イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ラジオ空想科学研究所〈第2夜〉」読了

2016年09月29日 | 2016読書
武井 咲、柳田 理科雄 「ラジオ空想科学研究所〈第2夜〉」読了

ニッポン放送で2014年まで放送されていたラジオ番組を書籍化したものだ。
この本はその2冊目だ。

けっこう忙しそうな女優さんをアシスタントにしたがえてこんなラジオ番組まであったとは驚きだ。
相変わらず同じような内容だが、やはり面白い。
いったい何冊くらい出版されているのだろう。ありきたりの感想だが、中学生くらいの頃にこんな先生に出会えれば僕の人生はもっと変わっていたのかもしれないと思うのだ。
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「人間通」読了

2016年09月29日 | 2016読書
谷沢永一 「人間通」読了

この本は大分昔にけっこう話題になった本だ。ベストセラーになったが、この本で名指しされた人からはいろいろあったようだ。


人間の器量というのは世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分であり、組織の要となり世の礎となりうる条件は人の心がわかることただそれだけである。それを人間通と呼ぶ。前半にはそう書かれている。
後半は日本の官僚機構の批判にかなりの部分を割いていて、どうも偏りすぎているのではないかと思ったが、「人と人」という章に書かれている様々な言葉を読むとどうして官僚機構、ひいてはこの国の仕組みに対してこれほど怒りを向けるのかがわかってくる。
試験にだけ合格し、政治家と違い誰かの審判を受けない官僚という人たちは国民を見下し、人を人と思わなくなる。それは“人間通”とは真逆の生き方であり、著者にとっては我慢ならないことであったようだ。
しかし、それに対してどう行動するべきかこの本には書かれていない。また、対抗を呼びかけるようなこともしていない。
悪くいうと、アジっておいてそれっきりかと思えるが、そこはやはり自分で考えてくれということなのだと思う。

人の心がわかること。それはものすごく難しい。人の心がわかるためには人に興味を持たなければならない。師は「森羅万象に多情多恨たれ。」と言っていたが、そういうことを言っていたのだろうか。
組織は塊ではない、ひとりひとりがひとりひとりの考えを持っている。あまりにも興味が偏りすぎている僕には至難の業だ。至難のわざというより不可能だ。だから組織にはなじめない。

この席に座っている人たちは人間通なのだろうか?自分の武勇伝しか話さない人というのは自分にしか興味がなかったりしないのではないだろうか。



そんなことを思っているとますますこの椅子の座り心地が悪くなる。
師の著作に度々出てくる、ベトコンに包囲されて九死に一生を得たエピソードに出てくる南ベトナムの兵士は、弾丸が飛び交う中、洗面器に入れた食事を黙々と食べたり弾丸に撃たれうめき声もあげずに倒れてゆく。
彼らもきっと僕みたいに人間通にはなりきれなかった人々であったのだろう。戦争という極限状態がそうさせてしまったに違いないが、僕も同じようなものでこの会議室がそんな極限状態にさせてしまう。
会社という組織もよくよくみれば官僚機構によく似ている。特に硬直しきってしまったようなワガ社はそのものに見えてしまうのだ。
椅子の主もそんな組織に風穴を開けようと頑張っているのだろうが、そしてそれが正しい道なのかもしれないが、やはりその心がわからない。
僕は飛び交う弾丸の下を這いまわることしかできない。

だから、こんな人間は人間通になれないと決めつけられても言い返す言葉がないのである・・・。







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洲本沖釣行

2016年09月24日 | 2016釣り
場所:洲本沖
条件:小潮 6:19干潮
潮流:6:00 下り2.3ノット最強 9:30転流
釣果:タチウオ 4匹

今日は今シーズン初の洲本沖でのタチウオ狙いだ。
今年の船底塗装を手伝ってくれた前の職場の同僚を誘っての出撃だ。
潮流表を見誤っていて、今日は夜明けが上り潮と思いこみ、かなり南の位置からスタートをしてしまった。しかし、他の船もかなり南寄りに集まっていたのでこの時期はこんな感じなのかもしれない。



