イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2020年06月29日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 7:13干潮
釣果:ボウズ

師の釣りに関する有名な著作に、「私の釣魚大全」という本がある。



その第1章は、「まず、ミミズを釣ること」というタイトルになっている。魚を釣るにはまずエサの準備から始めなければならないということで釣りエサに関する話題をいちばん最初に持ってきたのだろうが、今日の釣りもまさに、まず、“エサを確保することから始め”なければならない釣りだ。

Nさんから、こっそり、超高級魚のアコウがいっぱいいるところを見つけたんですよ~。という情報がもたらされたのだ。そして、その釣り方というのが、まず、サビキで小鯵や小鯖を釣ることから始まる。それからそいつを鉤にひっかけてエサにしてアコウを釣るというやりかただ。
端的にいうと飲ませ釣りということになる。

まずはエサのエサになるアミエビを釣具店に買いに行く。アミエビは紀州釣りのヌカ団子に入れるときくらいしか買わないけれどもこんなに高かったかしらというほど高価だ。一番小さいサイズを買うと税込み462円。一瞬買うのをやめておこうかと考えてしまった。

港への道中、新しくできる所業施設の看板が見えた。和歌山市の中央卸売市場の施設として開業するらしいが、業者向けの販売も兼ねているらしく、開店時間は午前2時だそうだ。これからは、出港前の楽しみが増える・・。かな・・?




サビキは魚釣りのなかでいちばんお手軽で簡単な釣りということになっているが、僕にとってはいちばん難関な釣りのひとつになっている。たまにやってみるとまず釣れない。そして今日も釣れなかった。
港を出てすぐのところや、いつも陸から釣り人が釣りをしている工業団地の角っこや青岸の防波堤でサビキを下してみたけれどもまったく釣れなかった。この釣りをマスターするにはまずサビキ釣りから勉強しなおさねばならないようだ・・。



仕方がないので住金沖へいってサビキ飲ませをやってみたけれども、今日も魚探に反応があるがエサが食いついてこない。今日はこれをやりたいんじゃないと思うとすぐに嫌になって撤収。



最近、ダーウィンの進化論を使って自民党が憲法改正論を擁護しようとしているのは間違った解釈だとニュースになっていた。これは『唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である』と言っているところが誤った解釈で、本当は『進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと』というのだが、僕の釣りは、新しいことをしてもぜんぜん成果が上がらないので、変化しないことがとりあえず夕飯のおかずに一皿加えることができるかもしれない最良の方法であるということが証明されつつある。
昔のように、夏はタチウオが釣れ始めるまではチョクリとキス釣りを交互にして、ときたまボウズ覚悟でスズキを狙いにいうというローテーションがいちばん似合っているような気がする。
でも、人間は飽きる動物であるのでそこはやっぱり別のことをしてみたいとも思ってしまうのがもどかしいところだ。これも知ることの苦しみというものだろうか・・。

そして釣れないまま帰ってきたのにはもうひとつ理由があって、3か月に1回の整形外科への受診日だったのである。



この病院は、大体1年もたたずに医者のほうが退職や異動で担当医がコロコロ変わる。今日の医師も初めての人だ。
今日午前11時40分に予約を入れていたのだが、なかなか順番が回ってこない。受付の人が、困った顔をして、「少し押しています。」と言っていたので仕方がないなと思っていたのだが、さすがに1時間経過したときに、あと何人待ちですかと聞くと、まだ5,6人待たなければならないとのこと。
この1時間の様子を考えるとさらに1時間は待たねばならない。さすがに予約をしていてこれではたまらんと思い、キャンセルして帰って来たのだが、もし、整形外科でそれなりの治療をするためにはひとりあたりこれくらいの時間が必要であれば今までの医師たちは一体どんな治療をしていたのだということになってくるし、このコロナ禍で患者が少なくて病院の経営が危機に陥っているというニュースを見ると、僕がそれまでに受診していた医師くらいのペースで数をさばかないと儲けが出ないというのなら、大半の医師は適当に診察しているんじゃないかといぶかしく思ってくるのである。まあ、僕は飲み薬と湿布薬をもらえればそれでよくて、いざというときは町医者よりも病院で診てもらっているほうがいいと思うだけでここに来ているので診察時間が短くてもいっこうにかまわないのだが、なんだか世の中がすでに崩壊しているということの一端を見てしまったような感じだ。


家に帰って電話で再度予約のし直しをしたのだが、この医師はこういうことがよくあるのか、「はい、わかりました。」という感じで別の医師の診察の予約を7月3日に入れてくれた。同じ医師の予約をすると1ヵ月後しか空いていないと言っていたので今日の医師はかなり人気があって評価も高いのかもしれない。と、いうことは、やっぱり病院というところはなんでもいいからとにかく数をさばいてなんとか収支を保っているところだということなのだろうか。
H先生はそういう体制に反旗を翻し、ものすごく真剣に診察する患者たちの救世主なのか・・・?それともただの段取りが悪い医師なのか・・?僕もそこが知りたいのだが、またそれを知ると、知ることの苦しみが増えるから、まあ、どうでもいいや。
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桃源郷に行く。信楽へ・・。

