イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2021年05月29日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 7:18満潮
釣果:ボウズ

今日が連休の最終日だ。小船も船底塗装をしてから乗っていないのでせっかくなので今日も釣りに出ようとした。
ダメ元で夜明け前後で青物狙いだと考えていたのだが、午前3時前に起きるとけっこう風が吹いている。それも西からのようだ。これでは船を出せないと思いまた布団に潜り込んでしまった。
次に目を覚ました時刻が午前6時過ぎ。今日はどうしても水軒に行きたいのでルアーのセットをバイクに積んで家を出る。もはや水軒に行くという目的だけであり、この時間からでは魚が釣れる確率は東京オリンピックを中止にするというのと同じくらいであるのでクーラーボックスも持たずに出発だ。



船に乗せたルアーも100均で買ったメタルジグだけ。もう、魚を釣るというよりもエンジンを回すためであるというのがあからさまだ。
しかし、この100均メタルジグ、100円と思えないほどよくできているなと思う。



一文字の切れ目を通って沖に出ようとしたが、かなりうねりがありそうだ。ここは大事を取って青岸方面へ。しかし、まだ濁りがひどい。ここはダメだと諦めて新々波止の先端へ。



ここもうねりがあるがなんとか船の上には立てる。数回メタルジグをキャストしているうちに紀ノ川からの濁り水が攻めてきたのでこの場所を断念。

波の中をゆっくり移動し、沖の一文字と新々波止の交差点へ。ここでだめならすぐに退散だ。



さて、メタルジグをキャストしようとしたらテトラの横で魚が跳ねた。経験上ではこの跳ね方はボラではない。よし!とその方向にメタルジグをキャスト。すぐに魚がヒットするほど世の中は甘くはないが、一度だけ竿先に重みを感じた。これが魚だったかどうかはわからないが、アシストフックをつけておけばよかったと悔やまれる。
そんな時間を過ごして午前8時で終了。


今日、水軒にどうしても行きたかった理由はこのあとからだ。
まずは大きい方の船の給油とスタンチューブの再調整、それと水漏れを修理した生け簀の樋の確認だ。スタンチューブは少しだけ絞めこむだけで終わりで、生け簀の樋も今のところ水漏れは確認されなかった。

そして今日のメインの目的は梅の実の収穫だ。叔父さんの家には1本だけ南高梅の木がある。去年はさっぱり実が成っていなかったが今年はたくさん実が成っているらしい。せっかく梅の木があるのに叔父さん宅ではまったく利用しておらず、僕が使わせてもらっている。そろそろ採り頃ではないのかと昨日見てみると、確かに大きな実がたくさんできていた。明日も休みなので採りに来ますと伝えておいたのだ。

 

森に暮らすひまじんさんのお宅もそうであるが、庭にひとおり食材が揃っているというのはなんと心強いというか生活が豊かになることかと思う。これは人それぞれの価値観によると思うけれども、僕にとってはうらやましくてしかたがない。
釣りのジャンルとして、「賄い釣り」というものがあるそうだ。その名のとおり、昼食なり夕食なりの食材を釣りに行くという意味であり、よく考えたら僕の釣りのスタイルも限りなくそれに近い気がしたりしているのだが、野菜もしかり、身の回りでそういうものが調達できる生活は豊かな生活だと感じるのである。百貨店で無駄と思えるような価値に対してお金を払うのを豊かな生活というのではないのである。
僕にとっての豊かさの象徴は収穫用コンテナなのかもしれない。



2,5キロの実を収穫して午後から梅酒作りだ。今年も二瓶仕込むことができた。
これはまったくプラシーボ効果なのだと思うけれども、梅酒を飲んだ翌日は血圧が上がっていないのか、立ちくらみをすることが少ないような気がしている。だから梅酒は僕の命の綱になっているのだ。
半年もすると少し色づいて飲むことができるようになる。さて、今年の出来栄えはどうだろうか。



昔から、塩梅というくらいで、梅の実は調味料として使われていたそうだ。梅の実は青い頃は青酸性の化合物を含んでいるらしい。ほかにもたくさん木の実はあろうに、そんなものをあえて食材として使ったのはなぜだろうかとふと思った。
いろいろ考えていると、梅の花は早春の頃、どの花よりも早く咲く花だ。奈良時代では花というと桜ではなく梅の花を指したくらいで、人々が春の到来を待ちわびながら見る花であったことだろう。
その花の実なのだからきっとなにか生命力の源であるようなことを連想したのではないかと思ったりする。それがたまたまクエン酸の効果で美味しい調味料になったのではなかったのだろうか。
言ってみれば、梅酒も梅干しも春の山菜の延長線上にある食材ではなかったのだろうかと、今日の釣行記はまったく魚釣りとはかけ離れた内容になってしまったのである。
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加太沖釣行

2021年05月28日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:39満潮
潮流:5:29転流 7:13 上り0.5ノット最強 9:23転流 13:47 下り3.1ノット最強
釣果:マアジ 6匹 サバ2匹

朝7時にちからさんにお願いして船を下してもらい、その足で加太まで出てみた。

昨日の前線の影響だろうか、朝の和歌浦漁港には少しうねりが入っている。一昨年の秋ほどではないけれどもあの時の狼狽ぶりを思い出してしまう。
頭の中でシュミレーションを繰り返しながらちからさんが来てくれるのを待つ。少し早い目に来てくれたので早速作業に取り掛かる。
今日もひと言、「落ち着いてやったらいいからね~。」のアドバイスをもらって船に乗り込む。いつもそう心掛けているのではあるけれども、心拍数はどんどん上がり落ち着きがなくなる。
ゆっくりスロープを下りてゆくのを確認しながらまずは転倒止めの木片を回収し、エンジンを始動。2本の鉄管にくくり付けたロープを解いて海上に完全に浮かぶ。
エンジンが温まるまではよくエンストを起こす。今日もまたエンストで少し焦る。エンジンを吹かし気味に操作してなんとか護岸へ着岸。
シラス漁の船がじきに帰ってくるから少しだけならいいですよと、シラスがやってくるのを待っているおばさんに許可をもらいスロープへ。
台船にくくり付けた角材を取り外してとりあえず今回の作業は終了。そうしていると、シラスを乗せた船が全速力で帰ってきた。鮮度が命のシラスだ、僕の船が岸壁に居るせいで接岸できないとなれば大変なのでちからさんへのお礼もそこそこに急いで離岸させる。
すぐに入れ替わりで入ってきたシラス船の操船を見ていると、船体を前後に動かしながら完全に岸壁と平行に接岸させた。う~ん、さすがだ。これができなければ海の男とは言えないな~と改めて悲しくなるのだ。

漁港を出て、自分の船の上の後片付けと釣りをするための準備をして加太へ向けて針路を取る。ここでガーデンチェアを港に置いてきてしまったことに気付く。今日の釣りは腰が痛くなりそうだ・・。
昨日の雨で浮遊物が流れていないかと警戒をしながらの航行なのでツルツルになった船底の滑走感を味わえない。それでも航跡はきれいなものだ。



漁港を出てから約1時間で第2テッパンポイントへ到着。



上りの残り潮で真鯛を仕留めて素早く帰ろうなどと偉そうな目論見でスタート。今日は本当にそうなりそうだという感じでいきなりアタリがあり、15センチほどのチャリコが掛かった。よし、ここには魚がいる。じっくり攻めてみるがそれっきりアタリがない。
すでに潮は相当緩くなっていると見て北上。ナカトシタまで来ると今度は潮が速すぎる。それも上潮だけが速くて底潮が動いていないようだ。仕掛けは完全に斜めになってしまいこれでは釣れる魚も釣れないだろうとひとつだけ道具箱に忍ばせておいたタイラバを取り出した。



タイラバならどれだけ斜めに入っても大丈夫だ。そして確かにアタリがあった。途中までは喰いあがってきたけれどもフッキングまでには至らず、残念。
そろそろ潮が止まる時間だが、このままボウズで帰るか延長戦に突入するか思案のところなのだが、今日は風も穏やかで日差しもそれほど強くなくデッキの上は快適だ。明日も休みなのでこのまま延長戦に突入。下り潮に備えて非武装ポイントに移動。



ここでもアタリはなく、友ヶ島の北側を移動しながらところどころで仕掛けを下すがまったく生体反応はない。



コイヅキまで来たがここはうねりがひどくてとても仕掛けを下せる感じではない。友ヶ島を1周した形で第2テッパンポイントに戻り、ここでダメなら帰ろうと思ったのがちょうど正午。



