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"Strange World" '20-3-31

2020-03-30 22:20:31 | Megu's Sports

★ Megu's Sports

・It has been realIy strange last few weeks… 今までに、経験したことのない生活。カリフォルニア州全体での、”Shelter in Place” Order。3月16日から、COVID19の感染を削減するため外出自粛。食料品、衣料品、日常生活用品の買い物は、OK。外でのエクササイズは、180cmの人との間隔を取っていれば、OK。”Essential”の職種、医療機関、メディカルディバイスの会社、ガスステーション、スーパー、薬局など以外は、Closed。だから、ヘアカットもできない。レストラン、コーヒーショップ、空いているところは、Take Out/デリバリーのみ。

仕事:Facetime, Skype, Zoomなどのアプリを使ってのLive Videoでのセッション。自宅のリビングルームから、セッションを行っている。ありがたいことに、75%ほどのクライアントが、Live Videoセッションをとってくれている。パーソナルトレーニングって、クライアントこと、性格、傷害のヒストリー、動きの癖、キャパシティーをよく知っているってことが、大切。できないことはないけど、新しいクライアントをVirtual でTrainingしようとすると、難しいこともある。だけど、ほとんどのクライアントが、14-15年以上一緒にトレーニングしてきているので、Virtualでも、比較的、お互いにとってうまく行っているんだと思う。自営業、小企業など、仕事がなくなった人が多い中、今のところ、私は恵まれている。クライアントに感謝するしかない。これを機に、フィットネス業界では、Virtual Trainingのビジネスがポピュラーになってくる。 

・日常のトレーニング:どこのプールも閉まっている!!! ので、ベイ沿いのラグーン、オープンウォーターで泳ぎ始めた。これが、また寒い、今週は。ほとんどの人がテレコミュートをして、学校も閉まっているから、多くの人が、家から出ていない。なので、普段アウトドアのアクティビィティーをしないような人も、トレールやビーチに出てきて、混雑。ガイドラインで言われている間隔を保っていない。これが問題になって、いくつものトレールやビーチの駐車場が閉鎖された。普段からアウトドアを楽しんでいる人には、迷惑な話。お互いルールは、守らないと。バイク…車が少なくて乗りやすい。この2週間ほど天気が良くないので、家のベランダでスマートトレーナーとZWIFT(virtual Ride)を使って乗っていることが多い。病院では、人手・サプライ不足で、救急でない患者を受け入れないようにしている。ので、外で乗る時は、怪我しないように要注意している。

・生活:食料品の買い物に時間がかかる。あるスーパーでは、店内25人と制限しているので、待ちが長かったりする。昨日は、いつも行くTrader Joe’sで45分待ち。日本のニュース、2-3日前に見た。スーパーでの行列。これは、3週間前のベイエリアが、そんな感じだった。多くの人が、買い込みしていたので、トイレットペーパー、ペーパータオル、パスタ、パン、米などが、全く店頭になかった。在庫があったとしても、店頭にストックするのが追い付かなかったというのもある。今は、トイレットペーパー、ペーパータオルも見つかるけど、一人一品と限られている。ハンドサニタイザーやサニタイズワイプなどは、いまだに在庫切れ。

また、買い物の後は、買ってきたものを玄関で殺菌する。普段、ストレスにならない買い物で、ストレスが溜まる。

アメリカでは、COVID19のテスト、医療機関で働いている人のためのサプライ、治療器具が不足している。政権が、早く手を打たなかったことが問題。また、”Social Distancing”(180cmの感覚を置くこと)を守ってない人たち。メディアからの情報が、正しいのか、大袈裟なのか、判断も難しい。いつウイルスにかかるか心配で、通常以上に、手をこまめに洗いながらの生活。

日本は、友達も出歩いてるみたいだし、先月に比べると、だんだんウイルスの状態が治ってきていると思っていた。外出自粛もSocial Distancingも施行しないで、よく治ったなと。そうしたら、オリンピックが延期と決まって、すぐに、外出自粛。日本のニュース、毎日聴いていたわけじゃないんだけど、政府が、患者数の増加とかわかっていながら隠していだんじゃないって思う。どうなんでしょう?

