イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2023年12月31日 | Weblog
今年も残りあとわずか。この1年を振り返る。
釣行回数は67回、読んだ本の数は57冊。釣行回数は去年並みだが、読んだ本の数は激減してしまった。

今年もあんまりいい事はなかった。ダニに始まってウ〇コに終わるという、なんとも汚わいな1年であった。

それが原因ではないのだろうが、本当に魚が釣れなかった。真鯛は年間を通して数匹だったし、チョクリの釣りではとうとう1匹もゴマサバが釣れなかった。



アジサバというと加太でも全然釣ることができなかった。キスもそうだ。いちばんたくさん釣った日で20匹というのはあまりにも悲しすぎる。タチウオもパッとしなかった。一番釣った日で20匹だ。



なんとか燻製を作ることができたがまったく満足はできなかった。コウイカも今年はいけるかと思ったが現状ではパッとしない。



今年の夏は気象庁が1898年から統計を取り始めて以来、日本の平均気温偏差は過去最高を記録したそうだ。それにつれて海水温も高かったはずだが、そういったことが影響をしているのだろうか。それに加えて今年は閏月の入る年であったことが季節の流れを狂わしたのだろうか。自分のテクニックの無さを棚に上げておいて原因を他に求めたいだけなのであるが・・。




悪かったことばかりではない。
紀ノ川河口への釣行ではチヌが釣れた。このチヌ、コノシロパターンという、運がよければブリが釣れるというバクチみたいな釣りの副業でやってみたのだがそれが大当たりであった。まあ、これも2回目はまったくダメだったのでまぐれと言えばまぐれに過ぎないのではあるが・・



春の恒例の田辺への釣行は絶好調であった。年なしはなかったもののまずまずの出来であった。来年は絶対に行くつもりだがその次は行くことができるかどうかは不透明だ。お金と体力両方が耐えられないかもしれない。



たまたま時間調整で出たアマダイも大当たりであった。50cmの大台に乗りそうなほどの大物が釣れてしまった。



サビキ飲ませでは初島は全く釣れなかったけれども住金一文字の沖で初めての釣果を得ることができた。
カワハギもテンビン仕掛けを止め、オーソドックスな胴突き仕掛けに変更してから数が出るようになった。持って帰らない魚に鉤を飲み込ませてしまって殺してしまうことも少なくなったのもとりあえず罪悪感が軽減されるというものだ。



そういう意味では既存の釣り方に変更を加えたことによって釣果を得たということが少なからずあった。住金一文字沖の飲ませサビキも、エサのアジを事前にサビキを使って釣っておいてから本命を狙うという手順は我ながらいい考えだと思った。しかし、あとから聞くと、これは誰でもやっていることだったそうだ。僕が知らなかったというだけだったというのはちょっと恥ずかしい。



これは釣りではないが、カブトムシの大群に出会ったというのもうれしいことであった。これにクワガタムシが加わっていれば言うことがないが、さすがにこんな海のそばではそういうことはないようでそこのところはちょっと寂しい。それに加えて、獲ったところでそれをどうするんだというのも問題である。



また、住金一文字の上に乗ってのフカセ釣りも楽しい発見だ。もう、フカセ釣りはできないかなと思っていたがまさしく救世主だった。




カワハギもカブトムシも住金一文字のフカセ釣りも新しい出会いから始まったものだ。カワハギ釣りはFさんのアドバイスであった。彼とはずっと昔からの知り合いといえば知り合いだったが係留場所を紹介したことが縁でリアルなFさんとの交流は去年の暮れからであった。カブトムシと住金一文字はNさんからだNさんも同じ港の仲間であったが挨拶をするくらいの仲でしかなかった。これほどいろいろなことを教えてもらったり釣りに連れて行ってもらったりするようになったのはこのフカセ釣りが縁であった。その顛末は12月10日のブログに書いた通りだ。
Nさんには雑賀崎の上架場所も紹介してもらったので感謝しかない。



これも出会いのひとつだろう。ローカル番組だがNHKで僕が撮った写真を取り上げられた。ここに写っているボートのオーナーさんはコウイカの釣り方を訊ねてくれた人だ。この日初めてボートの上で話をしたのだが、気嵐の中で雲の上に浮かんでいるようなボートを撮らせてもらった。



退職記念のつもりで買った包丁もある意味新しい出会いからもたらされた逸品である。



それとは反対に離れていった人たちもいる。
森に暮らすひまじんさんは今年の秋で生石山を離れられたそうだ。寄る年波には抗えず山での生活をあきらめたということであった。家族から、僕が採ってくる山菜にはダニがいっぱい付いているというようなケチを付けられ、その後は山菜採りに行く気を失くしてしまい最後のご挨拶もできずに終わってしまった。今は大津市にお住まいなのだが半径10㌔でしか生きられない僕にとってはあまりにも遠い場所だ。ひまじんさんにはもっといろいろなことを教えていただきたかったし話をしたかった。ひまじんさんと知り合ってからは、僕のブログの書き方はひまじんさんはどう読んでくれるだろうかということを考えながら書くようになってしまった。
旧Nさんはウ〇コ問題があってから何の声掛けもなく突然係留場所を引き払ってしまった。まあ、それくらいの友人関係であったということだったのだろう。碇のロープも回収せずに残したままだし、旧Nさんには彼なりの言い分と考えがあるのだろうけれども、もうちょっと礼儀があってもよいのではないかと自分の側だけからだが思ってしまう。
今年一番後味の悪い出来事であった。

忘れていたもうひとりの出会いは船の修理屋さんだ。そういえば修理屋さんを紹介してくれたのも雑賀崎で出会った人であった。診てもらった船外機はまったく不機嫌さがなくなった。これはこれでありがたかったが惜しむらくはその値段だ。無駄な作業とは言わないがプラグ交換と試運転で4000円は痛かった・・。しかし、船外機もディーゼルもOKというメカニックだそうなので頼もしいことは頼もしい。



修理というと、バイクの駆動系も一新され快調に動くようになった。こうなってくると残ったのは大きい方の船だ。次に壊れるのはこの船だと思うと恐ろしくなるところではあるのだが・・。




そんな感じで、生まれてきてから60年という節目の年を締めくくることになった。

この1年を一言でまとめると、「リセット」という感じであろうか・・。来年はそれに対して何かの変化あるのだろうか・・。悪い変化はご免だが・・。
船に松飾を取り付けて、2023年の潮時表と潮流表をゴミ箱に捨てて新しい年を迎えよう。