少し沖目を走っていると小さいながら反応があった。仕掛けを下すとその途中で引ったくるようなアタリ。なんだかわからないがこれを取り込めばボウズがなくなる。慎重にやり取りをして上がってきたのは結構なサイズのサバだった。あれまあ、こんなところでこの時期にサバが釣れるんだね~と感心しながら魚を絞めて釣りを再開。
2回目のアタリも間もなくやってきて少し小ぶりなサバが釣れた。魚探の反応は散発的ながら、仕掛けをその水深に合わせると今度はマアジが喰ってきた。



これは大きい。ここら辺りでいうまさしく鬼アジと言っていいサイズだろう。
合計6匹を釣り上げたところで午後1時。潮が速くなりすぎてきたか、魚が掛かっても連続でバラシが続くようになった。食いが浅くてアジの唇が切れているのだろう。もう、ここがタイムリミット限界だと終了とした。

こんなに釣れるのなら生け簀を開けておけばもっと効率的な釣りができたのにと思ってもそれはあとの祭りだ。その前に、友ヶ島を1週せずにずっとここで粘っていたらよかったのではないかと思うのはもっとあとの祭りだ。まあ、これだけ魚があれば叔父さんの家に持っていくには十分なので文句は言うまい。

今日の延長戦はこの冬に作ったサビキ仕掛けを改良した仕掛けを使ったのだが、これでも釣れることがわかった。
本命はたとえ数が少なくても真鯛であるのは変わらないのだが、引き出しが増えるのはいいことだ。次に真鯛を釣るときまで保険として活用してゆこう。
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「ベーコン」読了

2021年05月25日 | 2021読書
井上荒野 「ベーコン」読了

「文学は美味しい」という本の中に紹介をされていて、冬になるとベーコンづくりに勤しむ僕としてはタイトルだけでこれは読みたいと思ってしまった。だから作家の名前はまったく知らず、この名前からでは男性か女性かということさえわからなかった。

「ベーコン」というタイトルも、収録されている短編のひとつであるが、すべてに共通するテーマは、「なんでもない日常のゆらぎがもたらす小さな波紋」とでも言えるようなものだ。
先に読んだ本の中にも書かれていたが、真空と言われる空間の中では常に空間がゆらいでいてそのゆらぎの中から正の電荷をもった粒子と負の電荷をもった粒子が生まれてくる。そのほとんどは対消滅して再び真空の中に消えてゆくのであるが、そのなかのいくつかの物質は消えずに残ることがある。これが宇宙に物質が存在する要因となっているのだが、この物語もそんな粒子のように、主人公たちのなんでもない日常のなかに突如現れた小さな粒子が男と女の間に小さな波紋を引き起こす。
そしてその波紋は何事もなかったように消えてゆくのであるが一番身近な人たちには秘め事として残ってゆく。
その中で、ひとつの物語のなかにひとつの料理が登場する。
あるときは一粒の粒子を拾ってしまった専業主婦がつくる家族の好物であるアイリッシュ・シチュー。あるときは長い逢瀬の末に作ってみたけれどもやっぱりあの頃の味には戻れないほうとう。そしてベーコンは主人公が4歳の時に恋人と家を出て行った母親たちが育て始めた豚の肉で作ったベーコンの味なのである。母親の葬儀のとき初めて出会ったその恋人に密かな好意を抱き始める。
特に重要なキーを握っているわけではないけれども主人公の心情をうまく代弁しているようにも思える。

すべての粒子は対消滅するかのように日常の中に消えてゆき、また何もない日々に戻ってゆく。
ひとは退屈する生き物である。何もない日常に対して常に波紋を求めている。そんな願望をひっそり浮き彫りにしている短編集だった。

著者について調べてみると、直木賞作家だった。読んでいる途中でなんとなくこのストーリーは男には書けないだろうと思ったがやっぱり女性だった。荒野というのは本名らしいが、親もよくこんな名前を付けたと思ったが、著者の父親もかなりの人だったようだ。井上光晴という作家だが、瀬戸内寂聴と不倫関係だったことが寂聴の仏門入りのきっかけを作ったということだ。
生前の経歴も詐称していたという。しかし、娘の荒野は、『出身地や逮捕歴などの経歴は例えば「入ってもいない大学に入学した」などとは別の種の虚偽であり父は自分を小説化したのだと語っている。』そうだが、これはこれでかっこいい表現だと思う。
やはり父親も波紋を求めていたということだろうか・・(不倫する時点で相当な波紋をおこしていると思うけれども・・)

著者の作品が収録されている本をもう1冊借りている。その本を読むのが楽しみになる短編集であった。
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『「無」の科学』読了

2021年05月24日 | 2021読書
ジェレミー・ウェッブ/著 水谷 淳/訳 『「無」の科学』読了

真っ黒な地に、「無」と書かれた表紙が印象的だった。人間生活では、無意味、無関心、無気力とネガティブなイメージがある。まあ、僕みたいな人間だ。仏教の世界だと仏の世界の広がりの大きさを表すありがたい言葉だったりする。
だから、「無」という文字は、”何もない”という意味と”最も大きい”という意味を持っていそうだが、そのうち、”何もない”方の意味合いにしぼっていくつかのことがらについて書かれている。
この本は「ニュー・サイエンティスト」という雑誌に連載されたものをまとめたもので、著者はその編集長をしていた人だそうだ。

取り上げられたテーマは、宇宙から生物学、数学など幅が広い。
その中で、「無」「何もない」というキーワードを元に話題を取り出している。
例えば、無の世界から始まった宇宙でおこるさまざまなこと話。生物学では薬も何も使わなくても治ってしまうという自己治癒(プラシーボ効果)や何もしないことについておこるさまざまなことについて、数学では無そのものである「0」について。そんな感じで、それぞれの話題から派生してゆく話題、そんなことがテーマごとではなく細切れに編集されているので大体が読みながら同時進行で感想文を書いている僕にとってははなはだ書きにくい。この本でもひとつのテーマが終わるごとに、もっと詳しく、もしくは関連したテーマを知りたかったらOOページから読んでください。と書かれているくらいだ。

だから今回は、取り上げられている話題の中から、これは知らなかった、これは面白いという項目を抜き出して書き残していきたいと思う。
まずは宇宙について。
重力
太陽系で、各星の重力の影響を受けずにいられるところをラグランジュポイントという。ガンダムの世界でスペースコロニーが建造されている地点だ。
ここに出てくるのは「重力地形」というものだ。これは、星々からうける重力が同じ地点を結ぶと等高線のような形になるというものだ。太陽では標高が最大になり、ラグランジュポイントではそれが0になるという具合らしい。そして、その重力の等高線に沿って宇宙船が進む場合、推力が必要なくなるという。等高線と同じだからそれはどこまでも続いている。経済的な未来の宇宙船はおそらく重力地形をたどりながら太陽系内を旅することになる。違うところに行きたければ違う等高線に移動するためだけに推力を使う。ただ、この方法だと素早い動きができず、どこへ行くにもものすごい日数が必要になるらしい。はたして効率一辺倒の世の中で受け入れられるだろうか・・。この技術が実用化されている時代はきっと心身ともに平和な時代に違いない。

真空
真空には真の真空というものがないらしい。それは宇宙の中でも同じで、空間の中にはどこを切り出しても数個の原子が漂っているという。それとは別に、宇宙空間では、常に粒子が生まれては消滅しているという沸騰状態が真空の真実の姿であるというのが量子論から導き出せる結果だ。
真空の中の力に「カシミール効果」というものがある。非常に小さい距離を隔てて設置された二枚の平面金属板が真空中で互いに引き合う現象をいうのであるが、真空のゆらぎがその力の元になっているそうなのだが、何もないものが揺らぐという時点でなんだか矛盾していると思うのは凡人の限界を示しているということなのだろう。
将来的にはナノマシンを作るときに重要になってくるらしい。