今、テクノロジーのおかげで、人とのコミュニケーションが、取りやすくなっている。外出自粛で、友達に会えなかったり、ご飯食べにいけなかったりするので、孤独感が増す人もいれば、鬱になる人もいると思う。人との触れ合いって、大切。運動も、鬱解消に大切。

このような生活をしていると、いつも以上に“普通”のことが、改めてありがたく思える。この状態から、学ぶことも多いだろうし、人の価値観も生活習慣も変わるだろう。健康維持して、この状態を乗り切れますように…!

 


”様子が変わって来た...”   ’20-3-24

2020-03-23 21:55:42 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion

3月も早や 第3週に成った。コロナ騒ぎで世の中が変わって来た。一体、イタリーはどうなって居るんだろう? アメリカは西海岸と東海岸と違いはあるのだろうけれど、何か日本と一ヶ月遅れの様な感じがする。Meguのジムも休館に成ったそうだ。そして、再開のメドが見えないらしい。

 

・兎に角、3月はすべての会合が中止、延期なのか?何も目途が立たない。タクシーのドライバーさんに聞いても皆、暇だと泣いている。然し、タクシーが絶対に必要な人は居るのだから、ある意味では、落ち込みは底堅いと思う。飲食店は殆どが30%ダウンだと言って居る。僕は、経験からすべてのビジネスは、売り上げダウンのレベルは10%だと思っている。

 

・昔、部品商をやって居た時、当時の芝界隈の自動車部品商では増田商会は比較的業績は良い方だった。それは東京都庁に出入りをさせて頂いたし、当時の清掃局は清掃車を自己保有でやって居た。そこへ納品させて貰っていたし、郵政省とか官庁を得意先にしていたので、割合と纏まった量の商売が出来たからだ。僕は、親父も若かったし、お袋はサラリーマン生活を望んでいた。それは、昔は、店員を住み込みで使うような時代で、若くして起業した親父は、余り年の違わない店員を住み込みで使っていたので、此の苦労は人に言えない苦労があったので職場と住居の分離を強く望んでいたのである。親父は、半年位の寝込みの後、52歳で急逝した。丁度、僕が結婚しようと思っていた時に親父は死んだので、その後、お袋が社長でワイフが経理をやって7年位部品商を続けていた。部品商なんて在庫の棚卸なんてきちんとは出来ないし、利幅が薄く30%の粗利なんて確保出来なかった。良く、親父は部品屋の在庫は、「儲けのカスでなければ駄目だ」と言って居た。お袋は印鑑は全部ワイフ任せ、何時ワイフに社長を交代させようかなと思っていたが、「もう私には出来ないから、ワイフを社長にしなさいよ」と自ら辞意を表明して呉れたので僕はホットしたものである。それから数年たって、或る年、大体22%位は維持していた粗利が18%に落ちた時が来て、「これは女の出来る商売に替えよう」と決断して、喫茶店をやる事にした。部品商で月商600万位だったのを一杯120円のコ-ヒーを売る商売にしたのである。10坪の小さい店だった。2階は麻雀屋にした。これは、当時の部下で子供が3人いたY君が奥さんにやらせたいと言うので、権利金も貰わず安い家賃で貸したのだが、奥さんが子供を背負ってお店をやりに来た。子供に手が掛かり、実際にはワイフが結構手助けしていた。

 