2020年06月27日 | Weblog
スカーレットの放送が始まって以来ずっと訪ねたいと思っていたところだ。まったくミーハーな話だが、このドラマの脚本を書いた水橋文美江がインタビューで、「このドラマには悪人はひとりも出てこない。」と語っていた。悪人がひとりもいないとはまるで桃源郷じゃないか!そこいったいどんなところなのだろうかとそんなに距離も離れていない信楽の町にがぜん興味が湧いてきた。

思い立ったのは去年の暮れ。しかし、名阪国道は雪の恐れもあるから、これは春になってからだろうと考えていたらこのコロナショックだ。さすがに県外ナンバーの車が駐車場に止まっていたら後ろ指をさされるだろうと我慢をしていたが、やっとそのチャンスが訪れた。

この梅雨時、今日も昼からは雨の予報だったので朝は思いっきり早く家を出た。まあ、例年、高野山に上るのも朝が早いが、人がいなくてひっそりとした観光地はこれはこれですごく魅力的なのである。

午前4時40分にガソリンを給油してそのまま阪和道に乗り込む。
京奈和道は橿原市内だけがつながっていないだけでそのまま名阪国道に乗る。しかし、奈良県人の車の運転は荒くたい。割り込みは当たり前でスピードも速い。名阪国道に入っても交通量は多くて道もけっこう荒れているし、加えて軽自動車ではアップダウンのきつい自動車専用道路は大変だということを思い知った。坂道でまったく加速しない。おまけにこんな交通事情だと半自動運転システムも役に立たないのだ。

僕の思惑では2時間10分くらいで現地到着と考えていたけれども2時間40分のスコアになった。
カーナビの案内もいい加減と言えばいい加減で、大内というインターチェンジから下りたのだが、その後は普段は誰も通らないのではなかろうかという山道が続いた。舗装はされているものの、両側からは草が飛び出ていて、上の方からも木の枝が垂れ下がってきている。



車高が2メートル近い僕の車は二、三度その枝をひっかけてしまった。これから狸の里を訪ねるのでこれはきっと化かされているなと思いながらなんとか幹線道路に出ることができた。ちなみに帰りはずっと2車線の道路を通って上野インターチェンジから帰ることができた。帰りによく見たら隣のインターチェンジだった。やっぱり化かされた・・。

今日の目的は街並みの散策もあるけれども、スカーレットのロケ地になったところを何か所か訪ねてみたいと考えている。事前に調べたのは、丸熊陶業のロケが行われた窯元と、最終回で喜美子さんが上っていった坂道だ。
信楽の中心街というのはそれほど大きくなく、外周道路は3kmと少ししかない。そのコースの最後あたりに目的の場所があるらしい。
信楽駅前の今時らしいマスクをした大狸を見て新宮神社を参拝。

 

そこから外周道路を歩く。最初のところは何もないところだが、川沿いの路肩を見てみるとワラビがやたらと生えている。ここは春に来るといい感じだ。ワラビはその後いたるところで見ることができた。



道を歩いていると、ちょっと脳みその暖かそうな男性が声をかけてきた。「観光ですか?」「そうなんです。」それだけの会話だが、睨まれるよりも気持ちがホッとする。

丸熊陶業のロケは山文という窯元でおこなわれたらしく、誰もいないが敷地の中に入ってみると、その時の写真が小さなパネルになって飾られていた。

     

もう少し奥にも嘉元があって、近づいてゆくと、庭の草むしりをしていたおばあさんが声をかけてくれた。

和歌山からきたことや、スカーレットのドラマにあこがれてやってきたことを話すと、観光マップを手渡してくれて、目の前の煙突もよくドラマに出ていたんですよと教えてくれた。



そして、丸熊陶業の登り窯は別の窯元にあるということも教えてくれた。
うちはギャラリーもやっているので10時過ぎに来てくれたら作品を見ることや買い物もできますよと教えてくれたがこれは事情があって実現しなかった。

再び外周道路に戻り喜美子さんが上っていった坂道を目指す。それはすぐに見つかった。目の前には卯山窯という窯元があるのだが、そこの奥さんらしき人が植木に水をやっていたので念のために聞いてみると、たしかにこの場所がそうであった。ちなみに武志君と真奈ちゃんが並んで歩いた坂もこの場所だ。







歩いてゆくと1軒すでに開店している陶器屋さんがあった。中をのぞいてぐい飲みの値段を聞いてみると釉薬のかかっていないものはけっこう高価だと言われた。値札が貼られていなかったので、ちなみにこれっていくらですかと聞いたら1万円です・・。ウッ、これではおみやげに買って帰れない・・。となると、ギャラリーを構えているようなお店だともっと値段が跳ね上がりそうでさっきのお店には寄らないでおこうと決めた。