絶対零度
摂氏マイナス273.15度、これが絶対零度だ。高温というのは限りなく高い温度があるけれども、低温はこれ以下はない。すべての物質の振動が停止し何も動かなくなってしまうので下がりようがない。そもそも、温度とは物質の振動から生まれるなどということを知らなかった。僕の体温はどこが振動しているのだろうか・・。
絶対零度は実現できないそうだが、限りなく近づくことはできる。ヘリウムや水素を液体にまでしてやるとこんな状態になる。そこでは、それぞれの原子は超流動体というものになる。摩擦係数がゼロになり、粘性がなくなり、容器の壁を上ったりするらしい。まるで妖怪人間ベムのようだ。そして超電導の性質を持つ。こんな状態になると、今度はちょっとやそっとじゃ温度が上がらなくなるらしい。放っておいても冷たいままというのはどういうことなのだろうか・・。
絶対零度というと、「三体」にも出てくる。三体文明が太陽系に送り込んだ小型トラックほどの大きさの探査機は殻壁が絶対零度の金属でできており、それは原子が運動していないので超緻密構造が実現されており、どんな衝撃に対しても耐えられるというものだった。宇宙戦艦も貫通してゆくというすさまじい威力を持っていたが、そこまで冷えていると、ボディの中も絶対零度ですべての原子の活動が止まってしまって、機械として機能していないんじゃないかと心配になってくるのだが・・。

生物学について、
自己治癒
プラシーボ効果のお話である。何もしなくても病気を治すことができることがある。「これは効きますよ。」と言われるとその気になって砂糖水でも病気が治るのである。それは、信頼や瞑想から生まれてくるという。信頼とは医師への信頼、そういったものだ。瞑想はストレスを和らげるような脳構造の変化をもたらす。それが成長ホルモンや性ホルモンの放出をうながし、健康増進の経路が強まるという。
薬の効果を調べる治験というのは、このプラシーボ効果を限りなく排除するという目的があるらしい。新薬の治験というのは、数年間の長さと数万人単位を対象にして実験されるが、それほどプラシーボ効果というのはよく顔を出してくるということらしい。
コロナウィルスのワクチンは早々に認証されたが、これらの薬についてのプラシーボ効果はどうだったんだろう。まあ、打ってもらったら効くんだという思い込みだけでもこの際重要なのかもしれない。
そして、僕は逆に、どんな薬でも、こんなの効くの?っていつも思っている。だから風邪ひきの薬を飲んでも一向によくならないのだと分かってしまった。
逆に、暗示や催眠術で人を病気にさせたり、人を死に至らしめることができてしまうというのである。「あなたは仕事ができない。」なんて言われ続けるとどんどんその通りになってゆく。薬は効かないと思ってもそういうことは暗示にかかるというのだから僕は矛盾しているのだ・・。
この解釈を広げると、「魚が釣れる。」という自己暗示はどこまで効果があるのかということを調べてみたくなる。ただ、これは難しい証明だ。何をしても釣れないのだから・・。

麻酔
麻酔というのは、どのように薬が作用するのかいまだにわかっていないそうだ。それはなぜかというと、「意識」のメカニズムがわかっていないからだそうなのである。意識はどうして人間の心(頭?)の中に発生するかがわからないかぎりそれはわからないというのは、もう、神の領域に入ってしまわねばならないということなのだろうか・・。
ただ、麻酔薬は確かに存在し、『メカニズムがわからないままで年間何億人もの患者を死に至らないぎりぎりの瀬戸際へ導くのだから敬意に値する。』と著者はいうのであるが、これもどれだけ麻酔薬が効くかということを信じることが重要だとなってくるとしたら、いざというとき、僕は大丈夫だろうか?遠藤周作は麻酔が効き始める前に手術されたということを聞いたことがあるが、なんだか恐ろしい・・。
面白い話としては、麻酔薬の効果について、『オリーブオイルにどれだけ良く溶けるかとのあいだには強い相関関係がある。』そうだ。

何もしないことと何かをすること
運動をすることによる効果についても書かれていた。まあ、直感的にそうなんだろうなと思うので特に書くべきこともないのであるが、どうしてそういうことが立証されたかというのは、宇宙開発のためであったらしい。人間が長期間、宇宙船のような閉鎖された空間で過ごすと、体の中でどんな変化が起こるかという実験からであったそうだ。
3週間何もしないでベッドに寝続けると最大酸素摂取量は28%減少、1回心拍出量は25%減少したというのがその時の結果だったそうだ。その後、55時間のトレーニングを続けることでその機能はもとに戻った。
心臓の手術をした人でもすぐにリハビリを始めさせられるようになったのはこういった研究の成果であったらしい。
そして、この実験には30年後に続きがあって、当時、被験者になったひとが再びトレーニングに挑み、6ヶ月以内に最大酸素摂取量が当時の数値に戻ったという。年齢に関係なく、運動をすることで健康を取り戻すことができるという証拠なのだそうだ。
また、糖尿病、ガン、記憶力に改善にもつながるというけれども、そんなに運動している暇がない・・。というのが現実だ。
まあ、そこで、言い訳として、伊達政宗の「五常訓」が役に立つ。
『元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申するがよし。』
これは、しょせん、この世へは、客人として招かれただけに過ぎない。日々を普通に過ごして子供、兄弟に、あとはよろしくねと伝えてこの世からおさらばするだけでいいんですよ。みたいな意味だと思うのだが、ただそれだけなのだから健康、健康と躍起にならなくてもいいだろうというものだ。
そういえば、師も、「入ってきて人生と呼び、出て行って死と呼ぶ。」なんて言っていた。

0(ゼロ)について
「ゼロ(0)」の概念は、元々は位取りを簡単にするために、紀元前300年前ごろにバビロニアで考え出されたが、以来、16世紀なるまで一般的に使われることはなかった。1299年には、ゼロを増やしたり減らしたりすることで取引に不正が行われるということで使用が禁止されたそうだ。
インドでは負の数の観念とともに、「座標の不動の点」としての意味付けが生まれた。位取りの中では何もないところにも0を入れることから、ものがないという概念に発展する。
そして、同じくインドのプラーマグプタは、0を数の性質をもつものして扱い始めた。計算のための数値のひとつにしたのである。
なんだか、0は0であって、座標の原点とか、位取りの記号とか、0という数値とか色々な意味があるなどということはまったく考えてもみなかった。
この、数値という意味の0は厄介だ。こんな考え方が成り立つ。
0÷1はどんな数に1を掛けると0になるかという意味と同じである。
それはゼロである。
それを発展させ、0÷0を考える。
これはどんな数に0を掛けると0になるかということを表すが、当然0である。
この、「どんな数に0を掛けると0になる」という部分だけを考えると、その数はいくらでもある。1でも2でもよいということになる。
そうなると、1=2という等式が成り立ってしまうと考えられてしまう。
これは厄介だ。
そして、実は、この厄介を解決するのが微積分らしいのだが、そこの部分は読んでいてもまったくわからないのである。

と、こんなことのほかにも色々な話題が出てくる。ひとつひとつの章が短くて読みやすく、最初はテーマがバラバラだと思ったが、それぞれが独立したトピックだと思えば途中から読むのにも苦がなくなった。
ただ、感想文としてはまったく支離滅裂になってしまったのは否めない・・。

この本の主題とはまったく関係がないが、こんな言葉も気になった。
『探せ、さらば見出すであろう、という聖書の言葉に従え。しかし、汝が探すものを見つけるがために探すなかれ』
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水軒沖釣行

2021年05月22日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:若潮 3:01満潮 9:22干潮
釣果:マルアジ27匹 ゴマサバ1匹

今日もチョクリに出発だ。今日サバが釣れれば来週の連休中に燻製を作ることができる。それに、チョクリの季節が始まると簡単に勝負がつくのでついついこっちに引き寄せられてしまうのだ。

小船も動かさねばならないが昨日の大雨で港の近くは釣りにはならないだろう。しかし、沖の方も心配だ。相当な水潮が出ているに違いない。まあ、釣れても釣れなくてもどちらでもいいやという気持ちで家を出る。
今日の日の出は4時53分。チョクリは朝早いほどよいという迷信を信じているので今日も暗いうちには出港しようと考えていたのだが、夜明けのほうが早すぎる。家を出たのは午前4時になる前であったけれども、岸壁を離れるころには辺りはすっかり明るくなってしまっていた。



しかし、今日はそれのほうがよかった。昨日の雨の影響で漂流物がかなり浮いていて、薄暗がりで走行していると激突してしまう危険がある。



それでも午前4時半過ぎには出港し、今日も初島の沖を目指して船を進める。
海面を見てみると濁りもかなりある。まあ、これも仕方がない。沖に向かうにつれて海面は澄んできたけれども魚探の反応はまったくない。まだ40メートルラインなので50メートルくらいまでは行ってみるつもりだ。
そして、50メートルラインを越えたくらいからまた水が濁り始めた。しかし、せっかくここまで来たのだ。引き返すのは惜しい。小さな潮目を見つけたのでそこで停船。
仕掛けを下し始めるが、淡水の混じった海水がいくつも層をなしているのか、魚探は完全に死んでしまい、海底の位置さえ掴めなくなっている。この下にきれいな海水の層が残ってくれていたらチャンスはあるかもしれない。

