イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅」読了

2021年12月31日 | 2021読書
星野道夫 「星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅」読了

今年最後の本は星野道夫の写真集だ。写真集だから読書と言えないかもしれないがまあ、1冊としておこう。
今年は12月30日から元旦までまとめて休みを取った。就職した年が1987年だったのだが、以来、大晦日に朝から晩まで家にいたことはなかった。30数年ぶりに家で過ごす年末なのでゆったりと写真集でも眺めてみようという考えだ。

星野道夫は写真が好きで写真家になったわけではなかった。アラスカに憧れアラスカで生きるすべとして写真を撮ることを決め、アラスカで出会った生物学者のアドヴァイスに従ってカリブーを追うようになった。亡くなったあと、作品を数冊の写真集にまとめられたうちの1冊である。

カリブーというのはトナカイのことであるが、季節ごとに生活の場を大群で移動する。その大群の数は時として数十万頭となり大地を埋めつくすという。文字では読んだことがあってもそれはどんなものなのか想像するしかなかった。
こんな世界が誰も見ていないところに存在するのか、それでは人間原理というのは一体なんなのかと思える。人が見ていなくても、いなくてもこの世界には変わりはない。人間原理などというものは単に人間が考え出した屁理屈かエゴでしかないのかもしれない。

この本は星野道夫が亡くなったあとに出版されているので、池澤夏樹があとがきのようなものを書いているが、そこに、『カリブーにとって死は悲劇ではなく必然、生に含まれるもの、生きていることの一部である。カリブーたちはそれを知っているから、死を素直に受け取る。』と書いている。では、死を素直に受け取れない人間にとって死は生きていることの一部としては考えられないということだろうか。
たしかにそこのところの折り合いをつけるために宗教が生まれたと考えれば合点がいく。
しかし、死を悲劇と受け取る代わりに希望というものを抱けるようになったというのも人間だろう。絶望しないかぎり人間は希望を抱き続けることができる。失望したなら失ったものを見つければいい。そう思わせてくれる1冊だった。

年末なのでちょっとだけ前向きな感想を書いてみた・・。



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「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

2021年12月28日 | 2021読書
デリク・クラーク/著 和中 光次 「英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実」読了

今年は日米開戦から80年になるそうだ。”そうだ”というあいまいな表現にせざるを得ないは当然で、太平洋戦争というのは見聞の世界でしかなく、両親もそんなに戦争時代のことについて語ることはなかった。
毎年、8月25日になるとテレビでは戦争に関するドキュメンタリーなどが放送されるのであんなことがあった、こんなことがあったというのはその時だけの記憶として消えてゆくのだが、今年のNHKの12月8日に合わせたドキュメンタリーは市井の人々が戦争に対してどんな考え方をしていたかということを残された日記などの手記に残された単語の数量から読み解こうとするものであった。
戦争はお互いに正義と正義のぶつかり合いという部分があるのだろうが、それは戦争をやると決めた人たちの正義であり、それに従う人たちは戦況の変化に応じてそれぞれの時にそれぞれの思いをもつ。
もっと知りたいと思い、それらしいタイトルの本を探していたときこの本を見つけた。
知りたい内容とは違うものであったが、これはこれで戦うことではない部分の戦争というものを垣間見ることができるものであった。

著者はイギリス人で、招集されて軍人になった人だ。1942年にシンガポールで日本軍の捕虜となり終戦を迎えた。2月のことだったというので太平洋戦争の間のほぼすべての期間を捕虜として過ごしたことになる。
軍隊に入れば世界一周ができると思ったが、日本からは太平洋を渡ってアメリカ経由で母国に帰ることになったので本当に世界一周をしたことになった。それにちなんで、原題は、『No Cook‘s Tour』という。 “Cook”というのは、イギリスにある世界最初の旅行代理店のことで、Cookを使わないで世界一周をしたという意味だ。

3年半もの間、無事に生き延びることができたのは数々の幸運が重なったものであると著者は書いている。絵を描くのが得意だった著者は、軍人になる前の職業を画家と偽ったことからプロパガンダ要員として日本に送られる。
東南アジアの捕虜収容所の生活というのは相当過酷であったそうだが、日本での捕虜生活は、過酷は過酷であったものの、命に関わるほどでもなかったようだ。
捕虜収容所の生活というのは奴隷の生活のように強制労働と死なない程度に食事が与えられるのみの世界と思っていたけれども、意外と自由な部分があり、少ないながらも給与も支払われていたという。当然、それを使用する売店もあった。いくらかの生活の自由もあったということだ。
そして、配給だけでは十分な栄養が得られず、捕虜として自由が制限されるなかでは当然ながら著者のほとんどの関心は食べることになるのだが、少ない食料をなんとかしようと、貨車の荷下ろしの際に積み荷となっている米や缶詰を盗み出そうとする。それは看守の軍人とのばかし合いと言えるようなものだが、それをイギリス人らしいユーモアで書き綴っている。
そしてそれを看守たちの目を盗んで調理するのだ。見つかれば虐待が待っているとはいえ、一種のゲームと化しているような感がある。戦争末期には日本人の食事事情もひっ迫し、見逃す代わりに一緒に盗んだ食材を食べているというシーンもあった。
1944年のクリスマスには演劇もおこなわれた。衣装は看守たちが映画会社に交渉して調達してくれたという。そしてその演劇は日本軍の軍人も一緒になって観覧した。敵同士であり虐待もしながら心の交流もあった。
そんなことが書かれていた。

こんな話を読んでいると、いったい戦争というのは何なのだろうかと思えてくる。領土の奪い合い、宗教上の対立、その他の目的を完全に成し遂げようとすれば相手をすべて消し去るのが筋だと思うが、捕虜として敵を捕まえ、労働力として利用するという側面はあるもののある一定の寛容を敵に見せているのである。個人としては目の前の相手には何の恨みはないとはいえ、矛盾している。形而上は相手を消滅させたいと思いながら形而下では寛容な態度を見せる。これでは首尾一貫していないような気がする。捕虜の扱いについてはジュネーブ条約というものがあって、それは国際条約だからということでどこの国も守らなければならないらしいがそもそもケンカをするのにルールがあるのだというところが矛盾していると思うのだ。国際赤十字は敵対している国々に慰問箱というものを贈るらしいが、これとて、英米が詰めたものを日本も受け取っている。まこと憎いのであれば間違いなく拒絶するであろう。ルールの中で命を懸けるというのはどうもばかげているし、それで命を落とす人はあまりにも哀れだ。そもそもルールというのはどんなルールでも危険を回避するためにあるのではなかったのか。
まったくもって、統治者たちが様々な交渉をするためのお膳立て、もしくは生贄として血を流すようなものだ。そんなことをしなくてもそれなら最初から話し合いで決着をつければ誰も死なずに済むではないかと思うと虚しくなってしまう。