 

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船底塗装

2023年10月14日 | Weblog
今日は大きい方の船の船底塗装だ。当初、来週19、20日に作業をするつもりで連休を取っていたのだが、先週の飲み会を企画した同僚が、僕が休みたいのでその日は出勤してくれなどと言ってきたのである。一応、先輩格の人だから反論もできずやむなく作業日を前倒しした。

気になるのは天気予報だが、台風15号の影響で天気が不安定だ。毎年この頃に船を上架しているが、確かに台風がよくやってくる。いつもうねりの中で帰投しているという印象だ。
当初の予報では雨が降ってくるのは夕方からであったが朝起きて予報を見てみると昼過ぎへと早まってきていた。いくつかのサイトを見てみてもどこも同じだ。間違いなく正午を過ぎた頃から降り始める。今日は時間との戦いになりそうだ。
なんでこういう緊迫した中で作業をせねばならないのだと同僚を恨んでも仕方がないが、他人に振り回されるほど心地の悪いものはないのである。

前回はanotherNさんに手助けをお願いしたが今回は叔父さんに助っ人を頼んだ。anotherNさんに毎回お願いするのも憚られるし、ウインチのスイッチ操作ならまったく経験のない人でも十分やってくれそうだ。おまけに百姓仕事に長けた叔父さんならすぐに機械の操作を理解してくれるだろう。

早朝、午前6時半に雑賀崎漁港に来てもらいひととおり作業手順を説明して上架開始。
途中、船の舳先の向きが歪んだりしてやり直しをしながら無事に上架完了。



叔父さんはきちんとそういう状況も指摘しながら作業を手伝ってくれた。さすがだ。
この時点で午前7時。一気に作業を進める。

舵の周りを見てみると、やっぱりすごいことになっていた。



船底のフジツボの密度も例年より多い気がする。



これは掻き落とすのにも時間がかかりそうだ。
舳先のほうから掻き始めたが、FRPの部分というのは碁石をパラパラと落とすように簡単に取れるが、舵やスクリューの部分はかなりやっかいだ。けれん棒を思いっきり突き刺してもびくともしない。それに加えて、ここは和歌浦漁港の船台に比べて背が高いのでけれん棒を上向きに突き上げるような形での作業になるので力が入らない。形状も複雑なので取りづらいことこの上ない。
亜鉛板を外して2度目の水洗いを終えた頃にはすでに2時間が経過していた。

一服する暇もなくスクリューのコーティングと船底塗料の塗り作業にとりかかる。こういう作業をするときには逆に船台の背が高いというのは作業をしやすい。一長一短があるというものだ。
この辺の作業は何度も繰り返してきたので手慣れたものになってきた。ほかの人にもそう見えてしまっているのか、揚場のそばに船を係留している人だろうか、「業者さんですか?」などと声をかけてきた。自分の係留場所に近いところで作業を肩代わりしてくれる業者でも探しているのだろうか・・。う~ん、僕は普段はスーツを着て給料をもらっている、一応はホワイトカラーという部類の労働者に属していたんだがな~と思いながらも、自分でも薄々はホワイトカラーという柄ではないよな~とも思っていたのでこれが本来の僕の姿なのだろう。きっと・・。
そのほか、老人会の集まりでこれから和歌浦まで歩いて行くという老人まで声をかけてくる。僕はけっこう目立っていたりするのだろうか?

ちょうど正午に作業を終え、代金を支払うために集金係のおじさんを待っているとポツっと雨が降り始めた。まったくギリギリのタイミングであった。終わりよければすべてよし。同僚への恨み言は言わないことにしておこう。

  


翌日、円卓会議の終了を待って叔父さんとともに港へ。船の転倒を防いでいるクサビが船台に絡まってしまうというちょっとしたトラブルがあったが無事に船を浮かべることができた。



航跡もきれいだ。ビフォーとアフターではこうも違う。

 

船が喜んでいるようにも思えてくるのである。



港に戻った頃には日差しが強くなりそれに合わせてかなり暑くもなってきた。昨日は作業中はずっと曇っていたので体力的にもかなり楽ができたので雨雲との競争もまあそれはそれでよかったのでないかとも思ったのである。

船の底を塗る作業の際は毎回、今回は体力が持つだろうかといつも心配をしながら作業を始める。まだそんな歳でもないはずだが、そこはなんちゃって頭脳労働者なものだから体力だけはホワイトカラー並みのものしか持っていない。そして作業が終わってから、あぁ、今回も無事に終えることができたと自分の体力の残量はまだいけるということを確認しているのである。
アキちゃんと忠兵衛さんは、北三陸がいちばんいいところだと確認をするためにそこを離れてゆくのだが、僕は自分の体力の残額を確認するために船底塗装に臨んでいたりもするのである。
と、言いながら、この文章を書いている翌日、僕は体中の痛みに呻いているのである・・。


ここ、雑賀崎という街は最近、なにかと話題を提供してくれる。前回の船底塗装の直前には現職の総理大臣が狙われるという大事件が起き、今回は映画のロケ地になっていた。



(公開は去年だが、僕が観たのはつい最近のことであった。)
この場所はまさに揚場の予約用のノートが置かれている箱のある場所である!
日本のアマルフィーとしてはいまだに知名度を誇っているし観光客を相手にした施設もたくさんオープンしているらしい。



どんなことでも人が集まるというのはいいことだと思う。
僕もここに集まってきたひとりだが・・。



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燻製作りとはなふりの夕日と船底塗装

2023年09月24日 | Weblog
昨日はあさから燻製作り。今回は調子に乗りすぎてタチウオ15匹とサゴシ1匹(18日に釣った魚全部)を仕込んでしまった。乾燥させるのも冷蔵庫の中を占拠して大変だったが燻製箱へのセットも大変だ。フックにひっかけていては全部収めることができないのでいつも使っている鉄筋にアルミホイルをまいてぶら下げた。なんとかギリギリで治まって燻す作業をスタート。