どうして今日の僕はこんなにポジティブなのか、それは、ラフターヨガをやってみたからだ。昨日の、「おかえり、モネ」でモネちゃんと森林組合の課長さんがやっていたやつだ。笑うと元気がでるというらしい。
海域には僕ひとりだけ。どれだけ大きな声を出しても誰も見ていないし、聞いてもいない。
仕掛けをセットし終わって船の舳先に立ち、両手を広げて大きな声を出して笑ってみる。意外と大きな声が出るので我ながら驚いた・・。
「おかえり、モネ」は久々に1回目から観始めた朝ドラだ。清原果耶ちゃんが可愛いからというのではない。主人公が気象予報士の仕事を目指すということで、気象に関する蘊蓄がたくさん出てくるということに興味を持ったのだ。1週間観たところではディテールに欠けているところがあって心配だが今後の立て直しに期待したい。
その、ディテールについてだが、西島秀俊が登米にやってきての歓迎会の時、地元のおばさんが勧めた食材が、”今朝採ってきたゼンマイ”だという。ひょっとしてこの地方ではそういう食べ方があるのかもしれないが、一般的にはゼンマイの下処理にはかなりの日数がかかるはずだ。だから今朝採ったゼンマイをその日に食べるというには無理がある。
山菜採りが大好きな人間からするとこれは看過できないのである。



しかし、夏木マリの家に飾ってある「五常訓」はいい。伊達政宗はこんな言葉を残しているんだな~と感心した。
『仁に過ぎれば弱くなる。
 義に過ぎれば固くなる。
 礼に過ぎれば諂(へつら)いとなる。
 智に過ぎれば嘘をつく。
 信に過ぎれば損をする。』
要は、過ぎたるは及ばざるがごとしということであろうが、現代の効率一辺倒、忖度一辺倒の世界に一石を投じる言葉ではないだろうか。
調べてみると、この言葉には続きがあるそうで、
『気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。
 倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
 朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
 元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
 今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申するがよし。』
だそうだ。
なんだか、戦国の世を生き抜いてきた人にしては緩いなと思うのだが、逆に、ガチガチで生きていると、あんな時代には心のほうが先に潰れて生き残れなかったのかもしれないなとも思ったりもするのである。サラリーマンの世界でも一緒なのかもしれないと思うのである。

与太話が長くなってしまった。
ラフターヨガが奏功したか、アタリは間もなくあった。魚探の反応はなかったが手持ちの竿に1匹。それも鉤を飲み込んでいる。かなり活性が高いようだ。こうなると水の濁りが魚の警戒心を緩めているに違いないとやっぱりポジティブな考えになってくる。恐るべし、ラフターヨガ・・。
そして間もなく魚探にも強い反応が出始めた。水深30メートル付近だ。今度は棚を浅めにセットしていた置き竿にヒット。反応が出始めるとかなり長時間出続ける。だから、置き竿の魚を回収しているとその間に手持ちの竿にもアタってくる。いいパターンだ。マルアジばかりだが型も大きい。サバが掛かったと思うほど広い範囲を走り回っているので仕掛けも絡んでしまう。
一度目の絡みはなんとか解くことができたけれども2回目はひどい。



これを解くには相当な時間がかかりそうだ。新しい仕掛けを取り出そうかとも思ったが、生け簀の中には目測で20匹くらいは入っている。今からだと「わかやま〇しぇ」の閉店時刻に間に合う。サバが釣れていれば燻製の材料確保のために頑張りたいところだが今日もサバは1匹だけだ。
だから、マルアジならこれだけあれば十分と午前6時過ぎに終了。

梅雨の合間の晴天。蒸し暑さもなく朝は寒いくらいでヤッケを羽織りながら実釣時間約30分。まったく汗もかかずに終了した。



魚を絞めて港へ戻ったのが午前7時過ぎ。浮遊物を警戒してゆっくり走りすぎた。帰り支度を終えて「わかやま〇しぇ」へ。



いつものお店に行くのは決まって魚が釣れない日なのでおじさん(この人社長らしい・・)から「釣れた?」と聞かれても、「ダメ」と言ってばかりだ。こいつは下手くそに違いないと思われているのだろうから、汚名返上のために、「アジが釣れたので食べてもらえますか?」と聞いてみる。さすが地元のひとだ、「マルアジ美味しいから食べるで~。」となって差し入れ。
叔父さんの家に行くと円卓会議の真っ最中だ。メンバーたちにもおすそ分けをすると残ったのは6匹だけ。今日は型がよかったので貰ってもらうのにもちょうどよかった。

残った獲物を今日は干物にしてみた。どれだけたくさんの魚を釣っても今までは干物にしたことがなかった。あまり美味しそうには思えないというのがその理由のひとつだったのだが、たまに買うサンマの干物はすこぶる美味しいのであんなのを自分で作ることができればいいだろうなとずっと思っていたので初めてやってみたのだ。
10%の食塩水に1時間漬け込んでその後天日干しを5時間。見た目は程よく干しあがってはいる・・。



結果はというと、もう少し塩味が欲しいところであった。魚が大きかったのでもっと長時間漬け込む必要があったのかもしれない。いっそのこと、塩をすり込んだ方がよかったか・・。
これからも試行錯誤しながら完成を目指したいと思っているのでチョクリの日々が続きそうだ・・。


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水軒沖釣行

2021年05月18日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 8:37満潮
釣果:マアジ 丸アジ合わせて15匹 ゴマサバ1匹

今年はどうも季節の進み方に追いついてゆけていない。山菜採りでも例年より気温が暖かいということで早くスタートさせたがあれよあれよという間にシーズンが過ぎてしまい、もう1回、生石山に行きたいと思いながらチャンスを逸してしまった。
そうしているうちに今年は異常に早いと言われながら昨日梅雨入りになってしまい、フェイスブックの過去の投稿の振り返り機能のメッセージからはサバの燻製を作ったみたいな画像が出てきた。燻製を作ったということは、少なくともその日から4日前にはチョクリでサバを釣っていたということになる。

数年前まではチョクリでもコウイカでもタチウオでも水軒の沖で釣れる魚については港の気の早い大先輩方からいち早く情報を教えてもらえたものだが、引退したりお亡くなりになったりで自分だけが頼りになってしまった。
円卓会議のメンバーのおじいさんからは、「チョクリで釣れてないか?」とこっちが聞かれる立場になってしまったのだ。

だからこのブログも、毎年の釣り始めはこうであったというようなことを記録に残しておこうと書き始めたという部分もある。
まあ、それでもこうやって季節には追いつけていないのだからなんとしたものか・・。SNSのメンバーの加太での釣果に影響されて加太でなんとか魚を釣りたいという躍起になって加太の方にばかり目を向けていたことも原因のひとつかもしれないが・・。

だからもたもたはしていられない。幸いにして今日は午後からは雨模様なので加太への未練はない。釣れても釣れなくてもチョクリで勝負だ。

チョクリは朝一が勝負だ。気合を入れて午前2時50分に目覚まし時計をセット。空模様を見るために表に出ると、あれれ・・、雨が降っている・・。昨日の予報では少なくとも午前中は曇り空で雨は大丈夫そうだったのだが・・。ただ、これでゆっくり眠ることができるとホッとしている部分もあったりする。
また寝床に潜り込んでうつらうつらしていると、うまい具合かどうか、午前4時半ごろにまた目が覚めた。
これも天啓だろうと表に出てみると雨が上がっている。すでにこの時間には雲の様子を見ることができるほど明るくなってきているので西の空を見てみると雨は大丈夫そうだ。

急いで準備をして家を出る。だから今朝もウ〇コを出せずに出港となってしまった。

季節に遅れているといってもまだ走りの頃ではあるはずなので南を目指す。今日は水深50メートルくらいのところまでは行ってみようと思っている。
初島の沖ノ島を目印に針路を取っていると、トビウオが僕の船に驚いて水面を滑走してゆく。夏の気配がする光景だ。なんとかカメラに収めたいものだが、さすがにそれは無理だ。電源を入れている間にまた潜っていってしまう。そして、水深40メートルを超えたくらいのところで魚らしき反応があった。やっぱり魚の群れはすでにやってきていたようだ。もう少し沖まで行ってみようと船を進めると水深43メートルと表示が出ているところでまた反応がった。さっきよりも少し濃い反応だ。試しにここでやってみようと仕掛けを下す準備をする。