ここではほとんど空振りがなく、仕掛けを落とし始めて数分でアタリがでるのが定番だが、今日はまったくアタリがない。
周りの船も移動を繰り返しているところをみるとほかの船も釣れていないようだ。釣れている日はどこの船もタチウオの肌が反射してキラキラしているものだ。
最初のアタリは30分くらいしてからだろうか。アタリが小さかったこと、焦りがあったことで食いこむ前に合わせを入れてしまって重みを感じた直後にバラしてしまった。
その後はまたアタリが遠のき、少し浅い場所、水深80メートルくらいのところに移動して1匹ゲットし、付近を移動しながらなんとか4匹を取り込むことができた。
舳先に座る同僚も苦戦している。アタリがあってもフッキングにはなかなか至らないようだ。

前方に見えるピンク色の乗合船も苦戦中らしく、指3本ほどの小さいタチウオを船頭が丁寧に写真撮りをしている。撮影できる獲物がないようだ。



潮止まりを過ぎて午前10時まで粘ったがお互い獲物はなくあえなく終了。


帰投の途中、同僚から、「運転させてくれますか?」と言う言葉。
彼も釣り船のオーナーだが、もう少し大きい船が欲しいようだ。毎晩中古船情報のサイトを眺めているらしい。
そうか、よしよし、一度運転してみてくれ。そしてもっとこの甘美な釣り地獄にどっぷり浸かってくれ。
そこはもう、陶酔の世界だ。いつかいい船を手に入れてくれ。



おかげで今日の僕は楽ちんで港まで帰ることができたのであった。



タチウオのシーズンはまだまだこれから。去年みたいにエサが無くなったので帰ります。みたいな釣果を手にしたいものだ。
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カプサイシン中毒??

2016年09月23日 | Weblog
6,7年前からゆずこしょうを自作してきた。
百貨店の地下で青唐辛子を買うとけっこう高いので自宅の庭で作りはじめたが、なかなかたくさんできないので去年から親戚の叔父さんの畑の片隅に植えてもらっている。
今年はなぜか大豊作。
辛いものというか、唐辛子が大好きで、キムチなんか食べ始めると終わることができない。トイレに座っていると、あの時食ったやつが今通過しているとわかるくらいだ。

保存ビン単位でゆずこしょうが3本、ピクルスが1本、オリーブオイル漬けが2本、それに試しに作ったみそ漬けが1パック。
ゆずこしょうは冷奴でも鍋物でもなんでも使えるし、カプサイシンが溶け込んだオリーブオイルはカレーや焼き飯、パスタにふりかけるとコクと辛味が増して味に深みが出る。
ピクルスは漬け込んでからひと月くらいが経つが辛味がまろやかになって、一瞬の辛味のあとに唐辛子の豊かな風味が口の中に広がる。

今年は大分楽しめそうだ。
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水軒沖釣行

2016年09月17日 | 2016釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 6:13満潮
釣果:マルアジ 2匹

今日は連休の最終日、船底塗装でそれなりに体力を使ったので今日は安息日と考えていたのだが、昨日、和歌浦港から出ようとしたとき、フェイスブックで知り合ったきしまきさんに出会った。
釣りからの帰りらしく、チョクリでマルアジを20匹ほど釣ったと教えてくれた。この時期になるとマルアジとはいえ、脂が乗ってくる。
ということで、居ても立ってもいられず、台風への備えと、昨日突然死してしまった車のバッテリーを充電してもらっていたものの引き取りのついでに釣りにいこうというものだ。
ついでの釣りが一番時間を食うのだが・・。そして本当の理由は速度が出るようになった船で海の上をかっ飛ばしたいだけなのだ・・・。

最近は船に乗りたいと思っても車に乗りたいとは思わなくなった。庭から出すのが面倒なのだ。そして、最近、いつつけてしまったのかがわからないのだが、バンパーに傷をつけてしまった。それで余計に乗りたくなくなってしまい半月あまり乗らなかったからかどうかはわからないがバッテリーがあがってしまったのだ。
真冬ならまだしも、まだほとんど真夏と言ってもいい時期にバッテリーがあがるとは、きっと車が僕に嫌われ始めたのじゃないかと感づいてすねてしまったのではないだろうか・・。


