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”Learning Language”    ’02-25-2020

2020-02-24 15:36:51 | Megu's Sports

★ Megu's Sports

昨年、”Race Tour”で、ヨーロッパに行った。はじめに着いた都市は、Zurich, Switherland。そこでは、ドイツ語。次に、車で立ち寄った町、Bern。共通語は、ドイツ語。多くの人々が使っているの、 Alemannic Swiss German 。カフェに立ち寄ったときに、カフェで働いている兄ちゃんに“何語、話すの?”って聞いたら、言語がまちまちだから、英語で会話することが多いとも言っていた。で、最初の目的地、Lausanne, Switherlandでは、フランス語が共通語。で、Nice, Franceに行く途中にイタリア訪問。もちろん、そこでは、イタリア語。

英語は、ほとんどの街で通用するけど、Lausanneのベーカリーで、ラテを注文したときには、英語が通じなくで一苦労。なんとかコミュニケーションをとって、ラテとペストリーを調達。挨拶ぐらいは、フランス語でできるけど、自分が何が欲しいか表現できないと、もどかしい。アメリカに来たばかりで、英語が、まだまだ不自由だった頃を思い出す。

このHumblingな経験と、しばらく刺激されていない脳を刺激しようという意味で、フランス語を学ぼうと決めた。ちょっとリサーチして、市場にある様々なOn-line Language Learningのサービスから、Babbleを選び、3ヶ月のサービスを購入。もともと、何を言っているか、ひとつひとつの単語を理解しながら学ぶのが、自分には適していると思ってた。ので、昔からの自分に合っているだろうというやり方、書いて覚える、でOn-lineコースを進めていった。発音が難しい。覚えにくい単語は、書いて覚えるようにした。一日20−30分ほど時間を見つけて。3ヶ月後、どれほど進歩した? なんか、時間をかけた割には、あんまり身についていない。Babbleのネガテイブな点は、On-lineのサービスとスマホでのアプリを使ってのサービスが、別料金。単語をタイプしなくてはいけないレッスンが含まれているから、そのための時間を普段の生活の中で見つけなければならないところ。

年末に、東京に行ったとき、フランス人の友達、Alexが、PimsleurというOn-lineサービスで日本語を少し勉強してきたという。彼は、もともと言語が達者。フランス語の他に、英語とポルトガル語を話す。その彼が、日本語のセンテンスをアクセントなく、さらっと言っている。もともと、Alexは、Listening で学ぶPimsleurを私に進めていたんだけど、私がサービスを見たときには、料金が他のサービスに比べてかなり高かった。それと、自分では、Listeningだけでは、覚えられないと思っていたので、Pimsleurは、向いていないと思っていた。だけど、Alexが流暢に話しているのを見て、Give it a tryと思い、Pimsleurのサービスを見てみた。料金が、以前に比べると、リーゾナブル。そして、大きな利点は、スマホのアプリが無料で使用できる。だから、わざわざ勉強する時間を割かなくても車の中で、通勤、何処かに行くときに学べる。くだらないニュースや音楽をラジオで聞くよりは、時間を有効的に使える。で、Listeningだけでも意外と頭に残る。繰り返しが多いこと、1つのレッスンで、2−3つの新しいエクスプレッションが、くわえられている。ただ座って、聞いているだけでは、飽きるけど、運転中にはちょうどいい。  ということで、東京から戻ってきてから、今のところ毎日車の中で聴いて、声を出して学んでいる。“継続は力なり“になればいいんだけど。

 

 

 


"後期高齢者”  ’20-2-11

2020-02-17 19:29:36 | Massy's Opinion

Massy’sOpinion

・最近世の中が大きな音を立てて、変わって来ている。合併、資本統合いろんな表現の仕方は有るが、要は各企業が将来を見据えて、今迄やって来た先行投資が上手くいかず、赤字になって来て居るのだ。トップが居て、それを取り巻くスタッフがいる。取り巻きは皆、上を見てばかりいて、下を見ない。だから、僕は昔から「トップは、フロントに立て...と事あるごとに云って来たし、上司には進言をして来た。幾人もの上司に仕えてきたが、やって呉れた人は一人もいなかった。

 

