イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「マスタードをお取りねがえますか。」読了

2018年02月27日 | 2018読書
西川治 「マスタードをお取りねがえますか。」読了

著者が和歌山県の出身だということで読んでみた。
プロフィールには、1940年生まれ。著者の本業は写真家で、食に対する憧憬も深く、料理に関する著作も多数ある。となっている。この本もそんな食に関するエッセイだ。

バブルの絶頂期は著者が50歳を前にするころになる。男としては一番脂の乗っているころだろうか・・・。ディテールにこだわった文章、それでいて簡潔な文体というのは男がピカピカのキザでいられた時代の人の文章のように思える。僕は決して嫌いではない。

これだけ料理にこだわった本を書きながら、最後の章では、「食う」ことなんて、どうだっていいというのが、僕の基本的な考えである。と嘯く。
男というものは多少まずくとも「ごちそうさま、おいしくいただきました。」というべきだ。
そして、真に旨いものを食べたいという男は他人に頼るべきじゃない。自ら調理するのがいちばんいい。

と、いうことになるらしい。

普通の人がこんなことを書くとこいつはバカじゃないかとなるのかもしれないが、世界中を渡り歩いてきたひとが書くとなぜだか納得してしまう。
図書館の郷土資料というコーナーにはこの人の本や写真集がいくつか置かれていた。
たまに手に取って読むにはいい作家なのかもしれない。
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「動的平衡2」読了

2018年02月25日 | 2018読書
福岡伸一 「動的平衡2」読了

前回読んだ「動的平衡」の続編だ。
今回はDNAとは一体何者だろうかということが全体を通してのテーマになっている。リチャード・ドーキンスという学者は、「DNAは遺伝子の乗り物に過ぎない。」と言うけれども、著者はそれに異議を唱える。
犬はどんな犬でも同じ遺伝子を持っていているはずだがあれだけたくさんの種類の犬がいる。逆にチンパンジーと人間は98%は同じDNAの構成だがこれだけの差がある。いったいこれはなぜだろうか?この、なぜ?という疑問は、生物学的な疑問ではなく、どうしてDNAはこれだけの多様性を見せる必要、もしくは見せなければならないのだろうか。そいうなぜ?である。

著者は一言、それは、“遊ぶため”にほかならないと説明する。歴史学者ヨハン・ホイジンガは人間は遊ぶ動物であると言う。また梁塵秘抄には「遊びをせんとや生まれけむ」と書かれている。生物は単に遺伝子を運ぶだけのロボット、世代を繋いでゆくだけの存在ではない。そう言っているのだ。だから、生きることを楽しみ、遊び、それでもって世代を繋いでゆく。それこそが本当の動的平衡というものであると言っている。

この本には遺伝物質に関して偉大な研究をしたたくさんの生物学者が紹介されている。しかし、それは生物学としての発見であり、人が、生物が生きてゆくという意義のようなものはやはり発見できない。もちろん、それはそれで重要な研究であるわけであるが、学問が発達すればするほど一方では余計に自分たちのレーゾンデートルをしっかり見つめないと効率という波に飲まれてしまうではないかと警鐘を鳴らしているような気もする。
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風邪とオイル交換とワカメ調査

2018年02月24日 | Weblog
前回の釣行時、ちょっと咳が出るなと思っていたら、2日後くらいにかなり調子が悪くなってきた。金曜日にはどうしても出席しなければならないとてもくだらない会議があるので会社を休めない。
それよりも次の休みまで風邪を持ち越したくはない。もうすぐ3月。チヌ釣りも行かねばならないしワカメも取りに行かねばならない。タラノメも。もちろん真鯛も。今年は運転免許証の更新もある。だから今日はどうしても船のオイルの交換をしておかなければならない。
役得で手に入れた試供品のドリンク剤を2本飲み干し休日に備える。けっして会議に出席するためではない。



そして今日、風邪はあいかわらずだが体は動きそうだ。動き始めると勢いでなんとでもなる。

ワカメ用のカネを竹竿にくくりつけ、オイル交換。今年はエレメントを交換しないので1時間ほどで終了。

 