そして登り窯のある宗陶苑を訪ねる。



ここのお店もすでに開店準備に入っているようで入り口が開いていた。若女将さんらしき人が招き入れてくれた。ここで恥をしのんで、1000円くらいで買えるぐい飲みってありますかと聞いたら、けっこうあるようだ。そして聞いてみるとほとんどは釉薬をかけずに焼いた信楽の土の色がそのまま出ているものだそうだ。まさしく緋色、スカーレットだ。
小ぶりなものは1個700円。これで十分。2個買って1540円しか払っていないのにお茶までふるまってくれたうえにいろいろな話を聞かせてくれた。
登り窯はもちろん、撮影で使われたタヌキの置物はほとんどがここの製品だということ、陶芸の森の近くの玉桂寺駅のそばには川原家と、タヌキの置物が置いてあった三差路があるということ。どちらも今もそのまま残っているらしい。(川原家は入り口の門だけで、家はセットだったそうだ。)
ちなみに、ここの登り窯は現役で年に2回は火を入れて製品を作っているそうだ。今は8月の火入れに向かって焼くための製品を窯に並べる直前で、窯の中に棚を組んでいるところだそうだ。



喜美子さんと照子さんが話をしていた通路にも薪も大量に積まれていて、薪だけであの巨大な登り窯の温度を維持するらしい。すごい。



僕もそこに行こうと駐車場まで戻ると、休館日と書いていた伝統産業会館というところの扉が開いていた。さっきの宗陶苑の若女将さんに、ここには新たに喜美子さんの穴窯が移築されて展示される予定だということを聞いていたので、事務の人に聞くと、受付の反対側に照明を落とされた状態で展示されていた。あの、吉野川さんのタヌキや目覚まし時計も置かれていたが、公開前なので写真撮影はNGとのこと・・。残念。



車に乗って移動。玉桂寺駅まで行ってみたがその場所がまったくわからない。そんなに道がたくさんあるわけではないのだがやっぱりわからない。それに、道は狭く、森の中を行くようなところばかりでその先に何があるのかわからない。吉野川さんが土を掘っていたっぽいところがあっただけだ。

  

そのかわり、巨大なタラノメの木の群落を見つけた。どうも盗られた形跡がない。この辺の人たちはタラノメは食べないのだろうか。市街地からは目と鼻の先なのに・・。



最後に陶芸の森へ。ここには神山清子の作品とともに、八郎さんが大賞をとった壺も展示されていた。

 

そろそろ雨が気になってきたので午前11時半に信楽を後にした。
帰りの幹線道路沿いの窯では煙突から火柱が立っていた。ここは観光地でもあるが、確かに産業と創作の場でもあるのだ。きちんと生きている町なのだ。



信楽で出会った人たちは確かに優しい人ばかりだった。そして、人だけでなく、山菜採りにとっても桃源郷のようであった。

そして僕のおみやげはふたつのぐい呑みとマグカップ。加えて、喜美子さんのように陶器の欠けらを拾ってきた。

  

多分、室町の物ではなく、ただの火鉢の欠けらだと思うけれども、僕の人生のお伴になってくれるだろうか。
買ってきたマグカップも喜美子さんの初めて作ったコーヒーカップのように、縁が欠けたものだ。B品として安く売られていた。

 

もうひとつ拾っていた素焼きの欠けらの端くれを細かくすり潰し、カシュー塗料と混ぜて即席のパテを作り割れ目に盛ってみた。ついでに漆の粘土で作られたぐい飲みの欠けたところも直してみた。
家に帰っても楽しみが続く信楽なのだ。

 

2020年5月25日探訪。


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『蚕食鯨呑―世界はおいしい「さしすせそ」』読了

2020年06月26日 | 2020読書
楊 逸 『蚕食鯨呑―世界はおいしい「さしすせそ」』読了

著者は1964年生まれだということで僕と同級生だ。母国語が日本語ではないひとではじめて芥川賞を取った作家であるというのはぼくもうっすらと覚えている。
当時もきっとそう思っていたのだろうけれども、同じ1964年生まれでも雲泥の違いだ。
父親は著者が子供の頃に文化大革命で下放されたというのだから相当壮絶な幼少期を過ごしたと思う。それなのに、よく何もかもに対して投げやりにならずに日本を目指せたものだ。会社のなかでくすぶりながらほぼ投げやり状態になっている56歳とはまったく違う。

こんな人は地頭もいいのだろうけれども、相当な努力をかさねてそこまでたどり着いたのだろう。どんどん自分がみじめになってゆく。

とくにこの作家が好きというのでもなく、もちろん過去に著作を読んだこともない。別の本を探していて同じ書架に並んでいたのをタイトルが食に関する内容だったので一度読んでみようと借りてみただけだった。
毎日新聞に連載されていたもののなかから選ばれたものを1冊の本にしたそうだ。1編はちょうど2ページ。短い文章だからなんとなく消化不良的な感じがするのは否めない。そして、中華料理に関する話題も多いいのでどうもなじみが薄くてよけいに共感する部分が少ない。
そこが残念だ。
だから、この本を読んだ感想は、「自分とはえらい違いだ。」ということになってしまった。
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住金沖釣行

2020年06月23日 | 2020釣り
場所:住金沖
条件:中潮 6:45満潮
釣果:ボウズ(ガシラ1匹)