・僕の同世代の野球人は、有名選手は殆ど死んでしまった。僕はノムさんをあまり好きではない。敬意は持っているが、サッチーが気に入らない。兎に角上昇志向が強いからだ。僕の友人には、余りそういう人は居なかった。

 

・さて、僕は、自己紹介の時に殆ど「I was born in 1934」と言う。皆、一瞬「何歳?」と「年」を考える。今から10年前、慶応読書会に行った時、前田祐吉元監督と一緒になった。僕は、慶応野球部が特殊部落みたいになるのが、嫌。前田さんもそう言う感じで読書会に入って来られた。お会いすると「おい、増田、君は今日から俺と同級生だ」って言われた。「前田さん何仰って居るのですか?恐れ多くて...」「君もう75歳に成ったろう...四捨5入すれば同じじゃないか」と言われた。その時、前田さんは80歳だった。丁度、前田さんが卒業した時に僕たちは入ったので、入れ替わりだが、さすが監督良く僕の年を覚えて居られた。その前田さんが亡くなったのは85歳。それで85歳って言うのが、とても嫌なのだ。先日も「葵めぐみ」と言う若い女性歌手の音楽界に行って来た。全部で6人のグループで行ったのだが、男3人 85歳、7375歳である。彼らも立派な高齢者、女は3302次会へ行くと皆から若い...と言われる。それが嫌なのだ。

 

・しかし、嫌、応なしに世の中は高齢者を疎外し始めている。先日有った事だけど、僕は会社共々OM銀行にお世話になって60年に成る。その時々で色んな依頼をされる。出来るだけの協力はして来た。先日、1通の手紙が来た。「お知らせ」発行元は銀行とオリックスCO.の連名である。「当行とお客様のカードローン契約並びにオリコとお客様の保証委託契約及びそれに伴うオリコの保証を終了させて頂きます」と言う内容である。

僕は当時富士銀行の神谷町支店開設以来の取引である。そして、その当時はダイナースを始め各種のカードが始まった時代だ。名を挙げれば10指に余るだろう。今は、うたかたの様に消え去っている金融機関も多い。日本の政府は矢張りこの安倍さんの時代に大きく変わって来ている。バブルの山が高かった分だけ、落ち込みも大きくなる。今その分の縮小に入っているこの谷は深く大きいだろう。日本国民が本当に発想を変えなければ駄目だ。世界の先進国からは遅れてしまったと思う。中国も今度のウイルスの問題で大きく変わって来るだろう。労働組合もヤットベースアップ型要求をやめるようだが、職種別組合にでも再構築が必要だと思う。

 

・もう一つ銀行は如何して3時で店を閉めるのだろうか?もう45年も前の事。当時は日本信販が凄い景気だった。上場会社の役職以上は無条件で会員にしていた。当時、ワイフに子供が出来、僕がその間、増田商会の銀行回りはしなくてはならない。引き落とし日の前日に入金しないといけない。当時日本信販も使っていたが、引き落とし日朝一番で銀行へ振り込み通帳には、金額は載っている。数か月後カードの更新日に成っても新しいカードは来ない。日本信販に問い合わせると、「お客様は、預金不足に成っているので、更新は出来ません」と言われた。引き落とし日の残高に金額は載っている。そうしたら日本信販は、「富士銀行からお電話があれば預金不足を取り消します」と言う。早速、銀行の普通預金窓口へ行って、その上話をすると、女子社員は困った顔をする。「課長呼んでよ」しぶしぶ、課長が出て来た。「若し電話して呉れないのなら、僕は日本信販辞めてもいいですよ。但し、僕の在籍する会社は上場会社で沢山役職が居て、その人たちに迷惑が掛かります。それは困る」と言ったら渋々電話をして呉れた。「なぜ、こんな事が起きるのですか?」と聞いたら、前日の15時で残高の連絡をするのです」と言う事だった。だから当日入金は通帳に記載されても、信販会社には預金不足と連絡が行き、事故扱いに成ってしまうのだ。この24時間のラグは「day trade」と言って銀行の金利収入は莫大なものに成る。一般消費者は、中々解らないこと。だから、前段に記したような事も起きる。優越的地位の乱用である。しかも、今回オリコにどんな基準で僕は解除されたのですか?」と聞いたら、「個人情報でお伝え出来ません」

女の子にこれ以上話しても解る訳ない。株の整理でも同じような事が起っている。合理化、組織の縮小、統合で伸び切った組織のサイズダウン日本には必要な事、だけれど余りにも消費者を無視した対応は将来に禍根をのこすだろう。消費者も勉強しないと、売り手側の過大広告と共に仕組みを知っておくことが大事だ。今は、IT化が進んでもっとリアルタイムな処理に成っていると思うが...