朝は少しゆっくり。午前5時に出港。



紀ノ川河口方面を目指した。すこし流してみたがアタリがない。そしてどうも水が汚い。これは粘ってもダメだと考えて少し南へ移動。そういえば、先週タチウオを釣っていたときに沖に見えたチョクリらしき船団はかなり南の方だった。
水深44メートル付近で再開すると間もなくアタリがあった。話のとおりいい型だ。
次のアタリは大きい。竿先が引き込まれてあっという間に仕掛けが切れてしまった。きょうはそんなことが2回。サゴシやタチウオがいるようだ。
今日は台風の備えとバッテリーの引き取りのついでの釣行ということになっているので午前7時半に終了。潮の時間を考えるともう少し粘ればあと数匹は釣れたかもしれないが、今日はこれで満足だ。

家に帰ってバッテリーの充電を兼ねて釣具屋へ。390円の手袋や99円のケミホタルを買い、これでいいかと思いきや、半額になったリールを見て、キス釣りにいいなと衝動買い。前に買ったリールはやはり安すぎて使い心地がわるい。これから何年も使い続けるには巻き心地が悪すぎる。バッテリーを買い換えたと思えば同じような金額だ。
しかしまあ、いらない買い物をしてしまった。

車の向きを東に変え、彼岸花の咲いているところを探してみた。
まだまだ暑いが季節は少しづつ進んでいるようだ。

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船底塗装

2016年09月16日 | Weblog
やっと翠勝丸の船底塗装をした。一応、仕事が忙しくて9月も中旬になってしまった。

今年は初めて和歌浦漁港のスロープを使わせてもらうことにした。いつも船のことやその他諸々のことでお世話になっているちからさんの勧めだった。
ずっと以前から声をかけてくれていたが、自分で作業をやりきれる自信がなく、去年はいざというときはメンテナンスを丸投げできるいつもの工場で作業をしたが、少し自信がついたこと、そしてその請求書に“電源使用料 1000円”という、サンダー10分ほど回してこれはどう?と、どう考えてもちょっとボッたくってんじゃないかという項目があって、和歌浦は何もかも込みでもっと安くて、上架させてもらえる日数も融通を聞いてくれるということだったことが決め手になった。

9月15日から連休をもらっていたので上架の日もこの日でお願いしていたが、上架の手助け(というか、基本的にセルフサービスのようだ)をしてくれるちからさんはこの日、漁の手伝いがあるので前日ではどうかということになり、しかしながら僕はどうしても出勤しなければならないので無理を言って夜明けと同時に上架してもらうことにしたのだ。

夜明けは午前5時過ぎ、その時間に和歌浦港に入港するため午前4時過ぎにスロープに原チャリを置いて港へ向かう。



スロープは港からはなかり近いので15分で船のところへ到着だ。毎年は約40分の道のりを歩いていたのでこれも助かる。

出港時は真っ暗。曇り空のせいで空が明るくなってくるのが遅いようだ。
安全運転で和歌浦港に向かい、予定通り午前5時過ぎに和歌浦港に入った。実は漁港に入るというのは初めての体験だ。当然のことだがそこは生産の場、仕事の場だ。遊びで船に乗っているよそ者がおいそれと近づけるものではない。ましてや様々な設備がある中で勝手にウロウロするのは危険なことだ。
すでにちからさんはスロープにスタンバイをしてくれていた。そして僕も薄暗い中、生け簀なんかにぶち当たらないように慎重に指示された岸壁になんとか接岸。ここでは岸壁に横付けを指示されたのだがこれもやったことがない。へっぴり腰て岸壁と直角になった船を引き寄せてなんとか完了。
申訳ないことにあと2名、助っ人に来てくれていた。ちからさんが手伝っている網元の若船長とそこの従業員さんらしい。まったく氏素性のわからない人間のために夜明け前から出向いてくれるとは本当に申し訳ない。そして本当にありがたい。
若船長が船に乗り込んでくれて台車に接舷。スロープをウインチで引き上げられてゆく。なんだかカタパルトに向かって移動するウルトラホーク1号のようだ。
おまけにカキを落とすのは濡れているうちがいいからと出勤しなければならない僕に代ってやっておいてあげると言ってくれる。ちからさんが事前にそういことを説明してくれていたらしく、大阪まで行くんやろ?早く行っておいでと送り出してくれるのだ。本当に申し訳ない。
そして翌日にはきれいにカキが落とされた状態にしておいてくれた。

