梅原猛 「最澄瞑想」読了
昭和61年、梅原毅がNHKの「市民大学」という番組で語った内容を書籍化したものだ。
最澄というと、その後の鎌倉時代に生まれ、現代でも日本の仏教の中心にある宗派の始祖は全員延暦寺で学んだ僧たちである。そこは空海とはかなり異なる。天台宗というと密教のイメージがあるけれども、元々は法華経を主な経典としており、密教は当時の政権と付き合うためにどうしても加持祈祷の技術が必要であったことから取り入れられたものだったそうだ。学究肌の最澄はその密教ももっと極めたいと空海に弟子入りまでしたのだ。比叡山が密教の寺と思われるのも密教を専門に勉強した僧が比叡山を拠点に広めたからである。
そう、最澄も自分の理想を極めるためには当時の政府、すなわち時の天皇、桓武天皇に気に入られる必要があった。仏教を極めるということとそういうドロドロとした生臭いこととは対極にあるはずで、さらに奈良の仏教界とのあつれきなどもあり亡くなる直前まで相当な苦労をしたそうだ。空海はそういうところはうまく乗り越えてさっさと高野山に籠って自分の思想を極めたのだからすこし最澄の上を行っていたと言えるのかもしれない。
しかし、その後の日本の思想に大きな影響を及ぼしたのは最澄の方だ。最澄は非常に弟子思いであったらしく、その心が多様な思想を産み人々に受け入れられた。そういうところでは空海のはるかに上を行っていたのかもしれない。
どちらがどうかということは凡人の語ることではないけれども、個人的には空海の生き方の方に憧れるものがある。(僕が和歌山県民であるという理由もあるだろうけれども・・・)
ただ、組織、集団といういう意味では最澄のほうがいい上司なのではないだろうか。少なくとも僕の友人のボスとは大違いだそうだ。
これから先は僕の友人の話であるが、つい最近、来月の営業方針を説明する会議の席でいきなりボスが、「君のところはちゃんとやっているのか!!?」と険悪な表情で質問をしてきたそうだ。彼は何のことだかさっぱりわからずに困惑したそうなのだが、ボスの隣の子ボスの説明では、どうもわが社の従業員の些細なミスで親会社からクレームが入ったことでボスの機嫌が悪く、彼の部門でもそんなミスの発生する可能性はないのかということだったようだ。その後ボスは、彼の説明には上の空で通常なら説明が終わったあとでなんだかどうでもよいようなことを嫌味たっぷりで質問を浴びせてくるのだが、突然子ボスに向かって、「俺は謝りに行かなければならないのか?」と話し始めた。かれは、「は?」と自分に何か返答を求められたのかと再び困惑していると、「もう、出て行っていいで。」とお言葉。その前に、彼の直属の上司も、「会議はええから出て行ってミスの再発防止策を考えろ。」と会議室を出て行かされた。彼は、この会議は月々の営業方針を決める大切なもので、会社の方針に合致しているかどうかの確認と修正をおこなう大切なものだと考えていたのだが、ボスには別にどうでもいい会議だったようだ。それでも後から、「俺はそんなことは望んでない!!」ときっと言い始めるのだから困ったものらしい。
上司といい、子ボスといい、なんと可哀想なことか。それでも真摯に仕えなければならないのだから。
本当にくだらないことが原因だったらしい。ボスの過剰反応と親会社に対するメンツだけのことのようだが、これでわかったことは、彼のボスは部下に対する信頼や愛情がまったくなく、自分のメンツだけが大事な人であるということだ。おまけになんとチキンなことだろう。まあ、常々の言葉で、「誰が悪いねん?」という言葉が物語っているから今さら驚くことではないと彼は言っていたが・・・。彼はもうひとつ、今まで色んなくだらない上司を見てきたが、最上位にランクされるボスではないかと言っていた。
今夜はそんな一見バラバラに見える組織の忘年会が催されるそうだが、みんなどんな顔をして語らうのだろうか?それでもポーカーフェイスで他愛のない話で盛り上がるのだろうか。彼はそんな席を大人の態度で乗り切れるのだろうか。僕には絶対に無理だ。そんな人と貴重なプライベートな時間を無駄にしたくない。
できれば最澄のような心で空海のような生き方を望みたいものだ。
