場所:水軒沖
条件:小潮 7:13干潮
釣果:ボウズ
師の釣りに関する有名な著作に、「私の釣魚大全」という本がある。
その第1章は、「まず、ミミズを釣ること」というタイトルになっている。魚を釣るにはまずエサの準備から始めなければならないということで釣りエサに関する話題をいちばん最初に持ってきたのだろうが、今日の釣りもまさに、まず、“エサを確保することから始め”なければならない釣りだ。
Nさんから、こっそり、超高級魚のアコウがいっぱいいるところを見つけたんですよ~。という情報がもたらされたのだ。そして、その釣り方というのが、まず、サビキで小鯵や小鯖を釣ることから始まる。それからそいつを鉤にひっかけてエサにしてアコウを釣るというやりかただ。
端的にいうと飲ませ釣りということになる。
まずはエサのエサになるアミエビを釣具店に買いに行く。アミエビは紀州釣りのヌカ団子に入れるときくらいしか買わないけれどもこんなに高かったかしらというほど高価だ。一番小さいサイズを買うと税込み462円。一瞬買うのをやめておこうかと考えてしまった。
港への道中、新しくできる所業施設の看板が見えた。和歌山市の中央卸売市場の施設として開業するらしいが、業者向けの販売も兼ねているらしく、開店時間は午前2時だそうだ。これからは、出港前の楽しみが増える・・。かな・・?
サビキは魚釣りのなかでいちばんお手軽で簡単な釣りということになっているが、僕にとってはいちばん難関な釣りのひとつになっている。たまにやってみるとまず釣れない。そして今日も釣れなかった。
港を出てすぐのところや、いつも陸から釣り人が釣りをしている工業団地の角っこや青岸の防波堤でサビキを下してみたけれどもまったく釣れなかった。この釣りをマスターするにはまずサビキ釣りから勉強しなおさねばならないようだ・・。
仕方がないので住金沖へいってサビキ飲ませをやってみたけれども、今日も魚探に反応があるがエサが食いついてこない。今日はこれをやりたいんじゃないと思うとすぐに嫌になって撤収。
最近、ダーウィンの進化論を使って自民党が憲法改正論を擁護しようとしているのは間違った解釈だとニュースになっていた。これは『唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である』と言っているところが誤った解釈で、本当は『進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと』というのだが、僕の釣りは、新しいことをしてもぜんぜん成果が上がらないので、変化しないことがとりあえず夕飯のおかずに一皿加えることができるかもしれない最良の方法であるということが証明されつつある。
昔のように、夏はタチウオが釣れ始めるまではチョクリとキス釣りを交互にして、ときたまボウズ覚悟でスズキを狙いにいうというローテーションがいちばん似合っているような気がする。
でも、人間は飽きる動物であるのでそこはやっぱり別のことをしてみたいとも思ってしまうのがもどかしいところだ。これも知ることの苦しみというものだろうか・・。
そして釣れないまま帰ってきたのにはもうひとつ理由があって、3か月に1回の整形外科への受診日だったのである。
この病院は、大体1年もたたずに医者のほうが退職や異動で担当医がコロコロ変わる。今日の医師も初めての人だ。
今日午前11時40分に予約を入れていたのだが、なかなか順番が回ってこない。受付の人が、困った顔をして、「少し押しています。」と言っていたので仕方がないなと思っていたのだが、さすがに1時間経過したときに、あと何人待ちですかと聞くと、まだ5,6人待たなければならないとのこと。
この1時間の様子を考えるとさらに1時間は待たねばならない。さすがに予約をしていてこれではたまらんと思い、キャンセルして帰って来たのだが、もし、整形外科でそれなりの治療をするためにはひとりあたりこれくらいの時間が必要であれば今までの医師たちは一体どんな治療をしていたのだということになってくるし、このコロナ禍で患者が少なくて病院の経営が危機に陥っているというニュースを見ると、僕がそれまでに受診していた医師くらいのペースで数をさばかないと儲けが出ないというのなら、大半の医師は適当に診察しているんじゃないかといぶかしく思ってくるのである。まあ、僕は飲み薬と湿布薬をもらえればそれでよくて、いざというときは町医者よりも病院で診てもらっているほうがいいと思うだけでここに来ているので診察時間が短くてもいっこうにかまわないのだが、なんだか世の中がすでに崩壊しているということの一端を見てしまったような感じだ。
家に帰って電話で再度予約のし直しをしたのだが、この医師はこういうことがよくあるのか、「はい、わかりました。」という感じで別の医師の診察の予約を7月3日に入れてくれた。同じ医師の予約をすると1ヵ月後しか空いていないと言っていたので今日の医師はかなり人気があって評価も高いのかもしれない。と、いうことは、やっぱり病院というところはなんでもいいからとにかく数をさばいてなんとか収支を保っているところだということなのだろうか。
H先生はそういう体制に反旗を翻し、ものすごく真剣に診察する患者たちの救世主なのか・・・?それともただの段取りが悪い医師なのか・・?僕もそこが知りたいのだが、またそれを知ると、知ることの苦しみが増えるから、まあ、どうでもいいや。
条件:小潮 7:13干潮
釣果:ボウズ
師の釣りに関する有名な著作に、「私の釣魚大全」という本がある。
その第1章は、「まず、ミミズを釣ること」というタイトルになっている。魚を釣るにはまずエサの準備から始めなければならないということで釣りエサに関する話題をいちばん最初に持ってきたのだろうが、今日の釣りもまさに、まず、“エサを確保することから始め”なければならない釣りだ。
Nさんから、こっそり、超高級魚のアコウがいっぱいいるところを見つけたんですよ~。という情報がもたらされたのだ。そして、その釣り方というのが、まず、サビキで小鯵や小鯖を釣ることから始まる。それからそいつを鉤にひっかけてエサにしてアコウを釣るというやりかただ。
端的にいうと飲ませ釣りということになる。
まずはエサのエサになるアミエビを釣具店に買いに行く。アミエビは紀州釣りのヌカ団子に入れるときくらいしか買わないけれどもこんなに高かったかしらというほど高価だ。一番小さいサイズを買うと税込み462円。一瞬買うのをやめておこうかと考えてしまった。
港への道中、新しくできる所業施設の看板が見えた。和歌山市の中央卸売市場の施設として開業するらしいが、業者向けの販売も兼ねているらしく、開店時間は午前2時だそうだ。これからは、出港前の楽しみが増える・・。かな・・?