風はまったくな吹いていなくて、このままワカメポイントまで行けそうなので調査に出てみた。
去年の今頃はほとんど生育していなくて、今年はそれに輪をかけて寒いときている。磯はまったくの坊主ではないかと思っていたが、あにはからんや、海面から下を覗くとところどころにワカメのコロニーができている。軸もはっきり見えるほどだ。



早速カネを突っ込んでグリグリやるとワカメが採れてきた。いつもこのブログにコメントを寄せていただくちからさんの話では水温が下がらないと逆にワカメは育たないそうだ。やっぱり夏は暑くて冬は寒くなければ自然はうまく機能しないということだろうか。
今日は調査なので夕食のおかず分だけを採集。



時期はともかく、その年の一番に採れるワカメがその年で一番美味しい。我が家ではその年の最初のワカメは必ずしゃぶしゃぶでいただくことにしている。
湯にくぐらせたとたん、ワカメは一瞬で鮮烈な緑色に変化する。これを見るといよいよ春も間近と思える。



今年は期待できそうだ。あとは休日と天気のいい日がうまく重なることを祈るばかりだ。


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加太沖釣行

2018年02月19日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:05満潮 
潮流:6:09転流 9:45 上り2.3ノット最強 13:02転流
釣果:真鯛 57センチ 1匹 ハマチ 5匹 サバ 8匹

週間予報を見ていると、今日の天気は雨になっていて、ちょうど免許証の更新に行こうと思っていたのだが、昨日の予報では雨は降らずに東からの風になるという。
波の情報もすこぶる穏やかだ。



前回の釣行で船団ができていたのはサバが回っているからだ。と、いつもこのブログにコメントをいただくサワッチさんが情報をくれた。これはもう一度出撃しなければと中二日の釣行になるけれども頑張って出撃してみた。

低気圧がすぐ西の方からやって来ているからだろうか、今日の朝日には元気がない。気温も上がっていないのか、やたらと寒い。

 

まる月の光のようだ。



今日はサワッチさんのアドバイスで、チョクリの仕掛けを舳先に、高仕掛けの一番下の鉤にはワームをセットして釣りをスタート。



前回はいきなりアタリが出始めたが、今日は厳しい。しかし、出港時刻を前回から30分早めているので今は潮が緩くなっている。まだまだこれからだと神経を集中して仕掛けを操作していると待望のアタリ。アドバイス通り一番下のワームにサバが食ってきた。

次は午前8時半ごろだっただろうか、真鯛が来た。今日も潮流の時刻通りにアタリが出だしたと思いきや、その後はアタリが出なくなってしまった。魚探には相変わらず反応はあるけれども、底べったりというのが悪いいのだろうか・・・。

再びアタリが出始めたのが潮の流れが最強を越えた頃だった。ハマチの一荷あり、



サバが6本の鉤すべてに掛かってきたり。



その後、2匹のハマチを追加して午前11時に終了。転流時刻は午後1時過ぎだが、この時間にはほとんど潮が動いていない感じだった。帝国軍も撤退を始めていたのでちょうどいい頃合いだったのかもしれない。

追申:再生が出来ていなかった2月16日の釣行時の動画が再生できるよになっています。
ぜひご覧ください。

記録:


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加太沖釣行

2018年02月16日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:12満潮 0:40干潮
潮流:4:09転流 8:02上り3.1ノット最強 11:37転流
釣果:ハマチ 7匹

なんと1ヵ月もブランクが空いてしまった。今年の冬は本当に寒い。釣りに行けそうな日もあったけれどもそんな日は出勤日だった。自由と幸福は別の次元のことだとは言うけれども、同じ時もある。
しかし、今日は高気圧がどっかり日本海上空にあるので早朝から穏やかな天気だ。

 

上り潮は早朝で終わるので僕にとっては苦しい展開になるのだが、前回も同じような潮回りでなんとか獲物を手にできたので今日も期待をしての出撃だ。
田倉崎に到着したのは午前7時半前、とりあえずは上りの潮が残っているのでテッパンポイントを目指したいところなのだが、今日は田倉崎沖に船団ができている。