それでもまずは戦争をしなければなにも始まらないとすれば人間とはあまりにも度し難い存在だとつくづく思ったのだった。
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「無理難題が多すぎる」読了

2021年12月25日 | 2021読書
土屋賢二 「無理難題が多すぎる」読了

本を探すときは、気になるタイトルや作家の名前をみつけると図書館に蔵書があるかどうかを確かめて自分のスマホ宛てにメールを打ち、それを見ながら本棚を探すということをしているのだが、古いメールだとこの本はどういうきっかけでメールに書いたのかを忘れてしまっている。
土屋賢二というひともそうであった。確か、哲学者だったということだけは覚えていたので、哲学の入門書のようなものを期待していたのだと思う。

しかし、内容はというと、僕もこんなブログが書きたいのだと思えるような、軽妙でかつ、何か奥の方には相当な知性の裏付けがあるのではないかと思わせてしまうようなものであった。
それはそのとおりで、著者は東大出身でお茶の水女子大で文教育学部学部長まで務めた哲学者だ。疑う前にとんでもない知性の裏付けがあったのだ。
週刊文春に掲載されているエッセイをまとめたもので、半ば自虐的ながらそれを面白おかしく語っている。自虐の極みは、連載が単行本にまとめられてその後文庫本になったのではなく、いきなり文庫本として出版されているというところだ。ご自分の文章は単行本ほどの値段を付けられないと思われたのだろう。
しかし、この本は、2020年の本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞したということなのできちんと世間には認められているのだ。

哲学というものきっと、宗教よりももっとクールなものではないのかと思い始め、何か入門書のようなものだけでも読みたいと常々思ってはいたものの、大概は入門書とはいいながら分厚くて文字が細かく、パラパラページをめくるだけで、これはダメと思うものばかりだ。
もともと、哲学というのは、自然科学や宗教、おそらく人間の意識がかかわるものすべては哲学からはじまったはずであるので、そう簡単には理解させてくれるものではないのだろう。自然科学のほうは物理学や化学、天文学の分野に発展し、心理的なものは宗教や心理学になっていった。
ひとはなぜ存在するのかということを考えるのが心理的な部分の根本だと思う。そこに悩みが生まれる。自分は存在すべき存在なのか・・。その悩みはまた、内側に向かうものと外側に向かうものに分かれる。内側に向かうものは「何故自分の思い通りにならないのかという悩み。」外側に向かうものは人間関係の悩みだ。アドラーの考えでは人の悩みはすべて人間関係の悩みであるというのだが、「思い通りにならない」というのは人間関係とは別の悩みになるのかもしれない。

その思い通りにならないということについては、『「思い通り」というからには何かを思っているはずだ。その内容を変えればいい。テレビ番組に失望するのは「面白いはずだ」と思うからだ。何も思わず、何も期待しなければ問題ない。念のため、何を思ったかをあとで決めればいい。テレビが面白くなければ、虚心に「故障した」と困り、「思った通りだ」とつぶやけばいい。宝くじが外れれば、「外れたか、思った通りだ」とつぶやくのだ。こうすれば、自分の気持ちひとつでどんな事態になっても思い通りに起こったことになる。』となる。
釣りに行っても、「ボウズだったか・・」「思った通りだ」とつぶやけば何も悲しむことはない・・・。
プライドが傷ついた人には、『誰かに愛着をもってもらわないと無価値だというのは不合理すぎる。何物とも代替できない自分固有の価値が、他人まかせであっていいわけがない。他人から無視されようと、ゴミ扱いされようと、自分には無条件に価値がある。そう考える。第一、そう考えるしかプライドを救う道はない。』と言い、『何事も、決めてから実行するより、自然に出たものを味わいながら流れに任せる方がよい結果が出る。自分で考えて決めるとロクな結果にはならない。思い通りになる人生はつまらない。全能の神でないことに感謝せよ。思い通りにならないときこそ、視野を広げ、価値観を深め、プライドを捨てる時だ。』と、それを捨ててこそ浮かぶ瀬もあると説いている。
要は、視点を変えるとすべての悩みは消えてしまうのだということだ。
『壁が真っ白であるべきだと想定すれば、子供の落書きは〈ヨゴレ〉と判定されるが、そう想定しなければ、模様として味わえる。〈絵は実物そっくりであるべきだ〉と思うものはピカソを楽しめない。失恋もそうだ。人生に挫折や失敗があるべきではないと考えるのはおろかである。』というのもなかなかの名言だ。

同じく、最大の人の望みである幸福についても、『幸福でなくてはいけないと思い込んでいる幸福病患者が多すぎる。幸福になれなければ、幸福に目もくれない生き方を模索せよ。友人がいないなら孤独を求めよ。病気ばかりするなら健康を軽蔑せよ。すべての価値観をくつがえすのだ。』となるのだ。
これらこそきっと哲学ではないのかと思うものなのである。

相当ウケを狙って書いているところもあって、そういうところは臭く思えるが、そんなところにも何か伏線があるのではないかと思わせてしまうところがこの本のすごいところであり、「超発掘本!」と讃えられた要因だったと思う。確かにこの本を発掘した店員は小躍りしたことに違いない。

そのほかにも、これは哲学の話題ではないが、「パーキンソンの法則」というものが紹介されている。暇なときは何でもないことが大仕事になるという、「仕事に要する時間は使える時間に応じて増減する」という法則だ。なるほど、僕が常々思っていた疑問を解消してくれる法則だ。普段やらないような突発的な仕事をやらされても、べつに残業することなく帰ることが多々あったのだが、それじゃあ、普段突発的なことが起こらない日、僕はその時間、ただボ~っとしているだけであったのかと思っていたが、この法則を適応すると、僕は怠け者ではなかったということになる。これにはホッとした。
そして、『なぜ目に余る欠点を抱えた女が自分を完璧だと思えるのが不可解だが、多分、他人の欠点を指摘するのに忙しすぎて、自分の欠点に目を向ける余裕がないのだ。』という、いつかは誰かに言ってやろうと心に留めるべき名言もあった。

