イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2012年06月29日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:長潮8:14干潮
釣果:サバ4匹 マルアジ14匹 サバフグ、グチ

気がついたらもう半月も海に出ていない。台風と雨が原因だが、月日はあっという間に過ぎてゆく。

前回がキス釣りだったので今日はチョクリ釣りだ。
今日も午前3時に起床。向かいに住んでいるバカ殿様が真夜中に車のステレオを大音量で鳴らすので睡眠がとれない。なんとかしてほしいものだ。

天気は上々、港への道中、東の空に明るく光る星が縦に二つ。下が金星で上が土星だそうだ。



もう少し上にはスバルも輝いていたらしい。
夜明けの空は赤紫に染まって久しぶりにきれいな空を見ることができた。世界の開闢はきっとこんな色だっただろうと思ってしまう。



あまり深場に行かなくてよかろうと思い双子島沖、35メートル付近でスタート。
しかし、今日は直後のアタリがない。苦戦しそうだ。アタリがあってもアジが1匹づつしか上がってこないので場所移動。48メートル地点で再開。しかしここもアタリは散発的。それも底べったりに魚が付いているらしく、一番下のサビキに1匹づつしか掛かってこない。
ここもダメだと判断して陸を目指して移動。35メートル付近で再々界。ここも底べったりだが午前7時まで粘って終了。
今日は魚の数が少ないので最後まで元気に泳いでくれていた。



仕掛けを下ろしたまま魚を〆ているとその間にサバフグとグチ、それとアジを1匹追加。
そんなこんなで帰り支度に30分もかかってしまった。

家に帰って取って返して、船検証を受け取りに日本小型船舶検査機構へ。名前からにして天下り団体丸出しだ。ここはビルの3階にあるのだが、このビルがどうも不思議なビルだ。2階がどう見ても民家だ。胡散臭い団体は胡散臭いビルに入居している。



使った道具を干していたので港へ移動する途中に築港を散策。港というのは何でも大きいのと異国情緒が漂っているのがなんとも楽しいのだ。



と、いうことで、今日の僕の1日は午前中で終了してしまったのだ。

なんとかおすそ分けできそうなくらいの釣果があったので親戚の叔父さんの家を訪問。
もらって帰った野菜たちの中の1個はこんな感じであった。



次はいいこと起こるだろうか・・・。


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「ブラインド・ウォッチメイカー 自然淘汰は偶然か? 上」読了

2012年06月28日 | Weblog
リチャード・ドーキンス/著 中嶋康裕/〔ほか〕訳 「ブラインド・ウォッチメイカー 自然淘汰は偶然か? 上」読了

タイトルは日本語に直すと「盲目の時計職人」になる。
生物の自然淘汰=進化は予定されていたものか、それともそれとも目指す目的を持たずに盲目的に変化しながらも精密機械のようなデザインが出来上がったのかを論じている本である。

ダーウインの進化論を信じない人たちは、生物は神様が作りたもうたものに違いない。そうでもないと、「目」のようなレンズと網膜のようなものが一体となって出来上がるはずがないと主張するらしい。それに反論するのがこの本の趣旨のひとつである。
かなり哲学的で読んでいてもよくわからないが、人間のようにはっきり見えなくても、おぼろげでも光を感じたり景色が見えるほうが生存に役に立つのだから、それの繰り返しが自然淘汰であり、進化であると結論付けている。

それより読み応えがあるのが、後半の、「どのようにして生物が生まれたのか。」ということについての部分だ。
著者は、日本でも有名になった、「利己的な遺伝子」の著者でもあるので、生物は単に遺伝子(DNA)の運び役でしかないという考えの持ち主なので、そのDNAはどのようにして生まれたかを自然淘汰の結果として論じている。

DNAの最大の特徴は「自己複製」であるが、これは有機物だけが持っている物ではなく、無機物、たとえば塩も結晶化すると同じ立方体の形を複製し続ける。著書の中では、ある種の「泥」も同じような過程で結晶を複製し続けていたかもしれない。何らかの方法で同じような他の結晶体と競争しながら自然淘汰され、その中でより複製に有利な有機物にとって変わられ、DNAが生まれたのではないかと推理している。
さらに、DNAが遺伝情報の運搬物だとしたら、もっと運搬に有利なのはこれからはコンピューターではないか、と推論する。「泥」の組成は大半が珪素だが、自己複製に有利と考えられていた有機物が再び珪素=シリコン=半導体にとって変わられるのでないかと、ここまで来るとかなりSFじみているが、本物の生物学者が書いていると本当の話に思えてくる。