休日の朝早くから煙を出して近所迷惑だと言われないように慎重に豆炭をいこしてチップを投入。いつもはおまけとしてゆで卵とチーズを燻すのだが、卵は値段が高くなってしまっているので、今回はポテトチップスと柿の種をやってみた。
どちらも脂を含んでいるのか、あまり色は変わらなかったがほんのりと煙の香りは付いた。
ものすごく美味しいというわけではないが、ひと味違うポテトチップスと柿の種になった。



午後からは映画を1本観て雑賀崎の灯台へ。雑賀崎の伝説で、「彼岸の中日の夕日は“ハナが降る”ように見える。と言い伝えられている。この、“ハナ”というのは一体何なのかというのは昔から全然わからなかったのだが、カレンダー通りの休みになったし、草刈りの人たちも集まってくるというので僕もその、“ハナ”の正体を見てみたいと思った次第だ。

最初、集合場所はトンガの鼻だと思っていて、先端部分まで行ったら誰も居ず、ああ、これは灯台の方だなと思い直してバイクのところまで戻ったのだが、お昼過ぎに一杯飲んでいたのに加えてデコボコ道を急いだせいで足が動かなくなってしまった。(一応、酔いは醒めていたはずである・・)
道中、船の燃料補給もしていたので太陽はどんどん海に向かっている。



だから急いでいたのだが足と心臓が言うことを聞いてくれないのである。

動かない体に鞭を打って灯台までやってきたが、あいにく雲が多くて夕日を見ることは叶わなかった。午後3時ごろには太陽が出ていて、これはきっときれいな夕日が見えると思っていたが残念だ。



しかし、ここへ来るときは必ず台風の時であり、荒れた海しか見ないのだが、穏やかな海で航海灯をともした貨物船や灯りが灯った旅館、マリーナシティもきれいな景色だ。こんな時間帯に出歩くことはまずないので、夕日は見えなかったがきれいな景色を見ることができたということはこれでいいものであった。

  

ついでに「和歌浦夜市」というのをやっていたので見に行ってきたが、ここはこの程度の屋台でどうしてこんなに人が集まるのかと思えるほどの人出だった。




そして翌日の今日、発作的に小船の船底塗装をすることにした。金曜日の紀ノ川は前日の線状降水帯の発生で茶色く濁っていてこれではまったく釣りにはならないだろうというのと、やっと猛暑を脱したか、朝はちょっと寒いくらいになっていたので体力的にも楽だろと思い、早く動かない船からも脱さなければならないので重い腰を上げたというわけだ。



こういう作業は、もう嫌だと思ってしまうとそれっきりになってしまうのでそういう気持ちから背を向け続けなければならない。実はそれが一番しんどいのである。

潮は長潮で朝一が干潮だ。まあ、大潮ではないのでそれほど潮は引いていないだろうと思ったらえらく引いてしまっている。潮位65cmというのはここまで潮が引くらしい。よく覚えておかなくては・・。
ここまで下がるとスロープが崩れているところがむき出しになるのでコロをかましても引っ張り上げることはできない。もどかしい時間を過ごすが、なかなか潮は上がってこない。
待ちきれずに作業を開始。なんとか引っ張り上げることはできたが、今日は危険な作業だった。
今日は潮が上がってくるのが遅い。満潮時刻は夕方4時だ。長潮というのはその名の通りだった。普段は魚が釣れない潮だというくらいにしか認識をしていないが、じっくり見ていると確かにそういったことを実感する。



そういうことで、30分以上待ち時間があったこと、フジツボの付着が多すぎたこと、そして結局、涼しいのは早朝だけだったので、作業は遅々として進まずすべてを終えたのは午前11時を回っていた。

 

なんだか疲れた二日間であった。


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草刈りボランティア2回目

2023年07月15日 | Weblog
毎月第3土曜日はトンガの鼻の定例清掃作業の日だ。先月、初めて参加したもようは以前、ブログに書いたとおりだ
そして、今月も参加してみた。anotherNさんは欠席だそうで、唯一の知り合いがいないというのはなんだか心細いが、一番過酷な暑い時に参加してこそ認めてもらえることもあるだろうと考えた。
そして、もうひとつ、まだまだ僕もやれるのだということを確認したかったのである。特にここ数日、腰痛がひどく、一度座ってしまうと立つのに難儀するほどである。電車に乗っていても、勢いをつけて網棚に手を掛けて体を引っ張り上げないと歩き出すことができない。病院に通っていた頃に戻ってしまったかという不安はあるし、ずっと続いているめまいも不安のタネだ。自分の体を過酷な状況にもっていって性能実験をしようというのである。
これからの居場所を見つけたいというのと、大げさにいうと、その居場所にいつまでいられるかということを知りたいのである。

集合時間は午前9時。少し前に到着するとすでにメンバーの皆さんは作業を始めていた。
今日は梅と紅葉の木を剪定してくれますかとのことであったので剪定ばさみを借りて作業をスタート。
1時間ほどで3本を刈り、その後は歩道の脇や広場の端のほうの雑草を刈り続ける。
植物の成長は早く、先月刈ったアセのコロニーも再び芽を出している。



そして茎だけが伸びていたユリの花も咲いている。これはオニユリというそうだ。



どんな場所でも、自然の中に居ると季節の進み具合が実感できる。

2時間の作業のあと、メンバーの方々と雑談。今日のメンバーは合計6人。まったくどんな人たちなのかは知る由もないが、僕以外は全員旧知の仲のようで、僕にはわからない話をしておられる。二組のご夫婦とひとりで参加の女性、そして僕だ。
もともとアウトドアが好きな人たちらしく、家庭菜園を持っていたり、登山を楽しんだりしているようだというのが会話の中から想像ができる。一組の夫婦はリタイア前は教師をしていたような感じである。この人たちは夫婦で共通の趣味を持ち、共通の話題で日々を過ごしているのだろう。僕には望むべくもない。
グループラインも存在しているらしく、当面はそのメンバーに入れてもらえるようになるのが目標だ。

雑談の場所は少し高さのある場所に置かれたテーブルの周りなのだが、よく見ると目の前には大きなクヌギの木がある。見回してみるとあと2本。もっと目を凝らしてみるとカナブンと雌のクワガタらしき甲虫がいた。レモンの丘よりもここの方がカブトムシに遭遇する確率が高いかもしれない。なんだか少し得をした気分で、家に帰って早速虫かごを買ってきた。(以前の自作の虫かごは友人に差し上げてしまった。使ってもらっている気配もないので家に置いておけばよかったと悔やんでいる・・)