しかし、ここは自分の信念を曲げることなくテッパンポイントへ。ただ、ここにはほとんど船がいない。少し不安になったけれども、その不安もすぐに払拭された。
仕掛けを落として10分ほどでハマチが釣れた。今日は鈴鹿ピンクがよかった。
さて、2匹目を狙おうと仕掛けを操作していると、ウミネコが1匹船の舳先に降り立った。


動画ではこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=JTAYxWN9aS0&feature=youtu.be

これで3回目だろうか、この頻度が多いのか普通なのかはわからないけれども、今までは鳥船長が遊びに来てくれた時にはいい思いをしたことがない。しかし、今日はすでに1匹確保している。朝食に持ってきたパンを分け合いながら釣りを続けるとコンスタントにアタリが出てきた。



今年は間違いなくハマチが多い。今日は1匹は根掛かりで鉛をロストした仕掛けを回収してる最中にアタリがあり、1匹は尾っぽにハリスが絡まった状態であがってきた。ハリに掛かっていないのだ。
2匹一荷で上がってきたりもした。

最期はやはり田倉崎の船団が気になりそこに移動。
1匹追加して午前10時半に終了。

僕にとっては十分な釣果ではあるのだが、惜しむらくは真鯛も欲しかった。
そんな気持ちを去年リバイバルヒットした荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」のメロディに乗せて綴ってみた。

♬ ♬
ピンクのビニール・・誘っても釣れない。
北風ビュウビュウ 冷たい海よ~。
真鯛ダメならハマチでもいいよ~。
真夜中の刺身は、ツマだけじゃ嫌よ・・・
カスゴだけでも掛かってちょうだい!Do you wanna fish tonight?
でかい真鯛は どこ行った Do you wanna catch me 鯛?
一匹釣れてよ! おねがい! Do you wanna fish tonight?
銀の釣り針 空振り Do you wanna catch me 鯛?

Don’t you know 赤い 疑似餌 ほんとに釣れるの?
もっと! もっと! もっと!  
つ・れ・る あ~かい疑似餌を信じて Do you wanna catch me 鯛?

記録:





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「一九八四年 新訳版」読了

2018年02月15日 | 2018読書
ジョージ・オーウェル/著 高橋和久/訳

ジョージ・オーウエルが1948年に書いたデストピア小説である。
この本はロシアのボルシェビキやドイツ、スペインなどのファシズムに反対する意図で書かれたそうだ。第二次世界大戦が終わり、今度は社会主義という名の下に再び全体主義が台頭してきた。
完全なる社会主義というものは、富を共有し、より平等で公正な社会を目指す思想であるけれども著者がこの本の中で主張すべきだと考えたことは、それを指導するものは必ず権力を手にすることになる。権力者が存在する時点で公平で平等な社会ではなくなる。そして権力者というものは権力を放棄するために権力者を目指すものではない。権力者であり続けるために権力を欲するのだ。権力を放棄するつもりで権力を握ろうとするものはひとりもいない。すなわち、独裁者となって行くのだ。ということである。
そして独裁制を維持するために人を監視し、自分に都合のよい思想を植えつけようとする。

果たして、たしかにソ連の崩壊やその衛星国家の行く末を見てみてもそこには必ず権力者がいて、制度が崩壊して初めて外部に露にされる独裁政治があったということを思うと、オーウエルの見識はほぼ的を射ていたということだろうか。

この小説はそんな行き過ぎた全体主義の国家、ユーラシアが舞台である。テレスクリーンと呼ばれる監視装置、煽られる憎悪、拷問、党員とそうでないものの格差。主人公はそれにあらがいながら生きようとするけれども結局は屈してしまう。そしてこの物語のさらに恐ろしいところは、これがひとりの独裁者の仕業ではなく、ビッグブラザーという実体のない架空の存在を象徴にして体制が作り出されている。ということは誰の心の中にも独裁欲というべきものが潜んでいるということを現していると思えないだろうか・・・。
表現方法は意図的にそうしているのだろうが、読んでいて吐き気を催しそうな気味の悪さだ。そうすることによってさらに全体主義の恐ろしさが増してくる。

前回に読んだ、「開高健の文学世界」でその本の著者が、師はオーウエルに少なからず影響を受けていると書かれていたのでそれを検証すべく読んでみたけれども、僕の感想では、師は体制の中での人の生き方、死に方というものよりも、もっと根源的な生と死を見つめていたのではないかと思うけれどもどうだろうか?