・大体、当時の部品屋界は手形の取引、サイドは90日から120(台風手形と呼ばれていた)店の商売規模は

月商600万円(600万円X粗利率20%=120万円)=仕入れ480万円、会社が不渡りしないようにするには、480万円X3ヶ月=1440万円程度の手形を決済しなければならないし退職金も払わなければならない。一方,喫茶店の予想売上は、当時は近くに大きな4階建て床面積4000㎡のビルがあり、そこの従業員の通行量を一日往復で8000人と仮定して、「その内の1%はコーヒーを飲みに来るだろう」大雑把に100人のお客の予想を立てた。月の稼働日を25日として、120X100人=12000円 30万の月商である。部品屋時代の債務を清算するために、最低3年間は報酬ゼロにしなければ成らず、ワイフの姉さんや弟の手を借りて家内商売に切り替えた。会社を清算しては「親父に申し訳ない」と言うのが根底にあり、こう言う業態にしたのである。何も威張ってこんな話をするのではない。

 

・今度のウイルス問題で多くの中小零細企業が皆こんな状態に置かれて居るのだ。売り上げの減少は15%が許される最高限度だ。30%も、或いは、50%も売り上げ減が続いたら、本当に経営意欲も無くなってしまう。世の中の仕組みが大きく変わらざるを得ないのだ。一体、安倍さんも麻生さんも中小企業向け、無担保融資だ、低金利と言って居るが、金融機関の事務手続きは変わらないだろう。豊多摩高校の傍のパン屋さんが学校閉鎖で、売り上げが殆どゼロに成ってしまい閉店を覚悟したら、生徒が「SNS」に載せてOBが懐かしんで買いに来てくれた、そして売り上げが50に戻った。と言う記事が「美談」か「ニュース」か解らないが報道されて居たが、固定的に売り上げが戻る訳ではないだろう。政府は思い切って、消費税の全撤廃、その分だけ総理大臣以下政府は給料ゼロ国会議員以下給料50%カットの経費節減位やらないと「同一労働同一賃金」何て守れやしない。

 

・今度のウイルス問題で、人間の移動の範囲が非常に広範に渡ることが分かったが、ITの進歩だって近年、急に始まった訳ではない。唯、技術が進んだからと高層ビル化を進める都市再開発計画もおかしい。

 

・大相撲 千秋楽が終わった。歴史上初めての無観客場所。協会挨拶の八角理事長の挨拶で、理事長を見直した。良く前例のない場所を大過なく終えたものだ。改めて力士の鍛えられた所作にも感心したし、NHKの協力も大きなものだろう。埼玉では、K=1の試合は強行した様だ。一体これをどう判断すればいいのだろう?政府も困っているだろう。23日の参院予算会議では、安倍さんあれだけ共産党につめ寄られてもあれでは他の大臣達も白けてしまうだろう。内閣は益々機能しなくなる。

 


