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“2017 Race Tour” (’17-9-26)

2017-09-26 07:43:07 | Megu's Sports

★Megu’S  Sports.

Up in the air right now...アムステルダムから、サンフランシスコに戻るところ。この6週間中に、3つの “A-Race”に参加。

・ USAT Age-Group National(Aug.12; Omaha, Nebraska),

・ Ironman 70.3 World Championship (Sep 9; Chattanooga, Tenessee), and

・ ITU Age-Group World Championship (Sep17, Rotterdam, Natherlands)。

昨年から、一年に一度、できれば東京に戻る以外に “バケーション”をとる・旅をすると言うのを目標にした。ので、Rotterdamが今年の目的地。中一週間で、レースをするのは、初めて。日曜日にChattanoogaから、帰って来て、月曜・火曜と仕事して、水曜日にRotterdam に出発。身体的には、70.3 Worldsからは回復したんだけど、 Chattanoogaから、帰って来た次の日、風邪の症状が出始める。”Oh-crap!” そんなにひどくないんだけど、かったるい。水曜日は、喉が痛いのが治って、鼻にきたところ。

おかげさまで、10時間のフライトで、症状は悪化しなかったんだけど、良くもならず。その上、到着後、3日間、時差ぼけで睡眠不足。Rotterdamに着いてから、雨模様で、寒い。カリフォルニアの太陽が恋しくなる。レース前日、軽めのランに行ったら、肺も重いし、足も思い。レースが、ちょっと心配。レースの朝、前日ほど調子が悪くなさそう。レースは、そこそこ。Ironman 70.3 World Championshipと同様、A bit better than other half of people。来年は、世界戦でTop30%を目標に。

 さあ、レースの後は、バケーション! 5日間で Zaan Schens-Amsterdam-The agues>Brugge-Ghent> Zaan Schens 。ヨーロッパでは、ほとんどの所で英語が通じるけど、切符、パーキングのチケット、ガソリンの買い方、スーパーでの買い物の仕方など、基本的な事に戸惑う。私が、アメリカに来た、初めの一ヶ月を思い出す。レストランでも、英語メニューがないところや、英語での説明が簡素だったり。すでに、Pre-madeの物を買うと、一体何を食べてるんだかわからなかったり...そこが、旅の面白いところ。

 ・Zaan Schens-Amsterdam:ベイエリアから、レースに行った友達二人と以前ベイエリアに住んでて、今、Zaan Schensに住んでる友達を訪ねた。Zaan Schensは、風車で有名な街。Brugge-Ghentは、ひとり旅。Bruggeは、Amsterdamから、車で3時間程。途中で、The Haguesによって、Bruggeに。で、Zaan Schensに戻る途中にGhentに立ち寄る。ヨーロッパの街は、歴史的。モダンな建物と古い建物が、共存している。一番良かった街は、Ghent。小さい街だけど、Bruggeに比べると観光客も少なく(Bruggeは、人口20,000人で、観光客が一日30,000人なんだって!)、すごく綺麗で奥が深い。バケーションと言うと、オーストラリアとか、ハワイとか暖かくって、海のあるところ選びがち。だけど、ヨーロッパに行く機会があって、良かったなと思う。それにしても、忙しい10日間。旅の経験は、書ききれないので、興味のある方、私のInstagram (guswims); また簡単なRace Journeyは、Facebook (Megumi Masuda;友達リクエスト必要) で見てみてください。

 

 


“リコール事情”   ‘17-9-19

2017-09-19 07:56:21 | Massy's Opinion

★  Massy’sOpinion

・自動車界も自動化問題、燃料問題、連日マスコミを賑わしているが、どうも最近の記者は自分から勉強をしていないようだ。確かに資本問題、消費者が要望する運転の安全化、自動運転等に表面的に捕らわれた論調が多いように思う。ゴーンさんに代表される様な年数を区切った目標設定は大事だが、日産の「EV」の実態は如何なんだろう。確かに21世紀の自動車は大きく変わっていくだろう。最近の自動車関連ジャーナリストでは、桃田健史さんなんかの記事が冷静に良い記事を書いているように思う。

・さて、僕は20年位前からアメリカの「レモン法」(Blog Massy-Academy ’13-7-16)を知り随分と調べたりした。これは「消費生活研究所」の磯村浩子先生が可なり深く研究発表されており、自動車以外の業界でも大きく取り上げるようになってきたし、消費者は随分と守られて来ている。僕は東芝の冷蔵庫で乾燥機の同じ部品で不具合があり、3回交換させた事がある。