そして仕掛けを下してすぐに手持ちの竿にアタリがあった。おお、これは幸先いいじゃないか。上がってきたのはけっこう大きなマアジだった。マルアジじゃなくてマアジが釣れるのは珍しい。めったにないことなのでなんだか今年の季節の移り変わりのおかしさを物語っているのかもしれない。

最初は幸先がよかったが、そのあとが続かない。出港時刻が遅かったのでもたもたはしていられない。ここを見切ってもう少し沖を目指す。やはりところどころで反応がある。ただ、大きな群はいないようですぐに通り過ぎてしまう。水深48メートルくらいのところで頻繁に反応が出始めたのでここから再び仕掛けを流し始める。
とは言ってもなかなかアタリが出ない。アタリがあっても上がってくるのは1匹ずつだ。サバもいない。
少し沖の方にチョクリ釣りらしき船が一艘浮かんでいたがなぜだかこっちに向かってくる。チョクリでは釣れないとみんな集まるという、寂しいと人恋しくなる人間の本能と同じような行動がおこなわれるのではないかと思っているので、こっちへ来るなと願っていてもやっぱりこっちに向かってくる。しかし、よく見るとテッポウを引いていただけだった。と、いうことはサバもいるのかとちょっと自信を持てそうになる。



ときおりある反応に仕掛けの水深を合わせると本当に1匹ずつだがアジが上がってくる。嬉しいことなのかどうか、反応が深いところで出るとマアジが掛かり、中層より浅いとマルアジが掛かってくる。そんなことを繰り返しながら少しずつ数を増やすもののやっぱり物足りない。午前9時まで粘ってみようと思っていたけれども、こんなにアタリが少なかったらつまらないと午前8時半までで切り上げようと思い始め、それが午前8時でいいやとなってくる。
生け簀の中には多分10匹以上はいる。叔父さんの家にも持っていける数もあるし、サバはないにしてもマアジがあれば少ない匹数でも大丈夫だろう。

仕掛けを下したまま魚を絞めて写真を撮り終わったのがちょうど午前8時。生け簀の水をかすり最後に手持ちの竿の仕掛けを仕掛け巻きに巻き込んでいるとアタリがあった。ん?と魚探を見てみると確かに水面直下に真っ赤な反応が出ていた。この反応の魚が喰ってきたようだ。
横に一気に走るのでこれは間違いなくサバだ。しかし、水面直下でアタリがあったものだから水平方向に一気に走られスクリューに絡まってしまった。なんとか手の届きそうなところに魚があるのでタモを取り出し掬いとって魚を確保。しかし、貴重な鉛を落としてしまった。サバ1匹と交換というのはちょっともったいない。

もう少し粘ればサバも数を取れるかもしれないが、もうすべて片付け終わっているのでどうもこうもできない。
インターラインのロッドからも道糸を抜いてしまっているのでお手上げだ。そのまま終了とした。

港に戻ったのが午前9時前。叔父さんの家に魚を届け、家に帰ってすべての魚を夜の豪華アジフライ三昧のために三枚におろし、道具を洗ってシャワーを浴びたらちょうどお昼。
やっぱり夜明け前には出発しないとチョクリ釣りも後始末を含めると時間がかかる。

お昼を食べて図書館へ向かい、たぶんサラリーマン生活で最後の買い物になるであろう、夏のスーツを引き取りに行く頃には本降りの雨になっていた。本当に梅雨らしい天気だ。
図書館では本の除菌装置なるものが設置されていた。10秒間紫外線を当てるような構造なのだが、こんなので本当に除菌できるのだろうか・・。このご時世だから、きっとコロナウイルスを意識しているのだろうが、除菌と書いている段階でウイルスと細菌を混同してしまっているというのは、智の保管場所としては知識が足らんのではないだろうか・・。



その途中で、新しく免税軽油の取り扱いを始めたスタンドに軽油を買いに行った。いつも買っているスタンドから100メートルくらいの距離にあるのだがセルフスタンドなので今までは取り扱いをしていなかった。周りには船の係留場所がいくつかあって問い合わせが多くて商売になるかと始めたのだろうか。セルフの価格から税金分を引いてくれるならかなりお安いかと思ったらいつものスタンドとリッターで1円しか違わなかった。今週に入って値上がりしたのかもしれないのでいつもの方も値上げしている可能性があるもののこれからどうしようと悩んでしまう価格差だ。いつものスタンドも特にしがらみがあるわけでもないので乗り換えるのにうしろめたさはないのでもっと安ければこっちだと思うのだが・・。
たかが20円、されど20円。どうしたものかな~。

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「経済は「競争」では繁栄しない 信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学」読了

2021年05月17日 | 2021読書
ポール・J・ザック/ 著 柴田裕之/訳 「経済は「競争」では繁栄しない 信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学」読了

僕は絶対にオキシトシンの少ない人生を送ってきたのではないだろうかと、あるドキュメント番組を見ていて思うようになった。そこでオキシトシンについて書かれた本を探してみるとこんなタイトルの本が見つかった。
「オキシトシン」とはホルモンの一種なのでなんで経済学と関係があるのかといぶかしみながら著者紹介の欄を見てみると、正真正銘の経済学者であるが、その後、このオキシトシンに魅せられたかどうか、臨床神経学の教授となり、神経経済学という言葉を最初に使ったひとだということだった。「神経経済学」とはいったいなんなんだろうかということと、経済学とホルモンの取り合わせというのはどんなことが書かれているのかというのは楽しみだった。

まず、オキシトシンについて書いておこう。
オキシトシンとは、女性が出産するときに子宮を収縮させるために分泌されるホルモンである。なので、「出産ホルモン」と呼ばれる。そして、「抱擁ホルモン」と呼ばれたりする。この本の本題に関することは、この「抱擁ホルモン」と呼ばれる部分にある。なぜ、「抱擁ホルモン」と呼ばれるのか、それは、動物の感情のうちの、愛情を作り出すホルモンであるからだ。
アダム・スミスの国富論では、経済活動は合理的な行動のみによっておこなわれるということになっているが、著者はそう考えなかった。『繁栄に影響を与える他の要因を研究するうちに、絶対に見過ごせないものが、「信頼」であるということを発見し、社会における信頼のレベルこそが、その社会が繁栄するか貧困の淵に沈んだままでいるかを決めるもっとも強力で、かつ単一の要因であることを実証した。他人を当てにし、その人が約束したことを実行し、騙したり盗んだりしないと信じられることは、国家の経済発展にとって、教育や資源へのアクセスよりももっと強力な要因なのである。』というのである。
そして、2001年、とある学会に向かう途上、ヘレン・フィッシャーという学者に出会う。そんな話をしたときに、そういったことがすべてオキシトシンが要因として絡んでいるのではないかということを聞かされた。

そして、経済学者でありながら、オキシトシンの効果についての研究を始め、道徳的な行動の鍵であることを実証した。
『人は信頼されていると感じると、前よりも信頼できる人になる。すると、やがて他のひとたちからなおさら信頼されやすくなるという果てしないループが生まれる。オキシトシンは世界のあらゆる文化で正しいと生き方として推奨される類の「寛大で思いやりある行動」のお膳立てをする。それは協力的で優しく向社会的な生き方であり、この地上のどんな文化でも「道徳的」なふるまいである。』のだ。向社会的というのは、優しく、寛大で、協力的で、思いやりのある行動をとることである。
そしてそのことが社会の繁栄をもたらすのである。たしかに聞いているだけでもそんな信頼と思いやりのある社会は幸せだと思うのである。
そして、この本の目的もずばり、『なぜオキシトシンがこのような効果を持つのか、いつその効果が表れるのか、どうすればもっと頻繁にその効果を引き出せるのかを示す。』ことなのである。

オキシトシンの分泌を促すには、子供を産んだり、セックスをするという方法がある。また、鼻から吸入したりという人工的な方法もあるが、信頼の合図を送るだけでいい。信頼を込めて人と接すると、相手はオキシトシンが急増し、あまり関与をためらったり人を騙したりしなくなる。
そして、オキシトシンは適切な種類の刺激に反応して急増し、3分後には消えてゆくものの、肉体は黄金律を知っており、オキシトシンの分泌が妨げられないかぎり、その報いを感じることができる。

セックスするとオキシトシンが増えるとなると、あまりにも淡泊な僕はたしかに分泌量が少ないのだろうなとここで改めて悲しくなるのである。豊臣秀吉は54歳で秀頼をもうけたが、さすが人たらしというだけあって、大量のオキシトシンを分泌していたのだろう・・・。

