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<font size=4><strong>読後感“今上天皇 つくらざる尊厳” </strong>‘13-12-10 </font>

2013-12-17 08:07:44 | インポート

級友が綴る明仁親王」 明石元紹  (講談社)

さる12月5日講談社から標記タイトルの本が発行された。著者は僕の大学一年先輩の明石さんである。学習院から大学は慶応へ進まれた方で、勤め先はプリンス自動車~合併により日産自動車である。会社退職後は、洋画を描いて個展を開き既に15年位に成る。僕の高校時代、慶応高校の野球場は、現在の矢上キャンパスの場所にあり、日吉台との谷間に馬場が今でもある。毎日、馬場の傍を通って通称「嵐が丘」と呼ばれていた野球場へ通って居た。馬術部は高校も大学も同じ処で練習をしていたが、3年生に成った時、一際目立つハンサムな高貴な雰囲気を漂わせる人が居た。当時、高校の馬術部には成城学園中学から慶応に来た難波君、山岸君が居たし、浜田山の家の直ぐ傍には、伊東正浩、秀介の兄弟が住んで居て、正浩君は馬術部に入って居た。そんな事で、自然と顔見知りも多く、「あの人何て言う人?」「学習院から来た、明石さんと言う人だよ。皇太子殿下の幼稚園からの親友だってさ。偉い人なんだよ」と言う様な話が入って来る。僕は中学を成蹊で学んだが、旧制の7年制高校では、成城、学習院と良く野球の試合をしたので、近親感のある学校で、各校の気風もそれとなく知って居た。

社会人に成って、僕は、日産メーカーに出入りをする様になったが、ここでも、色んな先輩方にお世話に成った。プリンス自動車と合併した後、当時の日産は大手町ビルに本社が在ったが、秘書室長は山田潤史朗さんと言う慶応の先輩で、或る日、秘書室に来るように言われた。そこで山田さんから「今度合併したプリンスの明石君だ、君の一年先輩だよ」と紹介されたが、「増田さんですね」と明石さんが僕の名前を呼ばれた。「何だ、君達知って居るのか?」と山田さんに言われた初めての出会いを昨日の様に覚えて居る。これから、明石さんとの仕事を通じたお付き合いも深まり、飲みに行ったり、麻雀もよくした。勿論、仕事もしたが、お客様にメーカーとして、謝りに行くような必要が出来ると、明石さんにお願いをしたものである。

毎年、個展を見に行って居るが、風景画が主体だが、年々腕が上がり、絵を見ているとその人の成長度合いが解る。昨秋の個展ではベネチアを中心とした作品が中心であった。「明石さん、今度は随分主体が変わりましたね」「そうですね。ベネチアが良かったもんでね...」「今、本を書いているんですよ」「何の本ですか?」「マア、自伝みたいな物ですかね...」と言われていたが、その本が発行された。

さて、読後感を書く前に背景、周辺の状況(偉い軍人の子息に知り合いが多い)を記そう。いずれも、会社での同僚、学友である。最近、この激動の時代の本を読むことも多い。何れの諸氏もスラーッとして姿勢が良かった事に気が付いた。

・明石元紹  慶大31年卒 明石元二郎男爵 陸軍大将 台湾総督1864年生 孫

・永田忠昭  神大31年卒 永田 鉄山   陸軍中将 軍務局長1884年生 子息 没

・枝 誠    慶大31年卒 枝   台湾総督府 階級役職 不明      子息 没

・有末満夫  成蹊大32年卒 有末 精三  陸軍中将  1895年生 子息

さて、本論の読後感に入ろう。明石さんは非常に大人しい、穏やかな人である。本書の初めは「明石家のルーツ」から始まっているが、格式の高いお家柄で、普段はあまり口にされないが20年位前だろうか、業界新聞に一面の及ぶ論文を書かれた事が有る。自動車業界の事であるが、「へえ、明石さんこんな事を考えて居るの…それにしても大胆だな...」と感じた事が有る。と同時に文章の的確さも際立ち、基礎学力の高さも現れていた。今回の著作も約300ページに近い記述で、克明な記憶に基づいて書かれている。同世代の第二次大戦を身をもって体験している僕にとっては、「あゝあの時、僕は桐生の伯母の処に疎開して居たな」とか「玉音放送」を聞いた時の事とかが思い返された。我々世代にはそれぞれの生活の中で、忘れられない事だろう。陛下の中等科時代の綽名が「チャブ」だった事も綽名の羅列の中でさりげなく書かれているが、前記した色々な関係の中で僕は陛下の綽名を知って居たが、まさかこの著作の中に書かれて居るとは思はなかったし、此の事で明石さんは、「本気で書いて居るなァ」と感じた。これは、最後の章の「私の皇室観」に連なる、明石さん真剣な願いだと思った。最近の今上陛下のご活動ぶりを拝見していると医者嫌いの僕には耐えられない様な大手術をされ、尚且つご公務に就かれている陛下を拝察すると正に題名の通り「つくらざる尊厳」を感じさせられる。此の書は、後世、今上陛下の在り様を記録に残す「歴史的価値が有る書」だと思う。慶應を出た者には小泉先生の言葉は、未来永劫に伝えられる言葉で、僕はまじかで先生のお話を聞いたことも有るし、神宮球場でお目に掛かった事もある。晩年、リーグ戦の始球式をされた事があるが、その前には、キャッチボールをするために野球部から現三田倶楽部の会長の加藤太郎さんがお宅に呼ばれてお相手をした事も知っている。正に「練習は不可能を可能にする」を実践されて居られた。陛下の人間形成には、陛下の元よりの気質は兎も角小泉先生、バイニング夫人等の外部の諸先生方のお力も大きいと思う。いずれも、宮内庁外部の方でありこの先生方を選ばれた関係者の方も慧眼をお持ちの方だったと思う。又最近の陛下を拝見していると、時得るごとに陛下ご夫妻がご自分の生き方に自信を持たれているようにお見受けする。