イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2023年12月31日 | Weblog
今年も残りあとわずか。この1年を振り返る。
釣行回数は67回、読んだ本の数は57冊。釣行回数は去年並みだが、読んだ本の数は激減してしまった。

今年もあんまりいい事はなかった。ダニに始まってウ〇コに終わるという、なんとも汚わいな1年であった。

それが原因ではないのだろうが、本当に魚が釣れなかった。真鯛は年間を通して数匹だったし、チョクリの釣りではとうとう1匹もゴマサバが釣れなかった。



アジサバというと加太でも全然釣ることができなかった。キスもそうだ。いちばんたくさん釣った日で20匹というのはあまりにも悲しすぎる。タチウオもパッとしなかった。一番釣った日で20匹だ。



なんとか燻製を作ることができたがまったく満足はできなかった。コウイカも今年はいけるかと思ったが現状ではパッとしない。



今年の夏は気象庁が1898年から統計を取り始めて以来、日本の平均気温偏差は過去最高を記録したそうだ。それにつれて海水温も高かったはずだが、そういったことが影響をしているのだろうか。それに加えて今年は閏月の入る年であったことが季節の流れを狂わしたのだろうか。自分のテクニックの無さを棚に上げておいて原因を他に求めたいだけなのであるが・・。




悪かったことばかりではない。
紀ノ川河口への釣行ではチヌが釣れた。このチヌ、コノシロパターンという、運がよければブリが釣れるというバクチみたいな釣りの副業でやってみたのだがそれが大当たりであった。まあ、これも2回目はまったくダメだったのでまぐれと言えばまぐれに過ぎないのではあるが・・



春の恒例の田辺への釣行は絶好調であった。年なしはなかったもののまずまずの出来であった。来年は絶対に行くつもりだがその次は行くことができるかどうかは不透明だ。お金と体力両方が耐えられないかもしれない。



たまたま時間調整で出たアマダイも大当たりであった。50cmの大台に乗りそうなほどの大物が釣れてしまった。



サビキ飲ませでは初島は全く釣れなかったけれども住金一文字の沖で初めての釣果を得ることができた。
カワハギもテンビン仕掛けを止め、オーソドックスな胴突き仕掛けに変更してから数が出るようになった。持って帰らない魚に鉤を飲み込ませてしまって殺してしまうことも少なくなったのもとりあえず罪悪感が軽減されるというものだ。



そういう意味では既存の釣り方に変更を加えたことによって釣果を得たということが少なからずあった。住金一文字沖の飲ませサビキも、エサのアジを事前にサビキを使って釣っておいてから本命を狙うという手順は我ながらいい考えだと思った。しかし、あとから聞くと、これは誰でもやっていることだったそうだ。僕が知らなかったというだけだったというのはちょっと恥ずかしい。



これは釣りではないが、カブトムシの大群に出会ったというのもうれしいことであった。これにクワガタムシが加わっていれば言うことがないが、さすがにこんな海のそばではそういうことはないようでそこのところはちょっと寂しい。それに加えて、獲ったところでそれをどうするんだというのも問題である。



また、住金一文字の上に乗ってのフカセ釣りも楽しい発見だ。もう、フカセ釣りはできないかなと思っていたがまさしく救世主だった。




カワハギもカブトムシも住金一文字のフカセ釣りも新しい出会いから始まったものだ。カワハギ釣りはFさんのアドバイスであった。彼とはずっと昔からの知り合いといえば知り合いだったが係留場所を紹介したことが縁でリアルなFさんとの交流は去年の暮れからであった。カブトムシと住金一文字はNさんからだNさんも同じ港の仲間であったが挨拶をするくらいの仲でしかなかった。これほどいろいろなことを教えてもらったり釣りに連れて行ってもらったりするようになったのはこのフカセ釣りが縁であった。その顛末は12月10日のブログに書いた通りだ。
Nさんには雑賀崎の上架場所も紹介してもらったので感謝しかない。



これも出会いのひとつだろう。ローカル番組だがNHKで僕が撮った写真を取り上げられた。ここに写っているボートのオーナーさんはコウイカの釣り方を訊ねてくれた人だ。この日初めてボートの上で話をしたのだが、気嵐の中で雲の上に浮かんでいるようなボートを撮らせてもらった。



退職記念のつもりで買った包丁もある意味新しい出会いからもたらされた逸品である。



それとは反対に離れていった人たちもいる。
森に暮らすひまじんさんは今年の秋で生石山を離れられたそうだ。寄る年波には抗えず山での生活をあきらめたということであった。家族から、僕が採ってくる山菜にはダニがいっぱい付いているというようなケチを付けられ、その後は山菜採りに行く気を失くしてしまい最後のご挨拶もできずに終わってしまった。今は大津市にお住まいなのだが半径10㌔でしか生きられない僕にとってはあまりにも遠い場所だ。ひまじんさんにはもっといろいろなことを教えていただきたかったし話をしたかった。ひまじんさんと知り合ってからは、僕のブログの書き方はひまじんさんはどう読んでくれるだろうかということを考えながら書くようになってしまった。
旧Nさんはウ〇コ問題があってから何の声掛けもなく突然係留場所を引き払ってしまった。まあ、それくらいの友人関係であったということだったのだろう。碇のロープも回収せずに残したままだし、旧Nさんには彼なりの言い分と考えがあるのだろうけれども、もうちょっと礼儀があってもよいのではないかと自分の側だけからだが思ってしまう。
今年一番後味の悪い出来事であった。

忘れていたもうひとりの出会いは船の修理屋さんだ。そういえば修理屋さんを紹介してくれたのも雑賀崎で出会った人であった。診てもらった船外機はまったく不機嫌さがなくなった。これはこれでありがたかったが惜しむらくはその値段だ。無駄な作業とは言わないがプラグ交換と試運転で4000円は痛かった・・。しかし、船外機もディーゼルもOKというメカニックだそうなので頼もしいことは頼もしい。



修理というと、バイクの駆動系も一新され快調に動くようになった。こうなってくると残ったのは大きい方の船だ。次に壊れるのはこの船だと思うと恐ろしくなるところではあるのだが・・。




そんな感じで、生まれてきてから60年という節目の年を締めくくることになった。

この1年を一言でまとめると、「リセット」という感じであろうか・・。来年はそれに対して何かの変化あるのだろうか・・。悪い変化はご免だが・・。
船に松飾を取り付けて、2023年の潮時表と潮流表をゴミ箱に捨てて新しい年を迎えよう。