北の将軍様が治めているかの国というのは限りなくユーラシアに近いようだ。監視あり、拷問あり、思想操作あり、資本主義の大国に対する憎悪。突然人が消えるということもしばしばのようだ。ひょっとすると13億人の人口を抱えているかの大国も監視社会という面では同じようなものかもしれない。なんたって、街頭の監視カメラで人相を割り出して個人を特定しているというのだから驚きだ。公衆トイレで誰が何センチトイレットペーパーを使ったかまでわかるそうだ。
まあ、そんなことをいうと、わが国もいたるところに監視カメラがあって、何を見られているのか、わかったものではないけれども・・。

いやいや、国外に目を向けなくても、似たような体制はもっと身近にある。会社組織だ。
とあるコラムにはこんなことが書いてあった。
「上司の発言に金科玉条、定理定説がごとく忠実に従う。会議では、上位者が発言するまで、発言しない。発言しても、上位者の顔色をうかがい、それを斟酌(しんしゃく)した発言や行動しかできない。アクションを起こそうとしても、すぐに周囲の反応をうかがい同調しようとする。会議でも研修でも面談でも、あれが駄目だ、これも駄目だと駄目出しに終始したり、それは正しいこれは正しくないと既存の定説に沿って成否を判断したりしてばかりいる。」
もう、思想の操作をされる前に自らが体制に迎合し、服従しようとしている。コラムに書かれるくらいなのでわが社だけではなくて大概の会社というものはそうなっているらしいということはなんだか勇気付けられる。ただ、救いといえば、後ろを振り返って舌を出していても命までは取られないということだろうか。
僕なんかユーラシアの国民であったなら、2秒で処刑されてしまっているだろう。

集団になじめない僕としては、そこだけはホッとしている。
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鮒ずしとラインリサイクラーと春を待つ。

2018年02月08日 | Weblog
ずっと寒い日が続き、釣りに行けない。今朝はひょっとして行けるかもしれないと思い早朝に起きてみたけれども北西の風が強そうだ。明日なら間違いなく船を出せるが今日は厳しそうだ。なによりものすごく寒い。
もうひと月近く船を動かしていないのでせめてエンジンだけでもかけておこうと港に向かった。回している間に春に向かっての準備をしてみた。

あとひと月半でワカメの季節が始まる。港の近くの竹やぶに入って竹竿を切り出してきた。ひと月の間、船の上で乾燥をさせる。



そしてもう一つのお楽しみは乗っ込みチヌだ。ヌカ団子に混ぜる砂を片男波海岸に取りに行く。



ここは北側に山があるのでなんとも穏やかな雰囲気だ。日差しはまったくの春である。



その足で天満宮へ。
手水鉢には氷が張っているけれども梅の木には1輪だけだが花が咲いていた。

 

近くの山のタラノメの木はひっそりとしているけれども、港のスロープにもアオサが芽吹き始めている。


 

気温は低くて、寒くて寒くて仕方がないけれども、そんなことを思っているのは人間だけで、自然界は春に向かって着実に時を刻んでいる。ちょっとうれしくなるではないか。


ずっと懸案であったPEラインの塩抜きをするためにラインの巻き取り器を作ってみた。
市販のラインリサイクラーというのを買おうと思うと4000円ほどかかる。ごくたまに使うにはもったいないと思ったので自分で作る方法はないだろうかといろいろ考えてみた。リールのスタンドは簡単だが、ラインの巻き取り器はどうしたものか・・。ふと思いついたのが電動ドリルだ。ついこの前、予備の電池パックを買っていたので電力には不安がない。ラインのボビンを固定する器具を100均グッズを加工して作り、ドリルの台も作ってみた。
ドリル台はラインを巻き取るときのスタンドにもなるような造りにしてみた。

 

実際に使って見ると、なかなのものだ。ボルトや木はあまりものを使ったので費用の総額は250円ほど。これで当分試してみよう。

港からの帰り、近くのスーパーにはご当地ポテトチップスが。



鮒ずしを食べた記憶というのははるか昔だがサバのなれ寿司は僕の好物だ。発酵食品は本なれでも大丈夫なので少々臭くても大丈夫だと思ったがこれはあまり大したことがなかった。まあ、一般向けにはこんなものなのかもしれない。
本物にはまったく手が出ないので僕にはこれが限度だ。だからもう少しマニアックに作ってもらっても一向にかまわないのだ。