今日も懲りずに住金沖を目指した。小舟に乗るローテーションを過ぎてしまっているので魚探もないのに飲ませサビキに挑戦だ。この船であの場所であんな大物が釣れればあんまり期待ができない紀ノ川河口のスズキに替わって大きな柱ができる。なんとか筋道をつけたいと思うけれども、まあ、そんなに甘くない。今日もダメだった。

昨日は午後から調子がよかったということだが、僕は朝型人間なので昼からの出撃というのはやりたくない。自分の生活リズムのなかで釣れる時を待ちたい。
朝はいくらでも早くていいので今日も午前4時過ぎに出港した。

湾内は静かそのもの。



紀ノ川河口もなんなく通り過ぎてポイントへ。



海面を眺めてみるとポツポツと水紋が出ている。ベイトの群れだ。けっこういるじゃないかと急いで仕掛けを下すがなかなかイワシが乗らない。やっと小さなイワシが乗り、す~っと底付近まで落としてしばらくするとコツコツとイワシの動きではないような振動が伝わってきた。引き上げてみるとイワシはどこかへ消えており、ひょっとして今のはアタリだったかとしばし落胆。

魚探がないとさすがにこの下にはベイトは居るんだろうかと不安になってくる。頼みは同じ場所で流している釣り船だ。幸い、一艘、ものすごく声の大きい船長がいて、「9メートル!!」なんていうのが聞こえてくる。僕もそれに合わせて仕掛けの深さを調整する。
ほかの船からも、「今日はベイトが少ない」なんていう声も聞こえてくる。



こっちはエンジンを切っているので静かそのもの。このリールもこんな静けさの中で使ったことがないのでギアの噛みあう音を初めて聞いた。コロナで無観客のスポーツの試合を連想してしまう。



その後、1回だけいっこうにアタリがなく8時過ぎには諦めて水軒一文字へ移動。渡船屋のルアーマンがあれだけ釣れるのならタイラバでもやってみると運がよければアコウが釣れるのではないかと思ったがガシラが1匹。



しかしアタリは頻繁にあった。多分全部これくらいのガシラだと思うがタイラバのポテンシャルを垣間見ることができた。

いつか釣れることを期待してもう少しあそこに通ってみよう。


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「つりが好き: アウトドアと文藝」読了

2020年06月22日 | 2020読書
河出書房新社 「つりが好き: アウトドアと文藝」読了

珍しく釣りに関するエッセイ集が新刊で出ていた。師のエッセイはもちろん、井伏鱒二、幸田露伴、佐藤垢石、福田蘭堂などなど僕も一度は読んだことのある人たちのものが掲載されている。その中にどうしてだか沢野ひとしが入っている。これはどうしてなのかわからない・・。
しかし、すべて往年の作家という人たちばかりのものだが、最近の作家を含めた有名人のエッセイというものはないのだろうか。
思うに、最近の釣りというのは(すくなくとも表に出てくる話題としては)まずは釣果ありき、ギミックありきというような風潮でなんだか自然に親しむとかそれを通して人生を考えるとかそういうひとが少なくなってきたのではないだろうか。ウエアなんかもみんなビシッと決めてボロ服で釣りに来てる人間なんて僕くらいになってしまった。なんだか魚釣りもゴルフみたいに庶民のものから遠ざかってしまったようだ。
シマノのクオータリーに「Fishing Café」というのがあるが、これも昔の釣りを懐かしむような企画が多い。時代もあるだろうが、魚群探知機も出てこないしOOメソッドなんていうのも出てこない。著者たちはそんなに躍起になって釣りをしていない。
いくらでも魚が釣れる時代は魚を釣りながらでもほかのことをいろいろ考える余裕があったのだろうけれども、これだけ魚が釣れなくなると釣ることを考えるだけでほかに余裕がないということかもしれない。


暇なとき、よく釣りビジョンを見ているのだけれども、登場する人たちは馬鹿笑いをしているか、よくわからない英語みたいなものを絶叫しているか、道具自慢、腕自慢しかない。もう、知性というものが感じられない。
唯一、フライフィッシングの放送場面では穏やかな自然の風景が流れているがこれもやっぱりテクニック論に収束してしまっている。
まあ、この辺は放送だから商売がらみでもあるのだろうけれども釣りの世界のほとんどがそんな波に呑み込まれてしまっているように感じてならない。
そんなことがベースにあると、やっぱり読んでいて、う~ん、とうなる作品はなかなか出てこないのだろう。それに加えてこれらの作家に匹敵するような文才を兼ね備えた作家も残念ながらいないのかもしれない。

僕はやはりこれらの作家の世界のほうが居心地がいい。釣れても釣れなくても釣りの世界を楽しみたい。
これはけっして魚が釣れないことに対する言い訳ではない。けっして・・。

