「生殺与奪の権利」渡すのと一緒命を預けるような物、しかも、それを一冊である。「へえ、これを僕がもって逃げてしまったらどうなるんだろう?」と考えながらメーカーに届けた事を今でも鮮明に覚えている。それくらいノンビリしていた時代だった。この時代大型日産トラックも取り扱って居たし、ユーザーの希望はどんどん細分化してくる。従って、いやでも「道路運送法の保安基準」を勉強せざるを得なくなった。車の発注は3ヶ月注文と言って3ヶ月毎にメーカーに発注をする。これが狂うと長期在庫が増えるしこの予測には神経を使って、学校で学んだ「需要予測」を我が家で数人の課員と深夜まで議論した物である。当時、メーカーは興銀が、特定な企業や官庁に配る「調査月報」を可なり利用していたので、それを一部まわして貰うようにした。その時、「月報」を貰いに行った男は、それが縁か興銀の女性をお嫁さんに貰って、今でも円満な家庭を持っている。 兎に角、310型の発売以来、車は売れに売れた。当時は吉原工場で生産されていたので、輸送が間に合わない。夕方、会社が5時に終わると、6時の在来線で新橋から吉原まで行き、10時半位に着く。陸送屋のプールから車を持ち出して、沼津を通り箱根の旧道を走って帰る。何回も深夜の箱根越えを遣った物だ。最高記録は吉原~東京品川まで、2時間45分がベスト・タイムだった。ガソリンは15Lが定量だが、箱根の下りはエンジンを切って節約し、5リッターはガソリン券を次に回す...一度、同行した仲間が小涌園の近くで左側の崖に落ちた事がある。隊列を崩して先頭に出た車が落ちたのである。その後の対処は、長くなるので省くが、本当に最高の対処をした物である。箱根街道を通り掛かるトラックを止めて、500円払ってロープを借り崖の中腹から引き上げた。幸い車は太い木の幹に引っかかり左側のドアーは大破したが、運転者も怪我が無く、自走できたので、ユックリ走らせ、「事故の報告」を先ずしようと部長のお宅へ走った。朝の5時頃である。報告をして詫びると、部長は「それでO君(運転者)はどうした?」「事故車を運ばせて居ます...」「馬鹿!そんな可哀相なことをするな人の命の方が大事だ...」と怒られた。それ以来、「心の暖かい人だなあ」と反省すると同時に部長が好きになり、この人が社長だったらいいなあと思った。「確かに事故を起こした人間は心乱れていただろうな...」兎に角、残業は月70時間位、上司より掃除の叔母さん達が「業務は遅い」と一番良く知っていた。月末は布団屋から貸布団を借りてきて会議室で寝たり、本当に良く働いた物である。誰一人残業が嫌だなんて言う者はいなかつた。まあ会社の販売台数が伸びればいろいろな問題も起きてくる。メーカーの中でも有名に成るし、僕の希望は、「オフラインし立ての車のハンドルを握りたい」と言う希望を持っていたが、当時、検査課長だった後藤さんが一度だけ乗せてくれた事がある。気持ちよかった。新車の匂いが忘れられない。

 

 


“Diary 125” ’17-6-5

2017-06-06 07:28:52 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

5・1 豊川参り

ワイフの体調不良で珍しくお参りを止めた。何十年振りだろう。何か落ち着かない1日。

5・6六大学野球開幕 vs法政

リーグ開幕、慶応の投手陣大久保監督がどんな起用をするか?興味があった。投手陣よく頑張った。この投打のバランスなら期待できそう...