さて、下巻はどんな展開になっていくのだろう。
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中間検査

2012年06月25日 | Weblog
今日は中間検査。
検査料は14,900円、検査員が港にやってきて安全装備とエンジンが起動するかどうかを見るだけ。見るだけでこれだけかかる。たった3分ほどでこの値段だ。
どんな原価構造なのだろう。民主党は消費税を上げるまえにこういうボッタクリの制度を改めるべきではないのだろうか。
でも、プレジャーボートなんて、世間では道楽の極みと思われているだとうから、どんどんボッタクってやれというところだろうか。
僕みたいにすべてを犠牲にしてなんとか船を維持しているしがないサラリーマンがいることを民主党は知るべきだ。自民党も。
家族の和もお小遣いも貴重なお休みも犠牲にし続けているのだぞ!!。

検査が終わって懸案の雨漏りの補修。どこから漏れているのかわからないので、ボルトが入っているところをすべてコーキングしてみた。さて、雨漏りは解消しているだろうか。



これでダメなら今度は排気管のシーリングだ。
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「通勤大学MBA 3  クリティカルシンキング」読了

2012年06月13日 | Weblog
グローバルタスクフォース株式会社 「通勤大学MBA 3  クリティカルシンキング」読了

新書の中でも最低の部類の本だ。
こんなものを読んで満足してしまう僕は、社会人として失格だ。
唯一の救いは、古本屋でたままた見つけたから買っただけ。というところか。

しかし、こんなものさえ読まないサラリーマンはもっと最低だ。
ウチの会社で、「クリティカルシンキング」という言葉を知っている人間はどのくらいいるのだろうか?
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片男波沖釣行

2012年06月11日 | Weblog
場所:片男波沖
条件:小潮5:38干潮
釣果:キス41匹 カワハギ2匹

いよいよ今日はキス釣りだ。今年はマリーナシティ寄りの場所からスタート。緊張の第一投。だいたい、一投目で釣れないとその日はアウトだから、いつも「お願い、釣れてくれ!!。」という気持ちになる。
しかし、今日はダメだ。アタらない。10分後くらいだろうか、やっとアタリがあった。東からの風が強くて船が流れすぎているせいだろうか、それともハリスにびっしりついてくるバイオフィルムのせいだろうか。

おまけにシラスのバッチ網の船が大量に出撃してきた。船が流れていく先も岸寄りの海岸もシラスを獲っている。
1時間ほど粘って3、4匹しか釣れていない。それでも留まるべきか、イチカバチかで移動を決意するか。遠くの秘密ポイントをながめてみるとバッチ網が入っていない。
これは行くしかない。ダメならあきらめよう。

しかし、ここは当りだ。一投目からアタッてきた。それも大きい。最大は27.5センチ。



一瞬アタリがなくなる時はあったがエサがなくなるまでずっとアタリ続けた。
こんな大きいのが二連で釣れてくる。



最後は小さいながら天ぷらに最適なサイズが二連で掛かって午前8時半に終了。

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水軒沖釣行

2012年06月08日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:中潮 8:16満潮
釣果:ソウダガツオ8匹 サバ12匹 マルアジ2匹

今日はせっかくの休みだが出勤だ。午前11時までに会社に行ければいいので強行釣行してきた。
タイムリミットは午前6時まで。少し早めの午前4時に出港。あまり遠くへは行かずに水深30メートル地点でスタート。
沖にはなぜか潜水艦が・・・



僕の釣り位置との関係はこんな感じであった。



今日は移動をしている暇はないのでここで釣れなければアウトだ。
しかし、心配は皆無であった。仕掛けを仕掛け巻きから出している最中にアタリが出た。カツオとサバが掛かっている。
群れは小さいのか、その後はアタリはポツポツ。それもも底すれすれだ。掛かっても途中ではずれることもしばしばだった。

魚のサイズはどれも大きいのでそれでも予定の午前6時きっかりにクーラーが満タンになって今日も終了。

急いで帰宅し、午前8時23分の電車に乗って出勤した。

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「プリンセス・トヨトミ」読了

2012年06月06日 | Weblog
万城目学 「プリンセス・トヨトミ」読了

以前に映画版をテレビで放送していたのを観たので、家に置いてあったこの本を読んでみた。個人的な感想だが、映画のほうが出来がよかった。こんな現象も珍しい。大概、映画のほうが面白くないという場合のほうが多いと思うのだが・・・。

映画では、父と子のコミュニケーションの難しさを長い回廊を使って表現されていて、そこを強調して描かれていたが、小説の中ではこのテーマ以外にもさまざまなテーマが提示されているようで、どうもまとまりに欠けているようなきがする。ただの奇想天外小説に終わってしまっているような気がした。
50歳を手前にしたオジサンには、映画が提示するテーマのほうが心に響く。
父親と息子というのはその通り、話したくても話せない。
僕はまだ父親と遅くまで行動をともにしたほうだと思うが、田辺や周参見までの道中、結局他愛もない話で終始して、父親も何か人生訓みたいなものをその与太話に乗せて語りたかったのかもしれないがそれはよくわからないことであった。今に至っては趣味と嗜好がまったく違うわが息子に何を話してやればよいものやら、まったくわからない。
洗面台で顔を洗うとき、水を出す量はもう少し少なくしないと節約にならないよ。と言ってやるくらいが関の山だ。