 

僕には想像もつかないが、漁師や農家というのはこうやってコミュニティのなかで助け合って作業をするのが当たり前のことであって、そういうやさしさというかそういうものを少しだけのつながりでしかない僕のようなものにも手を差し伸べてくれるのだろうか。そしてみんながそれぞれ技術を持っている。僕なんか何かをやってあげたくてもなんの術ももっていない。タジタジとなってしまう。

船底塗装の作業の中で一番の重労働がこのカキ落としだ。それを済ませてくれているので翌日は塗料を塗るだけだ。
作業の工程で、一番しんどい作業を一番最初にやらなくてはならないのでそこで半分心が折れてしまう。それをやってくれているのだから今回は楽チンだ。



そこでまた助っ人が現れた、というか、半分冗談で、外回りの仕事をしている前の職場の同僚、前回のタチウオ釣りで久々に出会った彼にこっちへ回ることがあったら差し入れ頼みますとメールを打ったら休みだったらしく、ペイントローラーを片手に手伝いに来てくれた。これまた怪しいメールを打ったばかりに本当に申し訳ない。釣り船のオーナーである彼は手際もよく半分近くの船底を塗ってくれた。
それで作業はあっという間に終わってしまい、道具を片付けた終わった時間はちょうど正午。去年は1日の作業で突貫工事だったとは言え、6時間も早く終わってしまった。



ほとんど他力本願の作業で、天気も他力本願、朝一は雨模様だったが塗料を塗り始める頃には雨も止み、日差しもないので暑くなることなく快適に作業を終えることができた。



家に帰って体重を計ると70㎏を切っていた。



健康にもいい1日であった。


翌日早朝、進水。
約束時間より少し早い目に到着して付近を散策。
このあたりは僕の魚釣りのルーツのひとつだ。

昔は画像の右端くらいのところに岸壁があって魚市場になっていた。今は「おっとっと広場」として建物だけが残っている。父親はその角でぼくにギンタ釣りをさせてくれた。そうして僕はウキ釣りを覚え、友達同士で行くときはここに水揚げされるシラスのおこぼれをいただいてそれをエサにしていたものだ。ヌルヌルした魚で、外道の筆頭のような評価しかもらえない魚だがそれが僕の最初の獲物だった。

 

その岸壁の裏側、今でも同じような風景だがここではガッチョがよく釣れた。



無事に船は再び海面に戻りその後は少しだけお手伝いをしてもらった人たちを逆にお手伝いさせていただいた。お手伝いをしていただいた方々はみんな漁業関係者で、シラス漁の船を台風16号の接近に備えてマリーナシティに船を避難させるのだが、帰りの足がなくなるのでみんなを乗せて港へ戻るのだ。
和歌浦漁協はマリーナシティを埋め立てるとき、漁業補償の代わりにここに漁船を避難させる権利をもらったそうだ。一時的な現金ではなく、漁協の将来を選んだというのは賢明な選択であったのだろう。



ここは貧乏人にはまったく縁のない超高級マリーナ。数千万円から数億はするだろうというクルーザーやヨットばかりが係留されている。



こんな経験はめったにないと僕の船も桟橋に係留して記念撮影。舞い上がってしまっていたので舳先が見切れてしまった。しかしどうだ、ヘッポコ船もコンクリート製というまったく揺れない桟橋に係留するといっぱしのクルーザーに・・・、見えないか・・・。



そんなこんなで無事に帰港。航跡はまっすぐ。最初の時はどこまでも行けるぞ!とそんな気持ちになる。(と言っても半径10キロだが・・・)


