場所:鳥羽 小浜港
今年は伊勢神宮の遷宮があった年なのでぜひとも新しい宮殿を見てみたいと思って1泊2日で行ってきた。
僕は7年前にこの遷宮のための儀式である
奉曳祭というのに参加をしている。外宮のどこかに僕が引っぱった木材が使われているかもしれないと思うと、少しは感慨も深くなるというものだ。
せっかく海のそばで宿泊するので夕食までの時間を使ってホテルの下の漁港へエギを投げに行ってみた。
港の感じはイカの居そうな気配が濃厚なのだが防波堤には墨跡が全然ない。アジを釣りに来ている爺さんも、ここでイカを釣っている人を見たことがないとのことだ。
う~ん、やっぱり三重県には縁がない。なんにもなしで夕暮れを迎えてしまった。
10年以上前だが、数回、三重県に釣行したことがある。
青山町に上司が住んでいたので、そのお付き合いで尾鷲や三浦でグレを狙ったり、別の上司と真夏に答志島に渡って紀州釣りをしたこともある。釣り大会だというので場所は忘れたが筏に1回行った。
ここは和歌山からおよそ250キロの距離がある。車を運転して到着する頃にはフラフラだ。眠気もすごいし、集中力もなくなるというものだ。
フカセ釣りは駆け出しのころでどうやって釣るのかもよく分からなかった。数人での釣行になるので天気より釣行日が優先だから、島に渡ると真横から雪が飛んできたことがあった。真夏の紀州釣りは辛いだけだった。なぜか上司が焼肉をするぞ!というので、コンロとフライパンまで持っていくという間抜けな釣行だった。どうして答志島だったのだろう。短竿を使ったチヌ釣りなんてやったことがなかった。道具だけは持っていたので見よう見まねでやってみたが釣れるはずがない。それ以来、筏になんか乗ったことがない。
同行者の車を交代で運転していてシートベルトの検問に引っかかったのも三重県だった。
だから三重県というのはどうも好きになれないのだ。
でも、伊勢神宮は別格だ。
内宮に参内したときは、午前中の雨のせいであたり一面檜の香りが充満しているし、森の中を通ってくる光が神々しさを増していた。
人があまりにも多いので神妙な気持ちにはなれないが、檜で作られた本殿は本当に神様が宿っていそうだった。
20年前にもここに来たが、そのときは両親と一緒だった。今回は母親だけだ。車も違う。インターネットも知らず、カメラはフィルムカメラを持ってきていた。20年というのはなんと人の生活を変えてしまうことだろう。
次の遷宮までには僕の生活はどんなに変わるのか?ひょっとしたら生きて本殿を見ることはないのかもしれないと思うと感慨もひとしおと言うところだが、ただひとつ変わらないのは、生きてそのときを迎えてもやっぱり魚釣りだけは続けているということだ。
2艘の船の安全と大漁を祈願してお守りを受けてきたが、さあ、どうだろう、この絶不調を救済してはくれるのだろうか?