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マリーナシティ沖釣行

2020年06月21日 | 2020釣り
場所:マリーナシティ沖
条件:大潮 5:29満潮
釣果:キス 43匹

長く使っていたボートフックの柄が腐り始めた。これは父親が作って先代の小舟で使っていたものだが、おそらく作ってから20年以上経っているだろう。数年前から、握っているとささくれているところを触るとトゲが刺さるようになっていた。最近、ふと眺めてみるとちょうど真ん中のところが腐ってえぐれてきていた。木は腐り始めると早い。柄を新しくしておかないと護岸に押し当てたときに折れてしまうと問題だ。丸い棒なんて削り出したことがない。どうしたものかと考えていると、トリマーを持っていたことに気付いた。
丸く削れるビットがあれば四角を削れば丸くなる。さっそく35ミリの角材とビットを買ってきた。ビット代を100円ケチって径の小さいものを買ったので角材の角が丸くなった程度だが、ビットの汎用性と角材の強度を考えるとこの程度でも十分だろう。
角材もヒノキじゃなくて安い赤松にしたので耐久性が心配だがまあ、4,5年持ってくれれば十分だ。




そして今日はキス釣りだ。やっぱりこの季節はキスの天ぷらを食べたいものだ。前回のキス釣りはボウズだったが菊新丸さんの情報(もう10日ほど経っているが・・)でもキスが釣れ始めたらしいからおかず分くらいは釣れるだろう。
場所は必ず釣れる(はず)のポルトヨーロッパの観覧車の前に決めた。
そして天気の穏やかな日曜日。渡船屋も駐車場が満車だ。僕もこの港には40年以上通っているが、こんな張り紙は初めて見た。

 

1軒で独占するようになってからやたらと釣り客が多くなったような気がする。特にルアーマンが多くなったようだ。釣果情報を見ていると、ルアーではスズキやハマチはもちろん、コチやアコウまで釣れているようだ。その確率はどれほどのものか知らないが、ルアーマンはあんまり釣果を気にしない傾向があるから、“釣れるかもしれない”という情報さえあれば集まってくるのだろう。船頭夫婦のプロパガンダの賜物だ。船頭も最近は機嫌がいい。儲かっているんだろうな~。儲かってるんだから係留代を値上げするじゃないよ!と、そこのところは腹が立つ。

そして僕は渡船よりも少し遅れて出港。一路観覧車を目指した。
キスも100匹近く釣った頃もあったがここ数年はどれだけ頑張っても30匹ほどだ。広大なポイントが続く浜の宮が沈黙した状態なのは痛い。いったいどうなっているんだろう。一説では海水浴場の整備しすぎが原因とも聞く。産卵床を破壊しているというのだ。
ということは、今年はコロナ禍で海開きがないとすると来年はキスが戻ってきてくれるということになったりするということか・・。期待していいのかな・・。

そして、その不調に対抗するために今回は釣竿3本作戦というのを考え出した。アタリが少ないならその分鉤の数でカバーしようという考えだ。



観覧車の前から対岸の送電線の鉄塔の前周辺を行ったり来たりして釣りを続ける。

  

アタリはあるのもの散発的で、それも7時半を過ぎたころにはほとんどアタリがなくなった。
最後にダメもとで浜の宮沖に移動してみたがやっぱりアタリはまったくなく午前8時半に終了。



終わってみれば型は小さいものの43匹。3本竿の作戦が奏功したかどうかはわからないが、久々に40匹を超えることができた。
しかし、これが2時間ほどでの釣果なら釣った感があるけれども、3時間半あまりの釣果だとどうもそれがない。


今日は夏至。そして夕方には部分日食が起こる日らしい。朝は2時半に起床して午前4時に出港するころには東の空が明るくなっていた。



次の釣行からは少しずつ出港がゆっくりになって楽になる。毎年のことだけれども・・。
家に帰って日食を観測すべく装置を作ったものの夕方になって曇り始めた。



残念。なんとなく輪郭だけは捉えたという感じだろうか。



次に日食が見られるのは10年後らしい。順調にいけば完全にリタイヤした直後である。そのころ、僕の人生はどうなっているんだろう・・。
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「開高健短篇選」読了

2020年06月20日 | 2020読書
開高健/箸 大岡玲/選 「開高健短篇選」読了

2019年度の岩波文庫にこんな本があった。師の短編を文壇へのデビューから晩年に至るまでを発表年順に選んでいる。撰者は大岡玲。これまでもいくつかの師にまつわる本にかかわってきた人だ。

多分、全部どこかで読んだことがある作品であるが、こうやって連続して読んでみると、作風というか、事象の捉え方の変遷といくのは、素人の僕が読んでみても大きく変遷していっているのがわかる。
しかし、すべての短編のなかに通奏低音のように流れているのは、「人間の内面の醜さとすべての人はそれに巻き込まれることなく生きてゆくことはできない。」という一種諦観諦めにも似たような感覚のように感じる。編者が解説で書いているように、人間の脆さ、不可解、残虐、卑屈、悲惨、無残、そういったものからは逃れられないということだ。
それぞれの作品の主人公、おそらくそれは師の分身であるのだが、それでもひとは人の中でしか生きてゆけないことを前提にしてその苦しみが懊悩と無力感となって物語は進んでゆく。
初期の作品、「パニック」「裸の王様」はそんな世間をあざ笑う、もしくは一矢報いるような内容で、どんな形でもそれに対して立ち向かおうというエネルギーを感じるが、後半になってゆくほどそういうことに対して逆らわずに流されてゆくような気持に変わっていくようだ。
「なまけもの」では主人公とは真逆の、世の中の逆手を取ってやろうとする友人の行動におののいて自分ではそんなことはできないと逃げ出そうとする。
「森と骨と人たち」はビルケナウの描写、「兵士の報酬」はベトナム戦争を戦う米兵の休暇でのできごとだが、前者では主人公は大量虐殺の記録から人はそこまで非情になることができるのだということの証明を見る。そして、「兵士の報酬」ではその非常になる原因のひとつを友人である米兵の休暇中の行動から見つけてしまう。それは心優しいアメリカ人の中に潜む『ひとを殺したいのだ。』という感情だった。ひとは残酷に慣れてしまえばそれが快感になってゆく。そんな心のシステムがどんな人にも備わっている。
師はそういうことを極限の状況を観察することによって知ってしまったのかもしれない。
おそらく、仏教的な思想を持っていればそういったことをすべて受け入れてなおかつ心の底に深く沈めてしまうこともできるのであろうけれども、主人公たちは無神論者である。達観できるまでにはまだ時間が必要だ。