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「徒然草―付現代語訳」読了

2016年09月15日 | 2016読書
吉田兼好 今泉忠義訳注 「徒然草―付現代語訳」読了

徒然草なんて、高校の授業以来だが、この歳になって読んでみるとなかなか趣きがある。なんでこんなことを書いているの?と思うような段もあるが、人の生き方、それも人生の第3コーナーを回ってあとはどんなゴールでもそこに向かうしかないという状況になってしまった僕のような人間にはひとつの指針を示してくれるようだ。

偉そうにするな。知ったかぶりをするな。物に執着するな。要するに韜晦して生きよという意味なのだろうがそれがそううまくはいかない。
吉田兼好という人はかなり身分が高く幅広い知識を身につけていたようだ。そういう意味では本当にこの本を読むには古文はもとより和歌の知識、当時の文化も知っておかなければならないようだ。原文を飛ばして現代語訳だけを読んでいるようでは・・・。
そして韜晦するためには兼好のように知識はもちろん、財産もなければならない。要は向後の憂いがないことだ。衣食足りて礼節を知る・・・。

知識も財産もない僕みたいな人間にはそんな生き方はやっぱり無理なのだ。

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水軒沖釣行

2016年09月11日 | 2016釣り
場所:水軒沖
条件:若潮7:42干潮
釣果:タチウオ 50匹

前回の釣行からは半月あまり、水温が高くて船底の掃除もやっていないのでひょっとして冷却水を吸い上げる取水口がフジツボで詰まってはいないかと心配になる。船の速度は相当落ちてしまっていて今日も遠くへは行けないので水軒沖でタチウオ狙いだ。

日の出時刻は午前5時半を回っている。午前5時に出港すれば十分だと思ったら、その時刻にはすでに空が明るくなってしまっていた。完全に出遅れた。
スロットルを開けても速度が上がらないもどかしさの中、一文字の切れ目を抜けてすぐに仕掛けをおろすと、アタリも間もなく出た。
魚を回収し、本命の場所である波止の交差点へ向かうがそこには同じような意図で集まってきた船が大挙していた。紀ノ川河口は水が出ていてダメなのだろう。僕も入り込みたいがどうも無理なようなのでそこをかすめて新々波止沿いに沖に向かった。
そしてそれが当たりだった。赤灯台の南側にかなりの大きさの群れがいるようだ。アタリが出るとほとんど複数匹揚がってくる。ここに到達したときには完全に明るくなってしまっていたがアタリは続き、帰りたくても帰れない。結局午前8時前まで釣り続けて50匹。自己最高記録だ。
朝は少し波気があったこと、雲が多くて日が差してこなかったこと、潮がずっと動いていたこと、などなど、いろいろな要因がうまく絡み合った結果だと思う。

久々に出会った前の職場の同僚もここに移動してからかなりの数を揚げていたようだ。結局波止の交差点はダメだったようで、ここに移動してきて正解だったとのことだった。




朝はすっかり秋めいて、少し肌寒いくらいで、空も素晴らしい色を出している。東方の山々も東山魁夷の絵画を見るようだ。日本武尊は、大和の国の山々をたたなづく青垣と表現したが、ここにもまさしく素晴らしくたたなづいている青垣があったのだ。

 


そして今日からコスチュームを新調した。
今まで着ていたものがペンキだらけでヒザが抜け襟もヨレヨレであまりにもみすぼらしいから買い換えろ、洗い替えも買って来いという奥様の命令に従ったが、すべての釣果をゲン担ぎに頼っている僕にとっては古いコスチュームはゲン担ぎの最たるものでなかなか取り換えるわけにはいかない。まして、新しいものを二つも買ってしまったら、こっちを着たときはいいけれどあっちのときは悪いなどとなってきて、なんだか無駄な気を使わなくてはならない。これはこれで困りものだ。
べつにこれを着て一緒に歩くわけでもなく、穴が空いていてもいいではないか・・・。