そして、奥様に虐げられているご自分を哄笑しているのも面白い。もちろん、それはお互いの信頼関係の賜物であるのは間違いがないが、これはどこの家庭でも同じようなものであると認識した。我が家でも同じく、僕のすることをことごとく冷ややかな目で見ているのが僕の奥さんだ。しかし、先日買った真空パックマシンは違った。ヤフオクで中古を買ったのだけれども、またこんな変なものを買いやがってと思われるのかと思ったがこれは違った。出来上がった真空パックを見て、これは使えると追加で買った真空パックのロールはお金を出してくれたほどだ。僕もたまには褒められることがあるのである。



そう、この人の文章のように、一見アホらしい文章なのだけれども、その奥に何か目を背けることができない、思わず見入ってしまうようなものが垣間見える文章を書けるようになりたい。今からでは遅すぎるが・・。



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「僕の種がない」読了

2021年12月22日 | 2021読書
鈴木おさむ 「僕の種がない」読了

著者は、森三中の一番大きい人の旦那さんだ。放送作家をしていて小説も書いているということは知っていたが、特に興味のある人でもなかった。なのにどうしてこの本を読んだのかというと、11月に参加した図書館のバックヤードツアーの中で業務体験というのがあって、納品された書籍に蔵書印を押すというのをやった。その本がこの本だったのだ。
このゴム印は僕が押したものなのである。



ここで、図書館に本が並ぶまでの流れを書いておきたいと思う。
まず、毎月、和歌山県立図書館に納品される新刊図書というのは約1000冊だそうだ。今では蔵書は100万冊になるという。どうやって1000冊が選ばれるかというと、基本的に納品元は株式会社図書館流通センターというところ1社だけだそうだ。郷土資料という、和歌山に関する本などは別途違うルートもあるそうだが、この会社が作っているカタログの中から職員が選ぶという流れらしい。ジャンル別に担当者がいるらしく、いわばその人の好みが反映されるということになる。もちろん、選ぶのはカタログからなので担当者のカラーというよりもむしろカタログを作った人のカラーと言ってもいいかもしれない。まあ、一般書店ではないのだから、本屋大賞みたいに、私の好みで選びましたと言われると、公共施設としてのバランスを欠くことになるからこのほうがいいのかもしれない。
この会社名、どこかで見たような気がすると思ったら、ウチの会社からひとり出向しているひとがいる。本業とはまったく畑違いの会社だが、調べてみると図書館の業務委託業界では筆頭らしく、となると、我が社は凝りもせず、今度は図書館の運営受託を狙っているのかもしれない。

図書館に並んでいる本はすべて透明なシートできれいにカバーされているが、これも図書館流通センターでカバーされた状態で納品されるらしい。僕はてっきりこれは図書館の人がやっているのだと思っていた。相当システマティックに運営されているようだ。
納品された本は、「日本十進分類法(NDC)」という分類法に従って背表紙のシールが貼られ、データベースに登録されたあと書架に並ぶ。
出版されてから大体1ヶ月遅れくらいで僕たちが読める状態になるそうだ。


肝心のこの本のあらすじだが、ひとりのドキュメンタリー製作ディレクターとお笑い芸人が主人公だ。
ディレクターは、テレビ業界に携わりたいと、ドキュメンタリーを主に製作している制作会社にアルバイトに入る。そこで出であったドキュメンタリー作品に感動し、自身もドキュメンタリーの製作を志し、独特の感性と突進力で業界でも一目置かれる存在になっていった。
お笑い芸人は元ヤンキーの兄弟。そのヤンキー気質があだとなり、芸人仲間には受けるもテレビ業界からは干される立場である。一念発起で始めた、路上で捕まえたひとを笑わせる動画が人気を集め一流芸人へと登り詰める。
しかし、兄に肺がんが見つかり、余命半年の宣告を受ける。自分の生きざまをさらけ出し笑いに変えてきたと自負する兄は自分の最後も記録に残したいと考え、ディレクターにその撮影を依頼する。普通の闘病記では面白みがないと、ディレクターが提案したのは、まだ子供のいなかった夫婦に子作りを勧めることだった。
しかし、夫婦には子供ができない理由があり、それは兄の無精子症が原因だった。
ディレクターはそれ以前にテレビの企画で無精子症のひとと出会っていた。それでも子を持ちたいという希望、そして生まれてきた子供への感動。そういったものを思い出し、キンタマから精子を取り出す手術を勧める。それに同意した芸人のキンタマから取り出されたたった2匹の精子が奇跡を生む。
そんな内容だ。

偶然だが、この本を読んでいる期間、購読している新聞のコラムで無精子症の患者の話が連載されていた。著者はテレビの業界で働いているだけあって、タイムリーな話題を題材にして小説を書いたということなのだろう。
無精子症というテーマはさておいて、芸人という人たちの生きざまについても厳しいというか、驚きというか、ああいう業界で生き残っていくためには凄まじいエネルギーが必要なのだということを垣間見た。そういった芸人たちを間近で見た人でなければこういった書き方はできなかったのではないのだろうかと思うのだ。
一昨々日にはM1グランプリを放送していたが、ひとを笑わせるというのはそれほどに難しいことなのだろう。自分の身を削り、笑いを絞り出しているのだ。
大分昔、仕事場に設置されているホールの隅っこで、イベントの出演者としやってきていたミサイルマンという漫才師の太い方が、相方に真剣なまなざしで何かを語っていたところを見た。おそらくはどうやったら客を笑わすことができるかということを語っていたのだと思う。ちょうどその頃、COWCOWというコンビが「あたりまえ体操」で全国区にのし上がったころで、同じイベントに出ていた太い方が舞台の隅っこからCOWCOWをにらみつけるような目で見ていたのが印象に残っている。
きっと、うらやんでいるというのではなく、いつかはこいつらを超えてやるという気持ちか、自分たちの方が絶対面白いという自負のまなざしであったのだろう。

常に貪欲に目の前の目標に食らいつくという姿勢は真似ができない。そんな人たちだけに与えられるのが生きる価値なのではないかと思う1冊であった。
結末は落語のオチのようだが、偶然出会った本としてはいい方だったと思う。

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「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

2021年12月19日 | 2021読書
暦本純一 「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」読了

