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2008-05-06 09:30:59 | Massy's Opinion
☆5月2日付け 朝日 夕刊 12面「ツタからまる洋食の館 お別れ」銀座みかわや本店 取り壊し(大井田ひろみ)の記事で気がついたこと。記事の下段中央に、『銀座で長く飲食店を営む男性は「昔からすごくモダンだった」。幼い頃、祖父にごちそうしてもらった東京都文京区の浪越夕起さん(51)は「鹿鳴館のような雰囲気の店だった」と懐かしむ。』と言う記事がある。記事全体は其の通り、いい店で昔の銀座を知る者には寂しい限り...又一つ「いい銀座」がなくなって行く。 「チョット待てよ。何か変だな。僕は1934年生まれ51歳の浪越さんが鹿鳴館知っているの?」僕が知らない鹿鳴館を僕より遥かに若い人が知っているなんて!「本で読んだ鹿鳴館のようだった」とか、「話に聞いた鹿鳴館」とか、字数制限か?何か、解らないが歴史が違ってくる。この文責は誰が持つのだろう?
最近、この種の不正確な表現が多く、NHK.TVでもテロップの誤りがあり、途中でお詫びの入るケースが度々見られる。3年位前には、有名な野球監督がTVのニュースで故人にされてしまった。其の監督と一緒に仕事をした事のある僕の友人がそのTV局に文句を言ったら、流石に翌日然るべき責任者が謝りにきたとか。最近のマスコミの記事の密度の薄さは本当に情けない。若い人が懸命に書いた記事を丁寧に補足、修正する上司が居ないのかしら...マスコミは責任を考えるべきだ。

☆再び「船場吉兆」他の客の残した料理を出し回していたとか。此れも本当に酷いね。まさか他の客の「歯型の付いた物は出して居ないだろうが...」三ちゃん経営の小さな店で「出す物」の質に拘っている店もある。要は人を見ること、トップがお客に顔を見せられなくては駄目だ。そして、消費者も名前ではなく、質を見る眼が無くては駄目だ。吉兆の社長が出し回しの料理を食べているお客を見て「平気だ」なんてどんな神経をしているのだろう。狂いすぎている。

☆これから株主総会の時期。社長が内心、一番気が張り、気を使う時期だ。金融機関の社長達は、どんな顔して出てくるのだろう。「新銀行東京」があるから「我が社はあれより増しだ」と比較的楽な感じかも知れない。石原都知事 貴方の責任は本当に大きい。善良な都民を騙してはいけないよ。僕は石原フアンだったので、あの新銀行設立の時には「大丈夫かな」「金融とはそんな甘い物ではないよ」と思っていた。それでも疑念があり、以前ブログに書いた通り窓口へ行って見た。店頭も死んでいたし、雰囲気は悪かった。余り新聞等には出ないが、監査請求とか何か起こす団体が出来たようだ。気を付けて見守っていこう。
石原さんらしく、潔く責任を取って貰いたい。東京マラソンもオリンピック招致もスタンドプレーに見えてしょうがない。