”パンデミック”     ’20-3-17

2020-03-16 20:57:13 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion

  • 湖北省 武漢市で発生した新型コロナウイルス。遂に世界的広がりを見せてWHOは「パンデミック」宣言をした。昨日の新聞に世界中の病気の広がりが数字で出て居たが、日本より罹病者の多い国が随分とある。アメリカでもMegumiの言う事が先月末から変わって来た。「手を洗え!」と何度も言って来る。先月の中頃はまだそれ程の緊迫感は無かったのに...
  • 1996年頃、生まれて初めて、マイアミからバハマの首都ナッソ迄クルーズ船に乗った。あの時の経験が思い出されて来た。
  • 船の名前は確”Fantasy”だったと思う。全高が13メーターと言うのは良く覚えて居る。僕の学んだ成蹊中学の校舎が当時屋上まで約13メーターだった。確か4階の上に屋上があった。デカい船で約4000人の客と乗務員である。
  • 旅の宣伝文には、「船長主催のデイーナーパーテイがあるから、スーツ持参の事」とか「ダンスパーテイーがある」「ミユジカル・ショウがある」だの、「カジノ・スロットル」があるだの、勿論、「プール、ジム」もある。
  • ツアーは、お客様約25社 夫妻連れと言う事で、総勢50名位だったかな?一応僕が団長で一番良い部屋が割り当てられた。処が、朝早く天井の上で「ドスン、ドスン」と言う大きな音がする。初めは解らなかったが、2~3日すると解って来たが、真上が「Gym」でバーベルを使っている人が居て、毎朝トレーニングをして居るのである。これには参った。生まれて初めてのクルージング、物珍しさに色々感じさせられた。兎に角、アメリカ人の考えることは違う。マイアミから出航するとき乗船券と入国管理を同時にやる訳だ。午前9時ごろから12時ごろまで待たされた。約2700名位は乗客である。それこそアメリカ人が多かったが、新婚旅行でアメリカの西部の方から来た人は、船長のパーテイーに出るために、スーツを大事そうに持っていたとか、色々な人が居た。勿論、見るからに旅慣れた老夫婦も居る。僕は嫌な性格で、いつもプロデュサーサイドで物を見てしまう。此のクルーズ船は、本当に巧く出来ている。大勢の人を載せて、お金を使わせて入管等で使う時間も皆船の中で一斉に行う訳で、乗客は待たされるけれど、漏れは出ない。さりとて、4泊もして居て、同行のお客様は奥様だの家族が居る。僕は一人、隈なく船を見て回った。矢張り、大きくとも船である。よく見ると狭い場所もある。
  • さて今回の船内でのウイルスの発生と感染、中国の情報開示が遅かったのか?感染のスピードが速かったのか?解らないがクルージングの船内の人は本当に疑心暗鬼で大変だったろう。感染を避けるために人の居ない処へ行きたくても、行けないわけである。これは、本当に精神的におかしくなった人も多かったと思う。この2~3日の様子を見ていると湖北省は流行のピークを過ぎた様だが、今度は、イタリーを中心としたヨーロッパが大変だ。アメリカもMeguの情報では、日に日に警戒が強くなっている様だ。15日のニュースでは、トランプ大統領まで検査を受けたと言う事だ。我々には伝わってこないニュースでは、選挙戦まじかなアメリカで、色々な流言飛語も飛び交っているに違いない。
  • この中国の湖北省の徹底的封鎖や工場の休業で、日本の製造工場がこんなに影響を受けるとは思わなかった。中国の開放体制で多くの日本の投資が行われている。湖北省がこんなに大きく成って居るとは想像もして居なかった。1990年代には数回中国に行って居るし、当時のお客様の中には、上海の一番大きな輸送会社に10億近い投資を求められて、上海副市長主催の盛大なパーテイーをやってスタートしたが、結局、10年位で潰れてしまった。この投資は、センターのコアーに成る人間は日本へ勉強に来た東大、京大の留学生を使ったのである。丁度,上海の浦東地区の開発が始まった時期だった。 

  ・もう20年も前の経験であるが、’85~2000迄の間に延べ20回位中国の湾岸地区を、訪れた事が在るが、内陸の都市が、こんなに発達して居るのは、今回の事で、改めて知った。中国は、開放体制に成って、投資を集め、成長して、今度は投資をする側に成って来たのだ。

 ・中国の旅行者が秋葉原で、中国製の物を買っているので、「なぜ、中国で買わないの?」と聞いた事が在る。答えは「仕様が違う...」と言って居た。なんで中国人がわざわざ高いお金を払って、日本へ来て、自国製の物を買うんだろう?不思議でならない。

・今度の問題で、安倍さんのした、判断は如何、評価されるのだろう。今世界各国への広がりを見ているとクルーズ船への対応は良かったのでは、と思う。一番僕が偉いなーと思ったのは、勝浦のホテルである。後々の風評とかを考えれば、ホテルも判断に相当苦しんだと思う。いずれにしても、この3月はジットして居るしかない。すべての会合は全部中止だ。

・日本の国は、砂上の楼閣に成ってしまった。先ずは、財政改革、議員の削減、小さな組織、金利は正常に戻す事。このウイルス渦をチャンスにすべてのサイズダウンに政策を切り替えることが必要だ。