オキシトシンは単独でも効果を発揮するが、セロトニン(不安を和らげる)やドーパミン(脳の報酬を得るために繰り返す) オキシトシンは共感を生み出し、道徳的行動の原動力となる。それが信頼を招き、信頼がさらにオキシトシンの分泌を促し、オキシトシンがいっそうの共感を生むという信頼の好循環「HOME(ヒトオキシトシン媒介共感)」が生まれる。
ちなみに、こういった好循環を生み出すための動作というものがある。それは、人が猿であった時代から現代までグルーミングやゴシップについての雑談などであると言われている。それはすなわち、美容院や理髪店、ロッカールームやヨガ教室というようなところである。まさしく浮世床なのであるが、それも今では1回1,800円ほどでベルトコンベアに乗っているかのような流れ作業で髪を切られると浮世どころではなくなる。そういう世知辛い時代、どうも生きづらいと思っているのはきっと僕だけではないのだろうが、こんな小さなところでも信頼の好循環が途切れつつあるようだ。
ということで、オキシトシンは社会をひとつにまとめる接着剤の役割をはたすことになるのである。

オキシトシンと相反する物質にテストステロンというホルモンがある。この物質は、競争を促し、性的衝動(リビドー)を起こす。また、思いやりにブレーキをかけ、罰することに快感をもたらすという物質である。とくに男性に多く分泌されると言われているが、テストステロンのおかげかどうかは別として、競争に打ち勝ち、トップに立った人はときとして、嫌な人間に変わる。罰当たりの言葉を吐いたり、不謹慎に戯れたり、とげとげしくからかったりというひどく無礼な行動をおこす。また、他人はすべてよそ者や敵となり、共感を減らし罰したいという欲求を募らせる。
それがどういう形で現れるかというと、パワハラや地位の高さを利用して私利を得るというものだ。最近のニュースを見ているとそんなことばかりが目立つ。ワクチンを横取りしたり人に飲み食いをするなと言いながら自分たちはこっそり行き、秘書に暴言を吐く。なんだか政治家の先生ばかりの話のようだが、僕たちのような小さな会社の中にもそんなことがあったりする。前にもこのブログに書いたけれども、例の女帝のことを観察してみるときっとテストステロンが過多になっているに違いないと思えてくる。人を平気で罵倒するし、はばかることなくすぐに言うことを変える。横で見ていて滑稽だ。抑制する人がいないと人はこうなるという典型のようだ。そして、あの、自分の能力をあれだけ誇示できるのもテストステロンのなせるわざなのだろうと思うとこのホルモンの分泌機能が僕には備わっていないことを思わず願ってしまうのだ。
僕と同じような立場の同僚たちは毎日振り回され、そして毎日愚痴を言っている。僕の立場ではみんなの為にそこにブレーキをかけてやらねばならないのかもしれないが、自分のところにやってくる攻撃をかわすので手いっぱいだ。もともと、あと2年と少しで定年となるとこの会社の将来にはなんの憂いもない。どれだけ頑張っても評価が上がるわけではなく、そういう意味では今だけなんとかしのげればよいという不可逆的なサラリーマン人生なのである。
女のくせにとは言いたくはないが、女の割りにはオキシトシンが皆無でテストステロンの分泌が多すぎるのだ。
「独裁者が現れるのは、自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、全部一人で背負い込んでくれるのを待っていたからだ。」と以前にも書いたけれども、この会社もまさにそういった愚民の集まりでしかないということだ。ご本人は転職をしながらキャリアアップしてここまで来たと言ってはいるけれども、どこの会社でも煙たがられるかなにかでここまで流れてきただけなのだろう。キャリアアップというのは誰でもうらやむ会社と仕事をしてこそ言える言葉であるはずだ。そうではないからこんな人でものさばっていられるというか、いいカモを見つけたようなものだ。社内では役職がないので自分で勝手に「統括」自分のことを呼んで箔をつけているのもおかしくてしかたがない。そしてそれを会社も認めているのだから不思議でならないのだ。マクベ大佐のように軍規上おかしい軍服の士官ばかりが指揮を執っている軍隊は遅かれ早かれ連邦軍に打ち負かされるのである。
そういえば、これも過去に書いているのだが、教育担当のラスプーチンもこの会社の所属である。それも今ではこの会社の取締役にまでなっている。僕の業界も意外と狭く、ラスプーチンの過去を知っているというひとが同業他社にいて、その人の話では、「なんであんな人が・・・。」ということだ。この会社にはまともな人間がいないのか・・。

なんだかわけのわからないことをいっぱい書いてしまったが、ここからがこの本のタイトルに関する本題にかかわってくる。著者は、『宗教や市場経済のようなしっかり確立された仕組みにさえオキシトシンは影響を及ぼす。』という。
宗教については、集団での礼拝や同じ食事、もしくは集団での踊りなどが共感を生むという。それにもオキシトシンが関与しているというのである。しかし、その共感が過度になってしまうと内集団バイアスが過度に進み外集団に対する敵意をかき立てられる。十字軍の遠征やパレスチナとイスラエルの対立はこういうことが原因なのかもしれない。
経済活動については、人類が営んできた歴史を見てみると、適度の競争は好成績につながることがわかる。それは罰則と協力のバランスであるともいえる。そのアクセルとブレーキがオキシトシンとテストステロンであると著者は分析している。ややもすると、テストステロンが勝ることが多い。アリストテレスの時代から商取引というものは、道徳に有害であるというひとつの感覚がある。それは人の心を叡智やほかのひとではなくお金に集中させすぎてしまうと考えられているからであるが、商取引は適切に行われると人々を豊かにする。しかし、人を出し抜いたり騙したりするようなテストステロンに由来する行為は共感や寛大という善循環を阻害する。勝者総取りという現代の状況に近い経済は不幸を招く。

だから、経済にも信頼と共感が必要であるというのが著者の結論になるのだが、それはたしかに理想のように思う。おそらく著者は、人の本質は勤勉であり信頼と共感のなかで勤勉に働けばすべての人が豊かになれるという前提で考えているのだろうけれども、ここはどうだろうか。人の本質は勤勉ではなく“怠惰”ということは社会主義の失敗が証明しているのではないだろうかとも思う。そしてすべての人が幸福になれる経済の鍵は、「愛」であるという結論はなるほどと思いながらもそれは経済学と言えるのかと突っ込みたくもなる。

また、様々な実験を通してオキシトシンの効果について証明され、人の行動はすべてオキシトシンとテストステロン(といくつかのホルモン)によって支配されるのだという論はあまりにも飛躍しすぎてはいないだろうか。人の性格と価値観は千差万別だ。微妙な濃度によって無数の効果のバリエーションがあるということもあるのだろうが、それだけではないような気がする。
ただ、オキシトシンの分泌を促すハグという行為が平和をもたらすひとつの鍵であるというのは信じたいと思う。しかし、僕にはそんな習慣がないので効き目のある薬を簡単に手に入れる方法はないものだろうかと思うのだ。ついでに同僚の分もお願いしたいものだ。

それよりも、もっと説得力がある言葉は、『頭は冷めていても、心は温かく、自分のもっともすぐれた力の少なくとも一部を、身の回りの社会的な苦しみと取り組むために進んで捧げる・・』だった。
今日から始まった朝の連ドラは、「人の役に立ちたい。」ということがテーマのひとつになっているそうだ。
それは、単なる化学物質がもたらす反応ではなく、もっと人が人として存在する神秘的な部分からあふれ出てくるものではないのだろうかと思う。
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船底塗装

2021年05月14日 | Weblog
今月中に2隻の船の船底塗装を終えたいと考えている。大きい方の船は月末に上架をお願いしているので小船のほうは早い目にしておかないと間隔を詰めて作業をすると体が持たないと思い今日に作業日を決めた。今年一番の暑さになるという予報だったが、今年は梅雨入りが早いらしく今週末からは梅雨の走りで雨が続くというので今日しかないというところだ。

前回から手動式ウインチを使うようになったので満潮時刻を気にせずに作業を始められるのはありがたい。今日も「おちょやん」の最終話をBSで見てからの出発だ。
塗料を入れるトレーを切らしていたので近所のコーナンプロで買い物をしていつものスパーでお茶を買い、ちょうど仕掛け巻きに使える段ボール箱があったので失敬し、これは港まで持っていけないと一度家に戻って段ボールを置いたついでに三つセットになっているトレーをひとつだけ持って行こうとバイクからおろしてそのひとつを積み込むのをわすれて港に来てしまったので結局トレーを港の近くのコーナンで買い直すというはめに陥ってしまった。その前に塗料のシンナーを持って出るのを忘れていたことに気づいて途中で引き返すというような失態もしており、どんどんボケが進んでいるわが脳みそが哀れになってくる。そして、今日はどんどん衰えてゆく筋肉と循環系にも哀れを感じることになるのである。