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「動的平衡」読了

2018年02月07日 | 2018読書
福岡伸一 「動的平衡」読了

タイトルになっている、「動的平衡」とは、生物の体というのは様々な分子で構成されているけれども、その分子は未来永劫体の中に留まっているのではなく、ものすごい速さで入れ替わっている。物質的な面でいうと常に同じではないけれども生物自体はずっと同じままでいる様を表した言葉だ。「AKB48」や「モーニング娘。」はメンバーが入れ替わってもグループ名が変わらないということと同じようなものである。

そんな生物の不思議を様々なエピソードを入れながら語っている。以前に読んだ、「動的平衡ダイアローグ」の本編という位置付けだ。

生物というのもはその物質や時間の流れの中の淀みのようなものであり、じつはその淀みに棹差す行為というものが自然に対する冒涜ではないかと言っている。例えば、病気の治療。ひとつの病気を治したとしてもそれは流れの一部を乱す行為であり、全体の大きな流れを乱すことにつながる。例えば老化への抵抗。これも淀みを乱す行為にしかならない。
分子生物学者という立場の著者はおそらく医学分野への貢献も求められる立場の人であるのだろうが、ひとは自然の流れに従って生きるべきという、ナチュラリストや宗教家のような意見も持ち合わせているようだ。

デカルトという哲学者は動物の体を機械と見立てて科学を進歩させようとした哲学者だったそうだ。しかし、上記のように生物の体というものは常に同じ物質で構成されているものではない。そこが機械と決定的に異なるところであり、それが生物を生物たらしめている。それは途方もない時間をかけて築き上げられてきた歴史でもあり人間は模倣できない。ES細胞やiPS細胞を使って人間は医療を進化させようとしているけれども生物が営んできた長い長い流れの向きを変えることはできない。そしてやろうとしてはいけないのではないかと暗に言っているようでもある。

コンピューターの進歩に対しても、おそらく人間と同じ思考をもつコンピューターというものは絶対に完成しない。それも生物がもつ動的平衡という特性がある限り、機械には真似ができないのだ。
2045年にはシンギュラリティが訪れてAIは人間の能力を超えるというけれども、それはまったく別の次元で人間の能力を超えることであって人間に置き換わるということではないのかもしれないということかもしれない。

なんだか、こう、今の時代というのは何でもとにかく自然な流れに無理にでも逆らっていなければならないような風潮であるけれども、こんな本を読んでみるとそれはやっぱりおかしなことであると思い知らされ、無理をした生き方は苦手だしそうでなくてもいいのだと慰めてくれているようでもある。

今日、監査にやってきた以前の上司は、今も眼が不自由らしい。1ヶ月の間に1日休めば上等と思っているような人であったが、その間に網膜剥離を起こしたのだ。(結局長期に休みを取ってチャラになった・・・)そんな人を傍で見ていて、こんなことはできないししたくはないと思っていた。
動的平衡はそういう生き方に対して異議も唱えてくれそうだ。

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「男たちの食宴」読了

2018年02月03日 | 2018読書
石川次郎 「男たちの食宴」読了

この本はBS朝日で放送されていた同タイトルのテレビ番組を本にまとめたものだが著者の石川次郎というひととは一体何者だろう。雑誌の「POPEYE」や「BRUTUS」の編集をしていた人だそうだが、その交友関係がすごい。毎週一人の男性著名人を招いて一流のシェフが料理を作ってもてなすという指向で、そこでこのひとの交友関係が物を言うことになる。ゲストが歩んできた人生や好みに合わせて料理をプロデュースするのが著者なのである。
最初に出てくるのが椎名誠、その次が師の写真もよく撮っていたという立木義浩、そのほか、1980年代から1990年代の前半くらいに活躍した人たちが続々と登場する。そのほとんどの人たちと著者はそうとう親密な友人関係なのである。