・日産ではブルーバード310型当時、リアーアクスルのハウジングの折損が出て、タクシユーザーについては、全数交換した事があるし、燃料パイプの繋ぎ目からの漏れで都内に4箇所の緊急センターを設けて「無料交換」した事がある。僕はその時、一つのセンターの責任者を命じられ、当時はお客様に一日中頭を下げて、良くお詫びをした物である。いずれもリコールの対処が法律で決められた1969年以前の話である。そんな経験の中から、メーカーとは、「ユーザー第一主義について」随分議論をした物である。ここで、メーカーとディーラーの考え方の違いを記しておこう。

・1996年位の実際に起こった話である。ある時期大型トラックが売れに売れて納期が3ヶ月位掛かっている時にラインではフル体制の増産体制を組んでいた。そこへ持ってきて「重要保安部品にリコールが発生した。普段壊れるような部品ではなく当然下請けから納入される部品である。リコールが発表されると既に販売して営業に使っているお客様からは、「何時うちの車を部品交換してくれるのだ?」と言う矢の催促である。

・ディーラー(僕の言い分)

「既に、売ったお客様には、車が安心して、満足に使えるようにするのが、ディーラー、メーカーの義務ですよ」「もう既にお金を頂いているんですよ」

・メーカーの言い分

「今、バックオーダーを3ヶ月も持っている。このお客様に申し訳ない。その対象部品をリコール用の供給部品にすると、ラインを止めなくてはならない。折角、御注文を頂いたお客様に申し訳ないし、ラインを止める事は出来ない。」

・こんな論議をよくしたものである。その後、日産自動車から日産デイーゼルに常務で移られた人が居た。「マッサン、あの時の議論ね、僕はマッサンの意見の通りだと思うんだよ。だけど、僕の意見は、少数意見でマッサンの考え方は通らないんだよ。技術屋が多いしね」

・確かにラインを止めると言うことは、メーカーにとっては、死活問題なのである。

 こんな時代から考えると、リコールについて、今は全く様子が変わっている。今はお客様もリコール慣れして、余り文句を言わない。自動車ではエアーバック問題だ。会社の存立が問われるような問題だ。先日もあるディーラーのセールスに「今エアーバックは何処の製品がついているの?」と聞いたら「上から何の指示説明も来ないんですよ...」「それで居て車は売れているのだし、どんな改良をしたのか報道もされていないのではないか?」

 ・メーカーとディーラーは異質だけど対等であるべきだと思う。「通行区分問題」「中古車の輸出問題」「島しょう諸国の解体車問題」「排気ガス問題」やっとディーゼルエンジン問題が国レベルで取り上げられ始めたが、メーカーの考え方も変える時が来たと思う。

 ・余談になるが、「情報の非対称性(レモン法関連)」でノーベル賞を受けているジョウジ・アカロフ教授の奥様はアメリカFRB議長のイエーレンさんだと言う。2人の間でどんな経済議論をしているのか?一度聞いてみたい。


“最近の自動車界に感じたこと”  ‘17-9-12

2017-09-12 07:22:17 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・ヨーロッパのディーゼル規制

では、ドイツ、フランス等のヨーロッパ諸国でデイーゼルエンジンの規制をすると言うニュースに接した。「へー、ここまでやるの...」「それでは何時までに、トラックは如何するの?」のと言う単純な疑問が起こる。昔、早い物でもう25年位前になるのか?        僕は、海外旅行に行く一般の新聞等と、必ず中古車の流通に注意をしてきた物だが、当時のフランスもドイツも中古車の展示場は街道筋にあり、日本と同じように幟旗が立って目立つようになっていた。特に、ドイツでは「デイーゼル車あり...」が特売品の様に展示されていた。小型車でも燃費は安いし、力がある。日本人が持っているデイーゼル車にもっている感覚と全然違っていたのが、印象的だった。ヨーロッパでは、大衆車の主力製品だった筈だ。今ここで、一気に規制に入ると言うことによくメーカーが耐えていると思う。つぎは電気自動車に移るのだろうが、それにしては、インフラの問題とかの議論が少ないような気がする。公害問題、地球温暖化等の環境問題も騒がれ始めてもう相当の時間がたつが、産廃問題ももっと現場の実態を直視した上で長期的なプランを組むべきだろう。