もう、何かを考え、新しいことをやるという仕事をするようなことはないのでこういったアイデアづくりの本を読んでも何の参考にもならないのはわかっていて、もちろん、こういうハウツー本を読んだからと言ってみるみるうちにアイデアが湧き出てくるとも思っていない。そんなに簡単なら、世の中はエジソンだらけになってしまうことになるし、大谷翔平選手が使っていた目標達成シート(マンダラチャートというらしい)を書いたら世の中の全員が大リーグでMVPをもらえてしまうことになる。

だから、最後の1冊だと思って読んでみたというわけだ。もともと、以前に読んだ本の中で、「アイデアの作り方」という本が紹介されていて、その本を検索していたらこの本が見つかったのである。著者は、今はだれでも恩恵にあずかっているスマホの画面を親指と人差し指で拡大したり縮小したりできるシステムを創りだしたひとだそうだ。だからこの本のハウツーも、もともと天才だったひとが活用するから有効に働くのであって、僕のような無能な人間がこのハウツーに挑んでみたところで何も生み出せないということを前提に読み進めようと思う。
無能というと、最近こんな箴言を聞いた。『平和というのは、無能が最大の悪徳とされないような幸福な時代を指して言うのだ』う~ん、この言葉を言った人もきっと天才だったに違いない・・。

この本の中で、著者が一番大切だと考えていることは、「妄想」することだと伝えている。すべては妄想から始まる。
我々は、現在の延長で物を考えがちである。しかし、妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものである。だからこそ新しいのだという。しかし、アイデアは自分の中から勝手に生まれてくるもので、それが「妄想」なのである。
そして、その妄想を育むための源泉は自分の「やりたいこと」である。「実現可能かどうか」という判断を優先させていたら、「妄想から始める」どころか、妄想を抱いた瞬間に終わってしまう。だからまずは妄想をし続けなければならないのである。そしてそこには遊び心が必要だ。著者はそれを、「非真面目」という言葉を使って説明している。真面目なイノベーションが、「やるべこことをやる」ものだとしたら、「やりたいことをやる」のが非真面目なイノベーションであるというのだ。
まあ、今時、企業でも、大学でも、そんな余裕のあるところはほとんどないのが現実であるだろうが・・。

次にそれを妄想を言語化してみる。それを「クレーム」という。そして、一言で言語化できるクレームはベストであるという。こういうところはマーケティングの考えと似ている。
マーケティングでも、企画の意図をキャッチフレーズとして書き出すのだが、これも短いほどよい。この本に載っているクレームでは「七人の侍」の例を揚げているが、黒澤明がこの映画のために作ったクレームは、「農民が侍を雇って山賊を撃退する」というものであったそうだ。なるほど簡潔でわかりすい。
逆に、くだらないクレームとは、「高機能な」「次世代の」「効率的な」「効果的な」「新しい」などの一見耳障りのよい言葉である。結局的を射ていないものになってしまうという。僕も営業計画で散々使ってきた言葉だ。だから役に立たないと思われてしまったのだと今になって気が付いた。
また、新しいアイデアは、何もないところから突如として出現するわけではない。そのほとんどは、「既知」のことがらの組み合わせである。既知と既知の掛け算なのである。だから、いろいろなことを知っておくということが大切である。他人が考えない自分らしいアイデアの源泉にするなら、好きなものが三つぐらいあるといいらしい。「多情多恨たれ。」という師の言葉に似ている。
その考えがどれだけ価値のある物かというのを計る尺度は天使度(発想の大胆さ)と悪魔度(技術の高さ)である。発想が大胆で、かつ高度な技術を要するものは他人が真似できないものとなる。もちろん、発想に技術が追いつけなければただの絵に描いた餅になってしまうが。
そしてそれを試行錯誤しながら実現可能かどうかを試してゆく。これを著者は、『素人のように発想し、玄人として実行する。』と書いている。これは、師がよく書いていた、「心は素人、腕はプロ」という言葉に似ている。

思考錯誤の途中で諦めてはいけない。自分でなくてもできそうなアイデアはオリジナリティが低い可能性がある。なかなか成功しないものほど独創的であるということだ。そんな紆余曲折経て成功する人たちは、どんなに失敗を重ねてもけっこうそれを楽しんでいたのではないだろうか。というのが著者自身の経験から言えることだそうだ。

アイデアに失敗する例としては、自分のアイデアはかわいく見えるという「認知バイアス」やサンクコスト(埋没費用)効果というものが紹介されている。どちらもそれに固執し、そこから抜け出せなくなるというものだが、確かに、一度始めたものを止めてしまうのには勇気がいる。川に釣りに入って道に迷ってもなぜだか後戻りはしにくいし、360円のイワシの投資がもったいなくて結局燃料を焚きまくるというこの前の洲本釣行というのがいい例だ。
逆に、こういったことは新たな発想を生む種になるということも書かれている。ひとつはピボット(方向転換)という考え方だ。これはあるアイデアを違った方向から見直して新たな発想をするというものだが、今、この瞬間にも使っている光学マウスだが、これは、コピー機の連続印刷の紙送りの原理を応用しているらしい。あれは、なんとカメラでコピー用紙を撮影しながら1000分の1秒単位で紙の位置を検出して次の紙を送り出しているそうだ。コピー機のカメラは固定されているが、それを移動式にして動いた距離と角度を解析しているのが光学マウスだそうだ。そういえば、リールのストッパーもプリンターのローラーの原理を応用していると聞いたことがある。そのおかげで、昔みたいに、ロックがかかっているときにカックンとならなくなったのである。確かに、新しいことを考えるひとは見ているところが違うのだ。
ひとつは、今は役にたたないものでも、寝かせておけばいつか役に立つという。科学者や企業は論文を投稿したり、特許をとることで自分が初めて考えついたのだということを世間に周知させておくのだそうだ。
これらの考えも師の言葉や、マーケティングの理論に所々似ているということは、「既知」のものを組み合わせた考えなのだということがよくわかる。著者のいうとおり、既知の考えの組み合わせで新しい発想が生まれるのである。