昭和61年、梅原毅がNHKの「市民大学」という番組で語った内容を書籍化したものだ。
最澄というと、その後の鎌倉時代に生まれ、現代でも日本の仏教の中心にある宗派の始祖は全員延暦寺で学んだ僧たちである。そこは空海とはかなり異なる。天台宗というと密教のイメージがあるけれども、元々は法華経を主な経典としており、密教は当時の政権と付き合うためにどうしても加持祈祷の技術が必要であったことから取り入れられたものだったそうだ。学究肌の最澄はその密教ももっと極めたいと空海に弟子入りまでしたのだ。比叡山が密教の寺と思われるのも密教を専門に勉強した僧が比叡山を拠点に広めたからである。
そう、最澄も自分の理想を極めるためには当時の政府、すなわち時の天皇、桓武天皇に気に入られる必要があった。仏教を極めるということとそういうドロドロとした生臭いこととは対極にあるはずで、さらに奈良の仏教界とのあつれきなどもあり亡くなる直前まで相当な苦労をしたそうだ。空海はそういうところはうまく乗り越えてさっさと高野山に籠って自分の思想を極めたのだからすこし最澄の上を行っていたと言えるのかもしれない。
しかし、その後の日本の思想に大きな影響を及ぼしたのは最澄の方だ。最澄は非常に弟子思いであったらしく、その心が多様な思想を産み人々に受け入れられた。そういうところでは空海のはるかに上を行っていたのかもしれない。
どちらがどうかということは凡人の語ることではないけれども、個人的には空海の生き方の方に憧れるものがある。(僕が和歌山県民であるという理由もあるだろうけれども・・・)
ただ、組織、集団といういう意味では最澄のほうがいい上司なのではないだろうか。少なくとも僕の友人のボスとは大違いだそうだ。
これから先は僕の友人の話であるが、つい最近、来月の営業方針を説明する会議の席でいきなりボスが、「君のところはちゃんとやっているのか!!?」と険悪な表情で質問をしてきたそうだ。彼は何のことだかさっぱりわからずに困惑したそうなのだが、ボスの隣の子ボスの説明では、どうもわが社の従業員の些細なミスで親会社からクレームが入ったことでボスの機嫌が悪く、彼の部門でもそんなミスの発生する可能性はないのかということだったようだ。その後ボスは、彼の説明には上の空で通常なら説明が終わったあとでなんだかどうでもよいようなことを嫌味たっぷりで質問を浴びせてくるのだが、突然子ボスに向かって、「俺は謝りに行かなければならないのか?」と話し始めた。かれは、「は?」と自分に何か返答を求められたのかと再び困惑していると、「もう、出て行っていいで。」とお言葉。その前に、彼の直属の上司も、「会議はええから出て行ってミスの再発防止策を考えろ。」と会議室を出て行かされた。彼は、この会議は月々の営業方針を決める大切なもので、会社の方針に合致しているかどうかの確認と修正をおこなう大切なものだと考えていたのだが、ボスには別にどうでもいい会議だったようだ。それでも後から、「俺はそんなことは望んでない!!」ときっと言い始めるのだから困ったものらしい。
上司といい、子ボスといい、なんと可哀想なことか。それでも真摯に仕えなければならないのだから。
本当にくだらないことが原因だったらしい。ボスの過剰反応と親会社に対するメンツだけのことのようだが、これでわかったことは、彼のボスは部下に対する信頼や愛情がまったくなく、自分のメンツだけが大事な人であるということだ。おまけになんとチキンなことだろう。まあ、常々の言葉で、「誰が悪いねん?」という言葉が物語っているから今さら驚くことではないと彼は言っていたが・・・。彼はもうひとつ、今まで色んなくだらない上司を見てきたが、最上位にランクされるボスではないかと言っていた。
今夜はそんな一見バラバラに見える組織の忘年会が催されるそうだが、みんなどんな顔をして語らうのだろうか?それでもポーカーフェイスで他愛のない話で盛り上がるのだろうか。彼はそんな席を大人の態度で乗り切れるのだろうか。僕には絶対に無理だ。そんな人と貴重なプライベートな時間を無駄にしたくない。
できれば最澄のような心で空海のような生き方を望みたいものだ。