 

 

 


"右投げ左打ち論”   ’20-2-11

2020-02-10 19:18:12 | Massy's Opinion

Massy’sOpinion

僕は日刊スポーツを65年位読んでいる。この間24日の記事で「右投げ左打ち」論が大きな記事で出て居た。(差し込み参照)昔から僕が考えて居た事で面白かったと同時に旧友に聞いて見た。

 

、僕の生まれは1934年 巨人軍の長島世代である。東京の真中、芝(港区)で生まれた。

小学校の時はゴロベースで野球を覚え、群馬県桐生へ疎開をし、そこで空中ベースを覚えた。ゴロベースと違って投げるボールを板切れのバットで打つ空中ベースを初めて見た時の驚きは今でも鮮やかである。中学の時、オドウール監督の率いるサンフランシスコ・シールズが来日しその中に、スタインハウアーと言う左打ちの一塁手が居り、格好が良く、憧れて左打ちを始めた。アメリカの野球を見たのはこれが初めてである。以来、大学、社会人を経て、今日まで野球狂である。最近の日本人大リーガーの活躍を見ると全く夢のようである。TVで見ているが、どうしても日本人大リーガーの活躍を間近で見てみたい。

 

2、中学では、お昼休みにお弁当を掻き込んで、直ぐ校庭に行きソフトボールを始めた。遊び半分に左で打つと結構当たる。ライトの方に打てる。当時は良い当たりは、右バッターはレフト方面に打つこと、ライトに飛ぶのは振り遅れ...僕は骨も細いし、力もある方ではない。振り遅れ気味にライト方面に飛ぶのが多かった。そんなことで左打ちに成ったのである。

 

3、成蹊中学の野球部は当時、珍しく3人の右投げ左打ちが居た。気障なチームだった。サードの中川君、ピッチャーの伊丹君ピッチャーをやらない時はファスト、僕はファストとライト言うようなチームだった。チームの部員も145人当時は未だ旧制高校があり、高校の練習を手伝わされたりしていたので、硬球の練習もあったが、中学の試合は勿論、軟球だった。中学では武蔵野一中が強く、確か、3人位早実~早大に進んでいた筈だ。 後日談だが、武蔵野一中野球部、西高~早稲田、会社は僕と同じ東京日産、労働組合と言う経歴の親友が居る、僕が定年になる送別会の時、「中学当時のスコアブックが1冊あるが成蹊と良く試合をしたのでスコアブックが一冊残っている。確かの5番ファストでマッサンの名前が出て居たよ」と言って呉れた。「40年近く一緒に居たのに何故もっと早く言ってくれないのよ」当時の成蹊高校はいい選手が3人位居て、明治高校の監督が、あの島岡さん、練習試合で延長18回の試合をして負けた事が在った。未だによく覚えて居る。

 

4、振り返って見ると、いろんな六大学の大正時代の名選手の息子さん達と一緒に野球で出会いお付き合いをさせて頂いた。偶然にも右投げ、左打ちが多いのである。慶応高校に進んでからは又、右投げ左打ちの野々山君と山岡君が外野でライバルになった。時代も変わって来て、大学には入ったら、左打ちが多かったが、上級生では右投げ左打ちは桐生高校からの藤野さん(セカンド後日石)だけ、後は左打ちに多湖、花井(後プロ)、野村の強打者が多かった。僕より後輩では、富山、西辻、山田(後塾高監督)とみんなフアーストだった。

 