まあ、くだらないことでも、今までとりあえずはいろいろなことを考えてきた。一番いやだったのは無反応であるということだった。会議で何を言ってもとにかく無反応。褒めてくれることはないにしても、無反応なのである。意見や非難をもらうところというのは揚げ足を取るようなところばかりというのがこの会社であった。この本には、相手を一瞬、「キョトン」とさせるアイデアはいいアイデアであるということも書かれていたが、キョトンどころか、みんな死んだイワシの目のようであった。
認知バイアスではないけれども、こいつらの見る目がないから無反応なのだと思いたくなった。このブログにコメントをいただく、warotekanaさんからもたくさんのヒントをもらい、これは他社でも実績のある企画ですと言っても無反応だ、せめて、なんでお前がそんなことを知っているんだと言われてもよさそうなものだが、それもなかった。こんな資料を作りましたと配布しても、これはどう見るのだという質問もない。作るだけ無駄というものであった。
僕のほうも、モノづくりには興味があったので雑貨の部門で長くいられたというのは幸運であったのかもしれないが、ファッションビジネスというものにはまったく興味はなかった。だから好きなもの三つを見つけることさえできなかったというのが本当のところである。
どんどん衰退してゆく業界で、何を考えてもそれは防戦一方の方策でしかないというのはわかるが、こんな会議だから防戦一方になってしまうんだろうなと今はそんな会議にも出ることがなくなりホッとしているのも事実である・・。
と、なんだか人生の総括というような感想になってしまった。
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「新しい星」読了

2021年12月16日 | 2021読書
彩瀬まる 「新しい星」読了

この本も新着図書の書架に入っていた本だ。何冊かの小説が貸し出されずに残っていて、そのうちの1冊を借りてみた。作家の名前も知らないし、どんな内容かもわからずに借りているのだが、これも本を読む醍醐味のひとつだろう。この本も次の予約が入っているところをみると、けっこう人気のある作家なのかもしれない。

学生時代、合気道同好会で出会った4名の30代の男女が主人公である。それぞれが主人公となる各章をつないでひとつの物語となっている。
それぞれに生き辛さを抱えながらもそれを包み込みながら次の人生を生きていくという内容だ。著者は1986年生まれということだが、この年代の作家というのはこれほど生きるということをポジティブに考えられるものなのだろうか。まあ、この時代、太宰治のような文章を書いても売れないだろうから、これも自然淘汰なのかもしれない。

世間一般、誰もが思うことであるが、『みんなが想像する「普通」からはみ出してはいけない。「普通」じゃないことが起こるのは、なにかしらの恥ずべき異常があるからだ。』という考えのなかで4人は生きていた。
生まれた子供を2ヶ月で失い、その後離婚した青子、仕事につまずき引きこもりとなってしまった弦也、コロナ禍がもとで子供と離れて暮らすことになってしまい、それが元で離婚をした卓馬、乳がんを患いながらも子育て、仕事、主婦という役割を続けながらも高校生になった娘を残して亡くなってしまった茅乃。それぞれ普通ではないことを思い煩いながらもお互い助け合いながら前を向こうとする。そんな物語だ。
主人公たちの言葉から、「普通」からはみ出してしまった苦痛がうかがえる。
『わかりやすく説明できないことばかりだった。どうして会社を辞めたんだ。どうして部屋から出ないんだ。』(弦也)
『社会で堂々と生きてゆけるほど、有能じゃなかった。嫌われた。迷惑がられた。』(弦也)
『いつしか悲しみが、ちょっとしたお守りみたいになってしまった。』(青子)
『未来に良いことがあると信じられないことは、こんなにも辛い。』(卓馬)
『彼女は考えないことをやめたのだ。そして抱え込んだものの中から、これからの人生で持っていくものと置いていくものをより分けようとしているのだ。』(卓馬の妻)
『自分の倍近い年齢を生きた母親の中にも、見下されることへの恐怖がある。』(弦也)
それぞれ、自分でもふと思うことがあるものばかりのように思える。結局うやむやになって何の解決策もなく、解決することもなくときの過ぎゆくままに流れていく。そうして生きてきた。
対して、彼らは突き付けられた現実に対して立ち向かうというわけではないが、それも人生のひとつだと受け入れることで次のステップを踏み出そうとする。
そこがポジティブだ。

冒険家というジャンルの人々がすべてポジティブな人たちだといわないが、えてしてポジティブな人たちが多いそうだ。ひとがポジティブであるかネガティブであるかというのはドーパミンの分泌が多いか少ないかである程度決まるという。
性格に関わるセロトニンやドーパミンを運ぶタンパク質をコードしているSLC18A1という遺伝子の136番目のアミノ酸が変異を起こすとドーパミンが多くなるそうだ。
アフリカを飛び出した人間は、そのルートをたどると、南アメリカの南の方に行くほど変異した人が多くなるという。アフリカ時代は不安症の人が多かったけれども、その中の、突然変異で心配や不安が少くなった人たちが思い切ってアフリカを後にすることができたのかもしれないというのが最近の研究結果だそうだ。

主人公たちも最初は自身に不安を抱えているが、久しぶりに出会った友人たちとの交流でドーパミンの分泌が促進されたというのが科学的な方面から見たこの物語のあらすじになりそうだ。

何が普通かと言われれば、そんな基準はきっとないのだとこの歳になると理解はできる。しかし、自分の基準に合わない事柄に対しては常に違和感を覚える、それが気になって仕方がないというのはきっと僕の中のドーパミンが少ないからだろうと思う。これも、この歳になって新たに増えることもなかろうと思うので、この性分と残りの人生を付き合っていかねばならないのだと思うのだが、この職場の雰囲気についてはどうもそうはいかない。なんとか、このアホみたいなカオスを楽しもうと努力はしているのだが、そのためにはもっと、ドーパミンによるドーピングが必要なようである・・。