 

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水軒沖釣行

2023年12月31日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:中潮9:23満潮
釣果:ボウズ

今年の釣り納めは昨日だと思っていたが天気予報を見ていると夜からの雨は上がりそうだ。
釣り納めを1日先に延ばすべく港へ向かった。

いつものルートで港に向かったのだが、遠くで赤い警告灯の灯りが見えている。何か事件かと思ったら道中にある小学校の横に消防車が大挙して集まっている。年の瀬の最後の最後に火事とは気の毒なことである。僕も他人ごとではない。気をつける上に気をつけねば年の瀬の最後の最後に遭難したなどとなっては目も当てられない。



用心をして明るくなってから出港。



いつものポイントからスタートすると間もなくアタリがあった。これはイカではない。けっこう大きめの魚だ。途中までポンピングで寄せてきたがアシストフックには掛かっていなかったのか、バレてしまった。この1匹があれば今年はいい感じで締めくくれると思ったが、僕の人生の中にはそんな幸運は転がっていない。
船はいい感じで流れているがその後は一切アタリがない。新々波止の端から端まで移動をしてみたが状況は同じである。

  

雨が降ってくるまでは続けようと思いながらもこんなにアタリがなければ早く帰りたいと僕の心の中の本当の心が叫んでいる。
そして、今日も営業をしているわかやま〇しぇが僕を呼んでいる。



今日は午前10時までの営業らしいので午前9時に終了してラインで送られてきたエビの天ぷらを購入すべく中央市場に向かって今年の釣りのすべてを終了。これはもちろん年越しそばの具材用である。



今年の釣行はボウズで始まったが終わりもボウズだった・・。
まあ、こんなもんか・・。
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加太沖釣行

2023年12月30日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:中潮8:49満潮
潮流:5:15転流 9:29上り3.4ノット最強
釣果:真鯛3匹 ハマチ2匹

今年の年末年始の休みは30日からだ。潮流表を見ていると、30日と31日は朝から上り潮だ。ものすごくいい条件である。大晦日は天気が荒れるという予報なので迷わず今日は加太への釣行だ。

冬至から1週間、午前6時17分。確かに夜明けは早くなってきている。



少し寒いが風はなく快調に加太へと向かう。予想していた通り、船団はテッパンポイント付近にできていた。



僕もその端の方に陣取り釣りを開始。時々小さな反応があるがなかなかアタリがない。魚かどうかわからないが、それらしき反応は底の方にべったりと張り付いているのでサビキ仕掛けに変更。しかしこれも効果がない。南に下って再び高仕掛けに変更してみると、アタリがあった。しかしこれはビニールの先っちょを咥えられただけであった。
魚がいると分かると俄然やる気が出てくる。そうなってくるとアタリも出てくる。小さなアタリだが魚は追いつづけている。そろそろ鉤掛かりしたころだが、引きは小さい。残念だがこれはチャリコだと落胆しているとだんだんと引きが強くなってくる。ドラグも引き出されはじめた。
真鯛が掛かっていたのだがその下にも真鯛が付いている。そこそこの型の真鯛が2匹だ。自分のところの分と叔父さんの家の分を一気に確保できた。なんだかもうこれで十分という気持ちになってくる。
しかし今日はこれでは終わらない。次のアタリはハマチだった。その次のアタリは最初は根掛かりかと思いきや、リールが巻ける。ゴミだったのかと思ったら今度は軽くなってしまい、オモリが切れてしまったのかとさらにリールを巻いていると仕掛けが横に走り始めた。いったい何なんだ・・。答えはエイだった。



ルアーで釣ったことはあるが高仕掛けでは初めてだ。エイを釣って間もなく、僕の横を船体に「Stingray」と書かれた船が通り過ぎていった。偶然とはいえ不思議な出来事だ。



その後、一時はアタリが遠のいたが、これはポイントがずれていたからだった。魚探の航跡をたどり南の方に戻るとアタリがあった。真鯛とハマチが1匹ずつ。
潮が緩み始める時間帯に入っていくのでまだまだ釣れる雰囲気だが、これだけ釣れれば十分で、来年の分の運も残しておかねばならないと考えて午前10時に終了。

叔父さんの家に魚を届けて家にたどり着いたのはちょうど正午。基本方針の、お昼は家で食べるというのも実践できたし、ほぼ1か所で釣り続けたので燃料もあまり食っていない。
理想的な釣行であった。

しかしながら相変わらず忘れ癖は治らず、今日は手袋を忘れてきてしまった。たまたまバイクのカゴに入っていた作業用の手袋でしのいだが、今日みたいに温かい気温でなければまともな釣りができなかった。歳を追うごとにこんなことが増えてくるような気がするのである・・。
まあ、何かを忘れてくると魚が釣れるということもよくあることだ。この微妙な隙間をうまくうっちゃるのがコツであるのかもしれない。

今日も新しい竿を使ったのだが、少し柔らかすぎるという懸念は杞憂に終わった。真鯛はもとより、今日くらいのハマチが掛かっても余裕で上がってくる。おそらく60cm以上のハマチでも十分耐えてくれるだろう。きちんとしたメーカーの竿というのはよくできているということを改めて認識した次第である。

魚をさばく包丁は新しく買った出刃包丁を使った。よく切れる。切れていることがわからないほどよく切れる。名刀で斬られた人は自分が斬られたのがわからずに歩いて家に帰りついてから胴体が分かれてしまうのだというがまさにそんな感覚だ。
この切れ味を自分の研ぎで維持できるかどうか不安になるほど僕にはもったいない包丁である。



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「家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている」読了

2023年12月26日 | 2023読書
ロブ・ダン/著 今西康子/訳 「家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている」読了

僕の奥さんがこの本を読んでしまったらきっと卒倒してしまうだろう。そして、家の中を歩くとき、つま先立ちで歩くどころか、超能力があるのならきっと肉体を浮遊させて歩くところだ。
しかし、それでも彼女は幾多の生物の呪縛からは逃れられないのだというお話である。