サビキは魚釣りのなかでいちばんお手軽で簡単な釣りということになっているが、僕にとってはいちばん難関な釣りのひとつになっている。たまにやってみるとまず釣れない。そして今日も釣れなかった。
港を出てすぐのところや、いつも陸から釣り人が釣りをしている工業団地の角っこや青岸の防波堤でサビキを下してみたけれどもまったく釣れなかった。この釣りをマスターするにはまずサビキ釣りから勉強しなおさねばならないようだ・・。
仕方がないので住金沖へいってサビキ飲ませをやってみたけれども、今日も魚探に反応があるがエサが食いついてこない。今日はこれをやりたいんじゃないと思うとすぐに嫌になって撤収。
最近、ダーウィンの進化論を使って自民党が憲法改正論を擁護しようとしているのは間違った解釈だとニュースになっていた。これは『唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である』と言っているところが誤った解釈で、本当は『進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと』というのだが、僕の釣りは、新しいことをしてもぜんぜん成果が上がらないので、変化しないことがとりあえず夕飯のおかずに一皿加えることができるかもしれない最良の方法であるということが証明されつつある。
昔のように、夏はタチウオが釣れ始めるまではチョクリとキス釣りを交互にして、ときたまボウズ覚悟でスズキを狙いにいうというローテーションがいちばん似合っているような気がする。
でも、人間は飽きる動物であるのでそこはやっぱり別のことをしてみたいとも思ってしまうのがもどかしいところだ。これも知ることの苦しみというものだろうか・・。
そして釣れないまま帰ってきたのにはもうひとつ理由があって、3か月に1回の整形外科への受診日だったのである。
この病院は、大体1年もたたずに医者のほうが退職や異動で担当医がコロコロ変わる。今日の医師も初めての人だ。
今日午前11時40分に予約を入れていたのだが、なかなか順番が回ってこない。受付の人が、困った顔をして、「少し押しています。」と言っていたので仕方がないなと思っていたのだが、さすがに1時間経過したときに、あと何人待ちですかと聞くと、まだ5,6人待たなければならないとのこと。
この1時間の様子を考えるとさらに1時間は待たねばならない。さすがに予約をしていてこれではたまらんと思い、キャンセルして帰って来たのだが、もし、整形外科でそれなりの治療をするためにはひとりあたりこれくらいの時間が必要であれば今までの医師たちは一体どんな治療をしていたのだということになってくるし、このコロナ禍で患者が少なくて病院の経営が危機に陥っているというニュースを見ると、僕がそれまでに受診していた医師くらいのペースで数をさばかないと儲けが出ないというのなら、大半の医師は適当に診察しているんじゃないかといぶかしく思ってくるのである。まあ、僕は飲み薬と湿布薬をもらえればそれでよくて、いざというときは町医者よりも病院で診てもらっているほうがいいと思うだけでここに来ているので診察時間が短くてもいっこうにかまわないのだが、なんだか世の中がすでに崩壊しているということの一端を見てしまったような感じだ。
家に帰って電話で再度予約のし直しをしたのだが、この医師はこういうことがよくあるのか、「はい、わかりました。」という感じで別の医師の診察の予約を7月3日に入れてくれた。同じ医師の予約をすると1ヵ月後しか空いていないと言っていたので今日の医師はかなり人気があって評価も高いのかもしれない。と、いうことは、やっぱり病院というところはなんでもいいからとにかく数をさばいてなんとか収支を保っているところだということなのだろうか。
H先生はそういう体制に反旗を翻し、ものすごく真剣に診察する患者たちの救世主なのか・・・?それともただの段取りが悪い医師なのか・・?僕もそこが知りたいのだが、またそれを知ると、知ることの苦しみが増えるから、まあ、どうでもいいや。