そんな失態続きで小船をスロープに接岸したのは午前9時を回っていた。今回は新たに位置を変えたアンカーボルトを使ってウインチを固定する。使うボルトの長さを2センチほど長いものにしたのでボルトが緩むこともなく船はゆっくりスロープを上ってゆく。



今日は大潮の終わりの中潮なので潮が高く船尾が水際ぎりぎりのところまでしか上げることができない。あとから思うのであるが、今日の満潮時刻は午前6時51分、干潮時刻が午後1時39分、次の満潮時刻が午後8時27分ではちょっと作業をしづらい。

船が上陸すればあとは作業が楽なはずなのだが、今日は今年一番の暑さであるというのが堪えた。朝、家を出るときにはシールドに雨粒が当たるくらいだったので予報に反して曇り空が続くのかと思っていたけれども、作業を本格的に開始するころには相当な暑さになっていた。
おまけに湿度も高いようだ。昨日くらいから空気が入れ替わり突然夏がやってきたという感じだ。

まずは塗料をけれん棒でこそぎ落とすのだがこの段階から肩で息をしながらになってしまう。体も暑さにはまだ慣れていないのだ。救いはほとんどフジツボがついていないということだ。
まちがいなく港の水質はきれいになった。普段ならこれくらいの季節になると海水が濁ってくるのだが、今年はまだ護岸の真下の底が見えている。栄養分が少なくなったのでフジツボも成長が遅いのだ。これはありがたい。藻類を含んで膨らみヘドロ状になった塗料を掻き落とすだけであらましはきれいになる。
まあ、それでもひと掻きして一服し、またやっとひと掻きできるという感じだ。塗装作業も同じように、塗っては一服しまた塗るという進め方になる。
血圧は相変わらず不安定なようで、ときおり目眩もする。手が滑ってローラーを喫水の上まで跳ね上げてしまい汚くなってしまうしで見栄えは最悪だ。小船には申しわけない。



なんとかお昼までに作業を終えてひと段落。少し待って進水させたいところだが、潮が引きすぎている。アンカーボルトを打った位置がもともとあった船台のレールの前だったこともあり、このまま下すとそのレールの残骸が邪魔になってしまう。この位置では両側を広く取れるので作業性はいいけれども、こんな潮の日には潮待ちをしなければならない。もう1か所、ウインチの固定場所を作っておきたいところだが、そうなるとスロープに放置されている伝馬船が邪魔になるので痛しかゆしだ。



一度家に帰って一服をし、午後3時半すぎ、干潮時刻を2時間ほど過ぎれば下せるのではないかと港に戻ったけれどもまだまだレールの残骸は水面から顔を出している。
正弦曲線状に変化する潮位ではまだこの時間、ゆっくりにしか増してこないようだ。手持無沙汰で仕方がないのでシンナーを買いに船具屋さんへ。道中廃線になった南海電鉄和歌山港線の跡を散策。



犬釘や、なにやらこれもレールを固定するために使った金具だろうか、何かに使えないかと拾ってみた。貧乏性は死ぬまで抜けなさそうだ・・。10年ほど前にもここで犬釘を拾ったが、廃線になってから約20年(2002年5月26日に廃線になったそうだ)、いまだにこんなものが転がっているのがなんだか不思議だ。



午後4時半ごろに港にもどると、もう少しでレールの残骸が水没しそうというところまで潮が満ちてきていた。ゆっくりと船を水際まで移動させ時を待つ。これくらいならレールの残骸には当たらないかとボートフックを間に差し込み安全を確認しながら進水させてゆく。
午後5時過ぎ、やっと進水完了。
試しに走らせてみると快適に海面を滑ってくれる。ただ、今までもそこそこ速度は出ていたのでいつもほどの感動はないのだ。係留場所まで戻り後始末をする頃には空気は少し冷たくなりなんとも気持ちいい。もう少しくつろぎたいところだが、夕食の時間も迫っているので急いで帰宅した。

お昼に家に帰って体重を計ってみると久々の70㎏台まで減っていた。



最近はずっと73㎏から74㎏台とかなり太ってきていたので1年以上ぶりの減量になったような気がする。
なるほど体力を消耗したはずだ。船底塗装をするときでも、今日は楽にできたと思う日はあまり体重が減っていない。ダイエットとしては究極のひとつなのかもしれないが、これはこれであまり体にはよくないのだろう。
夕食を食べてから計ってみると、71.9㎏まで戻ってはいたものの、昨日に比べると確実に僕の体から1.7㎏の何物かが消滅してしまった。体によくないのは理解しながらもある意味、ダイエットマニアのぼくとしてはやっぱりうれしいのである。

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加太沖釣行

2021年05月11日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 5:42満潮
潮流:3:41転流 6:23 上り1.4ノット最強 9:21転流
釣果:ボウズ

昨日の夕刊の記事に、船舶免許を取る人が増えてプレジャーボートの販売も好調だと書かれていた。



その要因はこのコロナ禍の中で密にならない遊びが釣りだったというのである。そしてもっとも密にならない場所が船の上だというのである。
この前、僕の隣に船を係留しているNさんも同じようなことを言っていて、中古の船の値段も上がっているらしく、イレグイ号さんの船でも結構な値段がつくはずですよということだった。この船が動かなくなったら僕も船を降りようと思っているので手放そうなどとは考えたことがないのだが、なんだか1周回ってトレンドの先頭になったような気がしてうれしかった。まあ、トレンドといっても僕のようなボロ船のオーナーはただの異端児でしかないのは確かなことだが・・。

しかし、ただの流行で数千万という価格の船が1年待ちというのは、世の中、どれだけ金持ちがいるのだろうと感心と嫉妬の気持ちがまだら模様になってしまう。今でも加太の海はかなりの渋滞状態なのにこれ以上増えては欲しくない。早く流行が過ぎ去って中古船価格も暴落してほしいものだ。

なんでこんな新聞記事のことなんか書いているのかと今日の釣行にはまったくトピックスというものがなかったからなのだ。
いつもは、ボウズでもなんとかブログのネタになるものを探し出しているつもりなのだが何もない。
しいて言えば、日の出の時間が午前4時台に突入したということと、潮流時刻を見る日を間違えていて5月7日の見てしまっていたということだろうか。
出勤しても休業していてやることがないので曜日の感覚がなくなってしまっている。この前の7日の休日に釣りに行かなかったから頭の中はまだ金曜日になっていたようなのだ。完全にボケている。このブログを書いている最中でも、明日は休日ダイヤだと思いこんでいたくらいだ。情けない・・。



ちなみに5月7日の潮流は、上り潮から7時15分転流で10時15分に下り潮が最強になるということだったのでこの時刻を目安にポイントを移動していた。
朝一はテッパンポイントから始め、少しづつ北上して下りはじめ(7日の)に時刻からは非武装ポイントに行っていた。

   

転流時刻を過ぎても潮は上りのままだったのでなんだかおかしいなと思っていたが、7時過ぎに非武装ポイントに入った時には潮は確かに下っていた。本当の予定ならまだ上り潮が残っている時刻であったので何の疑いも持っていなかったのだが、今日の潮なら朝一から潮流の最強時刻までマアジを狙ってその後は最後まで友ヶ島の南側で粘っていたほうがよかったのかもしれない。
今となってはそんな反省も何の意味も持たないのであるが、もう、潮の時間を見間違えている時点でボウズは間違いなかったのだと思う。

港に戻る途中ではシラスを捕るバッチ網の船がたくさん操業していた。そろそろチョクリの丸アジとサバも気になる。加太に行ってもよくない日が続いているので、早くチョクリの季節になってくれないものかと漁船を見ながら思うのである。


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「食べることと出すこと」読了

2021年05月10日 | 2021読書
頭木弘樹 「食べることと出すこと」読了

ある単語をキーワードにアマゾンで本を探していたらこの本を見つけた。探していた単語とはまったく関係がなさそうなタイトルなのだが、本の中に出てくるカフカという単語にキーワードが合致したようだ。

元々、“出すこと”については悩みがあったりなんとも嫌な思い出があったりで興味があったので手に取ってみた。
著者については変わった苗字の人だなとしか思っていなかったが、奥付けを読んでみて、「絶望名言」の著者であるとわかた。だからカフカという単語でヒットしたわけだ。連作で2冊も読んでいたのに著者の名前さえも忘れていたということだ。