家の周りの生態系(=生物たち)に初めて科学的な目を向けた人というのはアントーニ・ファン・レーウェンフックという人だったそうだ。「歴史上はじめて顕微鏡により微生物を観察した人」として知られている。それから100年あまり、誰も家の周りに潜んでいる生物たちを顧みる人はいなかった。そんな中、著者たちの研究グループのほかいくつかのグループがそれに注目し始めたという。
その結果というと、おそらく数百程度と考えられていた生物種が20万種を超える生物が発見されたのである。
屋内環境生物の研究のほとんどは害虫や病原体に関するものだったので継続的に大規模な調査を行ったのは著者たちのグループが初めてあった。どうしてこんなに身近な環境が調査されてこなかったのか。それは研究者たちの偏見にあったのではないかと著者は考えている。生物の研究のフィールドは、例えばコスタリカのような熱帯地域でしかできないという近視眼的な考えや、同じく潜在的経済価値をもった生物はきっとこんな身近な場所にはいないという思い込みからなのだと学会の見識の狭さを嘆いている。

20万種の生物のうち、ほぼすべてと言えるのは細菌や菌類で、肉眼で見える生物でも大半は節足動物である。脊椎動物は数十種から数百種というところだそうだ。
この本にはそれらの生物は人間の生活にどういった影響を及ぼしているのかが書かれている。しかし、こういった調査が始まったのはつい最近(この本が本国で出版されたのは2018年だ。)のことであり、まだまだ仮説の域を出ない部分もあるようだが、それでもなかなか衝撃的な事実が書かれている。

第1章は細菌の世界についてというところから始まるが、これはいちばん最後に書くとして、まずは節足動物の世界はどうなっているかということを書いてゆきたいと思う。
節足動物に限らず、家に棲む生物たちの大半は人間に危害を与えるものではないと考えられている。無害か、むしろ益虫と考えられるもののほうが多い。クモなどはその最たるもので、伝染病を媒介する虫を捕らえてくれるのである。人間も過去からその特性を利用してきた。アフリカの一部地域では集団性のあるクモの巣の塊を家の中で飼っていたりもしたそうである。
また、人の経済活動の役に立つ生物があるかもしれないという。家に棲む生物というのは、少なからず家を食べている(=分解している)のであり、その能力を利用することで大量のゴミを効率よく分解したり、その分解物から経済的に役に立つ物質を取り出すことができるかもしれないというのである。
この本では、カマドウマが例として挙げられている。カマドウマは体内にリグニンを分解する細菌を宿している。リグニンというのは植物の細胞壁を構成する物質のひとつだが、自然界では分解されにくい物質で強いアルカリ性を示す。製紙の過程で出てくる物質でゴミにしかならないものだったそうで、焼却処分するしかなかったのが、この細菌を使うと効率よく処分できる可能性がある。また、これを分解することによって樹脂や燃料などに変換できる可能性もあるそうだ。
そのほか、チャタテムシという昆虫にはセルロースを分解できる酵素を持っていることがわかった。これはバイオ燃料の生産に役立たせることができるかもしれないということだ。

そういったこともすごいことだが、この本の圧巻といえる部分は家に棲む細菌たちの働きだ。
家の中には20万種を超える生物が棲んでいるというのであるが、先にも書いた通り、そのうちの4分の3は細菌、4分の1が真菌、そのわずかの残りが節足動物、植物などである。
それはあたかも家全体が細菌や真菌でコーティングされているかのようであり、人体も同じである。消化管を含めて体外と言われる部分にはどっさりと細菌が付着している。
これは家だけでなく、ISSの中でも同じである。人が住むところには必ず細菌がいる。特にISSでは人間由来の細菌(人間の体に付着している細菌類)が多いのであまり想像したくない臭いがするらしい。プラスチックと生ごみ、体臭の臭いが混じり合った臭いというが、いったいどんな臭さなのだろう。
壁や床だけではなく、当然のごとく水道管、ガスボイラー、風呂釜、シャワーヘッドなどには特にたくさんの細菌が棲んでいる。こういうところのねばねばは全部細菌のコロニーだ。水を出すたびにそれらが飛び出てくる。水道水といえども無菌ではない。時すでに遅しで水道水だけでなくペットボトルの水にでも細菌は混ざっているという。
まあ、それだけどこにでも細菌は潜んでいるというのである。
しかし、それらすべての細菌が有害かというと、そうではなくてほとんどの細菌はまったく無害か逆に有益であるというのである。
細菌の有益性には3つのパターンがあるという。ひとつは免疫力を高める働き、ひとつは有害な細菌の増殖を排除する働き、ひとつは免疫の暴走を抑止する働きだ。
免疫力を高めるというのはいちばんよくわかる。普段からたくさんの異物に遭遇することで免疫細胞たちを鍛えることができるのである。
有害な細菌の増殖を排除する働きというのは、無害な細菌が繁殖していれば、そこはすでに占拠されているので、有害な細菌がやってきて餌を探してもそれらに喰われてしまっているのである。目に見える生物に当てはめても同じで、隠れ場所を探してもすでに別の生物が潜んでいてたたき出されてしまうのである。
これは生態系が多様であればあるほどその効果が生まれる。病院などはその多様性を撲滅すべく殺菌、滅菌に勤しむものだから、一度悪玉菌が侵入してしまうと院内感染が爆発することになる。
歴史的には、1960年代、黄色ブドウ球菌ファージ型80/81という病原菌対策として、502A型という黄色ブドウ球菌を事前に接種させるなどをして効果を得たことがあったけれども数例の事故によってとん挫し、世界の医療機関はまったく逆の道を進むことになったらしい。
免疫の暴走を抑止する働きについてはエビデンスはないものの、喘息やアレルギーその他の免疫異常の疾患というのは公衆衛生のシステムやインフラが整っている地域ほどその発生頻度が高いという事実がある。そういう事実から、様々な細菌に暴露することが免疫の暴走を食い止めるための何かの役にたっているというのである。
確かにそう思えるという事実が僕のそばにもあった。僕の友人のひとりは駅の裏の豪邸に住んでいるがその友人は長く大腸性潰瘍を患っていた。相当裕福なのには違いないが、食生活はそうと貧しいようだ。貧しいというのにはかなり語弊があって、僕に比べれば相当高級な食材を食べているに違いない。まず、業務スーパーで売っている食いものなんて食べたことがないだろう。しかし、10年ほど前、自然薯を採ってきた話をしたとき、そんなものを食ったことがないというので少しだけ分けてあげたものの、それを煮て食べたというのである。新鮮なサバをあげたと気にも、「ウチの家ではだれも魚をさばくことができない。」という。あのサバはひょっとしてゴミ箱に直送されたのではないかと心配をしたものだ。
自分で取ってくる食材を食べない生活というのは普通なら普通の生き方だと考えるべきなのかもしれないが、様々な細菌に暴露したほうがいいという意味では僕の食生活のほうがはるかに健全だと言いたいのである。