・無観客試合 相撲、プロ野球、競馬等の開催が全部観客なしで開催されている。選抜高校野球は、大会自体の中止。学校が休校なのだから止むを得ないだろう。大相撲はテレビの放送で見ているが、3日位は何か違和感があったが、今はかえって取り組みに集中して見られて、面白い。野球もそうだ。特に僕はあのジェット風船が大嫌い、ヤクルトの傘の応援は好きだ。昔、第二次大戦後神宮球場が駐留軍に接収されて確か、「ステート・サイド・パーク」と呼ばれていた時期がある。当時、駐留軍はGIと呼ばれていたが「SFシールス」か何かの試合を見に行った時、試合が終わるとフーセンを飛ばしていた。面白い事をするなと思って居たら、それは「コンドーム」だった。その印象が強く僕は、ジェット風船は大嫌い。今度の事で少しは良い面も出来ればな...と言う想いが強い。ちなみに横浜球場は、「ルウ・ゲーリック.メモリアル・スタジアム」と呼ばれていた時期がある。これは本当にベーブルースとゲーリックが来日してプレーした事による。確か、高校2年頃まではそう呼ばれていた。


"Letter ToH,H君”  ’20-3-10

2020-03-09 21:04:35 | Massy's Opinion

★ Massy's Opinion

前略 

酷い世の中に成ったな。でも、君の会社は超優良すぎて、あまり切迫感は無いだろう。

何と言っても「最優良会社」だからな。入るだけで大変、後は君の積み上げて来たキャリアー、成蹊高校野球部~慶應大学野球部、そのキャリアーは他の人には余り解らない事だと思う。君が慶応に入った時、僕が君に会いに行ったんだよね。僕は、毎年大学の新入部員は見ている。丁度、同じ時期に、I,S君が塾高に入った。あれからもう20年近く成るね。君が大学に入って、野球部に入った時、君に会いに行ったよね。正直、4年間野球部を止めずに居られるかなと思った。君の答えは、「成蹊から六大学の野球部に入った奴は居ないんですが、僕は4年まで、絶対に止めません」と言って居たよね。僕は塾高校から大学野球部に入ったけれど、色んなプロセスは有ったが、いい仲間に出会って本当に良い付き合いをさせて貰った。やっぱり野球が好き、あの打球感が好き…グラウンドの中でも人が好かない事でも、ボールに触れるのが好きでやって来たのかな。でも何時も慶応野球部の在り方論は結構話し合った。この間、慶応の監督もやった榊原君が亡くなった。僕らの時は衆樹、中田、日野3人がプロへ入った。レギュラーは、これに加えて榊原の4人、野球の巧い奴が皆、先に亡くなった。さて、今考えて見ると、何時も慶応野球部の在り方を考えて居た。幸いに、先輩方に色んな縁で可愛がられて来たんだと思う。年初に恒例の様にI,S君と3人で会食をしたが、二人とも紆余曲折は在っても今働き盛り、僕も色んな人を使ってきたが、君たちは必ず初心を忘れなければ会社、社会に存在感のある人間に成れると思う。成蹊と慶応と学風が似ている処もあるかも知れない。やっぱり、今の安倍さんを見ていると、「学校を変わって居ないから駄目だ」と言う言葉も聞く。さて、日産も酷いものだ。社長候補に成った男が、数日で辞めてしまう。「自分の好きな仕事がしたいのか?」「金が欲しいのか?」「それほど嫌な人間関係なのか?」もっと、「部下を想い、金の問題はもう十分だろう」と思う。君たちは此れから、どんなポジションであれ、ベストを尽くして頑張ってもらいたい。今日、君に添付する資料はもう25年位前の物だ。僕は、「士農工商の序列を変えよう」と昔から言って居る。今、日産には、「造り屋の物の考え方を変えなければ駄目だ…」と言って来た。日産は、今新しい指導体制に成っているが、新社長が本当に「造り屋」の社会的役割を考えて居るか?大きな疑問だ。地球、世界の温暖化、物造りの会社が、大きな産廃物の処理迄考えたプレゼンティーションが必要だろう。(自動車メーカーはもともとそうだったが、アッセンブリー産業。物造りの主導権は自動車屋が持っていた。これからは、素材メーカーがプレゼン型に成って行く。既にそうなっている処も多い筈だ)そう云う意味でこの間、君に「勉強しろ」と言ったのだ。添付の資料は君で3人目、時間はたったけれども世の中と言うのは中々変わらないもの。それでも、「いい世の中を作るために…」と言うスタンスを持って欲しい。僕の会社時代のスロ―ガンは、「着眼大局」大きく考えて小さくスタート。