そして、身体のほうはというと、雑談場所に向かう途中で少しめまいがしたけれどもそれ以外はきちんと体は動いてくれた。体力を使っているときはけっこう快調で、動きを止めたくらいのところが危ういというのは、僕の小船の船外機の、アイドリングは不安定だがスロットルを上げると快調というのと同じではないか・・。機械も持ち主に似るのだろうか・・。

まあ、とりあえず、身体の方はもう少し使えそうである。と言いながら、腰は痛くて仕方がない・・。
しかし、今日は午前中は曇りで強風といってもいいくらいの風が吹いていたので体としては楽であったに過ぎないのかもしれないのでまた来月、実験をしてみようと思っている。


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出港できず・・。

2023年07月13日 | Weblog
本題の前に・・。

ウ〇コ問題はまだ問題を引きずっている。SNSにアップするときには、そこはどこか、何のことか、なるべくわからないように、僕のことをよく知っている人だけがわかるように書いたつもりだったが書き込まれたコメントにはちょっとこれは名誉棄損になってしまうのではないかと思えるようなものがあった。
名誉棄損とは、「公然」と「事実を摘示」し、「その人の社会的評価を低下させること」なのだからまったくこれに該当するのではないかと思ったのだ。(社会的評価を低下させるというほどのものでもなかったのだろうが、評判は落ちてしまうかもしれない。)
ちなみに、これから書くことはフィクションである。そう宣言しているのだから名誉毀損にはならないと考えている。

これはヤバいと思ってすぐにアップしたものを削除したのだけれども、どうも彼はその書き込みを僕よりも先に見ていたようだった。
まあ、お互いいい気はしていないだろうと思って後日、彼と直接話をしてきた。
それまで、あいつは僕と会った時にはどんな反応を示すのだろうかといろいろ想像をしていた。気持ちが悪いものを気持ちが悪いと表明するのは自由だという考えと、俺の商売の邪魔をするなという考えの衝突というのが基本的な構図だと思う。そして、「気に入らんのだったら出て行ってくれるか。」というのが相手の基本的なスタンスだろう。そしてこっちは先祖代々使っている場所なのだから、ひとりのエゴで終わらされる筋合いはないというスタンスだ。
元々、異常に安い値段でここを使えているのは過去の漁業権の放棄との引き換えだったのだろうけれども、そこはグレーの中でも相当ダークなグレーだと僕は考えている。県から何も言わせないという妙な力学があるようだ。その力学を使ってこそのことだろう、県の所有地を自由に駐車場として使って利益を得る商売もかなりグレーに見える。
それを横に置いておいても、県の所有地に人間のウ〇コが落ちているというのは県としては管理の怠慢だろうということになる。契約書があるのかどうかは知らないが管理者は彼らになっていると聞いている。だから、あまり理不尽なことを言うようだったら、管理者を監督している県に対してクレームを申し入れるつもりであった。ウ〇コはまあ許せるとしても、去年のボヤについては看過できない問題だろう。それは彼に会った時にも言ってやった。
それよりももっとインパクトを与えることになるのは近所の噂だろう。あの辺りもいまだ、いわゆるムラの体質を引きずっている場所だ。みんな噂話が大好きだ。噂話は「公然」と言っていないので名誉毀損にはならないのである。円卓会議の議題もほぼすべてが近所の噂話なのである。僕がそういう場所で、ウ〇コのことで文句を言ったら追い出されそうになったなどというと、その情報網は多少劣化しているとはいえ、それなりの速度で集落を駆けめぐるはずだ。僕の母親がこの集落を出たいと願ったのは、南北に1.5kmもある細長い場所で、朝、南の端っこでの出来事が、お昼前には北の端まで知れ渡っているという噂と監視の坩堝がいやで仕方がなかったからだった。僕の一族は少なくなってしまったとはいえ、僕の名前を言えば、マ〇イチの孫でマ〇ルの息子だということはいまでもかなりの人が知っている。僕のエゴかもしれないが、僕の味方をしてくれる人の方がはるかに多いはずだ。
いざとなればクレームと噂話を武器にいくらでもケンカをしてやると思っていた。僕が現場時代の最後あたりに遭遇したクレーマーはしきりに、「おれは定年退職しているのだから怖いものはないのだ。」と息巻いていたことをよく覚えているが、僕ももうすぐ同じ立場になる。社会人としての責任は無くなるのだ。それに、我が家のダニ問題以降、僕の魚釣りに対するモチベーションも下がってしまっているので僕の釣り人生と刺し違えて彼の商売の息の根を止めてやってもよいと考えているのである。とりあえずは護岸が崩れかけているのに何も知らない渡船客が入ってきて車を落としたら誰が責任を取るのかと詰め寄ればとりあえず県は駐車場としての使用を制限するかもしれない。それだけでも商売にとっては痛手となるはずだ。そのあとにウ〇コ攻撃という二重戦法だ。
しかし、こうやって問題点を列挙していくとなんだかいっぱい出てくる。彼もかなり脇が甘いな・・。攻め口がいっぱいだ。しかし、そこを攻めすぎると自分にも不利な結果となってしまいそうなのが諸刃の剣なのだが・・。

彼の言い分では、ウ〇コを見つけたら直接言ってくれというようなもので、それは残念だと思っていたようだった。まあ、こっちもちょっとやり過ぎたとも思っているのでそれ以上追求することはできなかった。
しかし、対策としてはホームページの記載をちょっと修正しただけというのもどうだかなと思う。自分たちでトイレの掃除ができないのなら人を雇えばよいと思うのである。1日に相当数の人間が出入りする場所にトイレを置かないというのは根本的な解決につながらないではないか。まあ、その警告を一番閲覧機会が多い釣果情報のページに記載しているというのは彼の良心ではあるのだと思うが・・。

僕と彼との間もこじれているが、ちょっとまずいと思った書き込みをした〇さんと渡船屋の間もこじれすぎるとまずいと思い、その足で〇さんに会いにいったのであるが、僕を渡船屋のパシリでやってきたと思ったようである。
こじらせるような書き込みを最初にしたのが僕であるという責任と、ダークグレーの状態をなんとか維持して僕とあの港に関わっている人たちの経済的な利益と僕の水軒の集落とのかかわりを失くしたくないという思いであったのだが、それをパシリでやってきたと思われたのはかなり残念であった。もう還暦が近いのだ。人にパシリをさせられるほどの下僕だとは思われたくはない。
残念だが僕には推移を見守るしかできなくなってしまった。