本を手に取るまでは、食べる事、出すことについての悲喜こもごもが書かれているのかと思っていたのだが、「絶望・・」の中で、著者はかつて潰瘍性大腸炎に苦しみ、カフカに出会うことで心理的な面で病に対峙することができたというようなことを書いていたので僕の期待とはまったく異なり潰瘍性大腸炎の闘病記やそこから見えてきた人生観というような内容になっている。

ウイキペディアを見てみると、潰瘍性大腸炎について、『大腸粘膜に潰瘍やびらんが多発することで、血便を伴う下痢や激しい腹痛などの症状が現れる炎症性慢性疾患。発症原因が不明であることや、重症化すると大腸摘出手術が必要になったり、最悪の場合は死亡するケースもあることから、厚生労働省から難病(旧 特定疾患)に指定されている。』と書かれている。別名をクローン病というのだと思っていたが、大腸だけが炎症を起こすのがこの病気で、クローン病は消化管のどこでも発症するという違いがあるそうだ。(かなり大雑把な説明だが。)
発病する原因は今でもはっきりわからないそうだが、これも自己免疫疾患のひとつであるようだといわれている。難病に指定されているにしては患者数は結構多くて、日本では2020年で22万人も患者がいるそうで、人口の50人にひとりはこの病気だということになる。コロナ患者よりもはるかに多い感じだ。たしかに僕の周りにも友人がひとり、かつての同僚がひとりいた。アベ元総理もこれだったらしい。

腸がダメになるのだから、食べてはいけないし食べないと栄養を摂ることができない。著者も飢えや味覚の変化に悩んだりうろたえたりする。カフカは菜食で小食で間食もせず、アルコール類や刺激物もなるべくとらないという、極端な食事制限をしていた。そういったところが著者の共感を呼んだところでもあったらしい。
おかげさまで僕は今のところまったく胃腸については大して障害もないのでなかなか共感できる部分がないのだが、文体は堅苦しくなく少し砕けた部分もあったりしてあまり悲壮感を表に出しているということもないので闘病記の割には面白く読めるのだ。
しかし、闘病記ではない部分、それは、食べられない、出せないということを通して見えてきた、人が“食べるということ”に対して栄養補給以上のものを託して生きてきたということを考察する部分はなんとも深く人生を見ているなと生まれ年が同じである著者に尊敬の念を抱くのだ。
“食べるということ”に対しては、こんな書き方をしている。『うまく生きられない人間は、うまく食べることもできないのではないか。』
人が誰かと話をするとき、すなわち、コミュニケーションを取ろうとするとき、人と人の間には必ず食べ物が置かれる。言われてみれば確かにそのとおりだ。たとえお茶の一杯でも置かれている。そしてその意味とは、同じ場所でおなじ食べ物を食べるということがすなわち相手を敵視していない、仲間であるということを表現している。著者の友人のテレビディレクターは、世界の辺境で取材をおこない、評価の高いテレビ番組を作っているが、その秘訣は現地の人が食べている物を食べることで相手の心を開かせるとだと言ったそうだ。これは世界のどこへ行っても同じらしい。そういえば、接待問題で辞職した内閣広報官は、「飲み会に絶対断らない女」だと言われていたそうだ。しかし、それに耐えられない人もいる。著者は病気
が原因で普通の人が食べられるものが食べられないことから会食恐怖症になるのだが、病気でなくても、そういう人もいる。確かに僕もそういう傾向がある。特に会社での飲み会は苦手で、けっこう手持ち無沙汰にしていた。だから、幹事をしてせわしなくみんなの席を動き回っているほうが気が楽だったりした。会社の中はあまり居心地のいいところではないとずっと思ってきたけれども、それは、「うまく食べることもできない」ということに起因していたのかもしれないのだ。

そして、出すということに対しては、『いつ洩れるかわからない恐怖。』『そして漏らしてしまった時の恥ずかしさ。』ということが書かれている。
これも著者が常に下痢を伴う病気であったことから気付くことなのであるがまさにそのとおりだ。そしてそれは、『排泄と恥は強く結びついている。』という結論に達するのである。まさにそのとおりと思うのは、この後で自分の体験談を書くつもりだが、僕もかつてそうであったからなのである。
そして、恥をかくということは、かかされた相手に対しての服従を意味するというところまで論が進んでゆく。
いくつかの例が挙げられていたところでは、著者が学生のころ、とびきり美人で高嶺の花のクラスメートがトイレに駆け込んだ。教室とトイレはすぐそばにあり、水を流す音は教室内にも聞こえてきた。クラスメートが教室に戻ったとき、ある男子生徒が彼女に次の休みに映画に行こうと誘った。普通なら絶対にかなわないことのはずだが、彼女はあっさりそれを承諾した。これも排せつの現場を押さえられたという引け目が引き起こしたことではなかったかと著者は回想する。また、優秀なクラスメートが他の生徒を非難しているとき、「幼稚園のときにウ〇コ漏らしたくせに偉そうなことを言うな。」と言われてシュンとなってしまったというエピソードも紹介されていた。
新入社員に宴会で恥ずかしい芸をさせるのも、この“服従させる”という目的もあるのではないかと考察は進んでゆく。
こういったことが様々な文学作品からの引用を使って述べられているのでなおさら説得力が増してくるのである。


僕も、著者の足元にも及ばないけれども、僕のウ〇コ人生について書いてみたいと思う。
僕のブログの14、5年前の投稿にはダイエットの話題がよく出てくる。
当時、体重90キロを目前にしてこの大台を超えてしまうと僕はヒトではなくなると恐れおののき、一大決心をしてダイエットに挑もうとしていた。ちょうどその時に読んでいたのが、「いつまでもデブと思うなよ」という本で、この本のダイエット法が僕の体に合ったのか、みるみるうちに体重が減っていった。

その時に劇的に変わったのがウ〇コの形状だった。身長170センチで90キロ近い体重を維持しようとすると、さすがに結構な量の食事をしていた。満腹中枢がイカれていたのか、常に胃袋に何か入っていないと不安感があるという感じであった。だから出る量も多い。それも入ってくる分量を消化しきれないのかどうかはわからないがほぼ形をとどめることができないほど柔らかい場合がほとんどであった。ちなみにそのころに受けたバリウム検査では、「あなたの胃袋にはしわがない。」と言われた。僕の勝手な解釈だが、食べ過ぎで胃の壁が伸びきっていたのではないかと思う。僕ももう一息頑張っていればフードファイターとして大成していたかもしれないと思うこともあった。(その前に死んでいたかもしれないが・・)
そして、便意は所かまわず襲ってきて、ここではまずいだろうという場面も数えきれないくらいあった。磯の上や船の上では何回も脱糞したことがある。(これはこれでお尻を撫でてゆく風は心地がいいのであるが・・)
それが、ダイエットを始めたと同時にウ〇コは固くなり、普通の人が想像するような形状に変わった。ダイエットを初めて1週間もしないうちに約8キロも体重が減ったのだが、おそらくはおなかの中に留まっていたウ〇コが全部出てしまった結果ではないのかと今でも思っている。
それ以来、よほどのことがない限り固いウ〇コが出るようになったし、突然の便意を心配することもなくなった。
だから、僕は今でも、ダイエットの要諦は、方法はどうであれウ〇コを出すことであると思っている。ところが、釣りに行く日の朝は大抵それが出ない。あまりにも朝早く起きると直腸は準備不足に陥るようだ。
だからそんな日はどうも体調が悪いような気がしてならない。そして体を動かしているはずなのに体重は増えているというようなジレンマにも陥る。
そう思うと確かに快適にウ〇コをするということは人生のなかでこの上なく大切なことであると思うのだ。僕は地元では有名な進学校に通っていたのだが、高校1年の同級生の中には東大の医学部に行ったやつもいた。多分、NHKの「ためしてガッテン」だったと思うが、そいつが肛門科の先生として出演していた。東大出てまで他人の尻の穴を見んでもよかろうなんて言っていたら、奥さんが、「何言ってんの、出すことほど大事なものはないのよ!」とえらく自信を持っていっていたが、この本を読むと確かに納得できる。

惜しむらくは、老いてのち、家族を含めて他人の誰かに下の世話をしてもらうことなく人生を終えたいものだと思っている。
ここまでは誰かに負い目を負わずにやってきた。(劣等感は相当なものであったが・・)最後に排せつで負い目を負う事は避けたいと思うのである。

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