「飽満の種子」「貝塚を作る」はベトナム滞在中に体験する阿片と釣狂の大金持ちの使用人の子供である若い逃亡兵の生活の描写だ。一転してその現実にから逃避をすることを決めた人たちのエピソードだ。主人公はそれをうらやましいとは思わず、その逃避のために費やしたエネルギーに対して感慨を持つ。

「玉、砕ける」「1日」にはひとの命のはかなさがにじみ出ている。「玉、砕ける」は垢すり風呂のお土産にもらった自分の垢の玉が手のひらの中で壊れてしまったときと同じくして老舎という中国人作家の死を知る。それはひとの命も垢の玉のようにあっけなくこの世から消えてしまうということであった。「1日」でも、ベトナムで同じように取材活動をしていたジャーナリストが、一緒に酒を飲んだ翌日、ロケット弾の破片であっけなく死んでしまう。そこからやはり人の死というものの簡単さを痛感するのである。

「掌の中の海」は、それまでの短編からかなり時間が経過した最晩年の作品だが、そこには人の世や人生への憂いや生きてゆくことへのあきらめや苦しみは消えてしまっている。
ここには息子が行方不明になった医師が登場し、息子のために涙を流すのであるが、それを見た主人公には特にこみあげてくるものはなさそうである。もう、何の感覚もない平坦な世界が広がっているようなイメージだ。
仏教に例えると諦観の域に達したというところだろうか。
そうやって読み進めてみると、大岡玲はバランスよく作品を選び出していると言えるのかもしれない。


「1日」の中で、主人公は、最前線の砦のベッドの中で『じっとよこたわって汗にまみれつつ殺されることだけをまっていた』気持ちで一晩を過ごす。生きることに疲れて、『常に死ぬことだけを考えていた』と独白もしている。
そこからどうやって諦観の気持ちを得たのだろうか。おそらく最後の短編は師が今の僕と同じ年齢の頃にそれを書いていたはずだ。僕には何もかもにたいする諦めと絶望の気持ちはあってもそれは諦観には昇華しない。常に死ぬことを考えていなくても笑えることのないここからなんとか逃げ出す方法はないものだろうか、いっそのこと強制排出してくれないものだろうかと常に考えている。

いま、この時、僕にとってこの本を読むことは酷すぎると感じるのである。情けないことだが・・。

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住金沖釣行

2020年06月16日 | 2020釣り
場所:住金沖
条件:長潮 9:28干潮
釣果:ボウズ

連日ボウズの山を築いているのだが、今日もひとつ積み上げてしまった。午前中に行かねばならないところがあるので午前8時過ぎには帰宅をしておかなければならない。
なんとか一矢報いたいと思い今日も飲ませサビキをするため住金沖へでかけた。
朝、家を出ると北風が強く吹いている感じだ。この季節にしては珍しい。港内の少しだけだが海面がざわついている。



そして青岸の灯台を越えたくらいから波と風が強くなってきた。ああ、今日は沖には行けないというところだが、住金沖だと沖といっても紀ノ川を横切ったら陸伝いだ。そして、さすが、世界に誇る大工場だけある。工場内の海域に入ってしまうと外の波風が嘘のようだ。高炉がどんどん閉鎖されていくのが惜しい感じだ。



よく釣れているのか、たくさんの船が出ている。



そして魚探の反応もかなりある。



これはひょっとして今日こそ釣れるのではないかと意気込んだが、まずエサの小魚が乗らない。初島の沖ならこれくらいの反応が出ていればまずエサが食いついてくるのだけれども今日は朝一に1回だけ竿先を震わせただけだった。
ベイトのサイズが小さいのかと思ったけれども、水面まで湧いてくる魚を見るとそうでもなさそうだ。それでも鉤のサイズが大きすぎるのだろうか。僕が使っている鉤のサイズはこういう釣りをする鉤としては小さいほうを使っているのだが・・。一応、鉤のフトコロに小鉤をつけてみたけれどもそれでもダメだった。まだまだ研究の余地があるようだ。