今回の一件で思ったことは、SNSは怖いということと、独裁政治はこうして生まれるのかということだ。だれがが独裁的だと言っているわけではないが、ある英雄が考える独裁者が生まれる土壌というのが、今のあそこと驚くほど似ていたということだ。
英雄が語るには、『自分たちが面倒だと思っていることを全部ひとりに押し付けてしまった時』に独裁者が生まれるというのである。
同じように県の所有地で船を係留している人たちは組合を作って共同でその場所を管理していて総会の中でいろいろな問題を解決したり県への要望をまとめたりしていると聞く。
僕たちはそういうことをまったくしてこなかった。そこはグレーの世界ゆえ僕たちが手出しできないのかもしれないが、それゆえにグレーの部分への対処をすべて渡船屋に丸投げにしてしまっていた結果なのだと思ったのである。もし、民主的な組合組織があれば、僕の隣にあるまったく何も手入れをしない船への撤去の要望や、傍若無人なタクシー運転手の船に対する対応も取れるのではないかと思う。
結局、彼も、自分の利益に関することには積極的だが、僕たちの船の係留に関する問題解決については我関せずなのだから、県から管理を任されているといえ、自分のことしか考えていないのである。彼以外で組合を作って団体交渉でもしてみるかと思うけれども、やっぱり面倒くさい。
もう、書いているうちに嫌になってきた。SNSには自分の小さな幸せだけを書いておけばよかったのである。


で、ここからが今日の本題である。
今週末は三連休だが三日とも風が強そうだ。多分釣りには行けないのでうまい具合にズル休みを取っておいたものだとひとりほくそ笑んでいたのだが、港に行ってみると南西の風がかなり吹いている。しかし、明日はズル休みというのを寝ているうちに忘れてしまっていて、目覚まし時計が鳴ったときにはセット時間を間違えてもう一度寝てしまった。こんな風になるなら出勤しておけばよかったという感じの、釣りに行くには一番嫌な風だ。出港してからならなんとか我慢はできるのだが離岸する前からこの風では萎えてしまう。それに、夕べのニュースを見ていると、九州では異常な大雨で、北関東では突風が吹き荒れたという。その間に挟まれている近畿地方も天候がいつ急変してもおかしくはない。海上で竜巻がおこって船ごと空に舞い上がるというのはどんな気持ちだろう・・。
禁断の仕掛けくらいは流せるかと思ったが、やっぱり無理は禁物だと思い、しばらくエンジンだけを回して港を後にした。



まあ、こんな時はいつもなら「風があかんから帰るわ。」と、渡船屋のおかみさんなりに声をかけてから帰るのだが、さすがに気まずくて知らんふりをして駐車場の出口を越えた。

そのまま帰るのももったいないので、この前訪れたレモンの丘公園に行ってみた。その時に、この公園内で栗の木らしき木が植えられているのを見つけたのだ。ひょっとしたらここでカブトムシが獲れるのではないかと思っていた。まだ梅雨明け前だがうまく見つけられたら儲けものだ。



しかし、そんなに甘くはなく、昆虫の気配はまったくなかった。しかし、まだチャンスはあるだろう。お盆くらいまで何度か行ってみたいと思う。
栗の木にはすでに実が付いていた。秋になれば栗拾いができるのかもしれないが、ここはあまりにもコンペティターが多すぎる気配がする。僕には取り分はあるだろうか・・。とりあえずは参戦だけはしてみたいと思う。



結局、今日の獲物はアワビの殻だけ・・。きれいに磨いて禁断の仕掛けに使ってみたいと考えている。


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船底塗装

2023年06月03日 | Weblog
いやはや、昨日はすごい雨だった。交通は乱れるらしいとニュースでは言っていたが、だからといって会社を休みますとは言えない。前の職場なら即休みを入れるところなのだが、ここではそんなに強い立場ではないのである。そして、台風本体は太平洋の沖を通るのでそんなに大したことはあるまいと思っていたのも事実であった。
しかし、これほどの大雨になるとは思っていなかった。和歌山から大阪にかけて線状降水帯が発生していたそうだ。



線状降水帯などというのは、九州とか広島でしか発生しないものだと思っていた。
頻繁に鉄道の運行情報を見ているとお昼前くらいからいつ止まってもおかしくないというような状況になってきた。そろそろ、帰らせてくださいとお願いしようかと思っていたところ、ちょうどお昼に帰宅するようにとの指示が出た。
しかし、ここはちょっと余裕があるふりでもしておかねばと、あと1時間、勤務しますよと自ら申し出た。すでにJRは止まっていて、南海で帰るしかなく、まず、南海のほうは止まらないだろうという目算があった。
しかし、僕が和歌山に戻ってから1時間ほどして南海も止まったという知らせがあり、これはまったく危機一髪というところであった。




JRがよく止まるのはもうあきらめているところであるが、昨日は振替輸送の措置をしてくれていなかった。JRは、止めると予告しているからウチには責任がないとでも思っているのだろうか。それとも、南海も自分のところも危ないと考えて振替輸送を拒否したのだろうか。まあ、止まるかもしれないのを知っていて大阪まで出向いて行くこっちも悪いというところであるが、利用しているこっちはなんで止まった路線のために自腹を切って別ルートの運賃を支払わねばならないのかと思ってしまう。
南海とJRを結んでいる路線も止まっていて(なんであんなに安全なルートを通る路線まで止めてしまうのか、まったく理解ができない・・)仕方なくバスを使ったが、これが30分待ち。せっかくなので新しくなった駅ビルに入っている図書館を見てきた。蔦屋書店が運営している図書館だが、本屋さんのような雰囲気の作りになっている。慣れればいいのだろうが、僕は県立図書館のほうが使い勝手がよい感じがする。




翌日、雨はあがったが釣りに行けるような海の状況ではなく、小船の船底塗装をしようと思い立った。2週連続の作業だが暑くなるほどに作業が重労働になるので早く済ましたほうがよいだろう。
せっかくの休日なのになぜだか目が覚めるのは早い。午前4時前には目が覚めてしまった。もう一度寝るのもなんなのでそのまま準備をして家を出た。
今日は大潮で午前5時頃に満潮になるので早く行き過ぎても船を揚げるスペースがないのであるが・・。
現場に行ってみるとまったくそのとおりでひたすら潮が引くのを待つことになってしまった。