さらに家に棲む生物たちはひとの性格形成までにも影響を与えているという。
この本では、トキソプラズマ原虫について書かれている。この原虫は、猫科の動物を最終宿主として世代交代をする生物だ。ネズミを媒介者としてライフサイクルを形成していて、最終宿主の猫の身体に入るためにネズミの脳に影響を及ぼして活動的な状態にすることで猫の目の前に現れる確率を上げて食われやすくしている。
人間にも感染して脳の中に入り込んで重篤な症状を引き起こすこともあるらしい。
重篤な状態にならなくても、自分の性格が少しおかしいと感じた研究者がいた。その研究者は、戦場で恐怖を感じなかったり、交通事故を恐れないような行動をしたり、反政府的な発言が自分の命の危機を招いてしまうような環境でも発言することに不安を感じなかったそうだ。
自分自身でも不可解と思える行動はきっと何かに感染しているのではないかと考えて血液検査をしたところ、トキソプラズマ抗体が陽性であったということがわかった。
この研究者はさらに同僚の研究者たちも検査をしてみると、陰性だった同僚の教授たちのうち、3分の1は学科長、福学部長、学部長という要職に就いていた。これは、トキソプラズマに感染していなければ冷静沈着に物事を考える傾向になりリーダー的な役割を任せられるからだと考えられるというのだ。逆に、トキソプラズマ原虫への暴露歴のある人は交通事故の起こしやすさが2.5倍になるという調査もある。暴露歴があるひとは危険を冒す傾向が強いという結論になるのだ。
まあ、これにも確たるエビデンスはない。トキソプラズマ原虫が誘導する性格は女性ではその傾向が現れないというところからも少し説得力に欠けるし、僕の友人の大腸性潰瘍も彼だけがその病気になっただけで彼の家族もそうであるということがない。
すべては確率の問題であるのかもしれないと思いながらも、いやいやそうとも言い切れないぞという思いもしてくる。生物多様性が重要だということはきっと間違いがないとは思う。ただ、自分のひと嫌いも性格の悪さも、ヒトギライ原虫とセイカクワルイゾ細菌に感染してしまっているからだと思うとなんとなく諦めがつくというものだ。

現在の家屋というのは密閉断熱というのが基本だそうだ。この性能がよければよいほど所得控除が高かったりもするらしい。
著者の理論からすると、こういう家屋は生物多様性の乏しさの極みだということになる。もう、僕には関係のない話だが、これか先の人たちはどんな病気を患いどんな性格になっていくのかと心配にはなってきたりもするのである。

なかなか面白い本であった。
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加太沖釣行

2023年12月24日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:中潮4:54満潮 10:13干潮
潮流:8:45転流 11:17下り1.8ノット最強
釣果:真鯛1匹 チャリコ1匹 小アジ1匹

今年の休みも残り3日だ。正月の真鯛はやっぱり欲しいよなというのと、カワハギ竿に続いてまたまた買ってしまった竿の使い心地を試したいと思っての釣行だ。




とりあえず真鯛1匹釣れればいいと謙虚な気持ちで出かけたら本当にそうなってしまった。

一昨日から急に寒くなり昨日もかなり風が吹いていたが今朝は耐えられないほどの寒さではない。風も穏やかだ。しかし、昨日が冬至だったので今日の夜明けも遅く、午前6時半でもこの暗さだ。



転流時刻は午前8時45分なので加太に到着する頃にはまだ上りの潮が残っているだろうとテッパンポイントを目指す。しかし、船団は第2テッパンポイントの北の端のほうにできていたので方針を変更して僕もそこからスタート。



魚探には時々反応があるがアタリはない。何度か行ったり来たりして、もう一度潮下に戻ろうと椅子から立った時にアタリがあった。アタリがあったというか、椅子から立った拍子に魚が引っ掛かったという感じだった。
魚は掛かったものの、あまり引かない。これはチャリコだなと思ったが、上がってきた魚はお正月の睨み鯛に焼くにはもってこいのサイズの真鯛であった。今日はもうこれでいい。叔父さんの家に持って行く魚を確保できた。もう、これで満足だ。新しい竿も無事に縁起をつけることができたし・・。

潮はどんどん緩くなっていくのでこの次はナカトシタだろうと移動してみたがここはすでに潮が止まったか、北風に押されて船は南に流れてゆく。



ここはダメだろうと今度はコイヅキに移動。



ここも魚探の反応は時々あるもののアタリはない。と、思っていたら小さな小さなアタリがあった。慎重に巻き続けているとうまく掛かったものの本当に小さなチャリコだった。かなり深いところから上がってきたので腸が肛門から出ている。放流してもこれは死んでしまうだろうと仕方なくキープ。結果としてはこのチャリコが我が家のお正月の睨み鯛になった。なんだか重箱にも入ってしまいそうなサイズである・・。

その後、これまた小さな小さなアタリで上がってきたのは小アジであった。これも干物にはなるだろうと考えてキープ。
その後はアタリもなく正午に終了。

新しい竿のインプレッションであるが、高仕掛けを操るにはちょっと柔らかすぎたのかもしれない。オモリ負荷は60号までとなっているがおそらく35号のオモリでも使えないかもしれない。それに、少し大きなハマチが掛かると竿の矯めはまったく無くなってしまうと思えるような柔らかさだ。
確かにその分アタリがあってからの魚の追いはいいのかもしれない。チャリコも普通なら追うのを止めてしまうような感じだったがかなり長い時間追いを続けていたように思う。
もう少し実戦で使ってみてレギュラーメンバーとするかどうかを考えたいと思う。


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「おいしいごはんが食べられますように」読了

2023年12月16日 | 2023読書
高瀬隼子 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」読了

この本は、第167回芥川賞受賞作である。そしてこの著者は、「ちゃんと生きてゆく」ということにかなり疑問を抱いているようだ。
「ちゃんと生きてゆく」というのは、「世間体がよい」とか、「みんなそうしている」とかいうようなものだろうが、そんなことが必要なのかということに疑問を持っているようなのだ。
著者は以前に読んだ、「水たまりで息をする」でも、風呂に入るという、まあ、ちゃんと生きていれば普通にすることを止めてしまった夫と、その妻との物語であったので、テーマとしてはよく似ている。