防波堤の先端を中心に行ったり来たりするけれども状況は変わらない。そろそろ時間になったのであっさりあきらめて帰投した。


今日の用事は炊事場の蛇口の水漏れを直すべく部品の品番を調べるという作業だ。TOTOというメーカーのものなので図書館の近くにあるショールームにいくのだが、これが一筋縄ではいかない。2週間ほど前に尋ねるとこんな張り紙がしてあった。



コロナショックの影響というのは仕方がないが、扉の前から電話をして、「せっかくここまで来たんですけど・・。」と言っても門前払いで2週間後に予約を入れてもらった。普通、客商売なら入口まで来ていると言えばとりあえず出てきてお詫びくらいはするだろうと思うとここでひとつカチンときた。
今日の朝一番の予約だったので開店10分前に行ったら張り紙継続中で電話は留守番電話になっていて、しばらく待っていると営業マンらしき人が出勤してきて、「10時になったら電話してくれますか?」と言う。2回目のカチン。「あんた、客が来ているのわかってるやから、あんたが担当に10時になったら迎え入れてやってくれって伝えてくれればいいんじゃないの?」と言ってやった。「はあ、そうですよね。」と頼りない返事。

目の前まで来ている客に顔も出さずに追い返すし、そうかと思えば、僕と同じように予約が必要と言うことを知らずにやってきた今日の客には出入口で迎えている。聞いたら、「たまたま入り口を開けていたから・・。」という答え。そこで3回目のカチン。「あんたら、入口のカメラ見ながら(設置されているのかどうかは知らないが。)人相観て対応変えるんか?」相手も短気なのか、「そんなことはございません!」と不機嫌にきっぱりぬかしおる。しかし、クレーマーにはこれくらいの対応のほうがいい。彼女たちもそれなりに訓練されているようだ。教育環境はわが社よりもはるかに整備されているのかもしれない。
結局、2週間待ってやっとお目通りが叶い、問題は5分ほどで解決。それくらいでできるなら最初の日にちゃっちゃとやってくれよと思うのだ。
まあ、僕は人相も悪いし、部品の品番知りたいだけだから上客ではないのだろうけれど、この会社は大名商売をやっているなと思った次第だが、そこまで警戒せんでもいいんじゃないのとも思うのだ。僕はウィルスじゃないぞ!

ただ、思うのは、僕も客相手の仕事をしているが、こんな相手には、「何を偉そうに身勝手なことを言ってるんだ。アホとちがうか。」と心の中で思っているのでみんな同じだということだ。文句を言っているほうも正当な意見だとしか思っていないからお互い交わることがないのだ。


その後、港に行くと、タカシさんが渡船屋の船のオイルフィルターの交換をしていた。「暇になったら僕のもお願いしますワ~。」と伝えておいたらオイルのフィルターの品番を間違えていたらしく午後からも作業が続いていて、ついでにやってくれた。
2月のエンジン廻りの部品の定期交換のときに、そろそろ交換せんといかんなと言われて以来約4か月、部品代も先に払っていて、渡船屋の船頭にも僕のところの修理はなかなかやってくれないんだなどとボヤいて(多分、5,6回はぼやいていたと思う。)いたら、彼はやっとその時がきたと感激して、わざわざ電話で知らせてくれた。「今からやってくれるらしいぞ!!」って。
タカシさんはまったく悪気はないのだが、さすがにお歳で、よく忘れる。この前も電話を入れたら、「部品・・。あれ?机の上に置いといたんやったかな~。」と完全に忘れられてしまっていた。
しかし、このブログにも何回か書いたがゴットハンドの技を持つ職人さんだ。でも、ほとんどの顧客が業務で船を使っている人たちだから僕なんかとは重要度が違う。だから僕もそんなに無理を言えないし、ゴッドハンドは本当にダメなときはすぐにでもとんできてくれる。はずだ・・。しかし、修理代の請求は忘れられたことがない。1回くらい忘れてくれたらいいのに・・。
ただ、今回取り替えてもらったパイプを見てみると、ホースバンドの周りがズタズタになっていた。素人目ではあるが、よくこれで乗ってたものだと思う。今日、タカシさんの姿を見かけたのはボウズと引き換えに僥倖と言えるのだ。

 
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水軒沖釣行

2020年06月14日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 7:49干潮
釣果:ボウズ

釣行と言うにおよばない釣行になってしまった。予報では夜明け頃に雨が止むか止まないかというギリギリの感じであった。午前2時半に起きると雨音がする。これはダメだとまた布団に入る。うまい具合に午前3時半に目が覚めた。外に出てみると雨があがっていた。急いで準備をして海に向かう。
今日は長らく乗っていない小船で出る。水軒渡船の釣果を見てみるとルアーでいろいろ釣れているらしいので僕も沖の一文字と新々波止の交差点に向かった。

港のなかは穏やか。



一文字の切れ目を抜けると少しうねりがある。目的地に到着し投錨してルアーを投げ始めるとしばらくして雨が降ってきた。もうちょっと持つのかと思ったが残念。



すぐに退散して港に戻ると本降りの様相になってきた。



釣果を上げている人は雨でも粘れる人だろうなと思いながら、僕は雨に濡れると体が溶ける体質なのだと自分を納得させるのだ・・。
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「クロダイの生物学とチヌの釣魚学」読了

