小畑弘己 「昆虫考古学」読了
昆虫が歴史を語ってくれても僕には何の関係もなく、それを知ったからといって僕の生活がどうこうなるかというものでもないが、タイトルがなんだか推理小説っぽくって面白そうだから読んでみた。
昆虫を使った考古学というのは、遺跡から発掘される昆虫の化石や死骸からその当時に人々はどんな生活をしていたか、そしてその生活様式はどんな伝搬のしかたをしてきたかというのを探り当てようとするものだそうだ。ここでいう昆虫というのは、穀物に取りつく害虫や、死骸に群がるスカベンジャーを指している。もっとも人の生活の近くの生きている昆虫たちだ。
昆虫というのは、約100万年の間ほとんど進化をしていないらしく、そうなると当然人間の歴史の期間中は現世界の昆虫相と変わっていないことになる。だから、現代の昆虫の分布と比較すると当時の気候や、人間が食べていたもの、生活様式までを知る手がかりになるということだ。そして面白いのが、昆虫そのものの化石や死骸ではなく、土器などに残る圧着痕がそれを知る最大の手掛かりになるということだ。昆虫の死骸や化石そのものは後の時代にもぐりこんだ可能性があるので確固たる資料にならなくて、土器を作ったときに土にへばりついて圧着された跡を調べてその昆虫が何であったかを探ると間違いなくその時代にその場所で生きていた昆虫であるということが証明できる。う~ん、なんとも奥が深い。
その痕跡を調べると、その地域で何を食べていたかもわかる。この本にはコクゾウムシという昆虫がよく出てくる。この虫は主に食べているもので大きさが変わる。具体的にはドングリを食べるよりもクリを食べる方が大きくなる。
土器の圧着痕の大きさを調べることによって、九州~西日本ではドングリが、東日本~東北ではクリが食べられていたことがわかるそうだ。
また、ヒトが死んだあと、経過時間によって群がる虫の種類が異なるらしい。その痕跡を調べることでどんな葬儀が行われていたかということもわかるそうだ。
ハエは人が死んでから10分後には集まってくる。数日後には蛆が湧き、その後は蛆などを食べる甲虫や蜂がやってくる。これらの虫は土中では活動できないのでどんな虫が死体に付いていかかで死後いつごろ埋葬されたがわかる。ハエや小さな蛆だけがみつかればすぐに埋葬され手厚い葬儀は行われなかったことになり、蜂や甲虫が湧いていれば長い間殯の行事が続いていたことになる。
しかし、土をこねている最中に虫が気にならないというのは、昔の人たちというのは、よほど虫が気にならないか、気にすると生活ができないほど大量に虫がいたかのどちらかということだろうか。ちなみに縄文時代ウンコの化石からも昆虫の痕跡が頻繁に出るそうで、意図してか偶然かどうかはわからないけれども口の中に入っていたそうだ。
現代の人々が聞いたら悲鳴を上げるような生活ということになるのだろうけれどもこうやって害虫とも付き合って生きてゆくというのがひょっとして普通の生活なのかもしれない。髪の毛にもシラミがうじゃうじゃいたであろうし、ダニにも食われ、お腹の中にも回虫がいたであろう。しかし、アレルギーの原因というのは一説ではこういう害虫があまりにも人間の廻りから無くなってしまったからであるという。この本は考古学について書かれた本であるけれども、なぜか最後は、病原菌を運ぶムシは避けるべきであるが、無菌、無害中の生活もほどほどがいいようである。と結ばれている。
太古を振り返って今の世界を見直せということなのだろう。
ただ、この時代の人々も害虫に手をこまねいてばかりいたわけではない。害虫駆除のために様々なものを使った。日本ではサンショウ、ヨーロッパではオリーブオイル、ミント、クミン、コリアンダーなどなど。今でいうハーブだ。これらは現代の食生活を豊かにするものだ。
これは、太古を振り返って先人の知恵に感謝をしなさいということなのだろう。