・京大塩地研の新しいターゲット

僕が所属させて頂いている、京都大学の東アジア経済センターも中で、中心的な塩地教授がこの所、少し、方角を変えて来られているように感じる。一つは、先生が中心で「自動車委託生産・開発のマネージメント」と言う本を出された。これは実に興味深い本で、委託と資本の関係などは自動車界では、これから如何なって行くのか?もう既にトヨタ一強の形が作られて、ブランドと資本と業務の線引きが如何なっているのか興味深いものがある。僕は、最近、論議されている、正規雇用,非正規雇用とか、委託とかの言葉使いが疑問でならない。その意味では、この本はそれらの前提条件になる実態を詳細に取り上げている。塩地先生は島嶼地区の解体車(廃棄車両)の問題も提起されているが、それら小さい島の中では解体車の始末も出来ず困っている筈である。僕がハワイに始めて行った時(1965年)に解体車で困り、「今月初めて、オアフからメインランドに解体車を4000台持って行くんだ」と業者の人に聞いたことがある。何処の国へ行っても解体車は町外れの場所に山済みにされている。解体産廃物を専用船で島国を巡回して、処理できる国へ運ぶ事など、国連レベルで取り組む、何て言う意見も考えて良いのではないか?何かの新聞で日本の中古車輸出は沖縄から纏めて...と言う意見が出ていたが、これも一考に価する意見だと思う。

 ・自動運転自動車の将来

新聞、週刊誌等の自動運転車も紙面をにぎ逢せているが、もっと深堀をした記事を書けないものだろうか?自動運転自動車なんかは、昔からの夢だった。昔、55年くらい前にダットサンクラブと言うダットサン愛好家のクラブがあり、イベントとしてラリーを良くやった。ポイント、ポイントで指示書を貰い支持された区間を指示速度で走るのである。僕は、会社の仲間と4人でチームを組み6度位参加した事がある。出場120台位だったかな。 勿論、指示速度は法定速度以内である。スピードを一定に走るのは結構大変である。参加した車は僕のオースチンA-50 その頃車には、チョーク(エンジン始動時にエアーの量を絞りガスを濃くする)が付いてそれでスピードの調節が出来る。勿論、燃費は悪くなる。一定速度で走るのには良くこれを利用した。自動運転である。これから考えれば今のITの進化から見れば、有人自動車運転はそんなに難しい問題ではない。多くのマスコミにお願いしたいことは、有人か、無人かの前提条件をきっちりして貰いたいものである。エンジンは燃料問題と共に変わって行くと思う。石化燃料を使わなくなると中東の石油輸出国は大きな不況に陥り、経済の発展は留まるし、貧富の格差は今以上に広がるだろう。この様に自動車の変化は世界経済を変えて行く。但し、自家用乗用車の問題であり、輸送用トラック、特殊用途自動車の問題も十分に考え合わせなくてはいけない。


“Diary 128”         “17-9-5

2017-09-05 07:47:45 | Massy's Opinion

★Massy’s opinion

8,1 豊川稲荷 お参り

間瀬君から電話。「前回の講演のその後の進め方について」「マッサン、今豊川稲荷さんですか?本当にお参りしているんですね?偉いですね!処で...」まさか僕の話したことをチェックしているのではないだろう。「僕は、本堂だけ、ワイフは色々一回りお参りしているよ...」そう言えば、結婚以来50数年、ワイフが入院した時を除いて、月一回は必ず来ている。御利益は...今日あること、取り立てていいことも無い。宝くじ当たった事もない。それにしても、我ながら良く続いているものだと感謝。

 8,5  カントリー・ハウス 野原さんパーテイー

野原さんプロデビュウー2度目。21世紀のメンバーもこの日は少なかったな。それでも、九段の市川さんが姉弟で来ていた。ウエスタンも良いよね。中学時代野球部で親友だった瀧君(高校からバンド活動)が思い出させるし、AllstarWagonの時かな、平尾正晃先生が未だバンドボーイで、瀧君が「おい!慶応の子が入ったよ」と紹介された事が思いだされる。先日亡くなったけれど、あんな大先生に成るとは....頭が柔軟なんだな

8,6  Kim君 来宅

今から、4年前、高校野球部懇親会の後、A君と新宿の線路脇の飲み屋へ行った。その時、僕ら以外誰も居ない店に若い子が一人で入ってきた、A君は多少韓国語が出来るので、話しかけたら福岡について夜間バスで北海道に行くという。ホテルに泊まらずバスの中だけだそうだ。「それは大変だな、若くないと出来ないな...」「帰ったら軍隊に入るんですよ」」と言う。「それはご苦労さんそれでは今日は僕たちがお祝いしてあげるよ」と言って名刺を渡した。その後、2~3ヶ月してメールが来た。日本語である。それから、軍隊の様子など時たまメールが来ていたが、早い物で2年過ぎ除隊になり又日本へ来ると言うメール」が来た。そうしたら数日後、今東京に居る、僕に会いたいと言って来た。住所もスマホで判ると言う。そして、兄弟で我が家に間違えずに訪ねて来た。驚いたな。体は大きくなっているし...「キムクン日本語巧くなったね」「いや、本当は翻訳機使ったのですよ」要件は日本で働きたいが意見を聞きたいと言うことだった。それほど豊かな家庭ではないらしい。「資格を取ってもう少し勉強してからにしないといい仕事には就けないよ」といろんな実例を話してあげた。「軍隊生活きつかったけれど、為になった」と言っていた。それにしても月日の経つのは早い。