5、二神さん

一年上の人で野球部に入って来た。幼少時に小児麻痺を患って、後遺症でビッコを引いていた。右足に後遺症が残って居たのである。早く走れないので、ピッチャーをやって居た。指、肩は異状ないのでオーバースローで投げていた。練習の時、皆、相手をしない...僕は進んでキャッチボールの相手をしてあげた。ピッチングの時はキャッチャーをしてあげた。何か気が合った。或る時、「オイ、マスお前今日帰りに家へ来いよ。バッテイング、家の親父に見て貰え...」「何で?」「家の親父は立教大学のセンターだったんだ」そんなこと初めて聞いた話。驚いて帰りにお宅へ行った。応接間でスイングさせられてその時に、バックスイングは45度にバットを引け...(ヒッチをするなと言う事)」と言われた。大正時代の立教の中軸を打っていた人で、初めてコーチを受けた人だった。当時、ジェームススチュアートとジューンアリソンの「甦る熱球」雙脚の投手ストラットン物語と言う映画があった。右足、義足の人が大リーガーに復帰する話である。二神さんはストラットンと綽名を付けられていた。後日談がある。僕が慶応で野球をやりたいと言ったら、転校してから、「これ親父が使っていたバットだ」それとゴルフのドライバーと硬球とゴルフボールを持って我が家へ来てくれた。二人で三井のグランドへ行って、トスバッテイングを始めたら、バットが折れてしまった、ヒビが入ったのである。如何にせん大正時代のバットである。ルイスビルスラッガーでグリップの所にコルクが巻いてあるものだった。直ぐ家へ帰って、セメダインをヒビの所に塗り込んで、二神さんは「バレないかな?」と言って帰って行った。ゴルフのドライバーはヒッコリーのシャフト、パーシモンのヘッドでこれは貰った。僕が大学へ入って、野球部に入って神宮へ行くとよく二神さんの父上も立教の応援に来ていて、ネット裏で顔を合わせると「増田君、こんなところで何をして居るんだ?グラウンドへ行けよ」と言われて恥ずかしかった。バットの事は何も言われなかった。屹度、ストラットンがばれないように家の中に置いたのだろう。この時代は「前で打て」と言う時代で、バッターボックスで構えた所から、バットのヘッドが45度で上に引っ張られるようにとバックスイングの仕方を教わったのは忘れて居ない。

 

6、伊丹君 彼の父上も確か殿堂入りしている早稲田の監督もされた、大先輩でありアマチュア―野球の功労者である。いろんな会で伊丹君と会うのだが余り野球の事は話す機会が無かった。一度、彼が右投げ左打ちに成ったのは、「親父さんにいわれたの?」と言う事をジックリ話したかった。昨年末、久しぶりで会う機会があり、ジックリと聞いて見た。親父さんは「野球をやれとは言ったが左で打てとは言わなかった」そうだ。「善福寺池でトンボを取る時も自然と時計回りにアミを回していたよ」と言う事だった。自然に左打ちだったそうだ。

 

7、山岡君 高校2年の秋、野球部長の長尾先生から、教員室に来るように呼び出された。「さて、何だろう?お叱りを受ける様な事はして居ないし...」恐る恐る教員室の先生の所へ行くと、一人のご婦人がいらっしゃる。先生がそのご婦人の傍へ呼んで、「こちら三田倶楽部会長の山岡さんお奥様だ。君と同級生の息子さんがいらっしゃるのだけれど、今度、野球部へ入り、外野を遣りたいそうだ。君が友達に成って呉れ...」と言われた。

そして、次の日から練習に出て来た。初めての出会いである。「何と右投げ左打ち」の外野で全くのライバルが増えた訳だ。彼は非常に大人しく、寡黙である。「おい山岡君キャッチボールしようぜ...」と言う事で付き合いが始まった。其の頃、「左打ちの方が一塁へ早く行ける」と言う話が結構あったが、野々山君も一人っ子で右投げ、左打ちだった。夏の大会は法政二高に負けて割合と早く終わってしまった。さて、大学で何をやろうかな?と考えてアメリカンフットボールを誘われるままに12月位迄やって居た。山岡君とは付き合っていたが、ある日、彼のお宅へ呼ばれて、父上の三田倶楽部会長から、塾高から大学の野球部へ入らないと選手が足りなくなってしまう。野球部へ入れと言われた。当然、山岡君も入ると言う事でそれならと野々山君、早川君とマネージャーの酒井君と5人で入ることに成った。

先日伊丹君に「右投げ左打ち」に成ったプロセスを聞いたので、山岡君にもう一度、趣旨を話し親父さんから「左打ちにしろ」と言われたか?聞いて見た。「一塁まで早く行けるぞ」とは言われたがそんなに強くは云われなかったと言う事だった。