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「作家の手料理」読了

2021年12月15日 | 2021読書
野村麻里/編 「作家の手料理」読了

30人の、作家や有名人が料理について語ったエッセイが収録されている。今年の初めに出版された新刊書のわりには掲載されている作家は昔の人が多い。大半が1900年代の前半に生まれた人たちだ。1950年代に生まれた人で収録されているのは2名だけである。これは編集者の好みもあるだろうけれども、料理を文学にするというのは今の時代では難しくなったということもあるのかもしれない。
料理に関する小説やエッセイを好んで読むというのではないが、現代に生きる作家が現代の食を語るときっと味気ないものになってしまうか、昔を懐かしんで過去を書くという風になってしまうのではないかと思う。世界中の食材が、年中、季節を問わず簡単に手に入るのが現代だ。料理法も、いかに簡単に作るか、いかに手を抜くか、本当の味に似せるか、そんなことが話題の中心になる。格差社会では、そんな高級なレストランの話をされても現実感がないと興ざめをさそうだけだ。そして、コンビニの食材や激辛メニューがテーマでは文学にはならないだろう。
だから、人が、日常の中で季節感を感じる食について書いたものを厳選してゆくと自ずからそういう時代の作品になってしまうというのが本当のところかもしれない。
これは釣りの世界も同じで、季節感や、自然の中に入り込んで書かれた作品となるとひと昔、ふた昔、もっと昔の作品を選ばざるをえないということになるだろう。食も釣りもなんだかすべて効率化、画一化されてしまっているような感がある。
自分自身も、これくらいの時代の人たちが書いた文章のほうが、なんだかしっくりくるのである。釣りに関する文学もしかりなので古本ばかりを読んでいた。
そうは言いつつ、編者が書いた前書きには、『文章と料理を繋ぐもの、それは読者の好奇心と想像力そして実行力である。』と書かれていたが、僕もその画一化された食生活に毒されているのか、掲載されている料理や食材にはあまり想像力が働かない。
その中で、2編収録されていた「苦み」についてかかれたものについてはなんとなくそうなんだよなという気にさせられた。人間が感じることができる味覚のひとつにこの「苦み」というものがあるが、もとは食べてはいけない毒のある可能性のある物を識別するために発達した味覚だという。しかし、人間はこの苦みを喜んで求めている感がある。山菜の苦み、ビールの苦み、どれもわざわざそれを求めているのは確かだ。苦みのない山菜はただの雑草だし、ビールに苦みがなければ日本酒だけでいい。
その理由はわからないけれども、苦みのない食生活はあまりにも単調であるのは確かだと思う。

1950年代生まれのふたりの著者のうちのひとりは星野道夫であった。内容はというと、アザラシの脂肪分についての記述だったのだが、その味については置いておくとして、エスキモーと一緒に生活する上で、この獣臭い脂を食べるということが、同じ仲間だと思ってもらえるためのひとつの試金石であったというのだ。自分たちが食べるものを何食わぬ顔で食べる姿を見てエスキモーたちはよそ者を受け入れる。エスキモーという言葉はたしか、”生肉を食べる人たち”という意味で使われた差別用語だと聞いたことがある。おそらく、よそ者が入ってきてもその生臭さが敬遠され、差別につながったという歴史があったのだろう。だからこれが試金石なったということに違いない。アフリカでも同じようなことがあるということが書かれた本を読んだことがあるので、世界中きっと同じなのだろう。
そういえば、ご近所付き合いについても同じようなことがあるのではないかとふと思った。ご近所付き合いの最初はやはり食べ物での交流から始まるのではないかと思うのだ。
作りすぎた料理をおすそ分けする、もらった野菜や自分で作った野菜を持って行ってお返しにまた何かをもらう。そんなやりとりで相手の生き方や好みを知りながら交流が生まれる。そうやってコミュニティが生まれるのだろうけれども、やはり現代社会ではそういうことがままならない。
僕の隣の住人は、庭にカートップできるボートを置いているほど釣りが好きなひとのようなのだが、まったく交流がない。たまに表で見かけると挨拶をするくらいだ。その家は、子供もいる家庭だが、ヨシケイのお世話になっているらしく、玄関に宅配BOXを置いている。ヨシケイということは、毎食人数分の分量きっちりが配達されるのであろうから、おすそ分けを配ろうにも何も余らないだろう。こっちも、ヨシケイだけを食べているのだからそれ以上のものを食べてもらうというのははばかられる。だから挨拶以上のことが続かない。この前、ボートを洗っているところに出くわしたので、「何か釣れましたか?」「アジが釣れました。」という会話が初めて成立したが、それ以上は続かない。
まあ、世代が違うというのもあるが、やっぱりその溝を埋めるというのが食材なのではないかとこの本を読みながら改めて思ったのである。


想像力と実行力であるが、ひとつだけ、試してみようと思う料理があった。
向田邦子が書いていた、「和布の油いため」である。
レシピはというと、
まず、最初に長袖のブラウスに着替える。
次に、大きめの鍋の蓋を用意する。
ここからが本格的なレシピとなる。
『支那鍋を擁してサラダ油を入れ、熱くなったとろへ、水を切ってあった若布を放り込むのである。ものすごい音がする。油がはねる。このとき長袖が活躍する。左手で鍋蓋をかまえ、右手のなるべく長い菜箸で、手早く若布をかき廻す。若布はあっという間に、翡翠色に染まり、カラリとしてくる。そこへ若布の半量ほどのかつお節(パックでもけっこう)をほうり込み、一息入れてから、醬油を入れる。二息三息して、ぱっと煮あがったところで火を止める。』というものだそうだ。
また来年の春にはワカメの季節が訪れる。その時にはこれを試してみたい。
そして、僕なりの想像力を加えるのなら、この料理に黒ゴマを大量に加えたい。幸いにして、売っていた日が賞味期限切れの日という、ひと瓶10円の黒ゴマを大量につい最近買った。あと、数か月は十分食に耐えられると思うから、これをふんだんに使って文章と料理を繋いでみたいと思うのである。


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「思惟する天文学 宇宙の公案を解く」読了

2021年12月09日 | 2021読書
佐藤 勝彦、佐治 晴夫、渡部 潤一 、高柳 雄一、池内 了、平林 久、寿岳 潤、大島 泰郎、的川 泰宣、海部 宣男 「思惟する天文学 宇宙の公案を解く」読了

この本は、2013年に書かれた本だということで情報としては古いものかと思ったが、それはとんでもない間違いだった。天文学上の新しい発見はその後もあったのであろうが、タイトルのとおり、“思惟する”という意味では何ら古びていると思えるものではなく、むしろ、科学者が考える哲学という面から見るとこれは学ぶべき部分が多すぎると思えた。僕自身が何か公案を得ることができたかというと、それはやっぱり無理というものであったが・・。

この本は、「スカイウオッチャー」と言う雑誌に1992年から2000年にかけて書かれた文章を、同じ著者が最長17年の歳月を経たあとで後継雑誌の「星ナビ」誌上で当時からの変化を再度見直したものを並列して書いている。
宇宙の始まりと終わり、宇宙と哲学、宇宙と文明、宇宙と生命、異星の文明、そういったものについてそれぞれ専門の立場から論じている。
この17年間というのは、ダークエネルギーの発見、ヒッグス粒子の存在の証明、形骸惑星がはじめて発見されたという期間であったそうだ。
宇宙を研究対象とする学問分野である天文学は、「世界とはどのようなものか」という根源的な問いかけとストレートにつながっている。これは、神話や宗教には必ずといっていいほど世界の創世や構造を示すさまざまな「宇宙像」が存在していることからもうかがえる。その点で、天文学は他の諸科学と比べてより宗教的・哲学的なテーマに近接している。