 8,9  Yoko live  Sometime 吉祥寺

今、色々な出会いと縁があって、僕が「追っかけ」しているYokoのライブ。近いしワイフの気分転換も兼ねて、吉祥寺へ。前回と同じ、バックトリオ西真樹(p)桜井郁夫(b)木村由紀夫(d)気の合ったメンバーで安心して聞ける。お客の入りはほぼ50人位。あの店の雰囲気にピッタリ。バラードを中心に2ステージ浸ってくる。ピアノの西さんがこの前、「#&bに居た時の三保さんの譜面未だ持っていますよ。あの人は天才だ」と言っていたので、その事ももう一度聞きたかった。三保の多面的な才能を含めて天才と言うのか?自動車レース、映画監督、イベント・プロデュサー、勉強、遊び、等すべての面で天才だったのか?僕は多面的天才だと思うが、彼の家を訪ねたとき玄関の靴箱の上に載っていた優男には不似合いなダンベルが未だ瞼に浮かぶ。西さんも三保の多面的天才さを感じて居たので嬉しかった。トイレの中に小さい張り紙があったが、Sometimeも開店以来58年だそうだが近々閉店らしい。今年はやけに閉店のニュースが多い。

 8,10神谷町 夏祭り

今、町の中は、夏祭りの季節が来てもお祭りの開催に手間取っている。人は昔通りに生活しているのだけれど、ご他聞にもれず、高齢化と少子化で町会の世話焼き手がいない。我が神谷町は近隣のテレビ東京さんが応援してくれて、移動用舞台の車を出して貰えるので今年も例年のように開催された。バンドはエレキ・バンド、間にフラグループのフラダンスそして最後のワンステージと抽選会。今年は一等に地元の人が当たったので何より...地域柄外国人家族も多く踊りだす人も居て、盛り上がった。お世話焼きの皆さんお疲れさまでした。今年は、みずほB/Kさんや東京地下鉄さんが若い人をお手伝いに大分出してくれたので町会婦人部の皆さんも助かったろう。

 8,11 山田壮晃 ビックバンOrc &5Guests with Yoko

毎年、やって居るようだが、山田壮晃 さんのビックバンドコンサート。昔彼が若手の頃「どんな奴がやっているんだろー」と聞いたことがあるが、もうかれも56歳だって。渋谷のセルリアンのJZ ブラット5人のゲストが出てその中にYokoが出ている。彼女はフルバンドは似合わないのでは...と思ったが、山田バンドを聞きたいのとIZブラットがどんなに成っているのか?興味があって、出掛けて見た。確か、#&bが出た時にY先輩と行ったのが5年くらい前かな?あすこは100人位入る大箱だ。歌手が5人出た。男性1女性4アルトサックスの大森さんがゲスト。皆、3曲ずつ歌ったが、僕が名前を知っているのはランデル洋子さん位。バンドは、山田スタイル、#や増田一郎さんのフルバンドに比べれば音が荒っぽい。Yokoはやっぱり一曲トリオの伴奏の曲を入れていたが、全体の中ではいい味付けになったよう。でも、フルバンドの生演奏はたまにはスリリングで面白かった。Yokoが「ああ気持ちよかった...」といっていたのが、印象的。

 8,14 雑賀さん通夜

年齢は僕より3歳上、丈夫だったのに、先日病院から本人が入院したむね電話があった。溜池時代から中古車時代までこの数年ゴルフは一緒に行けなかったが、本当に仕事も遊びも仲良しだった。通夜では20年振り位の人に会えて良い時代が無性になつかしかった。

 8,16 田園調布会

どうも世話役がシッカリしていない。お目当ての兵隊家も休み、言いだしっぺの田園調布の住人が来ない。仕方ないので「駅前の日高屋」で食事をしながら2時間費やす...

 8,28 健康診断

22日に健康診断を受けた。その結果を聞きに、浜田山診療所へ行く。眼の検査は22日に受けたが、眼底、眼圧異常なし、視力は矢張り落ちていた。検診は肺レントゲン、PSA、心電図と心配な箇所は異常なし...一安心。これも豊川様のご利益か?毎年検診で嫌に成るこの8月、母校が出ないので、何か余りの熱狂振り 「何、甲子園って...」という感じになるが、今年の甲子園 スカウトの眼で見ると、素晴らしい素材が多く、出る選手が皆集中力が凄かったな。