「次のプレーを考えろ」レフトの外野手でライト前ヒットを打たれた時、ボールに吊られてライトの方へスタートを切る奴はダメ、セカンドかサードのカバ―を考えなくては…「Keep your EyeS Open」両眼を見開け…雑学を身に着けろ...子育ても大事、酒も大事、頑張れよ。                          草々

 


"Diary 158" '20-3-3

2020-03-02 22:01:41 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

2.1 豊川様詣り

定例のお参り…意外に車が混んでいて駐車場に止められず、「障害者の許可証」を使って、246沿いに止めた。普段は、どうしてもの…の時しか使わないのに。駐車場は、一杯なのに参拝者はもう普通の月に戻って閑散として居た。お参りのパターンはいつもと一緒。アメリカから送って来た、去年のお守りの「お焚き上げ」をして、菊家でうどんを食べて帰る。

2.4 Jazz Bird 表参道

楽しみにしていた、シマコ大島君のカルテットのライブ。この日は、お連れさんが居なくて、常連のS君と同じテーブルで3ステージ最後まで聞いてきた。いつもと同じ構成、フアーストステージ、バンドで演奏。セカンドステージ出番を心得た歌い手が登場。皆さん、新しいレパトリーを唄たり、半分、お稽古の発表会見たいである。でも生バンドのバックでは中々唄うチャンスが無いので、バックのバンドも安心感があるし、いい雰囲気。スリーステージは、バンドの演奏に戻る。僕は、此のカルテットは、好きだ。今度は4月1日。

2.8 葵 めぐみ 銀座ライオンミユジックプラザ.ザ・ミユジックショー ゲスト出演

葵めぐみさん ボツボツ知り合ってから10年を超えるかな?初めは赤坂のライブハウスで出演していた時が初めて。フルートのソロと朗読「黒姫山」だったな。どちらかと言うと都内のライブハウスでは、青山の曼荼羅向きの様な感じ。フルートのソロだけでは、寂しい。「面白い事をやる子だな」偶々、21世紀の会の元会長野原さんとその店で出会った。メグさんとはFaceBookでお友達に成っているが、犬を飼って居てその犬がチャイニーズ・クレステッドドックと言う稀少犬種。僕のF/Bの写真を見て犬が載っているので、彼女から質問が来た。そんなことで或る種の密度が濃くなった。今回は銀座ライオンのミユジックホールでゲスト出演。バックバンドはピアノ、ギター、ベース、にアルトサックス。この前の彼女のライブで演奏した曲の中に「TakeFive」が入っていた。ジャズ好きな人は、知っている人も多いだろう。僕の携帯の待ち受け曲である。メグさんの従来のレパトリーとチョット違う感じの曲だ。この日は此の曲からスタートして呉れた。一時間半の2ステージ楽しませてくれた。二次会銀座並木通りの「たぬき」と言う店に行って、盛り上がったな。ちなみにこの「Take Five」を待ち受けにして居るのは、新派の次代のエース瀬戸摩純さん。早稲田野球部出の元日高カントリーの支配人村松君。僕とすれば、全くジャズに「縁」が遠いい様な二人が使っている。お客さんが好きな曲を演奏して呉れるのは、ベテラン歌手だ。

 

