TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

母の葬儀

2013年12月03日 02時04分11秒 | 日記

 11月23日(土)弟からの電話で母が危ないとの知らせを受けた。
埼玉から東京の日大板橋病院へ駆けつけたが、電車の中で訃報を聞いた。
 午後9時10分、永眠・・・。享年九十歳。
霊安所に母はいた。突然の大動脈乖離だったそうである。弟からの話し、医師によれば病院に運ばれたときは
あと数分、手術するかと言われた、手術しても絶望的と判断。

葬儀は混んでいたこともあり、29日(金)に行われることに。
日があったので、事前に葬儀式場の確認し、母との面会。棺のなかに母が横たわって眠っていた。

 29日当日は家族葬ということで、母の親戚や縁者が集まった。
母が通っていた日舞や剣舞の仲間、従兄弟など縁ある人々に囲まれ母は送られた。
中には高齢で身体の不自由な方も見えた。

 斎場からの戻り、葬儀場での食事会の席で献杯の発声をした。
献杯の言葉は当日までいろいろ考えていたが、当日になって、
ふと変わったことがあとから思い出された。

母は脳出血で倒れ、右半身不随と言語障害で、7年以上車椅子生活だった。
救急病院、リハビリの病院を2カ所、そして介護施設が終いのすみかとなった。

献杯の言葉 (正確には思い出せない。あとから脚色した部分もあるかもしれない)
 元気だった母のことは皆さんご存知ですが、倒れたからの母は身体も動かず言葉もあまり通じませんでした。
そんな母を見て、私は母の人生は終わったのだと思っておりました。
しかし、どこの病院でも母は模範的な患者であり、介護施設では手がかからなかったということでした。
 私は、人はどんなに身体が不自由になっても、言葉が話せなくても、しっかり生きるということは
大事であることを母から学んだと思いました。
 母の冥福を祈って・・・。献杯。

・・・葬儀の間不思議と涙はあまり出なかったのだが、最後の言葉あたりで思わずこみ上げて来るものがあった。

合掌
コメント
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