今回の物語は、「ちゃんとたべること」に意味を見出せない男が主人公だ。パッケージのデザイン会社の支店に勤める独身者である。忙しさもあるけれども、自宅での食事はカップ麺ばかりで外食でも食べるものにはまったくこだわりはない。むしろ、生きてゆくための栄養が錠剤で摂れるならそれが一番よいと思っている。
主人公に絡んでくるのはふたりの同僚の女性である。ひとりは実家暮らしでちゃんと食べている人の代表だ。毎食は手作りで、成り行きで肉体関係を結び恋人関係になった主人公にも夕食を作り、会社へも手作りのケーキを差し入れるような人物である。しかし、仕事にはそれほどのちゃんとという意識はなく、身体が弱いというような理由をつけては同僚よりも早く帰るし、後輩のもうひとりの女性よりも仕事ができない。それでもなぜだか他の同僚に守ってあげねばと思わせてしまうような雰囲気を醸し出している。そして、主人公が付き合ってきた女性というのはみんなこんな感じでもあった。
主人公は女性の作る食事にも違和感を感じる。セックスが終わったあと、眠っている女性の横でカップ麺にお湯を入れるのである。

もうひとりの女性は真逆の性格である。福岡から上京し、仕事もできるしひとりで生きてゆくという気概がある。だから、先の同僚には嫌悪感を抱いている。そういう気持ちも露骨に表面に出してしまう。食べることに関しては主人公と同じような考え方とは言いながら順番を待たねばならない人気のランチの店にも行くし、都心の有名店にも赴く。

大口の受注が入り、忙しくなる中、支社の中で小さな事件が起こる。
夜9時にも終わらない残業の途中、恋人であろうひとが作ったタルトを見ながら、労力がかかっている。どうしてそんなことをするんだろうと考え、それが端からばかげたみたいだと結論付けるためだけの思考だと分かった主人公はタルトを手のひらで押しつぶしゴミ箱に捨ててしまう。
それに気づいたふたり目の女性はそのタルトをひとり目の女性のデスクに置く。そういうことが何回か続き事務所の社員たちに知られてしまう。それが原因でふたり目の女性は退職、主人公は人事異動で別の支社に移ることになった。

ちゃんと生きるということに肯定的な人は一定数いることは間違いがないだろう。しかし、僕にはそれは人の目を気にして生きるとこであるという風に見えてしまう。会社できれいな資料を作るのも、なんとなく仕事に熱心ですという風を装うのもすべて人の目を気にしてのことだ。人の目を気にするというよりも世間体というものだろうか。だから内心は面倒だとしか思えない。面倒というのは常のことで、魚釣りでさえたくさんの道具を持って行くのは面倒だと思っている。まあ、魚釣りについては何事もシンプルなほど釣れるということもあるのであるが・・。
しかし、そういうことは表には出さないでおこうと思ってもきちんと出てしまうものだ。だから会社側からは嫌われるのは当然だ。しかし、長らく勤めた会社はチョロかった。最後は化けの皮が剥がれたとはいえ、適当に流してもここまでやってこられたのだから。
冷静に見るとこれは相当嫌なやつだということができる。ふたり目の女性がひとり目の女性を見る目線とでも言えるだろうか。
しかし、そういったふりを誰にもバレずにできる人は他人には好かれる。主人公も嫌悪しながらも最初の女性に惹かれてゆく。ラストシーンは、事件が原因で退職を決意したふたり目の女性と人事異動が決まった主人公の送別会に差し入れられた手作りのケーキの出来栄えを褒めながらも歯の裏と表と歯茎の間までクリームを塗り込みながらケーキでいっぱいになった口の中で罵倒する主人公の言葉にひとり目の女性が笑顔で聞き返すという、破滅的な行動とそれを褒められたと勘違いした幸福そうなその顔に容赦なくかわいいと感じてしまうのである。

三人の人物は、ひとりの人間の中でクルクル回る感情を分離したもののように思える。人の悩みのひとつはこの矛盾なのかもしれない。そして、「人の目を気にする」ということはまさにアドラーがいう人間関係の悩みにほかならない。

ふたり目の女性が会社を去る前、こんなことを言う。『私たちは助け合う能力をなくしていっていると思うんですよね。昔、多分持っていたものを、手放していっている。その方が生きやすいから。成長として。誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしいのも、そのひとつで。力強く生きていくために、みんなで食べるごはんがおいしいって感じる能力は、必要じゃない気がして』
この本のタイトルにも通じるセリフだが、著者が考える「おいしいごはん」とはこういったごはんだろうと思った。
僕も同感である。



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「人工知能」読了

2023年12月12日 | 2023読書
幸田真音 「人工知能」読了

人工知能は本当に身近になってきている。チャットGTPの能力はすごそうだし、僕の車にもどうやら人工知能らしきものが搭載されているようだ。加えて最近、ヤマト運輸に集荷を頼んだら、多分相手はAIなのだろう、僕がしゃべる住所を文字データに変換しているようで、オペレーターを介さずに本当に集荷の配達がやってきたのにも驚いた。人工知能はすでに僕たちの生活に浸透しているのは間違いない。

この本は2019年の出版だが、そんな近未来を見据えたか、人工知能をテーマにした小説だ。
プロローグでは経済産業省製造産業局局長を招いたレベル4の自動運転車の試運転のデモンストレーションで起こった事故で始まる。その事故は、自動運転車があたかもこの局長を襲うかのように突然スピードをあげて突進したことが原因であった。
この部分だけ読むと、意識を持ってしまったAIの暴走とそれを阻止しようとする科学者もしくはホワイトハッカーとの戦いを描いたものかと思うのだが、そうではない。
中盤までは主人公の成長譚とお仕事物語というような形で進んでゆく。主人公は埼玉県のはずれに住む4人兄弟の末っ子である。将来の展望は何もなく、やりたいことをやりながら怠惰な生活を送っていたのだが、自分がまきこんでしまった事故で、兄を不治の病に陥れてしまったことが主人公の生き方を変えることになる。
怠惰な生き方から抜け出すべく一念発起して私立の名門校を受験し、さらに大学を目指すことにしたのである。名門大学の付属高校ではあったものの、生来の怠惰で無鉄砲な生き方は高校時代も続き、エスカレーター式での進学は望めず、やむなく受験したのが受験科目が少ないという理由だけで受験した情報科学科が新設された大学であった。そこで出会ったコンピューターサイエンスや情報処理分野、さらに人工知能についての学問に魅了されてゆく。
そんなに波乱に富みながらうまいこと人生が運ぶとも思わないがそこは小説の主人公だということにしておこう。