作業はいつもの手順だが、手動のウインチを使い、中腰になっての塗装剥がしの作業は大きいほうの船よりも重労働かもしれない。
午前10時過ぎには作業を終えることができたが、その頃にはすでに潮が引いてしまっていて水際まで船を移動させることができない状況だ。これはもう、午後からの潮を待つしかないなと思っていると、久々に大阪からやってきていたFさんが助っ人を買って出てくれた。傾斜がなくなるところまでくると、ひとりではまったく動かせないがふたりの力で押すとなんとか動いてくれる。これで午後から港に舞い戻る必要がなくなった。
助かった。

今日はもうひとつ、何度目かの水が漏れっぱなしの生簀の防水作業をやってみた。コーキング剤やエポキシ接着剤を試してきたがどれもこれも完全に水漏れを止めることができない。本当なら船の外側からFRPを貼り付けるというのがいいのだろうがこの場所ではそんなことはできない。
数日前、たまたまネットで見たのが重曹と瞬間接着剤を使うと強力な接着力が生まれるというものだ。



これは使えるのではないかとひらめいたわけだ。重曹は家にあるので港の近くの100均で瞬間接着剤を買ってきて、多分このあたりが漏れているのじゃないかというところを重点的に埋めてみた。結果は1週間もすれば出てくるだろう。まあ、あまり期待はせずに待つことにしよう。


渡船屋も今日は休みで港は閑散としている。すぐ朝ドラに感化されてしまう僕は駐車場の隅っこに咲いている花を観察してみた。
ボ~っと見ているとただの雑草だが、よく見るといろいろなデザインの葉っぱや花がある。
名前がわかるのはシロツメグサとカタバミくらいだ。

    
放送が終了する頃までには調べ終わりたいものだ・・。
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バイクも壊れた・・・

2023年05月30日 | Weblog
今月は船のバッテリー上がりでスタートしたが、月の終わりはバイクの駆動系が壊れての締めくくりとなった。

ふた月くらい前からだろうか、駆動部分から異音がして加速しなくなる現象が出始めた。時々しか出ないので次のオイル交換の時にでも見てもらおうとそのまま乗り続けていた。
同時期、たまたま見てみたラジエーターのリザーバータンクがからっぽになっていたこともあって、異音はエンジンの加熱が原因か、それとも関連はまったくなくて中古であるがゆえの同時多発的な故障の連鎖なのか・・。あとからわかることだが、それとこれとは全くの関連性がなく、壊れたパーツがときおりプーリーの中で噛み込みを起こしてギヤ比でいうと高速走行時の状態のままで固定されているようなことになっていたかららしい。
そんなことを心配していたら、先週くらいから停車中に車体の振動が激しくなって発車できなくなったり、ちょっとした坂道も上らなくなってきた。発車のときは足で地面を蹴って弾みを付けなければならないこともしばしばであった。
このままでは早晩、路上で立ち往生ということになりかねないと思い船底塗装のために取っていた連休の初日にバイク屋さんを訪ねておいた。土日の港と雑賀崎の往復はなんとか無事に乗り切って昨日、部品が届いたというのでバイクを持ち込んだ。午後になって、「こんなことになっている。」という連絡をもらって見せてもらったのがこの写真だ。



駆動系ケースの中身の部品のほとんどが摩耗してしまっているそうだ。バイク屋さんが言うには、走行距離が38000キロのわりにはかなり傷んでいる状況らしい。
ジャイロキャノピーは車体が重いのと大体が業務用で使っていたものが中古として出回るので状態としてはよくないものが多いそうだ。特に僕のバイクは購入したときに前輪部分がはぼ新品のような状態だったことを考えると、事故でも起こしていて、前部をそっくり取り替えたついでに距離計もいじられていたのかもしれない。

今回、あらためてスクーターの駆動系について勉強してみたが、まあ、よくできた機械だと感心する。すべては遠心力によって統率されているのである。そしてそのカギはウエイトローラーという10グラムにも満たない小さなパーツだ。このパーツがプーリーを押さえているランプレートの間で遠心力によって中心部分から外に向かって移動していくことでギヤに例えると外径が大きくなっていく。自転車の踏み出しの時はギヤの外径が小さいほうが楽で、速度が上がってくると外径が大きいほうがエネルギー効率がよいということと同じ現象が起きるのである。



後ろのほうではエンジンの回転があがっていくにつれ前のプーリーにベルトが引っ張られてプーリーの中心に寄っていく。同時にここでも遠心力が働いてクラッチが作動して駆動力を生むのである。



こんな複雑な動きを遠心力だけで制御しているのである。
今回の故障は、このウエイトローラーが偏摩耗して途中で引っ掛かってしまうというのが発端だ。停車中でもプーリーが走行状態と同じままになってしまうので発車しようにも負荷が大きすぎてエンジンがガタガタいっていたのだ。

そんな状態で無理やり乗っていたものだからあらゆるところが傷ついてしまったのである。
まあ、中古で買ってから丸6年、オーバーホールと思えば頃合いだったのかもしれない。
ラジエーターのクーラントのことも尋ねてみたが、これは3ヶ月に一度は見ておかないと間違いなく減るそうだ。ということは、僕は約5年間、ラジエーターの中が空っぽの状態で乗っていたことになる。これは恐ろしいことだ・・。

修理代は35000円。けっこうな値段だ。船でも車でもバイクでも修理代の負担は重くのしかかる。外貨預金で稼いだ利益の半分以上が飛んでいってしまった。



修理というと、新たに営業を始めた船の修理屋さんの情報を教えてもらった。いつも修理をお願いしている神の手タカシさんはもう高齢だし、そもそも僕みたいにただ遊びだけで船に乗っているような人間が修理を依頼するのはまったくおこがましい人なのである。船外機については池〇マリンのお兄ちゃんの存在はありがたいのだが、この人はどうも修理屋という職業が本職ではないらしく依頼をするとちゃんとやってくれるのだがどこか面倒くさそうな感じを醸し出しているので、まとめて面倒を見てくれるようなところはないだろうかと考えていたところだった。
その修理屋さんの事務所は港のすぐ近くで、某修理屋で30年ほど仕事をしていた人が年開業したそうだ。毎週ここの前を通っていたがまったく気がつかなかった。