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「魚味礼讃 」読了

2016年09月05日 | 2016読書
関谷文吉 「魚味礼讃 」読了

著者は浅草の老舗の鮨屋の4代目ということで、魚の味には並々ならぬ持論を持っている。
寿司は講釈たれながら食べるより自分の食べたいように食べればよいとは言いながら、旬じゃない、名産地じゃない魚を食べるのは邪道で外国産なんかもってのほかとのたまうのはいかがなものか?
これなら僕たちが食べている魚はみんな魚じゃないと言っているようなものだ。 
こう言う講釈は高級な鮨店の中だけにしてもらいたい。

僕たちは自分の手の届く範囲で食べられるものを食べるのだ。
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船底塗装

2016年09月03日 | Weblog
今日は第三翠勝丸の船底塗装だ。
前の休みは満潮時刻が早朝だったのでその日にやっておきたかったのだが、この夏最初とも言えるような大雨で作業をすることができなかった。
今日は満潮時刻が午前7時と遅いので気温が高くなってからの作業になるがしかたがない。今日を逃すと月末まで待たなければならないのだ。

大雨の日というと、あの日、大事件があった場所はひっそりとしていて、あんなことがあったとは思えないような静けさだ。偶然通りかかったあの日は騒然としていたが、唯一、玄関の前に供えられた花束だけがそんなことがあったのだということを物語っている。

 


港の脇のスロープにコンクリートブロックを積んで潮が引くのを待つ。
このコンクリートブロック、港の駐車場に置きっぱなしにしているのだが、2年連続で盗まれてしまった。去年は3個、今年は1個。
しかしまあ、今年の1個、補充をしたあとなぜか帰ってきた。赤い塗料が着いていたので間違いなく僕が使っていたものだ。返してくれてありがとうという感じだが、いったい誰が何の目的で持って行ってまた返しにくるのだろう?それもこのタイミングで・・・。
まるでミステリーだ・・・。

今回で5回目になる作業だが、船の置き方をミスしてしまった。ブロックの位置がかなり前の方になってしまい、エンジンの重みで後ろにのけぞってしまう。
そこで帰ってきたコンクリートブロックが役に立った。船の艫に噛ましてなんとか事なきを得た。やっぱり返してくれてありがとう。



午前10時過ぎに完全に着底し本格的に作業を進めてゆく。しかしながらあまり焦ってはいけない。三年前のように熱中症のようになっては元も子もない。ましてやおとといから風邪気味で、昨夜は帰りの電車の中でも家でもアルコールを接種せず僕の体内の免疫細胞を最大限に活躍させ、そのうえにロキソニンを飲んで寝たくらいなのだ。
渡船屋のおばさんも気を使ってくれて、飲み物の差し入れを頻繁にしてくれる。これはありがたい。こまめに休憩を取りながら午後1時過ぎに塗装を完了。
新しい缶を開けることなく去年の残りで塗り終えることができた。多少塗り残しがあるのかもしれないがこれはありがたい。今年のコストはエンジンの亜鉛代、1700円あまりだけになった。



夕方、満潮の時刻を待って進水。塗り方は雑でも水面を滑走してくれる。

台風が迫ってきているので二艇ともロープを増し締めして帰ってきたが、第三翠勝丸のほうは南方が丸空きになっている。通常は渡船屋の予備艇が置いてあるのだが台風の度に別のところに移動するようになった。今回のコースだと南風が心配だが移動させる場所もなく仕方がない。まさか今日の塗装が死に化粧ならなければいいのだが・・。






翠勝丸の方も両隣が完全に死に艇の状態でオーナーはまったく管理をしていない状態だ。ひっくり返りでもされたらどうしようもない。せっかくの高価な船なのに誰かに譲るとかすればいいのにと思うのは僕だけだろうか。



どうも本格的な台風のようで、雑賀崎の漁船もこぞって避難してきていた。



第三翠勝丸の前のオーナーさんがこの夏に亡くなったそうだ。翠勝丸のオーナーさんも数年前に亡くなり寂しくなった。年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず。そういえば先代の翠勝丸も父が亡くなってから本格的に受け継いだことを思うと、人は通り過ぎても船は残るということだ。
願わくば僕の二艇をこの台風から守ってもらいたいものだ。



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