日本語で初めて宇宙という言葉が現れるのは日本書紀だそうだ。スサノオの追放の段に、「以って宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべからず。」という文章が出てくるそうである。「宇」は空間の広がりを、「宙」は時間の広がりを表しているのだが、この時代から比べると、宇宙像ははるかに拡大し、地球に生きる自分たちにとって宇宙の意味、あるいは宇宙の中で生きる自分たちの存在の意味を問い直す必要があるという。

銀河系の中に文明がいくつあるかというのは、ドレイクの方程式という計算式で求められ、それは多くても10個くらいかと言われている。恒星圏の中のどの位置に惑星が存在しているか、そしてその大きさも問題になる。あんまり大きすぎると人間サイズの生物は重力のせいで潰れてしまうという。そもそも、地球を育んでいる宇宙も、重力定数というものが10%の範囲で現在の数値と異なると生物を構成する炭素は作り出されていなかったそうだ。
また、生物がいたとして、そいつが文明を生み出すまでの時間だが、地球上で数回起こったとされる大量絶滅による進化のワープがなければ地球の寿命に追いつけなかったとされている。そいういことがおこらなければ文明ができる前に星自体に生物が住めなくなってしまうのである。
要は、奇跡の中の奇跡が起こって今の地球の文明があるのだが、そこに必然性があったのかということが公案を解くことにつながりそうだ。
「人間原理」という言葉は以前に読んだ本にも書いていたが、宇宙を観測する意識、これは地球人でなくてもほかの星の文明でもいいのだが、それがないと宇宙は存在していると言えないのであり、すなわち、観測者がいてはじめてその対象は存在できる。というのが人間原理である。そう考えると、宇宙が存在する限り、地球に文明があるというのは必然ではなかったのだろうか。
それを証明するために天文学は存在するのだというのが執筆者のひとりの考えである。
う~ん、とうならされる内容ではあるが、ちょっと醒めた目で思いで考えると、しょせんそういうことを考えても宇宙の広がりを感じるのはここに届く光を見ることだけで、そこに行って肉眼で確かめるということはもはや不可能であるということは明白となり、ましてや異星の文明と交信するということも不可能である、返信はしたけどその返信を待っている間にこっちが滅びるか、その前に、返信が届く頃には向こうが滅びている確率が高いというのがいまだに異星からの電波が届かない理由である。
それでも異星の文明を探し、はるか遠くの星を探すのを止めないのはきっとこれは偶像崇拝の類ではないのかと僕は思い始めている。
地球で生まれたまともな宗教のほぼすべては当初偶像崇拝を禁ずるというのが常であった。それほど偶像崇拝を禁じるのは、神秘性を高めるという意味もあったのだろうが、これ自体が人間を堕落させるということが昔からわかっていたからではなかろうかと思う。玩物喪志というやつだ。そう知っていながら止めることができないのが人間の性で、知性のないやつはアイドルに走り、知性のある人は科学者になり宇宙を見つめる。そんな構造ではないのだろうかと思うのである。
それにしてはお金をかけすぎではないかと思うのだが、それはそれで平和な時代だからよしとしておけばいいし、僕はその隅っこのほうの知識をちょっとだけ教えてもらえれば僕の玩物喪志は満たされるのである。

ちょうど昨日、変な実業家がロケットに乗って宇宙に行った。宇宙と偉そうに言っても、地球の重力圏内なのだから実は宇宙とは言えないそうなのだが、100億円払って行ったというあの人も宇宙の漆黒の先に偶像を見たいと思ったのだろうか・・。


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「いつか出会った郷土の味」読了

2021年12月08日 | 2021読書
夢枕獏 「いつか出会った郷土の味」読了

ここ数日読んでいる本はイラストや写真がたくさん載っていて読むのに時間がかからない。通勤電車1往復半で1冊のペースだ。
この本も、ひとつの章が4ページほどだが、1ページは丸々イラストで埋まっているし、ページのデザインが余白を多く取っている形なので1章あたり5分ほどで読めてしまう。

「男の隠れ家」という雑誌に連載されていたものをまとめたものということだ。
著者が日本の各地で食べ歩いた思い出の、それもとびきり美味しかった料理や食材を収録している。「いつか出会った・・」と書かれているくらいで、文章の中には30年前とか、20年前、10年前というような表現がたくさん見られる。

釣りのため、取材のためとはいえ、ほとんど日本全国というほど巡っているのには驚くし、それも1回だけではなく何度も同じところに足を運んでいるところもある。当然ながら不味かったものや取るに足らないものも食べているだろうから、どれだけの距離を移動していたのかと思う。夢獏良は多作で有名と聞いたことがあるが、それに加えて普通の作家以上に原稿を書く仕事までこなしているというのだから、人気作家の体力というのは凄まじいと思う。
取り上げられている食材にはお肉がない。釣りが趣味の人だからということもあるのだろうが、魚や山菜、野菜、果物などばかりだ。そういった編集にはうれしさを覚える。まあ僕も歳なのでお肉よりもそういった食材に美味しさを求めているのかもしれないが・・。

1年365日、奥さんの作った弁当と奥さんの作った食事しか食べていないのでそうなってくると、家の外で食べるものにそれほど憧れや欲望を抱かなくなる。もともと旅行が好きというわけでもなく、掲載されている料理や食材を食べに行けるわけでなく、この本を読んでもそんなに想像力をかきたてられることがない。
本の紹介コピーには、「下品に、はしたなく、エロティックに書き下ろす。」と書いているが、けっして作家の技量が悪くてそのエロティックさが伝わってこないのではない。師の言葉では、エロいシーンと食べるシーンを感動的に書ける作家は一流だとは書いていたが・・。
僕にそういうことが伝わって来ないのは、単に家で食べることに慣れてしまっているということにほかならないのである。
お金もないし、この歳からいきなり食べ歩きが趣味ですとなることもない。しかし、ときたまこんな本を読んでそこへ行った気になっておこうとは思うのである。