その後も波乱に満ちながらカナダ留学を経て、多分、シャープがモデルらしい電気機器メーカーに就職するも、リストラと上司との反目が原因で半年で退社をする羽目に陥る。そんな中に声をかけられたのがかつての大学の恩師であった教授が設立したベンチャー企業であった。
そこでも主人公らしく活躍し業績を伸ばしてゆく。
入社3年目になった頃、物語が動き始める。ベンチャー企業の社長がマンションの管理組合の理事長と副理事長という関係でたまたま知り合ったことから、理事長からプロローグで起こった事故についての調査協力を依頼があった。組合長は警視庁の元警視総監だったのである。
この時点で、同じような事件がすでに2回起こっていた。社長と主人公が捜査協力を始める直前に3件目の事件が起きた。その犠牲者は経産省の副政務官である、主人公の同僚の叔父であった。この同僚も、小説らしく政界の大物の孫という設定である。
その後、いよいよ主人公も特命捜査対策室のメンバーと一緒に事件の謎の解明に加わるのだが、前の2件と3件目の事故は違う自動車メーカーの試乗車であった。事件の共通点は見いだせなかったが動運転車のAIシステムは同じ会社のものが使われていた。主人公はこのAIが何者かによって洗脳されているのではないかと考え、プログラムの解析を始める。
糸口がつかめない中、かつての電気機器メーカー時代の同僚から久しぶりに連絡が入る。退職後、主人公と同じようのAIの研究の道に入り直し、アメリカ留学を経て博士号を取ったという。専攻はイメージリコグニションという、AIに画像を認識させる技術であった。2度目に連絡があったとき、切羽詰まった表情をした同僚から渡されたUSBメモリーには大量の人物画像が保存されていた。
これが事件解決の決め手となる。この事故を仕組んだ犯人は主人公の元同僚であった。博士号を取ったというのは嘘で、父親の突然の死によって留学先からは半年で戻ることになり、ヘッドハンターに声をかけられて入社した会社は裏社会ともつながりがあるような会社であった。おまけに、その会社の社長は自分たちを辞職に追いやった電気機器メーカーを買収した外資系メーカーの役員の身内であった。
犯人はその会社で、日本のAI開発の遅れを知り、その原因が法律やインフラの整備の遅れからであり、その元凶が経済産業省の官僚たちであると考え、孫請けで自動運転車のシステムに画像を記憶させていた中に経産省の官僚たちの顔を覚えさせ、高速道路の侵入矢印と誤認させることで試乗車を突っ込ませたというのである。
その動機とは、自らが日本のAI開発をとりまく現状に警鐘を鳴らすことで同じリストラ組でありながら成功をした元同僚に対する嫉妬心を解消し見返してやりたいという思いからであった。

自分がそんな見られ方をしていたというショックと、そんな友人をなんとか救いたいという思いから心も体も疲弊してしまう主人公であったが、叔父の跡を継いで政治家になろうと決意した同僚のからのエストニアへの視察旅行への同行と言う申し出によって元気づけられる。
エストニアと言う国は国家をあげてAIを駆使した電子政府づくりをしている最先端の国だという。主人公は、AIを使いこなす夢をはき違えて犯罪者となってしまった元同僚に代わってAIを駆使した新しい日本の生きる道に思いを馳せるのであった。

と、いうような内容だ。

伏線の回収の仕方や、主人公の生きてきた道をこれほど多く書いてしまうと物語としてはなんだかアンバランスなのではないかと思ったりもする。

ただ、著者が問題提起したいことというのは日本が抱えている重大な問題だとも思う。
AI以前に、半導体製造の競争でも、日本の政治の指導の仕方の失敗によって海外に後れを取ってしまっている。電気自動車でもそんな雰囲気だ。

「日本社会は性善説のもとに成り立っているが、それを逆手にとって中国企業などは技術やデータを平気で横流しをしている。油断しているうちにとんでもない先を走っているのだ。」
というのが著者の最も伝えたいことであったのだと思う。
うかうかしていたらAIの分野でも他国に後れを取ってしまうぞという警鐘なのだろう。
人口が減少し、おまけに高齢化が進む中、医学を含めた科学技術をいかに進歩させるかということは切実な問題だ。規制をしたがる官僚や責任を取りたくない政治家こそ諸悪の根源なのかもしれない・・。
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住金一文字釣行

2023年12月10日 | 2023釣り
場所:住金一文字
条件:中潮10:12干潮
釣果:チヌ3匹 こっぱグレ1匹

この週末は季節外れの良い天気だ。今年もあとわずかなのでというのが理由ではないが、釣りに行ける日には釣りに行くのだ。
anotherNさん改め、Nさんにお願いをして前々から行きたかった住金一文字へ行ってきた。今は社名が変わって日本製鉄だが昔からの習で場所は住金一文字としておく。

Nさんとそのご友人のNさんは前々から二人して船に乗ってどこかへ釣りに行っていた。一体どこへ行っているのだろうとずっと疑問に思っていたのだが、住金一文字へ飲ませ釣りに行ったとき、その船が防波堤の際に泊められているのを見つけた。あんなところで一体何をしているのですかと聞いてみると、フカセ釣りをしているとのことであった。
これは聞き逃すわけにはいかない。磯のフカセ釣りには縁遠くなってしまったがまったく未練がなくなってしまったわけではない。しかし、遠くまでたくさんの荷物を積んで行く道程にも、先を争うように場所の取り合いをするのにも辟易してしまっていた。もちろん費用がかかりすぎるというということもある。
それが、目の前の海でできるというのである。荷物もここまでならバイクで運べる。偶然だがソフトクーラーボックスがピッタリだ。



何度かお願いをしていたが僕が加太への釣行を優先してしまったりNさんの方に用事ができたりでいつもタイミングが合わなかった。
今日の釣行も昨日の土曜日はどうですかと尋ねたのだが行くのは日曜日ですということだったので加太への釣行の翌日となった。
お二人は出発時刻が遅くて、その分帰ってくるのも遅いので翌日会社に行かねばならない身としては辛いのだが、そこは仕方がないと割り切って同行させてもらえることになったのである。