葵めぐみさん 

2.17 風邪発症

余り高熱の出た事のない僕。朝から鼻水が流れて止まらない、体温は朝起きた時と、寝る前に血圧と共にもう25年位毎日計っている。記録にもつけてあるので、自分なりに健康状態は把握できる。それなのに、かって経験した事ない状態で、熱は37.4分足腰だるくて起きられない。折からのコロナ問題、心配した。午後古河先生の所へ診察して貰いに行く。インフルエンザの検査をして貰う。3日後に熱が下がり始め、やっと一安心。それにしても心配した。結局、約10日間体調はぐずぐずしていた。

2.19 榊原君 没

大学同期の通称「バラ」の訃報が入った。大学の監督もやって居たし、彼が鐘紡を止めて、2~3の会社へ動いたがいつも車は日産車を買ってくれた。啓愛社に落ち着いた以降は、「啓愛社」の日産への売り込み、解体車リサイクル室との連携、いすゞへの紹介本当に色々バックアップをしたものだ。余り酒を飲む方ではないが2000年までは僕のアドバイスが相当に役だった筈。寂しいが同期のレギュラーは此れで全部亡くなった。つくづく時代を感じる。通夜、葬儀とも体調、遠距離を考慮して、廣澤と連名の弔電で冥福を祈った。

2.26 慶4会 於 新宿 さがみ

慶応高校野球部4回生の会もう前回でエンドにしたのだが、昼食会をやる事に成った。集まったのは、4人。集まった者は何とか元気。何時もと同じよく飲む。お店は、折からの情勢で、ガラガラ。夜は、赤坂カウントリーハウス 野原ライブがあったが、さすがに体調を考慮して帰宅した。

2.27 One Note 新宿 

去年まで浜田山に「光琳」と言う非常に「凝った」蕎麦屋さんがあった。もう再開発で店は閉めたが、御主人が自分でもアルトサックスを少し吹くような人。一ヶ月位前に道端で、出会った時、「増田さん 新宿のOne Noteと言う店知っている、…今度とてもいいテナーを吹く若者が出るんだけれど行きませんか?」と誘われた。驚いた、僕は開店の時から行って居るし、ピアノの大島君や菅井君と同期のオーナーだし…もう7回位行って居るのかな?

出演は、テナー大内満春、ピアノ田中和音、ベース入船裕司のトリオ。お客は20人位あの店ではほぼ満席。オーナーの臼井さん光琳さんから予約が入ったが、まさか僕と一緒だなんて思いもつかなかったんだろう。テナーの大内さんが光琳さんに挨拶に来る、僕は、「誰を目標にしているの?」「レスターヤング、です」「それじゃ―いい物が聞けるね…」と玄人っぽい話をした。ピアノさんにも同じことを聞いたら「前田憲男さんです」と言う事だった。この店は2ステージしかやらない。終わりは早いのである。ファーストステージは「レスターリープスイン」から始まる。久しぶりに聞くテナーの腹に響く低音。2ステージ目にリクエストを入れる。「Lover」「Where or When」「Cocktail For Two」のうちどれか遣ってよ。

結局、「Where or When」をやって呉れたが初めは原曲に素直にその次はアドリブでブローブローに…イヤー久しぶりでJazzらしい気分を味わえた。ピアノの田中君がソロで「To love Again」をやったが、彼は「私の世代は良いですが、僕たちが70歳に成ったら、もう此の曲は誰も弾かなくなるでしょう。でも僕は此の曲が一番好きなんです」と言って居た。一体今の若い人達自身が時の動きの速さを感じて居るのだろうか?最近はアルトのバンドか?ピアノ、メインのバンドか?聞く物が大人しいのか?ピアノさんの言葉が引っ掛かった帰り道だった。

P,S

26日 ウイルス問題の政府指針が出たが、納得できないのが「テレワーク」の推進、時代はITワールド化に進んでいるが、事務所が要らなくなると言う事だ。それなのに再開発で高層オフイスをどんどん立てる。「生産性を上げろ」と言って休日を増やす。矛盾だらけだ。大不況が来るだろう。