出演者の年齢は今の年齢で60代の後半から70代前半(15年前の出版なのですでに死んでいる人もいる)というところだが、この時代の仕事にも私生活にもこだわりを持った人たちというのは僕から見ると桁違いの生き方をしているように思う。まあ、日本もバブルにまっしぐらのイケイケの時代であったというところもあるのだろうがどこへでも行く、どこまでも行く、そして上限を決めずにどこまでも高みを目指す精神力は時代がどうであれこの人たちはそこで最大のこだわりを発揮して生きてける人たちに違いない。
再び半径10キロでしか生きることができないわが身と比べながらたじたじとなってしまうのである。

これは自分でも作れるのではないかと思うレシピをひとつ。
ひとつめは沢野ひとしの回のマグロステーキに使われたタレ。
濃口しょう油 120ml、たまりしょう油 120ml、日本酒 120ml、りんごジュース(100%果汁) 120ml、ごま油 大さじ2、一味唐辛子 小さじ1、浅ネギ(小口切り)大さじ3、砂糖 大さじ1、はちみつ 120ml、ゴマ 適宜、サンチュ、大根おろし、レモン
これをマグロは無理なのでアジやサバに漬け込んで軽く炙ってみるというのはどうだろう。

 

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人間ドックと歯の消毒剤

2018年02月02日 | Weblog
今日は10年ぶりの人間ドック。ウチの会社の福利厚生は上場企業の中では最低だとは思うのだがなぜだか10年に1回、人間ドックを梅コースではあるのだがタダでうけさせてくれる。前回は1泊贅沢コースを受けたのだがあまりにも暇だったので今回は地元の医院の午前中日帰りコース。

しかし、この医院、一応内科なのであるけれどもこのインフルエンザが猛威をふるっているこの時期、誰も患者がいない。



一体どうしてなのだろう?どこにあるのか調べるためにホームページを見てみると院長の紹介が出ていたので見てみると、〇崎医大出身と書いてある。聞いたことがないと調べてみると全国で82ある医学部で偏差値が最低だった。いやいや、医は仁術だ。東大を出ている医者が最高の医者ではあるまい。しかしながら問診のとき、最近ぼくも年なのか、通勤の乗り換えで駅の間の通路を走っているとよく目眩を起こすようになってきた。そんな話をしてみると、どうも面倒なことを言いやがってという感じでスルーされてしまった。先生曰く、脈拍は遅いけれども心電図に異常はないそうだ。しかしながらどこかに異常があるので目眩がするわけで、自分ではかなり心配をしているので、こんな恐れがあるからこんな科に診てもらったほうがいいとか、そんなアドバイスをもらえるのかと期待をしたけれどもまったくの空振りだった。その脈拍が遅いというのは問題はないのか・・・。まあ、医者なんでそんなもので、ましてや検診となると医者のほうもまったく責任感もないのだろう。こっちも期待をしていないけれども、客がいない待合室を思い出すとひょとっして本当の〇ブなのではないだろうかと訝しく思えてくる。4700万円で医師免許を買ってもらった人だとは絶対に思いたくない。まあ、今日はタダなのだから許してあげよう。

それに引き換え、定期的に行っている近所の歯医者さんは親切だ。いつも歯の健康維持についてお節介なほどいろいろ話をしてくれる。前回から、ハミガキはどんな安いものでも少しは薬効成分が入っているから磨いた後すぐにうがいをせずに歯茎になじませるといいのですと教えてくれた。さすがにウチの奥さんが買ってくるドラッグストアの特売品には薬効成分などあるまいと、すみません、やってませんと白状するとすごく残念そうな表情をされてしまった。
う~ん、なんとかしなければと思っていると、新聞に「コンクールF」という口内殺菌剤というものが紹介されていた。早速買って試してみるとこれがかなり良い。夜になっても歯のザラザラ感があまりしないのだ。
これで次回の受診のときは先生に喜んでもらえるかもしれない。



しかし、この歯医者さんも結構暇だからいろいろ指導してくれる時間があったりして・・。この前も朝から僕がひとりだけで後続の患者もいなかった・・。いやいやそんなことはない。僕にとっては信頼できる先生だ。

人間ドックを受けた医院の名前はこの医院の名誉のためにここには書かないでおこう。三木町からちょっと北に行った・・・。



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