2020年06月11日 | 2020読書
海野 徹也 「クロダイの生物学とチヌの釣魚学」読了

魚類学者が書いたクロダイの生態とそれがどうチヌ釣りに応用できるかという内容だ。
著者は広島県の出身だが、釣り好きが高じて学者の道に入り、そのかなでもチヌの殖産について研究を続けている人らしい。

著者の研究によると、チヌの能力は以下のようであるらしい。
視力;0.14くらい。5メートル先から1センチのものを見分けることができる程度の視力で、1.5号のハリスなら10センチ手前からしかわからない。
色覚:あるらしい。紫外線も感知する
50センチになるまで:地域によって異なるらしいが、本の記載内容から察すると田辺辺りでは12、3年というところのようだ。
ウロコには年輪のようなものができるのでそれを数えると魚の年齢がわかるそうだ。胸鰭の後ろのうろこというのはあまり剥がれ落ちることがないので調べるとするとここから採取するといいらしい。
味覚、嗅覚:敏感。10のマイナス8条モル(懐かしいな~)の濃度でも感じる。50メートルプールに3.65グラム溶けた物質を嗅ぎ分けることができるそうだ。
アミノ酸ではグリシンに強く反応し、このグリシンはオキアミにはあまり含まれないが、アミエビには大量に含まれているそうだ。先の分量から計算すると、1キロのアミエビは200メートル先のチヌを誘うことができるらしい。
僕がヌカにアミエビを混ぜるのはじつは理にかなっていたということだ。前に読んだ本のとおり、例の白い粉はまったく役には立たないことがこの本でもわかる。
産卵:1匹の産卵はサケのように一度に行われるのではなく1か月くらいかけてゆっくり行われる。時間帯は深夜。そこそこ深い場所で行われているらしい。卵は浮遊性。乗っ込みの頃、浅場で釣れるのはエサの確保のために回遊してくるのであって産卵のためではない。
40センチくらいのクロダイだと200万個の卵を産むらしい。
回遊範囲:これは意外というか、ほとんど生まれたところから移動せずに一生を過ごすらしい。田辺で生まれたチヌは南部まではあまり移動しないようだ。外洋から入ってきたチヌは白くて、居つきのチヌは黒いというが、大きな範囲でみると、みんな居つきのチヌということになる。確かに黒いといっても、田辺で釣れるチヌに真っ黒というのはない。あれはやっぱり水質が関係しているのだろう。

ざっとこんな感じだ。

そして著者の本来の研究テーマは産業としてのクロダイの殖産なわけで、稚魚放流についても語られている。大阪や和歌山でも行われているけれども、クロダイってあんまり魚屋で見ることがないので放流しても漁業資源を増やすという意味では何か役にたっているのだろうかと思っていたが、一応、水揚げ高については記録があるらしく、広島県が日本で一番の水揚げ高を誇っているそうだ。

しかし、これが韓国にいくと、クロダイは超高級食材として扱われているそうだ。一般的には生臭い魚と思われているから、韓国料理みたいにニンニクや唐辛子、味噌を使った味付けは臭みを消して美味しさだけを引き立ててくれるらしい。
ネットで調べてみると確かにたくさんのレシピが出てくる。これは美味しそうだ。
この本に載っているコチュジャンソースは色々に仕えそうだ。
(サラダオイル 大さじ2、酢 大さじ2、コチュジャン 大さじ1、砂糖 小さじ半分、おろしにんにく 半個分、醤油 小さじ半分)

さて、この知識がどれだけ釣果に貢献できるのかというと、う~ん。となってしまう。僕がやっている紀州釣りではエサの内容よりもいかに正確に底を取ってなおかつ潮の流れを読みながら同じ場所にダンゴを放り込めるかという技術的なもののほうが大切なように思う。じつはそれよりももっと大切なのは運なのかもしれないが、腕がものをいう釣りだから面白いのだ。結局、この本を読んだからといって僕の釣りのスタイルは変わることがないのだけれどもチヌの生態を知るというのは面白いものだ。
次はいつ出会えるかわからないが、年なしを釣り上げた時にはいちどウロコをきちんと剥がしてルーペで覗いてみよう。

この本は、「ベルソーブックスシリーズ」という書籍の中の1冊だ。ベルソーとは、幼少期という意味らしいが、どちらかというと中高生向けに書かれている本ということになる。こういう本を通して将来がどういう道に進みたいかということを考えてほしいということである。
ぼくもこれだけ魚釣りが好きならそんな道に進むチャンスがあったのかもしれない。趣味を仕事にしてはいけないというようなことを言われてまったく釣りとは無縁(平日が休みで釣り場が空いているということではまったくの無縁というわけでもないのかもしれないが。)なことをして生活費を稼いでいるけれども、ここにきて、それはやっぱりそうではなかったのかもしれないと思い至るのである。一生は1回だけ。やりたいことをやっておいたほうが悔いが残らなかったのかもしれないと釣りよりも人生を考えさせられてしまうのだ。

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