昆虫が歴史を語ってくれても僕には何の関係もなく、それを知ったからといって僕の生活がどうこうなるかというものでもないが、タイトルがなんだか推理小説っぽくって面白そうだから読んでみた。
昆虫を使った考古学というのは、遺跡から発掘される昆虫の化石や死骸からその当時に人々はどんな生活をしていたか、そしてその生活様式はどんな伝搬のしかたをしてきたかというのを探り当てようとするものだそうだ。ここでいう昆虫というのは、穀物に取りつく害虫や、死骸に群がるスカベンジャーを指している。もっとも人の生活の近くの生きている昆虫たちだ。
昆虫というのは、約100万年の間ほとんど進化をしていないらしく、そうなると当然人間の歴史の期間中は現世界の昆虫相と変わっていないことになる。だから、現代の昆虫の分布と比較すると当時の気候や、人間が食べていたもの、生活様式までを知る手がかりになるということだ。そして面白いのが、昆虫そのものの化石や死骸ではなく、土器などに残る圧着痕がそれを知る最大の手掛かりになるということだ。昆虫の死骸や化石そのものは後の時代にもぐりこんだ可能性があるので確固たる資料にならなくて、土器を作ったときに土にへばりついて圧着された跡を調べてその昆虫が何であったかを探ると間違いなくその時代にその場所で生きていた昆虫であるということが証明できる。う~ん、なんとも奥が深い。
その痕跡を調べると、その地域で何を食べていたかもわかる。この本にはコクゾウムシという昆虫がよく出てくる。この虫は主に食べているもので大きさが変わる。具体的にはドングリを食べるよりもクリを食べる方が大きくなる。
土器の圧着痕の大きさを調べることによって、九州~西日本ではドングリが、東日本~東北ではクリが食べられていたことがわかるそうだ。
また、ヒトが死んだあと、経過時間によって群がる虫の種類が異なるらしい。その痕跡を調べることでどんな葬儀が行われていたかということもわかるそうだ。
ハエは人が死んでから10分後には集まってくる。数日後には蛆が湧き、その後は蛆などを食べる甲虫や蜂がやってくる。これらの虫は土中では活動できないのでどんな虫が死体に付いていかかで死後いつごろ埋葬されたがわかる。ハエや小さな蛆だけがみつかればすぐに埋葬され手厚い葬儀は行われなかったことになり、蜂や甲虫が湧いていれば長い間殯の行事が続いていたことになる。
しかし、土をこねている最中に虫が気にならないというのは、昔の人たちというのは、よほど虫が気にならないか、気にすると生活ができないほど大量に虫がいたかのどちらかということだろうか。ちなみに縄文時代ウンコの化石からも昆虫の痕跡が頻繁に出るそうで、意図してか偶然かどうかはわからないけれども口の中に入っていたそうだ。
現代の人々が聞いたら悲鳴を上げるような生活ということになるのだろうけれどもこうやって害虫とも付き合って生きてゆくというのがひょっとして普通の生活なのかもしれない。髪の毛にもシラミがうじゃうじゃいたであろうし、ダニにも食われ、お腹の中にも回虫がいたであろう。しかし、アレルギーの原因というのは一説ではこういう害虫があまりにも人間の廻りから無くなってしまったからであるという。この本は考古学について書かれた本であるけれども、なぜか最後は、病原菌を運ぶムシは避けるべきであるが、無菌、無害中の生活もほどほどがいいようである。と結ばれている。
太古を振り返って今の世界を見直せということなのだろう。
ただ、この時代の人々も害虫に手をこまねいてばかりいたわけではない。害虫駆除のために様々なものを使った。日本ではサンショウ、ヨーロッパではオリーブオイル、ミント、クミン、コリアンダーなどなど。今でいうハーブだ。これらは現代の食生活を豊かにするものだ。
これは、太古を振り返って先人の知恵に感謝をしなさいということなのだろう。