 5・8日吉倶楽部総会 於 銀座ライオン

例年通りの総会。上田監督が副部長を完全に離れたので、七條部長の挨拶も心なしか力が入っていた。横浜初等部から星野先生が高校の教師に移ったので、塾高野球部OBの教師が高校に一人居ることに成った、これは歴史的なこと。(森林監督は幼稚舎教諭)4回生の僕の理想。矢張り時間が掛かるな。甲子園行ければ良いが、野球部の体制特に指導者の体制が万全になったことがとても嬉しい。前上田監督の大成果だ。

 5・11 21世紀の会  於 欅

野会長の同級生とか?公認会計士の中村先生の講演。新会長は組織の拡大に取り組んでいるのだろう。会員のレベルも雰囲気も解らなくては、講師も話し難かっただろう。

 5・13 vs明治 A型インフルエンザ感染 

楽しみにしていたVs明治戦。前日朝起きたら膝ががくがく立てない位、頭がふらふら、熱は7.5、「これはヤバイ...」早速、ホームドクターの古河先生のところに駆け込む。その時はもう血圧も正常に戻っていた。「A型インフルエンザ」との診断。薬を貰って、「家にいなさい」と言われて、テレビ観戦。土日の神宮通いは中止。先月は、Meguが「A型肝炎」で苦しんだと言っていたが、親子でウイルスに悩まされた。

 5・21 新緑のJazzLive 於 BRB 

銀座BRBで木津ジョーウジのライブ、サイドのメンバーも良かったし、ジョージから「客が集まらないので、必ず来てよ」と言われて、U君の顔も立てて参加した。まあ、100人位の集まり、昔の義理で集まっている平均年齢75歳位かな...一時間半のぶっ通しの熱演。タップリと”Standard Jazz”を楽しめた。

 5・23 フェイス・ブック乗っ取り 

 朝、一番で後輩のT君から「増田さん僕にメールくれました?」とテレがあった。普段そんなに話も無いので朝一番は「おかしいな?」「ヤバイな!返事はするなよ...」「さて、どうも誰かに悪戯されたな...如何しよう?」と考えている内に僕が通っている「Cazu整骨院」の萩原先生から「増田さん、大変ですよ、フエース・ブック乗っ取られていますよ」と電話、「如何すればいいの?解らないよ」「今お宅へ行きましょう」「仕事は?」「お昼だから」と言うことで、緊急リリーフに来てくれた。僕のどの「パスワード」が乗っ取られたのか解らないし、取りあえずフエース・ブックの上に「お詫びと注意」を載せた。今度のことで、弁護士先生は、「犯罪だぞ!」と返信してくれたり、本当に参考になったが、ご迷惑をお掛けしたことは重々のお詫びである。考えてみれば、「ウイルス」に悩まされたのも1日に豊川さんに行かなかった罰が当たったのかもしれない。

 5・27 早慶戦とリーグ戦振り返り

本当に残念だったな。後輩のK,A君(元プロ)から残念さを自ら慰めるメールが来た。転載しよう。

・Massy殿                                                           お互い春季リーグの応援ご苦労さまでした。戦前の私の予想では3~4位と思っていましたから想定外によく頑張ったなという印象です。昨年の4年生が卒業して弱体化が否めない残されたメンバーが相当練習に力を入れたのではないでしょうか? 今日の新聞のベストナインで塾から4人も選出されていますが、郡司は納得ですがあとの3人は運が良かったですね。秋にはこの受賞を自信にかえて再選される様なら塾野球部のさらなる前進がみこまれることでしょう。昨日の菊池投手は前日の不出来を晴らすべくよく投げていましたが、大事な1番でいかに力が出せるかが今後の課題です。                          又、秋のシーズンに神宮球場でお目にかかります。                                                        

                                                            K,A

 ・Re,K,A殿                                                         まあ、ほぼ 同感ですね。 今のベストナインは そのポジションの中で打率の一番いい者と言うのが、選考基準のようです。 そう言う点からあんなメンバーになるのでしょう。柳町なんか守備の貢献度、グラウンドでのスピーディーな動きを考慮すれば、可哀相ですね。                               投手交代、ランダウンプレー、ベースランニングの2塁からホームへのタイミング、何かオープン試合が多すぎて基本的な反復練習が少ないような気がします。高校も含めて今の流れでしょうか?歴史的に慶応のシヨートは巧い選手が居るのですが、照屋クラスは沢山居るのでは...投手はファーストストライクが ストレート、カーブとも絶対に取れるボールが投げられないと...優勝残念でしたね。  僕のブログ ”スコア・ブックの無い野球” Letter to Dr,M,Mukaiに書いてあります。お暇な折に 見てください。では...お元気でね、高校の夏をたのしみに。             

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