また、“ジンクス”という言葉の使い方も気になる。この言葉は、「それが起こると悪いことが起こる。」というような意味だと思うのだが、この小説では晴れ渡った富士山を見ると会計監査で大きな不正を見つけることができるのがジンクスだと語られているのはどうもしっくりいかない。この人たちは不正を暴くのが仕事だとしたら、これはジンクスではなくて吉兆だと表現すべきではないのかと、出だしから批判的な面持ちで読んでしまった。今の人にはこれのほうがしっくりくるのだろうか?

あとがき代わりのエッセイで、小説の舞台になった大阪市の谷町界隈は織田作之助や近松門左衛門が生活した場所だと紹介されていたが、開高健もこの辺りの出身で、梶井基次郎はさておきそれを紹介していないというのは、やはり、この作家の嗜好と僕の好みは大分違うのだと納得した。
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田ノ浦釣行

2012年06月06日 | Weblog
場所:田ノ浦
条件:大潮 6:43満潮
釣果:ボウズ

台風3号が接近中なのでうねりの中船を出すのも気が引けるので残っているヌカを消化すべく、近場で紀州釣りを考えた。大して釣果が望めるべくもなく、釣りというよりビールを飲みながらボ~っとするのが目的だ。酔っ払って足元がおぼつかなくなっても大丈夫な場所、短い竿が使える場所ということで田ノ浦の浮き桟橋に場所を定めた。



今日のメニューはレンコンの海鮮はさみ揚げとコロッケ。



車止めのブロックがちょうどいいテーブル代わりになっている。

さて、釣りはというとさすがに奥まった湾内だけあって潮の動きはまったくなく、朝のうちは風もなかったのでヘラブナ釣りをしているような感覚で、さすがにこんな状態では魚はアタッてこないだろう。

 

タナは意外と深くてこの潮で4ヒロ近くある。期待は持てそうだが、同じ場所ではサビキで子サバがうるさいほど釣れているが底のほうにはまったくいないようだ。ヘドロが多くて酸素が少ないので魚はいないのだろうか。

1時間半くらいたったとき、ヌカが落ちきらずに割れたかと思ったらアタリがでてボラがかかってきた。それもかなり大きい。こんな場所にもボラがいるのだ。



小学生の頃、父親に連れられてこの辺一帯でボラの吸い込み釣りをやったのを思い出した。

その後もアタリがあってもボラばかりで午前10時にヌカが底をついたので終了。

あと半分ヌカが残っているので、釣り座の横のビールが生ぬるくならない頃までにもう1回どこかで怠惰な時間を過ごしたいものだ。


帰り道、船を係留している港に寄るべく雑賀崎漁港を通っていると、山にへばりついて密集している民家の姿が真夏に近い日差しをあびて何か異国の雰囲気をかもし出していた。
日本のアンダルシアのようだ。

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「鮎釣り海釣り」読了

2012年06月01日 | Weblog
稲葉修 「鮎釣り海釣り」読了

著者は国会議員である。ロッキード事件の時の法務大臣をしていたそうだ。大相撲の横綱審議委員会の委員もしていたそうだ。
二羽黒問題でいろいろ文句を言っていたのを思い出した。
この本の内容の大部分は昭和52年から53年に書かれているようだが、これだけ多忙な人がよくこれだけいろいろなところに魚を釣りにいけるものだ。
やはり、できる人は何でもできるのだろう。時間は作り出そうと思えばいくらでも作り出せるもののようだ。

政治家の書くエッセイらしく、最後の章では、「政治の根本義は“食を是し、兵を是し、民これを信ず”」という孔子の言葉を紹介し、その腐敗ぶり、頼りなさを嘆いている。日本の政治はこの頃からあまり変わっていないらしい。

ロッキード事件当時の総理大臣の三木武夫は「全関西磯釣連盟」という「全日本釣り団体協議会」の前進の団体の会長をしていたそうだ。その、「全日本釣り団体協議会」の初代会長は明石海峡大橋を作った原健三郎で、渦中の小沢一郎も趣味が釣りらしいから、政治家にも釣りが好きな人がたくさんいたようだ。

まあ、それがどうした?というところだが・・。

昭和52年というと僕は中学生のころで、磯釣りを覚え、紀州釣りを教えてもらったのもこの頃だ。その後は長い長い受験生活を続けたのだが、やっぱり長い月日が経ってしまった。この本もところどころが黄ばんでいるのも無理がない。
しかし、僕は政治家でもよくできた人物でもないのでほとんど当時と何も変わっていないのだ。 残念。
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