 

8、これで僕のかねてから考えた疑問の結論が解けた様な気がして来た。僕のナガーイ野球人生の中で、僕は左打ちに成ってよかったのか?と言う疑問が残る。最近では、左利きの人は平気で左で箸を使い、左で字を書く。昔は、左利きは箸の持ち方は、右利きに直されたものだ。 天性の利き腕と言うのがあるが、僕は大学の時、ボクシング部のフライ級の友人と「お前はディフェンスだけだぞ」と言って2ラウンド練習をした事が在る。「ディフェンス」だけと言っても 打たれれば撃ち返してくる。結構本職のパンチは痛かった。その時、僕は、右手を前に構えていた、「おい、お前 ギッチョかよ?」と言われた。サッカーボールをけるのも右足。右利き、左利きは良く解らない。

 

9、さて、思い出話はこの位にして、昨今の「右投げ左打ち」を考えて見ると、筒香がMLB入りして、祥平と筒香が今年の注目の的になるだろう。勿論、福留も未だNPBで頑張っているが、僕自身は如何しても、祥平と筒香にポイントを絞って見る積りだ。高校時代から筒香を見ているしプロで凄く成長した。意外に守備の適応能力も高い。色んなポジションを守れる。右投げ左打ちのスーパーは、イチローだ。祥平が二刀流でどれだけの成績を上げられるか?興味と期待深々である。僕は、当然ピッチャーと指名打者と思っていたが、イチローは、「一年毎にピッチャー、バッターとやれば良い」と言って居たので、驚いてしまった。

イチローの様に長い期間働けないと記録は生まれないだろう。もう一つ僕の野球見物の経験では、イチローの様にレフト方向にキチンと打てないと高い打率は残せないだろう。右投げ左打ちはレフト方向に打つのは、如何しても天性の左効きに劣る様な気がする。事実、経験からすれば、流し打ちで強い打球を飛ばすのには、凄い練習が必要だ。果たして、イチローの様にストイックに練習できるだろうか?増して、一年毎にピッチャー、バッターでは大変だ。筒香はパワーは、あると思うがレフト方向への打ち方はそれほど上手くないと思う。僕の大学時代、一年下の右投げ左打ちはみんな引っ張るのは凄かったが、流し打ちは余り巧くなかったと思う。当時の坂井監督は右投げ左打ちは余り好まなかった。最近の選手は、リトルの時から左打ちをして居るし、何の抵抗もなく左打ちに成って居る。但し、右投げ左打ちは右肘への負担は多く掛かる。祥平は投手だから、余計に大変だ。これからは、小さい時から右左差がなく使えるように子育てをすることが必要だ。でも、面白い事に右投げ左打ちの選手が、野球をやめて、ゴルフをやる時に皆、右打ちでゴルフをやる、その理由は、左のクラブは、あまり売って居ないとか...しかし、右投げ左打ちのプレーヤ-でも、ゴルフをやっても打球は左打ちの打球と同じ様な軌道で飛ぶ。面白い物だ。

 


"Diary 157" '20-2-4

2020-02-03 22:09:03 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

1.1豊川様 初詣り

今年の元旦は、幸いにも晴れ。毎年通りMeguの朝練で始まる。それ程早朝と言う事ではないが、5時半頃か?井の頭公園~永福町のヤマト便一周らしい。帰って来てから元旦のおせち料理を頂く。午後、これまた恒例の豊川様初詣。例年通りの混雑。お御籤を引いたが、中身は「末吉」だったらしい。約10個のお守りをアメリカ土産に買う。もう、Meguがお土産を届けると、貰った人は古い物を我が家へお焚き上げの為に送り返してくる。それ位長年続けていると言う事。何とか無事な1年を送りたいものだ。

1.2羽田空港 Megu 見送り

この数年、同じ便で帰米する、乗る便もUAとJalの共同運航便。無事なフライトを祈る。

1.7 パンダ会 スモール東日三田会

37年大学卒業のH君から誘いの電話。東京日産に居た慶應体育会のOB有志で懇談をしようと言う事。レスリング、サッカー、弓道、スキー、自動車の各部出身、まだほかのメンバーも居るのだが、主催者中心のメンバーに成ってしまう。割合に早く東京日産を辞めている人もいるので、その後の暮らしを聞いたり、勉強に成り、楽しかった。

