丸山 信/編 「文士と釣り」読了
釣り好きの作家たちについてその周辺にいた人たちが思い出のようなものを綴るというような内容だ。息子、娘、弟子、釣り宿の主人。そんな人たちが作家の人となりを語っている。
対象になっている作家はほぼ全員明治の後半に生まれ昭和50年代には亡くなっている人たちで、ちょうど僕の祖父くらいの年齢の人たちばかりだ。
だから、この年代の人々を見たことがある最後の世代が僕たちではないのだろうか。
僕のふたりの祖父なんかの記憶は、ものを言わずにいつもブスッとしているという印象だった。いったいどんな人たちだったのだろう。
勉強不足で、読んだことがある作家は佐藤垢石、林房雄、福田蘭童くらいしかなく、名前を知っているのは幸田露伴、室生犀星、山本周五郎、サトウハチローくらいでそのほかの人はまったく知らない。
この人たちは戦争の動乱期を過ごし、思想犯として迫害を受けたり、作家特有の精神的な圧迫に耐えながらも釣りをあきらめることがなかったのはどうしてだったのだろうか。
かく言う僕も自分のふがいなさをどこかに置いておきながら船に乗っている。
葉山嘉樹という作家はこう語っている。
「悪く思ふな、生活が楽だから(釣りを)やってる訳では無いのだ。ものを思うことがいやさにやってゐるのだ。」
また、林房雄は、
、「釣師はみんな暗い、みんな心の中に、傷をもっている。しかもその傷がなんの傷だか、自分ではわからない。」
と書いている。
では、僕はどうして釣りに行くのか。そう聞かれたら、
「さぁね。」としか答えることができない。
釣り好きの作家たちについてその周辺にいた人たちが思い出のようなものを綴るというような内容だ。息子、娘、弟子、釣り宿の主人。そんな人たちが作家の人となりを語っている。
対象になっている作家はほぼ全員明治の後半に生まれ昭和50年代には亡くなっている人たちで、ちょうど僕の祖父くらいの年齢の人たちばかりだ。
だから、この年代の人々を見たことがある最後の世代が僕たちではないのだろうか。
僕のふたりの祖父なんかの記憶は、ものを言わずにいつもブスッとしているという印象だった。いったいどんな人たちだったのだろう。
勉強不足で、読んだことがある作家は佐藤垢石、林房雄、福田蘭童くらいしかなく、名前を知っているのは幸田露伴、室生犀星、山本周五郎、サトウハチローくらいでそのほかの人はまったく知らない。
この人たちは戦争の動乱期を過ごし、思想犯として迫害を受けたり、作家特有の精神的な圧迫に耐えながらも釣りをあきらめることがなかったのはどうしてだったのだろうか。
かく言う僕も自分のふがいなさをどこかに置いておきながら船に乗っている。
葉山嘉樹という作家はこう語っている。
「悪く思ふな、生活が楽だから(釣りを)やってる訳では無いのだ。ものを思うことがいやさにやってゐるのだ。」
また、林房雄は、
、「釣師はみんな暗い、みんな心の中に、傷をもっている。しかもその傷がなんの傷だか、自分ではわからない。」
と書いている。
では、僕はどうして釣りに行くのか。そう聞かれたら、
「さぁね。」としか答えることができない。