できるだけ長くタカシさんには元気でいてもらって面倒を見てもらいたいとは思うのだが、その後のメンテナンスを考えるといい人が見つかった。
これも今回、雑賀崎で上架したことがきっかけでつながった人からもたらされた情報である。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とはマタイによる福音書の中の言葉で、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」に繋がっていく言葉だが、きっとそれは確かなことで、だから自分も、声を出して求めたいものを求める代わりに、人にもすすんで手を差しのべることがまた、自分に還ってくるのだと思うのである。

まあ、僕はこんなには善人ではないのは確かなのだが・・・。

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船底塗装

2023年05月28日 | Weblog
昨日と今日で恒例の船底塗装をやった。

その前に、一昨日、シンナーが切れていたので買いに行った船具屋さんで面白いものを見つけた。
おそらく60代くらいのひとでなければ使った記憶がないのかもしれないが、肥後守だ。かくいう僕も実際に使ったことはない。多分、両親もナイフなんて危ないという主義だったのか、そういったものを持たせてくれることもなかった。だからこれを見た時、と小さい頃の憧れなのだろうか、思わず「これって売ってくれるんですか?」と聞いてしまったのだ。なんだかうれしいものを手に入れたので明日の上架作業はきっとうまくいくという何の根拠もない確信を持てたのである。



ブログに何度か書いてきたが、今まで使わせてもらっていた和歌浦のスロープが大幅値上げとなり実質的に使わせてもらえなくなってしまった。
代わりの場所を探さねばならないのだが、正攻法ならドックを備えた修理屋さんの設備を使うところだ。しかし、以前に使った場所の印象が悪く、ヒロシじゃないが、僕の船にはきっと漁港の風景がばえるはずだといろいろな人たちの伝手を頼って結局、一番近くの雑賀崎漁港にたどり着いた。こういうのを青い鳥現象というのだろう。

ただ、ここを使う条件として、何もかも自分でやらねばならないということがネックとなった。結局、最終的にここの管理人さんを紹介してくれた同じ港に船を係留しているanotherNさんにウインチの操作をお願いした。
とはいっても僕もanotherNさんもこういうことをした経験がない。作業の大体の流れは和歌浦で経験しているがそれはちからさんの経験値だけが頼りであった。
だから、昨日まで頭の中で何度もシミュレーションして作業に臨んだ。待ち合わせ時間寄りの早く雑賀崎漁港の岸壁に船を着け初めてウインチの操作を練習してみる。



事前に管理人さんから電源スイッチの場所やボタン操作の方法を教えてもらっていたものの、最初にボタンを押したときにすごい音がしたのでいきなり驚いてしまった。
anotherNさんが来てくれたので大体こんな感じですという無茶苦茶アバウトな説明をして、いざスタート。先週、anotherNさんがおっしゃってくれた、「なんとかなるで~」という言葉だけが頼りだ。
船台が沈んで船をその上に移動させる。今回のためにロープを固定するギミックも用意した。クランプ2個の即席のクリートだ。



和歌浦に比べると船台のサイズが小さいので前の立つ棒は使えない。ポールにしっかりロープを括り付け合図をする。ゆっくり船台が動き始める。動く速度がゆっくりなので固定位置を維持するのは楽だ。
案ずるより産むが易し。無事に船は陸上に揚がってきた。
次は洗浄作業。ここにも高圧洗浄機の設備がある。和歌浦に比べると広範囲には飛ばないがその分圧力はこっちのほうが高いようで古い塗料がボコボコ飛んでいく。まんべんなく掃除するにはちょっとコツがいりそうだ。
そして、船台の高さもこっちのほうが高い。シャフトを磨いたりキールの部分を掃除するのは楽なのだが舵のブラケットの掃除はちょっと背伸びをしなければならない。
まあ、慣れだと思うが、僕は、「Don‘t think! Feel.」ならぬ、「Can‘t think! Feel.」という脳みそなので、場所が変わるといつもの段取りがわからなくなり、スクリューを磨いているときにはアームカバーを付けるのを忘れ、塗装をするときにフェイスガードを忘れ、顔中体中赤いしぶきだらけになってしまったが、anotherNさんが作業を手伝ってくれたこともありすべての作業を順調に終えることができた。



船底の汚れ具合だが、フジツボはほとんど付着していなかった。代わりに、コケが一面に付着している。やはり間違いなく水質が変化している。そんな話をしていると、anotherNさん曰く、花王が汚水を流さなくなったからじゃないかとのこと。つい最近まで、夜釣りに行くと、どこからともなく石鹸の臭いが漂ってきたが、最近はそれがまったくないらしい。奴らは夜陰に紛れて汚水をたれ流していたのだろうか・・。
雑賀崎の人たちに聞くと、こっちでは年に1回掃除するだけで十分だそうだ。確かに和歌浦も雑賀崎も明らかに水軒よりも海水の透明度は高い。水軒ももう少し透明度が上がれば僕も年1回の作業で済むのかもしれないが・・。

そして、港から歩いてトンネルを抜けて10分というのもありがたいし、なにより税込み5000円というのが今時すごい値段だ。



こういったことを教えてくれるほど、意外と言ってはなんだがここの人たちも優しい。anotherNさんの顔というところもあるのだろうが、こういう場所というのはよそ者には冷たいというは一般的によく言われていることだ。
先週下見に行った時も、以前にこの場所で会った人が、僕のことを覚えていてくれていて、「あんた、来週揚げるんやね。時間があったら見に来ちゃるわ。」と声をかけてくれるし、同じく、anotherNさんと別ルートで紹介してもらった人も昼過ぎに様子を見に来てくれた。
田舎というのは閉鎖的というが、それはきっと思い込みに過ぎないのではないかと思えてくる。

日本のアマルフィの前で船をゴシゴやるというものなかなか心地よい。

 

anotherNさんには迷惑千万なのかもしれないが、次もぜひお手伝いをしていただきたいと願っている。

※ anotherNさんという人は、首相の爆弾襲撃事件のときのニュースで流れた動画を撮影した人でもあるのである。

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ひょっとして才能ある・・・?