「生きることは食べること」というのはちょっと前の朝の連ドラのコピーであったが本当にそう思う。夢枕獏ほどではないにしても、僕も食べることは好きだ。お金をかけるということはまったくないけれども季節ごとの食べ物を食べてきたと思う。スーパーに売っているものを買ってくるのではなく、自分で食材を取り自分で調理をするということに、本当の「生きることは食べること」という意味があるのだろうと勝手に思っている。出来合いの総菜をスーパーで買ってくるというのはどうも性に合わない。
食べることに興味のある人、無頓着な人、いろいろいるだろうが、統計的にはどうかは知らないけれども僕の感覚では食べることに無頓着な人というのはあまり健康な生き方をしていないのではないかと思ったりする。
これは僕の家の向かいに住んでいる老夫婦の話であるが、旦那さんは数年前に脳梗塞を患って体の自由が利かなくなってしまった。ひとりで歩くことはできていたようでよちよち歩きで散歩する姿もあったが、最近では奥さんの介添えなしでは歩けなくなっていた。それがひと月ほど前だろうか、奥さんが家にやってきて旦那さんがベッドから落ちて動けなくなったので手伝ってほしいと言ってきた。そんなことは当然と手伝ってベッドに戻してあげたが、2、3日して僕が留守の時にもトイレで動けなくなったから手伝ってほしいと言ってきたらしい。奥さんが駆けつけてベッドに戻したそうだ。
この家庭には独身の娘が二人もいるので普通なら自分たちで手厚い介護ができるはずなのだと思うが、ひとりは一緒に住むことができないと家を出ていてひとりは介護疲れか心を病んで入院してしまったらしい。
そんなことがあって、食べることと健康な生き方についてあらためて思うのが、この人たちは食べることに対して大したこだわりがなく生きてきたのではないかということだ。僕たちがこの場所に引っ越して来た時からのご近所付き合いで、それ以来の何気ない会話の中でも季節を感じる食生活をしているような人たちではないのだという印象を持った。
うちも会話のない家族だが、食べ物を真ん中に置いた会話だけはある。年中同じメニューならうちにもそんな会話さえなかったであろう。美味しい食べ物があると思うと家を出ることもなかったのではなかったのだろうか。と言いながらうちもとうの昔に出ていってしまったが・・。

もちろん、食べることが好きな人が脳梗塞を起こさないということはないと思う。僕はガンで死ぬより今のままでは早晩心筋梗塞を起こす確率のほうが高いはずだ。しかし、あとひと月したらこんなものが食べられる、次の食材確保にいまから準備をせねばと思うことは心筋梗塞の発作を起こす時期を少しは遅らせることできるのではないかと思うのだ。

そして、先週の土曜日、朝5時に家の呼び鈴が鳴った。最初は夢うつつであったが、2回目の呼び鈴と扉を叩く音で完全に目が覚めた。その主は向かいのおばさんであった。またトイレで倒れたまま動けなくなったというのだ。
その後もうちの奥さんに、医者まで行きたいんだけどいつも頼むタクシーの運転手が忙しいらしいと、さもお宅の車で連れて行ってくれと言わんばかりだったようだ。どうも完全にこっちの全面的に頼ろうという姿勢に変わってきている感じがする。タクシーの一件も、少し前に近くの内科に奥さんが連れて行ったことがあったらしい。ご近所付き合いといっても古くから残っているのはこの2軒だけであとは新参の人たちだから気軽に声をかけることができないというのはよくわかる。それも困るのであるが僕だって同じだ。

医学の進歩は人の寿命を延ばしたのだろうけれども、それは単に死ななくしたということだけではないだろうか。そこには人のこころを置き去りにして科学の進歩だけが残っているような気がする。そして、本来、共同生活ということを前提としてきた人類の進化を、お金と引き換えのサービスにとって換えてしまった社会が目の前にある。
だから、前回のブログに書いたNさんのことも考えると、なんとか健康に、ひとに頼ることなく生きているということが奇跡ではないのかと思えてきたのである。

義理の父も奥さんを亡くして早や6年、2、3年前から宅配弁当のお世話になっている。そんな話を聞くとこれでいいんだろうかと思い、釣ってきた魚をたまには持って行ってあげようよと奥さんに話をしてみるのだが、そんなことしなくていいという。遠慮をしているというのもあるだろうが、ああ、この人も年中同じ食事でもなんとも思わない人なのだろうなと思うと、自分の自由が利かなくなったとき、急速に寿命を縮めるのだろうと思うのである。

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「開高健の本棚」読了

2021年12月04日 | 2021読書
開高健 「開高健の本棚」読了

開高健記念館に蔵書されている書籍の画像を交えながら師が過去に書いた書評や書籍に関するエッセイ、小説を抜粋してまとめている。

開高健記念館というと、僕は2003年4月の開館1週間後に訪問している。まだ、ブログを書き始めてはいなかったのでどんな行動をしていたかというのを覚えていないが、横浜に住んでいた友人の家に泊まって茅ヶ崎へ向かったことを覚えている。
開高健記念館は師が暮らしていた茅ケ崎市の私邸をそのまま記念館として開放している。記念館がオープンすると聞きなんとか行かねばと東京出張を隠れ蓑にして夢にまで見た地に向かったのだ。
駅前の小さな本屋には師の本がいっぱい売られていて、おそらくすでに絶版になっていたものもあったのだろう、それまで読んだことのない本をかたっぱしから買い求め、記念館へ向かった。そこで見た館内の様子はこの本に掲載されている写真そのままだ。師が生活していた息吹がまだ感じられるようであった。なつかしい。



師は、よい本というのは、そこに鮮烈な一言半句が書かれているものである。言い換えれば、鮮烈な一言半句があればそれで充分であるとよく書いていた。芥川賞の選考委員をしていた時も、作品の中にそんな一言半句があるかどうか、そこだけを見て推薦するかどうかを決めていたという。
そして、書評といえども、師の文章には一言半句が目白押しである。一言半句だらけだとそれはもう一言半句とは言わないのではないかと言われてしまうかもしれないがそうなのだから仕方がない。
最近はめったに師の文章も読むことがなくなり悲しい限りだが、久しぶりに読んでみると強烈な滝のしぶきを浴びたような気持になる。
「わたしのなつかしい一冊」でも書いてみたが、僕のブログも師の足元にでも近づけるような文章を書いてみたいものだと思うのである。

写真集に近い構成なので誰かがその書評について何か解説を書いているようなものではないので、内容としては「開高健は何をどう読み血肉としたか」のほうが濃いものであったと思うのだが、ひょっとしたらこの2冊の本を同時に読み進めることができればもっと師の文学世界に没入できたのではなかったのだろうか・・。

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