集合時刻は午前9時。その分、起床の時刻は遅いので体力的には助かる。とは言っても目が覚めるのはいつものようにかなり早い。朝刊を取りに表に出てみると、今日も金星と月がはっきり見える。



しかし、今日の金星は月の上に移動している。惑星と言うだけに金星の位置も刻々と変化しているのだろうが、月の移動速度も相当なものだと星の運行の複雑さと不思議さを感じることができるのも二日連続の釣行のおかげだろう。

エサ屋に寄って港に到着したのは午前8時半。集合時間までには30分。昨日の釣りで使った資材を収納したり今日持って行く膝当ての準備をしたりしてNさんたちの到着を待つ。
そして午前9時少し前に出港。



僕にとっては前人未到の地だ。そこに初めて降り立つと、想像していたところとはまったく違っていた。今日釣りをする南側はスリット構造なのだろうなと思っていたが、その裏側には思っていたよりもはるかに広大なスペースがあった。

 

そしてそのスリットは思っていた以上に足場が狭かった。Nさんに案内してもらいながら歩いてみると、少し足がすくむ。



今日1日釣りを続けることができるだろうかという不安と、必ず何か落とすだろうなという諦めが生まれてくる。まあ、これはしばらくすると慣れてはくるものだ。僕の平衡感覚もまだまだ使えそうだ。

釣りを始めたのはNさんが勧めてくれたスリットの東の外れだ。すぐ横にはパイルが立っている。自然の構造ではないけれども、魚にとっては人工物でもなんでも関係がなく、住みやすい場所には集まってくる。この場所を設計した人たちもそういった意図があったのだろう。その上前をはねようというのが僕たちである。

撒餌をはじめてしばらく経つと魚の姿が見えてきた。しかし本命ではなくてフグばかりだ。ここはフグに悩まされると聞いていたがその通りになった。鉤が取られまくる。ウキが動かないのに鉤がなくなってしまっている。そんな中、さっそくアタリがあった。合わせてみるとそこそこ大きな魚だ。スリットに向かって潜っていくのでこれは間違いなくグレだと思ったが途中でバレてしまった。釣れる魚は大して大きくはないだろうと1.5号のハリスにしていたのが悪かった。その後はまた鉤が取られ続ける時間が続く。しびれを切らして鉤の号数を8号までに上げるとやっと鉤が取られるのが治まった。

そんなことをしているうちにNさんたちはすでに釣果を得ているようだ。こっちに来た方がいいですよということで場所を移動した。ここはエサ取りはないが本命も来ない。本命が来ないのは僕だけで、Nさんの友人のNさんは着実に魚を掛けている。

僕にアタリがあったのは多分1時間くらい後だろうか。かなり大きい。これもスリットに向かって潜ってゆく。この時には1.75号にハリスを変えていたので少しは余裕があるかと思ったが今度はハリスと道糸の結び目がほどけてしまっていた。いちばんやってはいけない失敗を犯してしまった。

しかしこのくらいから時合だったのだろうか。潮の流れが変わりかけたころだった。ゆっくりウキが潜っていくようなアタリが出た。今度も大きいが先ほどではない、これは取れそうだと上がってきたのは40センチのチヌだった。グレではないがとりあえずはボウズはなくなった。
この時点でちょうど正午。
それほど長くやってないのにもうお昼かと思ってしまう。いつもと感覚が違うのだ。それまでも、沖から戻ってくる船を見ながら、えらく早く帰ってくるなと思ったらすでに午前11時で、そういえば普通なら僕も帰投している時間だと思い直していた。
そしてお昼を過ぎた頃から潮がよく流れるようになってきた。頻繁ではないもののアタリが出てくる。本命のグレは来ないがウキがゆっくりシモっていくとチヌが掛かってくる。
今日最後の獲物は木っ端グレだった。すでにチヌが3匹、それに加えてNさんたちからグレやサンバソウをもらっていたのでこれだけあれば十分と思い放流して終了。

今日は初めての参戦だったのでいつまで釣りをするのかや、どんな場所かがわからずに手探り状態だった。撒きエサは節約しすぎて結局余ってしまい、着ていった服はあまりにも重装備で高かった気温も相まって暑くて動きにくかった。まあ、これは2年間も着ていなかったので風を通しておくという意味もあったのでそういったことは織り込み済みであった。
イスも必要だと感じたし、竿を置くシステムも必要だ。



あれだけ広大な場所があるのだから、昼食も自炊ができそうである。
次の釣行はいつになるかわからないが夢がある釣り場である。

このブログは釣行日の翌々日(12月12日)に書いているのだが、注文していた包丁が届いた。



正真正銘の堺の包丁だ。鍛えた人は伝統工芸士の称号を持つ鍛冶屋さんだそうだ。
元々、定年退職の記念には包丁を買おうと思っていて、そんなことを事務所で話をしていたら、同僚のひとりが、私の家の隣が包丁屋さんなのですよということで注文してもらった。
堺の包丁のサプライチェーンはかなり細分化されていて、鍛造や研ぎ、柄付けは全部専門の業者がやっているらしい。お隣さんはどの部分を担っているのかはわからないが、包丁には銘が入っていなくて、自分のところで最終調整をやっているということだったので多分、柄付けをして卸屋さんに収める業者さんなのだろう。銘が入っていない分だけお安くはしてもらえているらしい。ブランドというのれん代の無駄を省いた出来上がりというのも自分らしくていいなと思うのである。

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加太沖釣行

2023年12月09日 | 2023釣り
場所:加太沖
条件:中潮9:27干潮
潮流:8:13転流 10:57下り1.9ノット最強
釣果:カワハギ7匹

今日は絶対に釣れると思ったのだが、まったくの貧果に終わってしまった。季節外れの温かい日であったが、それがよい結果を生んでくれると思ったがそれが逆だったのかもしれない。