2023年05月16日 | Weblog
定年退職まで1年を切り、“老後”というのも視野に入るどころか視界の半分以上を占めてきた。
やはり気になるのはおカネである。国を挙げて投資をしろという流れに乗って僕もチャレンジしてみた結果が出た。外貨預金というものに手を出したのだが、そのきっかけはチラシで見た「3か月だけ年利10%」という破格の利息だった。アメリカ$を買うことになるので$が安くなるとこんな利息なんて一気に吹っ飛んでしまう。リスクは当然あって、実際、預けていた期間、アメリカの銀行が倒産するというニュースがあり一時期は元金割れという事態に陥った。日銀総裁の交代のときは、頼むから利上げをするなんて言わないでくれと祈ったものだ。そして、3ヶ月の満期を迎える頃、再び円安が進んだ。購入した時からは3円以上の円安だ。これは、FRBが5月に開催した連邦公開市場委員会(FOMC)で政策金利を引き上げたことやアメリカの雇用情勢が改善したことが原因だったらしい。
結果、為替差益と利息を合わせて税金を引かれる前の利益が15万円を超えてしまった。税引き後の利益でも年利に換算するとなんと19%という成績だ。
同じ時期、ほぼ同じ金額でやっていた定期預金の利息が15円という通知が来ていたが、それと比較すると約1万倍の利益である。まあ、今回はたまたまうまくいっただけで、持っている株の大半は購入時点の価格を下回り塩漬け状態なので偉そうなことは言えないが、うまくいったときくらいはちょっと自慢をしたいのである・・。



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コゴミ採り

2023年04月08日 | Weblog
今年もコゴミ採りの基準日である4月9日が近づいてきた。例年に比べるとかなり暖かいので先週行っておけばよかったとやきもきしながらこの日を待っていた。
本当は昨日、ズル休みをして行こうと思っていたのだが1日中雨が降っていたので軽油の免税申請だけで終わってしまった。




朝は午前4時に家を出た。ちょっと早すぎたか、あらぎ島に到着した時にはまだまだ薄暗かった。



途中、二川ダムのダム湖に映る満月もなかなかきれいだ。



夜が明け始める速度は早く、ポイントに到着した頃にはすっかり明るくなっていた。

さて、今年のコゴミはどうだろうと奥に入ってゆくと、やっぱり遅かった。ほとんどの株は大きく葉を広げてしまっていた。先週に行っておけばよかったという感じだ。



ただ、すべてがダメだというわけではない。小さな芽も残っているのでより分けながら摘んでゆく。今年は栄養不足なのか、それとも昨日の雨で一気に背が伸びたか、全体的になんだかひょろっとしている。

第2ポイントに移動。こっちもすでに遅くなっている。こちらでも小さな芽を選びながら摘んでゆく。まあ、なんとか食べる分は確保することができた。
少しやせ気味だが昨日の雨が霧になってたっぷり水分を吸っているのでまことに瑞々しい。

桜との関連でいえば、ダムサイトのソメイヨシノが散り始めるときというのがコゴミのベストだと判断しているのだが、今年は完全に散ってしまっている。この部分を見てもやっぱり今年は季節が進むのが早い。



こうなってくるとコシアブラポイントが気になってしまう。あそこはコゴミから1週間以内が採りごろだと考えているのですでにいい時期に入っているのか、もしくはこっちも遅すぎかもしれないと思うと焦ってくる。本来なら森に暮らすひまじんさんのお供として行かねばならないところだがこっそり抜けがけしまった。今年はまだひまじんさんの帰還が完了していないのだ。
その前にこちらもこっそりと秘密のワラビポイントに向かった。
しかし、山の気候はまだまだ冬を引きずっているようで、山頂の気温は到着した時刻で摂氏6度。地熱も上がっていないようでほとんど芽が出ていない。ひと通り巡ってひと握り分。おひたしでひと皿分くらいだった。



この周辺にはタラノメもある。タラノメはベストで、しかも誰にも盗られていないのでて大きな芽を採ることができた。

 

最後にコシアブラのポイントへ。
ここもまだまだだ。季節の進み具合は山で例年通りに収束するかのようだ。この分だと来週が採りごろという感じなのでそうなると例年通りだ。



コゴミの感じだとヤマウドもかと思ったがコシアブラの具合を見ると探すまでもないだろうと生石山を後にした。


僕の山菜採りはこれで最後ではない。荷物を下ろしてガソリンスタンドに向かう。床マットやシートに掃除機をかけてやっと終了なのだ。



車を奥さんと共有するようになってから気を遣ってしかたがない。基本的に僕のやることのすべては汚れたことであると思っているのに加えて、どこの病院なのか知らないが、3ヶ月の間に救急外来で死んだのがマダニに噛まれた人だけだったというような本当かウソかわからないような話を聞いてきて余計に僕は汚れているということになってしまっている。
大体、こんな個人情報か機密に近い話、誰から聞いてくるのだ・・。
そんなことを言っていたら生石山の別荘に住んでいる人たちは近いうちに絶滅してしまうと思うのだからおそらくは奥さんの妄想なのだろう。
こんなことなら自分の車を手放すのではなかった・・。と言ってもあとの祭りだ。

おまけに、夕食の席での会話は、コゴミはかつお節みたいなゴミがいくらでも出てくるという愚痴だ。まるで採ってきたことが罪だと言っているがごとくなのである。
そんなことを聞きながら山菜を食べても全然美味しくはない。

身体の表面に葉緑体を移植できれば風呂桶に片手を突っ込んで何もせず光合成しながら一日を過ごすのではないかというのは彼女の家系らしく、義理の父親も体を患っているとはいえ日常生活をひとりで過ごせているにも関わらず5年間ほど庭の木を一切剪定しなかったので茫茫たることになってしまい、見かねて剪定してやると僕の家の庭の半分もない面積で出てきた剪定クズが叔父さんの軽トラックいっぱいになってしまったほどなのである。
健康的で文化的で無機質な生活というのが理想なのだろう。
結婚した直後にも、ビデオか何かの簡単な配線をし直してあげると、「こんなこと、自分でできるの?」と感動されたことがあった。こういうことは電気屋の仕事だと思っていたそうだ。ちなみに電気屋もそんなことでおカネを請求していたそうだ。
そんな人間たちに僕の遊びについてとやかく言われたくないのであるが、情勢は確実に常に僕のほうが不利なのである。
だから僕は、体が動かなくなるまで肩身の狭い思いをしながら山と海に向かうのである・・。

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