1.11いい人会 於 新橋亭

昔、大学卒業間もない頃、中央区周辺に勤めていた同期生の集まりで、始まった会である。その後時を経て、「いい人会」毎年1月11日に集まろうと言う会。32年の大学卒業には、体育会の集まり「無心会」、「流通研究会」とこの「いい人会」それに「高校3年のクラス」、「2年のクラス会」「高校野球部4回生」「大学野球部同期会」と色々な会があるが、マア、どの会も集まる顔ぶれは同じように成って来た。もうじき解散、自然消滅になって行くだろう。

1.16 21世紀の会 新年会 於 岡半

此の会も岡半スタイルで既に十数年に成る。今回は18名も参加。同年が3名の出席。例年通り参加者それぞれ一年の抱負を語る。

1.18 パンダ会 堀田、澤田

成蹊から高校。大学の野球部に在籍した後輩約60年で3名しかいない。慶応に入った時から相談相手に成って居る。もう皆子供も出来て、会社でも中堅、働き盛りだ。男の子が生まれて楽しみが大きいようだ。皆、スポーツをやらせたいようだが、中々思ったように成らない様だ。

1.20 棟方映画会 於 伝道会館

応援指導部OBの棟方君が主宰している古い映画を上映する会。何時も誘われているので、今回はシナトラとシャリーマックレーン主演の「CanCan」音楽はコールポーターなので初めて行って見た。映画は僕には、面白かった。その後、下の中華料理で会食と懇談。女性が半分位で黙って聞いていると面白かった。矢張り、シナトラは人気がある。

1.23 パンダ会 元東日幹部

今月3度目の「パンダ」この店は安いし、美味いし、地の利もいい。メンバーは東日の会長2名他、部長経験者以上5名、話題の中心は「ゴーン」今度の日産の人事には皆、絶望的な意見が多い。兎に角、今月は「パンダ」会が多く、何時もお昼から4時位に成り追いだされる。

1.24 平田会 新年会 於 新橋

平田会ももう20年に成る基本的にはゴルフの会だが、よく飲んで遊ぶ。元ゼネコンのメンバーが多いので、皆さん達者、この日も珍しく2次会でカラオケに行く。12坪位の店でママ一人お客、団体が我々ともう一組5人位。幹事が交渉して一人4000円今の銀座はこんな小さな店が多い様だ。僕も仕様がないから一曲唄った。偶にはいいね、どうせ皆聞いていないんだから...

1.28 樫の会、慶応読書会 合同 於 崋山会館 講師伊藤元重(学習院大学教授)氏

演題「今後の日本経済」

新年初の勉強会。70名位の出席か?演題も興味があるし、講師も今、色々政府関連の仕事もされて居る先生なので、期待をしていたが、やや現在の金融政策に批判的な話もあったが、余り裏話的な話もなく、期待通りでは無かった。何か、実体経済とはかけ離れている話のような印象を受けた。どちらにしても「日本経済」暗い変革の時代は間違いないだろう。

1.30 日吉倶楽部 総会 於 サッポロライオン

日吉倶楽部会計年度の変更と夏の大会までの激励会のスケジュール等の間隔を考えて、この時期の新入倶楽部員(高校卒業生)の歓迎会を兼ねた総会。新入倶楽部員約40名を加えて総勢130名位か?ビアプラザ満員の総会。執行部が変わると色々時代に会った改善が行われる。予算規模も約2千万円になった。創設期から考えると夢の様、確りとした組織に成った。多分、全国一の高校野球のOB会だろう。パーテイは新入倶楽部員(新大学1年生)が夢中でテーブルの回りに集まり、OBには殆ど入り込む余地なし。帰りに親友の薄君とお多幸によって飲み直しと食べなおして、地味に地下鉄銀座線で、迷路の様な渋谷駅を歩いて帰る。

P,S

・テレビで国会中継を見る。辻元議員と安倍さんの論戦。安倍さん酷いな...自民党の中から批判が出ないのか?日本は滅茶苦茶になってしまう。オリンピックに浮かれている状態ではないな。