あと2週間ほどで冬至を迎える。夜明けは遅くなり、午前6時を過ぎても真っ暗だ。今日の天気のよさを予告するかのように金星と三日月がきれいだ。



確信をもってFさんポイントに向かい仕掛けを下ろすがアタリがない。



アタリがないだけならいいのだが、エサだけが無くなっている。この竿はすこぶる敏感だと思っていたがそれにも限界があるようだ。
ほぼ完全に潮が止まっているのでカワハギのほうも自在に姿勢を変えることができるのだろう。一応、魚よりも高等な生物とされている人間の上手を行っている。こういうのが3回連続続くとやる気がなくなってしまう。なくなってしまうというよりも途方に暮れるという感じだ。
なんとか釣り上げた1匹はかなり小さい。いわゆるワッペンサイズというやつだ。
4匹ほどは釣ったものの全部小さい。そうこうしているうちに潮が流れ始める時刻だ。真鯛も狙いたいと考えているのでジノセト周辺やナカト周辺を転々とするがまったくアタリはない。

 

今日の潮は、なんだか全然動かないと思っていたら動き始めると仕掛けが立たないくらいに速くなってしまった。おまけに苦手な下り潮ときているのでまったく釣れる気がしなかった。

それでも少し潮が緩くなってきたので残りのエサを使うべく再びカワハギ狙いに変更したがやはり釣れてくるのは小さなものばかりだ。
午後1時まで残業したが釣果は伸びず加太を後にした。

明日に期待である。
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「未完の天才南方熊楠」読了

2023年12月05日 | 2023読書
志村真幸 「未完の天才南方熊楠」読了

土曜日は風が強くて釣りには出かけられず、日曜日はなんとか行けそうだと思って早く寝たら、日付が変わるころにスマホの音で目が覚めた。なんだ?と思ったら津波注意報が出たという。外からもサイレンや防災無線の音が聞こえてくる。フィリピンのミンダナオ島で地震があったらしい。



1メートルの予想というのはけっこう危機感を感じる値だ。もう一度寝るか、午前3時(和歌山港は午前3時半)の予想到達時刻に様子を見に行くか思案をしながらこの原稿を書き始めた。しかしその前に、僕のお腹に津波警報がやってきた。最近の傾向だが、何日かに一度、真夜中に便意をもよおす。一度トイレに行くとそれから1時間ほどは何度も行く羽目になる。今夜もその状態に陥ったのである。
結局、それからも眠ることができず、午前3時に家を出たのだが、大山鳴動して鼠一匹、特に何の問題もなくやり過ごすことができたのである。




久々に見つけた南方熊楠に関する本は、熊楠が残した業績を、「未完」というキーワードで分析している。
著者は南方熊楠顕彰会理事という肩書も持っている学者だそうだが、熊楠は人類史上最もたくさん文字を書いた人だと言われている通り、膨大な量のメモや資料を残し、すべてを目録として整理しきれていないのが現状だそうである。
それだけたくさんの研究なり調査なりをしていた熊楠だが、何を成し遂げたかというと確かにわからない。
植物学に始まり、民俗学、環境保護、海外雑誌への投稿など、その活動は多岐に渡る。語学は研究の手段だったのだろうけれども、これにも相当傾倒していたそうだ。抜き書きという出版物の書写も途中でやめてしまったものも多数あるということで、それぞれを「未完」に終わらせてしまったのはなぜだろうかと考察をしているのだが、熊楠の心の奥までには到達しきれていないのだろうなという感想だった。
確実にこういう理由で未完になったのだろうというものはある。例えば、抜き書きの作業だが、時代を経るにつれて印刷技術が進歩することで本自体の入手が容易になったのだというのはもっともだ。歳で目が悪くなってきてもいたそうだが。
海外雑誌への投稿については自然科学系の学問が細分化し、雑誌自体も博物学的なものから自然科学の専門雑誌へと変わり、古典文献の引用が中心で実験データを持たない熊楠にとっては場違いなものになっていき、期待もされなくなってきたそうだ。
こういったことを見ていくと、熊楠も時代の変化についてゆけなかった、もしくはついて行きたくなかったというのではないかと思えてくる。それに加え、人嫌いというものが加わって未完にせざるを得なかったということになるのかもしれないと僕は考えた。

民俗学は柳田国男との確執、環境保護活動については父親の父祖の地にあった大山神社の合祀を阻止できなかったことへの落胆からだということだが、それも結局、その運動の中心的人物であった従弟との確執であったような気がする。
また、晩年は田辺からほとんど出ることがなかったというのもきっと人嫌いというものがあったのだろうと思う。大学の教員としての誘いもあったそうだがそれも断り、わずか数日のことであっただろう、天皇からの招待にも応じなかったというのだから徹底しすぎているというものだ。最晩年はキノコ(菌類)の研究をしていたそうだがこれは全国の分布を調べなければならないものの、それもやらなかったという。人に頼ったり人を使うということが苦手だったのだろう。こういうところは牧野富太郎とはかなり違うのである。

田辺を出なかったということにはもうひとつ理由があったそうだ。それは当時から始まった郵便制度だそうだ。日本は1877年に万国郵便連合というものに加盟し、安価で外国にまで郵便を届けることができるようになった。雑誌の購入もそれへの投稿も田辺という田舎から簡単にできるし、書物の購入もできる。文献を当たって研究を続けていた熊楠にとっては田辺で十分事足りたということだ。今でいえば、インターネットとSNSを駆使して田舎暮らしをしているというようなものだから、最先端の生き方をしていたといえる。さすが熊楠だ。

人嫌いはイコール、自己肯定感の弱さでもあると僕は僕自身のことを考えながら思うのであるが、熊楠も、外から見られていた偉大さと自分自身が考える自分像には相当なギャップがあったに違いない。何かを成し遂げたいと思う気持ちも、自分はそれができるという自己肯定感がなければ無理だろう。
著作が少ないのも、「こんなの本にしても誰も買わないだろう」というあきらめがあったのかもしれない。学問をするというのは自己満足で十分だと思ったのかしれないということだろう。
まあ、僕がそう思っているだけで熊楠の真意は凡人が計り知れるわけがないが・・。


65歳前後には雑誌の購入や投稿も止め、少しずつ研究分野の幅を狭めてゆき、最後は邦文の論考と自分が診た夢の研究にだけ意欲を燃やしていたという。長く海外に暮らし、晩年まで外国と接点を持っていた熊楠も、日本人とは何かということと、自分は一体何者であったかということが最後に残った疑問であったということだろうか。

どちらにしても、後世の人たちにたくさんの謎を残して逝くことができたというのは、熊楠にとってはしてやったりというところなのかもしれない。

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